生命の詩人・尹東柱:『空と風と星と詩』誕生の秘蹟

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  • 影書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877144692

作品紹介・あらすじ

「死ぬ日まで空を仰ぎ 一点の恥辱(はじ)なきことを――」
清冽至純な詩篇を残し、戦争終結の半年前に日本の獄中にわずか27年の生涯を閉じた尹東柱。時局がら生前は1冊の詩集を出すこともかなわなかったが、関係者によって守りぬかれたハングル書きの詩稿は戦後になって出版され、韓国の国民的詩人となった。近年では日本でも毎年追悼行事が開かれるなど、日本人にも広く愛され親しまれている。
本書では、尹東柱の日本とのかかわりを中心に、日本留学中に治安維持法違反で逮捕・投獄され、1945年2月に“謎の獄死”をとげるまでの詩人の足跡を実証的に辿り、いくつかの知られざる事実を明らかにしつつ、また遺稿や蔵書を読み解き新たな視点からの作品解釈も試みながら、詩人の孤高の詩精神に改めて焦点を当て、その人、その文学の核心に迫る。
著者はNHKディレクター時代の1995年、「NHKスペシャル」で尹東柱のドキュメンタリー番組『空と風と星と詩――尹東柱・日本統治下の青春と死』を手がけ、以来二十余年にわたり尹東柱を独自に追い続けてきた。本書はその長年にわたる調査・研究の集大成。

感想・レビュー・書評

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  • 1995年に、当時NHKのディレクターだった著者は、韓国放送公社(KBS)との共同制作によって、尹東柱のドキュメンタリー番組『空と風と星と詩──尹東柱・日本統治下の青春と死』を制作。番組が終わった後も尹東柱に惹かれ続けた著者は、以来20年余にわたり独自に尹東柱に関する調査・研究を重ねた。
    本書では、おもに尹東柱と日本とのかかわりを軸にその足跡を丹念に追い、新たな視点から韓国の国民的詩人の人間性とその作品の素晴らしさに改めて焦点を当てる。

    日本での尹東柱を知りたいとこの本を読んだことで、はじめて知った事実もあったし、またすでに流布している事実については、別の観点から考察することで改めて見えてくるものもあった。
    たとえば
    ・コクヨ社が発行する400字詰め原稿用紙に清書された『空と風と星と詩』。その詩集の表紙に鉛筆書きで「病院」と漢字でつづり、消した跡が残っていること。
    ・「序詩」に登場する「死ぬ」「死にゆくもの」とは、どのような意味をもつのか。
     伊吹郷氏の死を生に逆転させたかのような翻訳への批判もあること。
    ・「星をかぞえる夜」の末尾が、最後の4行の前でいったん完成とされ完成日まで記されていたにもかかわらず、その後に4行追加されていることについて。
    ・日本時代の尹東柱を知る日本人はいないとされてきたが、同志社大学時代の彼を知る学友たちと、彼らとピクニックに行った写真が見つかる。
    学友との思い出、教授の罵詈にも等しい非難に対する反論などから、少しではあるけれど甦ってくる学生時代の尹東柱について。
    ・福岡刑務所での「注射」、食糧事情などについての考察。
    ・全27冊の尹東柱が所蔵した日本語書籍。    
                   など。
    なかでも同志社大学時代の彼が学友たちの真ん中ではにかみながら写っている写真や、学友が語る尹東柱の思い出によって、ちゃんと彼がそこに存在したんだということが形をもって浮かび上がってきたことで少しほっとした。しかしながらその後の教授とのやり取りや、楽しかったピクニックからほんの1,2カ月での逮捕という事実が消えるわけではなく、どうしてこうなったんだとやりきれない。
     
    尹東柱を知りたいとの思いは、自然と尹東柱の作品を知りたいとの思いへと繋がっていく。
    彼の詩は星や夜をモチーフとしたものや聖書からの暗喩によって伝えられることなど、蝋燭の灯のようなほの暗さ、しっとりとした情感を醸し出すやさしく温かいもの。けれどそのやさしさは決して弱々しいものなんかではないことが、軍国主義時代において時節にあわない詩を書き続けること、植民地統治を強いていた側の国語ではなく故国の国語で詩を表現することによって表れているのではないだろうか。それ故に尹東柱は誇り高き精神を持った詩人なのだと思うのだ。


    「星をかぞえる夜」      

    季節の移りゆく空は
    いま 秋たけなわです。

    わたしはなんの憂愁(うれい)もなく
    秋の星々をひとつ残らずかぞえられそうです。

    胸に ひとつ ふたつと 刻まれる星を
    今すべてかぞえきれないのは
    すぐに朝がくるからで、
    明日の夜が残っているからで、
    まだわたしの青春が終っていないからです。

    星ひとつに 追憶と
    星ひとつに 愛と
    星ひとつに 寂しさと
    星ひとつに 憧れと
    星ひとつに 詩と
    星ひとつに 母さん、母さん、

    母さん、わたしは星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えてみます。小学校のとき机を並べた児らの名と、佩(ペエ)、鏡(キョン)、玉(オク)、こんな異国の少女(おとめ)たちの名と、すでにみどり児の母となった少女たちの名と、貧しい隣人たちの名と、鳩、小犬、兎、らば、鹿、フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ、こういう詩人の名を呼んでみます。

    これらの人たちはあまりにも遠くにいます。
    星がはるか遠いように、

    母さん、
    そしてあなたは遠い北間島(プッカンド)におられます。
    わたしはなにやら恋しくて
    この夥しい星明かりがそそぐ丘の上に
    わたしの名を書いてみて、
    土でおおってしまいました。

    夜を明かして鳴く虫は
    恥ずかしい名を悲しんでいるのです。
                 (1941.11.5)
    しかし冬が過ぎわたしの星にも春がくれば
    墓の上に緑の芝生が萌えでるように
    わたしの名がうずめられた丘の上にも
    誇らしく草が生い繁るでしょう。
                  (伊吹郷訳)

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著者プロフィール

作家。1956年生まれ。東京大学文学部国文学科卒。1980年、NHK入局。ディレクター、プロデューサーとして多くの番組を手がける。2002年に独立し、文筆の道に入る。著書『スコットランドの漱石』(文春新書)、『わたしの歌を、あなたに~柳兼子・絶唱の朝鮮~』(河出書房新社)、『長澤鼎 ブドウ王になったラスト・サムライ』『漱石とホームズのロンドン』『生命の谺 川端康成と「特攻」』(以上、現代書館)など。

「2022年 『猫を描く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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