杉浦明平 暗夜日記1941-45: 戦時下の東京と渥美半島の日常

制作 : 若杉 美智子  鳥羽 耕史 
  • 一葉社
4.20
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  • Amazon.co.jp ・本 (575ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784871960571

作品紹介・あらすじ

危機的な今、
警鐘と予言、そして意外性に満ちた
戦後文学者の戦時下日記を初公開! 

「公表を控えるように」という本人の遺書もあって、これまで公にならなかったばかりか家族でさえも読むことを禁じられていた戦後文学者の一人・杉浦明平の日記が、今回、特に戦時下の1941~45年の部分に限って、遺族の英断と特別な許可のうえで初めて公刊されたのがこの本。

 そこには、後に杉浦が評論集『暗い夜の記念に』で表したあの時代の閉塞感が生々しく記されているが、と同時に意外にもそれとは相反するような恋と食と書物に明け暮れる杉浦が頻繁に登場する。
 一見すると、その大きな隔たりに戸惑うかもしれないが、実はその何物――国家や権威はもちろん大勢や空気感さえ――にも囚われずに、ただ自分自身をのみ恃み、名前どおりに明るく平らかな「明平さん」の自由で破格なふるまいこそが、この戦争前夜とも呼べる閉塞感に覆われた危機的な現在を生きる私たちに、大きな勇気と希望と示唆を与えてくれるのではないかと思う。

 また、「敗戦」などと口走ることはもちろん、そう思うことさえも許されない「一億総火の玉」真っ只中の戦時下に、杉浦は「敗戦後に一箇の東洋的ヒットラーが出現し、民を殺すことを……粛然として声なからしめるかもしれないのである。しかしてその可能性は、あらゆる民衆利益の擁護者を掃蕩することによって、今日本においては準備せられつつあるのだ」と驚くべき予見性を発揮し、「まことに陰惨苛烈なる運命が日本人の前には待っているといってよい。歴史を正しく成長させねばならぬ」(1944年1月19日の日記より)と、今日の日本の現況を見事に言ってのけている。

 いわば「暗い夜」ともいえるあの時代に、それでも世の趨勢に抗して“非国民”的態度を明るく貫いた杉浦のこの日記は、現代においての優れた抵抗と警鐘の書にもなっている。

感想・レビュー・書評

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  • 月夜すぎて安らに眠る幾夜ならむ明日の仕事も思ふことなく
     杉浦明平

     70年前の今日、8月16日。敗戦を故郷の愛知県で迎えた作者は、日記にこう記していた―「中隊長とかが、断じて戦うと称して依然壕掘りを続行させている。(略)米国人は憎くない、それより嘘八百を並べて人を三年も銃火の下をくぐらせ、おまけに何年か食うや食わずの生活をさせたやつの方が百倍もにくたらしい」。

     敗戦時32歳。「アララギ」の土屋文明に薫陶を受け、戦後はルポルタージュ作家、市民活動家として活躍した杉浦だが、その青春期は「暗夜」の時代でもあった。

     東京帝国大卒。前線に出ない第二国民兵として、翻訳など地味な「明日の仕事」をこなしていたが、人脈は豊富で、現実を正しく認識しうる立場にあった。

     この度、1941年から45年にかけての日記が公開されたが、副題「戦時下の東京と渥美半島の日常」の通り、ひじょうに具体的な生活記録として活字化されている。物資統制下でも、東京では、ビールや牛肉、羊かんなどを日常食にできる人々もいたことは、少々驚きでさえあった。

     とはいえ、戦争に対する批判精神を人一倍抱いていた知識人青年の、〈書く〉ことへの複雑な胸中は、短いながらも鋭いものがある―「私は危険な批評を書く気になれない。そして危険でないような批評なら書かない方がいい」。

     国民が精神的にも総動員され、形骸化した「危険でないような批評」ならば、いっそ筆を折る決意。苦い認識を経ての、戦後の数々の(杉浦の)仕事こそ、今再読すべきだろう。

    (2015年8月16日掲載)

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