白土三平論

著者 :
  • 作品社
3.62
  • (3)
  • (4)
  • (5)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 33
感想 : 6
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784878936333

作品紹介・あらすじ

『忍者武芸帳』に世界観を学び『カムイ伝』に自己同一化した60年代。熱気溢れる時代の青春に圧倒的影響を与えた白土漫画の全貌を初めて解明。40年を超える愛読の成果を凝縮する画期的考察。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  白土三平さんの訃報に接して、この本のことを思い出しました。マンガ論・映画論の四方田犬彦の丁寧な仕事です。今や、昭和のマンガを考える上では基本文献だと思います。
     ブログにも感想書きました。
      https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202111100000/

  • 白土三平と「忍者武芸帳」    -2006.06.24記

    漫画-アニメの系譜における巨匠といえばなんといっても手塚治虫なのだろうが、漫画-劇画-コミックスの系譜で革命的な存在であったのは白土三平が屈指だろう。
    私が嘗て長編の漫画をまがりなりも通読したのは、白土三平の「忍者武芸帳」と山岸涼子の「日出処の天子」くらいなのだが、それでも「ガロ」などに連載されていた白土の「カムイ伝」や「カムイ外伝」を時折は読んだりしていた。
    このほど四方田犬彦の「白土三平論」-作品社2004年刊-をざっと読んでみたのだが、彼の代表作「忍者武芸帳」や「カムイ伝」に関する詳細な読解に導かれ、お蔭で遠い記憶が甦ってきた。
    1950年代後半から60年代、貸本漫画のドル箱的名作、白土三平の「忍者武芸帳」は59年から62年まで、足かけ3年にわたって執筆された。
    当時としては型破りのこの長編劇画は、貸本漫画界において記念碑的ともいえる作品であった。
    白土三平の父.岡本唐貴-1903年生-は、1946-S21年の終戦まもなく矢部友衛と共著で「民主々義美術と綜合リアリズム」を上梓出版、1967-S42年には松山文雄とともに大部の「日本プロレタリア美術史」を執筆刊行した左翼的理論派の画家であった。
    白土三平の本名は登、1932年にその唐貴の長男として生まれた。
    1948年から紙芝居の世界に関わるようになり、紙芝居作家として、また指人形劇団に所属し、舞台の背景画家として57-S32年頃まで活躍し、以後、漫画家へと転身している。
    彼が紙芝居の世界に入った頃は、東京だけで3000人、全国では5万人程の街頭紙芝居屋が居たと伝えられる全盛期であったが、昭和30年代のテレビの普及とともに、紙芝居は急速に衰退し消えゆく運命となった。
    三平に漫画家へと転身の機会を与えたのは牧数馬であり、牧の少女漫画などの下絵描きからスタートした。
    ちなみに「太郎座」という指人形劇団には、後に民話探訪などで活躍する瀬川拓男や児童文学者松谷みよ子らがともに居たというが、このあたりの事情については「白土三平ファンページ」に詳しい。
    白土三平の「忍者武芸帳」が貸本漫画に続々と登場してきた’60-S35年前後は、漫画のみならず文芸や映画など大衆芸術でも時ならぬ忍者ブームであった。それは安保闘争に揺れ動いた激動の季節という時代相の反映でもあったろう。
    ’59-S34年には司馬遼太郎の「梟の城」がこの年の直木賞を受賞。これと相前後するように、山田風太郎が「風太郎忍法」シリーズを次から次と世に出し大衆的人気を博していた。映画界では市川雷蔵主演の「忍びの者」シリーズの第1作が、名匠山本薩夫監督で’62-S37年12月に公開され、3作目からは監督が代わるものの、以後、’66-S41年12月公開の「新書.忍びの者」まで8作品を生み出しているが、この原作は、劇作家として演出家として戦前戦後の左翼的演劇につねに指導的役割を演じてきた村山知義の同名小説「忍びの者」であり、この小説は’60年11月から’62年5月まで、「赤旗日曜版」に毎週連載されたものであった。
    父親の岡本唐貴と親しい知己にあった村山知義の「忍びの者」が、ほぼ時を同じくするように書き継がれていった白土三平の「忍者武芸帳」に少なからぬ影響を及ぼしていたことは十分考えられることである。
    村山知義の「忍びの者」は、山田風太郎や司馬遼太郎作品に比べても、忍者というものの生態やその術のありようなど、あらゆる面で遙かにリアリスティックな描写世界となっている。上忍と下忍という身分差別や過酷な主従関係のもとに、敵対し死闘を演じつづける二つの忍者組織が、真相は同一人物によって支配されていたものであり、擬装の権力構造のカラクリが物語の進行とともに暴かれ、主人公石川五右衛門の人間的な苦悩に焦点が絞られていくという社会派時代小説だったのだが、この「忍びの者」がとりわけ日曜版とはいえ「赤旗」連載の小説であったことを考えると、映画化するについても当時の制作会社大映としては相当の勇気ある英断を要したにちがいない。
    社会の現実の悲惨を綺麗ごととして処理せず、あらゆる感傷を排除してリアリスティックな眼差しをそこに向けようとする強い意志は、村山知義と同様、白土三平の姿勢にもよく顕われているといえよう。エロティシズムであれグロティシズムであれ、人間的なるものの一切を隠蔽せずに描いてゆくとともに、その人間的なるものが大自然の法則を前にしてはほとんど無意味.無価値たらざるをえないことをも提示していくのが白土三平の「忍者武芸帳」であり、その後の「カムイ伝」であった。
    四方田の「白土三平論」に依拠すれば、「彼の忍者漫画を他の作家のそれらから決定的に峻別しているものがあるとすれば、それは忍者を単に人間界における権力争いの中での暗殺者の位置に置くことに満足せず、さらに認識をひろげて、自然と人間のとり結ぶトリックスター的な媒介者と規定したところ」に特徴づけられよう。
    白土作品のなかの忍者たちとは、「彼らの活動の領域にあっては特権的な個人など存在せず、だれもが交換可能で本来的に匿名の存在であるという原理」に貫かれており、「忍者武芸帳」において主人公影丸が殺されても殺されても蘇生してくる超自然的なありようは、「歴史における個人の、抽象的な代替可能性ではなく、あらゆる個人が狭小な個人性の枠から離脱し、歴史的な闘争の主体として匿名を帯びることと本質的に複数制のもとにあるというシステムを体現するもの」であり、白土三平は「忍者武芸帳」において、「歴史が闘争を通して、みずからに必然的な自己実現を遂げてきたとする、ヘーゲル.マルクス主義を下敷きとした世界観に裏打ちされたかのように展開」された作品をものし、「’60年代の新左翼の学生運動家たちにとって、当時の第三世界の解放神話と並んで、人民解放の神学的基礎ともいうべき言説として受けとめられ、漫画とはいえ一大叙事詩の世界を描きあげた白土三平はカリスマ的な存在となったのである」と。

  • 白土三平の作品は一部しか読んだことがないが、すべてにわたっての変遷がわかったような気がした。

  • 『柳生武芸帳』といえば『カムイ外伝』
    『先生とわたし』を読んだことでもあり再読
    題名どおり白土三平作品と作者の評伝的評論
    各作品の読み取り紹介文がかなりの分量
    無駄多い気するがこれがマンガ評論の仕方かもしれない
    中心的作品『カムイ伝』が「未完であることが本質であるような巨大な規模を持った作品」で終わるのかどうなのか
    読者として待つ姿勢で
    この評伝的評論も未完だが
    マンガに対して質を伴う評論自体がない目下にあって価値高い
    手塚作品に対する劇画との位置づけは難しいだろうが
    忍法武芸帳ものなどの大衆時代小説をなぜ白土せんせいが選んだかについて
    論及が欲しかった感じ 

  • 2016/6/18購入

  • 60年代の大学闘争の闘士たちのバイブルだった白土三平は、リアリスティックな描画が美しいとは思えず、あまり好きではありませんでした。カムイ伝もそういうわけでまともに読んだことがありません。白土が70年代に入って忘れ去られて行った背景には大学闘争・新左翼の没落があると言われておりますが、改めて白土の反権力的なストーリーを知り、今更ながら納得したという感じです。白土の父・岡本唐貴が日本共産党系の画家であり、少年時代から貧窮生活を極めたこと。戦争中に長野県真田村に疎開し、江戸時代の雰囲気が残った農村集落、そして差別社会をしっかり見たこと。そして30代で房総半島の漁村に移り住んでそこでの生活を見続けたこと。確かに白土の作品に影響を与えたことは間違いないですね。カムイ伝に至るまでの「忍者武芸帖」「甲賀忍法帖」「真田剣流」「シートン動物記」「サスケ」などの世界、そしてカムイ伝以降のエロ・グロとも見誤るべき「神話伝説」「女星」などの作品群。いずれも白土の思想を表現していたことに、漫画の世界ながらその深さに驚きました。また初期の作品はディズニー、手塚治虫の影響を受けて美しい絵を描いていたことも知り、意外でした。しかし、彼の思想を描いて行く上ではその画風はあまり相応しくないと確かに思います。

全6件中 1 - 6件を表示

著者プロフィール

四方田 犬彦(よもた・いぬひこ):1953年生れ。批評家・エッセイスト・詩人。著作に『見ることの塩』(河出文庫)、翻訳に『パゾリーニ詩集』(みすず書房)がある。

「2024年 『パレスチナ詩集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

四方田犬彦の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×