新型コロナ「正しく恐れる」II 問題の本質は何か

著者 :
制作 : 井上 亮 
  • 藤原書店
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本棚登録 : 63
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865783162

作品紹介・あらすじ

大反響の『正しく恐れる』、待望の第二弾!
新型コロナ「パンデミック」の発生から一年余。蓄積されてきた知見から何を学べるのか? 
いまだに発生当初と変わらない「不要」な対策が蔓延し、さらに「変異株」問題が過大視され喧伝されるなかで、医療資源・病床利用、ワクチンへの評価、そしてリスク・コミュニケーションへの提言など、新型コロナ問題への「本質的」な対策を提言する、シリーズ第二弾!

感想・レビュー・書評

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  • 『感想』
    〇新型コロナに関する本のうち、中道に位置する感じ。理論的に是々非々で語っている。これくらい冷静に語ってもらえれば、信じることができる。

    〇メディアに対しての意見はそのとおりと思った。インパクトのある事だけを伝える偏った報道、自称専門家の間違った意見を鵜吞みにしてそのまま流す報道、起きる可能性があるがそうなるかもわからない悪い未来予想ばかりを伝える報道はおかしい。

    〇ワクチンに関しては肯定派のようだ。ただそれしか今は頼れないからのようだが。

    〇著者の意見として私が感じたもの。
    ①接触感染より空気感染に注意。だがウイルスは軽いし人から咳1回ではウイルスがそんなに出ることはないから換気さえできている環境なら人が吸う前に飛んで行ってしまう可能性が高い。だから消毒アルコール・フェイスマスク・外でのマスクは無駄ではないにしろかなり影響が少ない。
    ②空気中のウイルスは軽いし浮遊するから、仕切りで人と人の間においても、直接相手に届くことは防げても、空気に乗って回って仕切りなど越えてしまう。
    ③変異ウイルスは強くなるばかりではなく、弱毒化しているかもしれない。そのことはもっと先にならないとわからないのに変異を怖いものと刷り込んでいるメディアや政治はおかしい。
    ④今までやっていた対策でも、意味のない、もしくは薄いものとわかればやめてしまうことが大事。

  • 一年前時点のまだオミクロン種が明らかになる前の考察だが、驚くほど現状と変わりがない。
    特にここ半年は責任逃れに終始する政治とマスコミにより貴重な時間を無為に過ごした感が強い。

  • 「正しく恐れる」なんて、恐怖がどのようにやってくるかを考えたら、恥ずかしくて口にもできないはずで、純潔を性交で手に入れようとするのに劣らず、自己撞着で滑稽極まりない標語だ。

    私たちは進化の過程において、感染症におけるウイルスなどの見えない敵を「見る」ために、嫌悪する感情を発達させることに成功した。
    つまり、実際に見ることもできない危険な病原菌や微生物に対して、存在している「可能性」を示しているものを見、嗅ぐために発達された感情モジュールが「恐怖」であって、それを支えるのが「内なる眼」である「想像」だ。

    私たちが進化の過程で高めた、危険を予測し脅威を予見する能力は、現実の正確な評価の上に築かれたものではなく、単に可能性の上に築かれたものにすぎない。
    私たちは想像によって空白を埋めるようになり、ますます意味を求めて努力する一方で、恐怖は安心を求めて力を尽くす。
    安全でいたいという欲求が、かえって逆説的に危険の増大へと変容し、恐怖を高めるというパラドックスを理解するなら、「正しく恐れる」なんて妄言ではなく、恐怖に対してどのように対処するかを問うべきだろう。

    著者が盛んにリスクコミュニケーションを繰り返すのも、地元首長の政治パフォーマンスに散々振り回された怒りから来るのだろうと同情を禁じ得ない面もある。
    笑っちゃったのが、変異があろうがなかろうが、あるいはウイルスが弱毒化しようが強毒化しようがしようが、我々がとれる選択肢は多くなく、やることは変わりないのだと繰り返しているところ。
    正直だなぁと敬服したが、果たしてこれで思いは遂げられるか。
    恐れすぎると限りある医療資源が払底するんだから、情報を伝える側は、赤子に食べさせるように、噛み砕いて、時にお預けを食わすべきと。

  •  コロナ禍1年を経て、コロナの実態とそれに対する予防と対策について、恐れるべきこと、恐れる必要のないことをまとめたものです。西村秀一著、井上亮監修「新型コロナ 正しく恐れるⅡ」2021.6発行。①年齢ごとの重症化率が違う。子供に過度な対策は必要ない ②遺体から感染しない(行政指導が必要)③コロナは接触感染よりもエアロゾル感染・空気感染: 手洗い・アルコール消毒・パーテーションは有効な対策ではない ④もっともリスクがあるのは、飲食の場。特に、穴蔵みたいな所でわいわい長時間酒を飲む ⑤真に恐れるのは、肺炎、呼吸障害や血栓による血管の閉塞などの急変、後遺症(ロングコロナ)⑥マウスガードやフェイスシールドはノーガードも同然。アリバイ行為に過ぎない。⑦副反応の問題はあるが、希望はワクチンしかない。

  • マスク警察やご遺体の扱いについてはまさに過剰とも言える日本の状況が指摘されている。脅かし過ぎず、楽観し過ぎず、ほどほどの所でうまくつき合っていきましょう、という感じはそれはそれでいいのだが、所々で強調されるリスクコミュニケーションの指摘には疑問もある。
    例えば「変異株」の怖さを強調することでメディアは国民を無闇に脅かしていると批判するのだが、この本の出版後の第5波(そもそも本書では第○波という呼び方にも批判的なのだが)ではまさにデルタ株がその原因とされ、今までの感染対策では防ぐことができなかったとも言われる。西村氏は見解を変えているのかわからないが、変異株一つとってもこの通りである。
    また「子どもは重症化しないのに、活動に制約をかけ過ぎる」とも主張するが、子どもからの家庭内感染については「例が少ない」というにとどまる。
    そもそも一対一のコミュニケーションでさえ往々にして行き違いが生じるのに、マスを相手にした複数のメディアが過不足なくリスクを伝えるコミュニケーションなど、机上の空論とも思えてくる。何より「そんな事をいちいち報じてどうするのか?」という西村氏の姿勢は旧態依然とした「由らしむべし知らしむべからず」式と何が違うのか疑問がわく。
    メディアに対して批判的な見解を繰り返す西村氏。途中、聞き手の井上氏に思わず同情してしまう場面もあった。

  • 前著『新型コロナ「正しく恐れる」』に引き続き、新型コロナに関しての正しい情報がここにあると感じる。正しく怖がれていないし、対策も間違っているものだらけだということがよく分かる。取りうる行動として、とりあえず、マスクを外せるときは外すということは簡単に着手できそう。報道による情報の伝え方のたとえとして挙げられている「釣った魚は調理して初めて食べられる」という表現は分かりやすい。

  • 他のコロナを読みすぎたのか、だいたい同じだった。

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著者プロフィール

1955年山形生まれ。国立病院機構仙台医療センター臨床研究部ウイルスセンター長。専門は呼吸器系ウイルス感染症、とくにインフルエンザ。
1984年山形大学医学部医学科卒業。医学博士。山形大学医学部細菌学教室助手を経て、1994年4月から米国National Research Councilのフェローとして、米国ジョージア州アトランタにあるCenters for Disease Control and Prevention(CDC)のインフルエンザ部門で研究に従事。1996年12月に帰国後、国立感染症研究所ウイルス一部主任研究官を経て、2000年4月より現職。
訳書に、A・W・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ――忘れられたパンデミック〈新装版〉』(みすず書房)、R・E・ニュースタット、H・V・ファインバーグ『豚インフルエンザ事件と政策決断――1976起きなかった大流行』(時事通信出版局)、D・ゲッツ『感染爆発――見えざる敵=ウイルスに挑む〈改訂版〉』(金の星社)。また、内務省衛生局編『流行性感冒――「スペイン風邪」大流行の記録』(平凡社東洋文庫)の解説を務める。

「2021年 『もうだまされない 新型コロナの大誤解』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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