死者の軍隊の将軍 (東欧の想像力 5)

  • 松籟社
4.18
  • (12)
  • (9)
  • (7)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 130
感想 : 11
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879842725

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 第二次世界大戦でアルバニアに侵攻し、その地で戦死した自国の兵士の遺骨を、とある将軍が集めて回る。
    戦争から二十年、アルバニア人の協力のもと墓を掘り返すのだ。あからさまなところはなくとも歓迎しているとは言えない地元住民、達成感を得られるでもない仕事に、徒労感や虚無感が漂う。

    将軍は理性的に仕事をこなしているように見えても、アルバニア人を野蛮だと見下す気持ちが会話や内心の描写の端々に現れていて、そういうところは戦争からまだ遠くないひと続きなのだと感じた。
    それはアルバニア人にも言えることで、たった二十年で終わったことだと割り切れるわけもない。その激情の鮮やかさ生々しさ。
    協定なんて表面的なものなのだと突き付けられた気がした。

    初めに降り立った時と同じ、雨模様の寒々しい空港から最後は飛び立つ。
    最初とは違う、多くを語らない静けさが印象的だった。

  • このところ「東欧の想像力」シリーズにハマっているわたし(^^♪
    東欧の作家の作品を集めた面白いシリーズですが、でもそもそも東欧ってどこ?

    学者の間でも百家争鳴のようで、おおむねロシアを外し、ウクライナ、ベラルーシあたりから欧州の中央に位置している旧社会主義圏の国々で、私の好きな作家の多いチェコ、あるいはポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、バルカン半島に位置するクロアチア(W杯頑張りました~♪)やアルバニア(ギリシャのすぐ北)などなど。

    もちろん広義の東欧シリーズには「イディッシュ(ユダヤ)文学」も入っていて、言葉や文化も民族も宗教も多種多様。チェコ出身の作家ミラン・クンデラいわく、「中欧は最小の領土に最大の多様性が存在している」ひゃあぁ~巧いこと表現しますね。

    本作はそんな東欧アルバニアのイスマイル・カダレ(1936年~)の初期作品(アルバニア語からの直訳)。
    彼の本には初めて触れましたが、いやはや素晴らしい。神秘的な青灰色がかった情景描写といい、視覚と聴覚、とりわけ後者の感覚は研ぎ澄まされています。またカダレの作品はどれもこれも会話がカッコいい。目の前で演劇やいい映画を見ている気分になります。

    ***
    20年前の戦争で没した自国兵の遺骨蒐集のためにアルバニアを訪れた某国将軍と従軍司祭。何カ月も土くれにまみれた挙句、すっかり変わり果てた兵士らを集める任務に悄然とする将軍。ちょうどそこに別の国の中将とはち合わせになります。どうやら彼らもまた戦没兵の遺骨を蒐集するためにおもむいたよう。

    思うにまかせない死者の軍隊を探し求めて煩悶する将軍の内面描写が中心で、大きな空間移動はないし、派手なストーリー展開もありません。とても静謐な小説です。でも読者に訴えかける「時」(記憶)の移動は見ものです。切なさ、虚しい徒労感、やり切れなさといったものが混然一体となって、いまにもくずおれてしまいそうな将軍にハラハラしながら文字を追いかけてしまう……。

    「真珠探しで水の深いところまで潜ると、肺が破裂することがあるという話を聞いたことがあるかい? まあ、我々の場合、こんな仕事をしているからには、心が張り裂けるんだろうな」
    「そのとおりだ。我らが魂は張り裂けそうだ」
    「くたびれたな」将軍は言った。
     中将は深いため息をついた。

    かつてアルバニアはイタリア(ファシスト)とドイツ(ナチズム)に占領され、パルチザンや民衆らとの壮絶な闘いと流血の歴史があります。それも終焉をむえて20年も経た今ごろになって、自国の戦没兵の遺骨を蒐集する将軍のこの上ないわびしさ、徒労感……。

    先日の米朝会談では、60年前の朝鮮戦争で没した米兵の遺骨蒐集・返還も協議したようです。思えば70年前の大戦で南方戦線の島々に没した日本兵の遺骨の多くは、いまだ島の山野にうずもれたまま……そして地上戦の市民戦没者の遺骨をい・ま・だ集め続けている沖縄。こうして世界中で土くれになろうとする遺骨の蒐集をしなければならない不条理を思うと、この「将軍」のやるせなさと徒労感が伝播してしまいます。

    かつての敵地、恥辱、羨望、陰鬱さが高じてしだいに突飛でファンキーになっていく「将軍」の姿は、あまりにも人間臭くて滑稽で笑え、なんとも形容しがたい苛立たしさに泣けてしまいます。

    この作品にはあえて固有名詞が伏せられています。でも読み進めていけば、おのずとアルバニアの歴史と、ある種の普遍的な真実が、もやのように行間から漏れ出してくるのが感じられます。鮮明な文字と対照的な青灰色にもやる行間、その深淵と陰えいのじつに見事なこと……力のある物語にはよけいな固有名詞や説明は不要なのですね。

    余談ですが、カダレの作品は本作以外に4作品が翻訳されていて、中世以前の因習や民間伝承を基調にした『砕かれた四月』、『誰がドルンチナを連れ戻したか』、そしてボルヘスの世界のような幻想空間を描いた『夢宮殿』、さらに自伝的作品『草原の神々の黄昏』があります。
    どれも描き方が違っていて面白く読ませます。ギリシャ古典悲劇(カダレはアイスキュロスが大好物だって)やシェイクスピア作品が好きな方にも、とくにお薦め♪

  • 『夢宮殿』再読で気になったカダレをついに手探り。これは代表作のひとつであるらしい。
    重訳ではなく、アルバニア語から直接の日本語訳。あまりないことのようで背筋が伸びる。

    第二次世界大戦中の占領統治時代から20年を経て、現地で死亡した自国の兵士らの遺骨を回収するため、アルバニアの大地を訪ねる将軍の物語。「神聖」で「厄介」な使命を帯びて、霧は濃く雨は長く雪は深い異国の湿った土に塗れ、生前の面影を留めるものなど何一つない骨を集めていく将軍の心理の揺れ、分裂の様がまざまざとして無惨。
    著者はアルバニア人だけど、敵国の側からアルバニアを描いていることもポイントかもしれない。将軍よりアルバニアに詳しいらしい司祭の侮蔑も露わなアルバニア観の残響に、現地で関わる人々の眼差しと言葉、兵士の手記、遺骨が歌うかのような記憶の断片が次々と加わって、徐々に異様な響きを発していく。最後に訪れた村での高まりがたまらなかった。老婆の糾弾から、自分が当時指揮を執っていたら……と妄想していた将軍が思い出されて一層苦しい。そして今は骨を回収して死者の軍隊を率いる将軍であるとのイメージがひときわ陰鬱に真に迫る。
    常に将軍と表現されていて一切固有名詞が出てこないのは、人間が戦争の中で無個性に、交換可能になることの暗示だろうか。隻腕の中将、行き届いた名簿、1メートル82センチ。
    決着らしいものを迎えずに終幕となることで、否応なしに戦争を突き付ける趣。戦後なんて上っ面にすぎないのだと。
    現代劇みたいだ、という台詞はたぶんにメタフィクショナル。フォントの異なる断片は、その演者にだけ照明を当てて、他の役者はストップモーション……という絵面を想像させる。映画版ではどうなっているんだろう。

  • アルバニアの大地に惹き付けられる。
    主人公はこの地なんだと思った。

  • 死者の軍隊の将軍
    カダレの「死者の軍隊の将軍」を昨日から読み始め。
    カダレの作品は日本語にも4作品ほど既に翻訳ありますが、これまでのは、前に読んだ「夢宮殿」含めて全てフランス語からの重訳。アルバニア語からの翻訳はこの井浦氏のが初めて…のはずなのに、本にはフランスの出版社の名前が…ああ、この出版社がアルバニア語版とフランス語版を出してたのね(その後、アルバニアでも全集が出版されている)。
    さて、内容ですが、第二次世界大戦中アルバニアを併合したイタリア、敗戦後20年ほどしてアルバニアに取り残されたイタリア軍の遺骨を回収しに、将軍と司祭が派遣される。作品はこの二人の会話、遺骨回収作業、現地の村人の回想、それに字体も改めて戦争中の手記などで構成。多分カダレ自身の出身地での出来事だろうと思われる、村の娼館での殺人事件の後の、お互い手をぎこちなくも振る場面など印象的。
    霧の下を狂おしく駆け巡るもの、まるで痛みによってぎざぎざに切り裂かれでもしたようなそれは、敵意という他に説明のつかないものだった。
    (p10)
    この後読み進めていくうちにわかるが、この遺骨回収作業は秋に行われ、アルバニアではずっと霧と雨が続く時期になる。このイメージは今と戦争中、精神の表層と深層、などいろいろな位相で現れる。

    繰り返しとテレビの眼
    「死者の軍隊の将軍」から第3章。
    その時将軍は、その司祭の瞳がサロンの隅にあるテレビの画面と同じ色をしているような気がした。まるでちっとも映らないテレビだ。将軍はそう思った。それとも、わけのわからない同じような番組をずっと流し続ける画面のようだと言った方がいいかな。
    (p31)
    将軍と司祭の会話…といっても、どうやら司祭はアルバニア体験が長くあるらしいが、将軍にはたぶんないのだろう、という差異がある。司祭の瞳の表現は、司祭のアルバニア滞在中の体験によって、何かが極限値を越えたことを示唆している。
    そんな話はいくらでもあるし、大抵は不思議なほど似ているものだ。
    (p34)
    前の文にも似た、ずっと同じような番組を流し続けるテレビみたいなものは、現実そのものにも当てはまる、からこそ、文学の力というものが生まれるのだろう…とも思った。でも、登場人物の側も読んでいる側も、厭世的な気分になってくる。繰り返しの連鎖とそこから抜け出したい願望と視野。その視野を持つことができたからこそ、人間は人生に儚さ、無意味さを感じることができる。
    (2015 01/04)

    ニク・マルティニの歌
    昨夜読んだ「死者の軍隊の将軍」から…あ、これ二部構成だったのね。一部終わってから気づいた。
    歌が古くからあるのは、切り株のようなものだ。それでも枝や花びらは若々しいのだ、と
    (p175)
    イタリア軍が海からアルバニアに侵攻してきた時の戦闘で、命を落としたアルバニア側のニク・マルティニという人の歌が残っているという。その歌は本当に元々ニク・マルティニの為の歌だったのかはよくわからない。でもこうした民衆の歌にはそういうことがつきものだ…ということで、上記の文章につながる。カダレの歴史認識にもつながる?

    「死者の軍隊の将軍」読了前夜
    …だと、思われる。
    このまま読み進めてしまうことも可能だけど、ちょっと留め置く。
    物語は第2部になって1年経過したらしいのだけど、相変わらずずっと地道に遺骨回収作業をしている。現地の墓堀人のうちの最も長老格の人物が破傷風みたいな感染症で亡くなったり(第1部)、影の主役であるZ大佐に夫を殺されたニツァ婆さんに婚礼の踊りの最中に呪われたり、といろいろ大事件に発展しそうなところはあるのだが、次ではまた淡々と筋が進んでいく。将軍の頭の中では逐一何かが加算されていき、疲労していくが、読者にとってはそこは察するしかない。
    もう一つ気になるのは章の名前で、普通に第○章と名付けられた章と、番号のない章とか付けられた章がある。遺骨の回収作業に関係あるのが番号付き、ないのがない章? まあ、番号のない章の方が文章量は少ない傾向。
    司祭と二人して出直して、陰鬱な巡礼者のごとく、山から山、谷から谷へと渡し歩いて、骨を一つ、また一つと、もとの掘り出した場所に戻していくのだ。
    (p207)
    将軍が妄想してしまう、さまざまな思いつきから。フィルムを逆再生したような、そんなイメージ。でも、実はこの主筋である遺骨回収の場面に寄り添うような感じで、見えないようにこの逆回転筋も進行しているのだ、と読み取ることもなんとなく可能にも思える。それが僅かの隙間に主筋に代わって現れたりもしてきた。イギリス兵の遺骨を回収したけどまた埋め戻した場面とか、他にもたぶん…
    (2015 01/05)

    降る雪の末路を知らない空
    「死者の軍隊の将軍」を先程読み終えた。
    制服姿の将軍は、そんな短命の雪を見つめていた。時折彼は空に目をやったが、その空は、自らの生み出したものが地面でどうなっているかにはおかまいなしで、さらに失われるべき幾千の雪ひらを降らせ続けるのだった。
    (p290)
    最終章から。雪ひらを死んだ兵士と捉えるか、もっと広く将軍や読者含めた人間一般と捉えるべきか。
    表は裏になり、裏は表になり…兵士の手記など以外にも裏に通じるような箇所は多かった。例えば、将軍の会話で言おうとしている内容を地の文で書いたのち、すぐ実際の会話文が全く同じ言葉で続く…というところが散見されたけど、その地の部分は何かに通じていく穴みたいなものかもしれない。
    或いは、将軍にとって、司祭または中将というのは、実は自分の分身の様々な形態の一つでもあって、そこにも隙間が成立する。どこかに通じる…
    (2015 01/06)

  • 血塗られたアルバニア近代史。

  • [ 内容 ]
    掘り起こすのは、遺骨と、記憶と、敵意と、徒労感と…第二次大戦中にアルバニアで戦死した自国軍兵士の遺骨を回収するために、某国の将軍が現地に派遣される。
    そこで彼を待ち受けていたものとは…。

    [ 目次 ]


    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 4/24読了

  • 掘り起こすのは、遺骨と、記憶と、敵意と、徒労感と…第二次大戦中にアルバニアで戦死した自国軍兵士の遺骨を回収するために、某国の将軍が現地に派遣される。そこで彼を待ち受けていたものとは…。

全11件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

アルバニアの作家・詩人。1936年、同国南部のジロカスタルに生まれる。
ティラナ大学卒業後、モスクワに留学するが、アルバニアとソ連の関係悪化をうけて帰国した。その後ジャーナリストとして活動しながら、詩や小説を発表。1963年の小説『死者の軍隊の将軍』が国際的に注目され、作家としての地位を確立する。労働党の一党体制下で制限を受けながら執筆を続けていたが、1990年にフランスへ亡命。翌年、複数政党制となった母国に帰国、現在も旺盛な執筆活動を続けている。
代表作に本書のほか、『大いなる冬』(1977)など。日本語訳は『夢宮殿』(東京創元社)、『砕かれた四月』(白水社)等が刊行されている。第1回「国際ブッカー賞」受賞。

「2009年 『死者の軍隊の将軍』 で使われていた紹介文から引用しています。」

イスマイル・カダレの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×