ブルデュー『ディスタンクシオン』講義

著者 :
  • 藤原書店
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865782905

作品紹介・あらすじ

名著の水先案内に最適の一冊!
ブルデューの押しも押されもせぬ主著にして名著『ディスタンクシオン』は、何を語っているのか? 二巻で計千ページを超える大著を、最適任者である訳者が一章ずつ講義形式で明快に読み解き、日本の読者にとっての『ディスタンクシオン』の意味に迫る。初読・再読の水先案内として最適な、待望の一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 【はじめに】
    フランスの社会学者ピエール・ブルデュ―の代表作『ディスタンクシオン』。1990年日本語版が刊行された『ディスタンクシオン』を、「難解な本」というイメージと相当に高価な二巻本(当時1ということで、学生時代の自分には手が出せなかった。ポスト構造主義華やかなりしフランス思想界の系譜を引き継ぐ人だという印象を持っていた。
    実際には、この時代のフランス思想界の流行を少なからず受けて、敢えて晦渋さを含んだ文章により難解な表現が使われているが、実際に書かれていることはこの解説本を読むとそれほど現実と遊離した哲学的な戯れを志向しているわけではないことがわかる。NHKの100de名著にも取り上げられたが、社会格差が社会問題になっている中で、今再び注目されているのであろう。

    本書は、その『ディスタンクシオン』の翻訳者でもある石井さんが、本文の章立てに沿って解説したものである。最近は普及版と称して少し値下げされた版が出ているが、それを買う前にNHK100分de名著でも紹介されたこちらを読んでみることにした。

    【概要】
    ブルデューが提唱したのは、「経済資本」と「文化資本」という二種類の資本によって社会空間に占める位置が定まり、その社会空間での位置とそこに属する集団の趣味や考え方とは密接に関係している、というものである。特に文化資本は、幼少期からの家庭や教育などで自然に継承されるものである。それはそうだよねと思うかもしれないが、その事実を数多くのデータをもとに実証したのが、『ディスタンクシオン』という書物である。社会的平等の理想に対して、厳然とした社会階層の存在を認識することは必要なことであるし、それこそが社会学の役割に違いない。

    タイトルでもある「ディスタンクシオン(distinction)」は、「区別」という意味と共に、「卓越した」という意味を持っている。出自の違いから趣味や考え方の違いを分析しているが、それは別の観点では人から卓越しようとすることであり、趣味は人から卓越しようとした結果でもあるというのを忘れてはいけない。「区別」は、日本語ではニュートラルな言葉であるが、「distinction」は、英語やフランス語では優劣を必然的に含意するものなのだ。趣味は階層間の象徴闘争でもあるのだ。

    『ディスタンクシオン』では、「趣味は分類し、分類する者を分類する」とされる。「趣味――それは支配階級という場、および文化生産の場を舞台としてくりひろげられる闘争において、もっとも重要な争点をなすもののひとつである」(『ディスタンクシオンI』)。そして、「人は文化のゲーム〔遊戯、賭け〕の外に出ることはできない」(『ディスタンクシオンI』)とされている。

    著者の石井氏も次のようにまとめている。
    「趣味もそれを規定する美的性向も、ある社会的位置を他から区別する(差別化する)原理として機能するということ、そしてその弁別機能は「人々を結びつけたり切り離したりする」ことにより、同じ生活条件から生まれた人々の集合を形成すると同時に、その集合とは異なる生活条件から生まれた人々の集合からこれを切り離すということです。つまりどんな絵が好きか、どんな映画を好んで見るか、どんな本を好んで読むか、といったことは、それぞれが個別的・断片的な独立事象としての「好み」の問題なのではなく、その背後にある生活条件全体を反映する一貫した趣味判断の体系であるということになるわけです」

    ブルデューは、人々が属する社会階層を経済資本と文化資本の二つの資本量によって分類するが、その二つの資本総量とどちらが優勢なのかの資本構造の二軸で決まる社会的位置空間と、さらに時間軸を加えた三次元の社会空間を規定する。その社会空間における人々の行動を分析することで、社会が規定する構造を分析するのである。システム内部の差異に着目し、社会的空間は差異でしか定義されえないとする様は、構造主義的である。個々人は、時間的経過でシステム内のその社会的位置に到達し、またそこから時間的経過の中で移動していく。この三次元空間の中で垂直の移動や横方向の移動が行われ、その軌跡が人生となるのである。

    ここにおいて、ブルデュー社会学の中でも重要な概念であるハビトゥスが規定される。社会空間はハビトゥスの生産条件だと定義される。著者が選んだ、ブルデュー自身の定義を見ていくと次の通りとなっている。『フランス現代思想』の香りが感じられる表現だが、ハビトゥス、慣習行動。「趣味」の関係が明確に示された箇所だと思われる。

    「ハビトゥスとはじっさい、客観的に分類可能な慣習行動の生成原理であると同時に、これらの慣習行動の分類システム(分割原理 principium divisionis)でもある。表象化された社会界、すなわち生活様式空間が形成されるのは、このハビトゥスを規定する二つの能力、つまり分類可能な慣習行動や作品を生産する能力と、これらの慣習行動や生産物を差異化=識別し評価する能力(すなわち趣味)という二つの能力のあいだの関係においてなのである」(『ディスタンクシオンI』)

    「ハビトゥスは構造化する構造、つまり慣習行動および慣習行動の知覚を組織する構造であると同時に、構造化された構造でもある。なぜなら社会界の知覚を組織する論理的集合(クラス)への分割原理とは、それ自身が社会階級(クラス)への分割が身体化された結果であるからだ」(『ディスタンクシオンI』)

    また、この社会空間の中でのより社会資本を多くもつ階層への移行を、「プチブル」という言葉で表現する。その行動によって、実働プチブル、下降プチブル、上昇プチブル、新興プチブル、と分類する。そして、そこでは趣味の世界ですら、強制や制限のエートスを伴うものとなっているのである。

    「ブルデューの言葉を用いれば「快楽を味わうことが単に許可されているだけでなく、倫理的というよりはむしろ化学的というべき理由によって強く要求されてさえいるようなケース」が「義務としての快楽」の本質なのです」

    さらに庶民層は機能的であることを好むようになると指摘する。彼らは、経済資本や文化資本に見合った趣味を形作る。そして、そのことをもって彼らは自ら選び取った好みであると主張するようにさえなるのである。

    「そもそも「ディスタンクシオン」とは、自らを他者から区別して際立たせることによって得られるもろもろの象徴的利益(他人よりも美しいこと、しゃれていること、洗練されていること、上品であること、等々)の探求にほかなりませんから、その意味で「必要なものの選択」とはその対極にある姿勢、すなわちいっさいの卓越化=差別化の放棄であると言えるでしょう」とし、そして、「こうして形成される大衆趣味は、いまある状態に自分を合わせること、階級のハビトゥスに適応することを要請する「順応の原理」を規範としています」と指摘する。

    社会階級の存在とそこから生まれるハビトゥスについて、ブルデューはその存在は必然であるとする。
    「社会的存在である以上、私たちは多かれ少なかれ所属集団(階級)に固有のハビトゥスを身体化しており、あらゆる趣味や生活様式や慣習行動はこの原理に従って生産され、分類されます。しかしそれはけっして一方的な規定関係ではなく、この原理そのものを生産し、構築し、場合によっては変容させていくのもまた、私たち社会的主体なのです。「構造化する構造」としてのハビトゥスが、まさにこうした「常に生成変容する自己更新力をそなえた創造的なシステム」であったことをあらためて思い出してください」

    しかしながら、課題を挙げるとすると、その社会的「区別」がそこに厳然とありながら、いつしか見えなくなり、その存在を忘れてしまいがちになることである。「現実の社会的分割は社会界にたいする人々の見かたを組織してゆく分割原理となる」(『ディスタンクシオンII』)のであるが、その「境界感覚の特徴は、それがいつしか境界を忘れさせてしまうところにある」(『ディスタンクシオンII』)

    想定していたよりも、より実地的な社会学の本であるということが分かった。普及版が出て価格も下がっているので、kindle版が出た際には読んでみたい本である。

    【所感】
    『ディスタンクシオン』で語られているのは、あるのは社会空間であり、それは差異の空間であり、そこから階級のようなものが所与ではなくこれから生成されるという状態にあるという分析と解釈を行う。そのことは理解をし有用な社会分析の手法であると理解したが、現在の世界において、いくつか『ディスタンクシオン』で取り上げられたテーマから拡げることができるのではないかと思った。

    ■ ジェンダーと社会空間
    実は、この本を今読んだのはある読書会でテーマ本として挙げられていたからなのだが、そこでの議論の中で話題に上ったものの中で面白かったのは、ブルデューの論考がどこまで女性を含んでいたのかということである。もし現在の社会において、社会空間の議論を当てはめるのであれば女性を含めることが必須である。おそらく30年前の時点でブルデューが想定していた社会空間に属する人間は、暗黙的にはおそらくは男性であったことは否定できないのではないかと思われる。例えばハビトゥスを解説した部分で、著者は次のように解説を加える。

    「一方、女性の場合はファッションもさることながら、化粧についても濃厚な階級制の投影を見ることができるように思われます。たとえば毎日化粧をするという女性の割合は、世帯主の社会的位置が高い層(上級管理職・工業実業家・自由業)では54.7%であるのにたいし、世帯主の社会的位置が低い層(農業従事者)では12.0%、逆に化粧をほとんどしないという女性の割合は、前者で17.3%、後者で48.9%と、かなりはっきりとしたコントラストが見られます」

    まさにこの箇所で、女性の社会的位置が世帯主の社会的位置によって定められると語っており、そのことに対しておそらくはジェンダー的観点での批判を行っていないと想定されるのだ。もちろんハビトゥスによって規定される「趣味」に性差があってもよいし、また事実としても違っているだろう。しかしながら、女性のハビトゥスが世帯主の社会階級によって定まると留保なくしてしまっている点でもはや有効性を失ってしまうのである。

    もし、現在の世界において社会空間を描くのであれば、ジェンダーの問題を避けることはできなかったであろう。また、ジェンダーを含めた社会空間の分析によって、より多くの興味深い事実が浮かび上がるようになるはずだと確信する。その場合、男性の社会空間と女性の社会空間はどのような形で交わるのだろうか。また社会空間自体の変化もジェンダーの観点も含めて捉えられるべきだと考える。さらにそういった分析から、おそらくLGBTが男性と女性の間にあるのではなく、男性・女性の軸の外側にあるのだということも明確に分かるのではないkだろうか。LGBTも30年前から大きく認識の変化があった分野である。

    なお一方で、婚姻と社会階級の関係性も無視することはできない。本書の中でも言及はされているが、日本ではかつて、お見合いの制度はハビトゥスの維持に貢献していたと指摘される。意識をすることなく、恋愛結婚でもハビトゥスの「親和力」が強化されることで、同階級内婚姻につながることは否定できないであろう。そして、婚活やマッチングアプリによるAI的なマッチングサービスは、社会階級の固定化につながるのだろうか。

    ■ 日本と社会空間
    日本向けに追加された補講でブルデューは次のように語っている ―― 「皆さんが日本の社会空間と象徴空間を構築し、基本的な差異化の原理を明確化してくださることを、私は期待しております」

    それはブルデューが、『ディスタンクシオン』の分析がフランスに特有の分析でしかないことを自ら認識しているということである。もちろん社会空間の分析がその時代と場所においてのみ有効であるということに他ならない。

    教育格差や文化的格差は欧米でも明確に存在するし、場合によっては日本よりももっと強いかもしれない。しかし、そこには日本特有の象徴闘争の形があるのではないかと思う。

    今後日本が迎える大きな変化のひとつとして「人生100年時代」というものがある。社会空間は主に職業を非常に大きなファクターとして分析しているが、現時点での引退年齢後の人生まで含めて分析するとなると、社会空間の様式は変化するだろう。その場合、おそらくは三次元社会空間の中での移動が容易になるという結論を導き出すことができるのかもしれない。


    いずれにしても、いつか『ディスタンクシオン』そのものにも目を通したいものである。

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    『ブルデュー『ディスタンクシオン』 2020年12月 (NHK100分de名著)』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4142231200#comment

  • 趣味やその元となるハビトゥスが、区別や差別につながっている。
    →共通の感覚、意味が導く方針に。
    経済と文化のそれぞれに資本がある。
    趣味が階級闘争の争点である。
    →正統、中間、大衆

    貴族であるから貴族なのである。
    →本質主義

    定義できない状態であることが正統である。

  • 訳者による導入としての入門書であり,これを機に『ディスタンクシオン』を読もうと思わせるのに丁度良い解説だと思う。

  •  ブルデューの意図するところを自分がどれだけ捉えられたかはわからないし、彼の理論に賛否を表明することも難しい。
     ただ私が本書を読んで私なりに考えたのは、自分の真性の好みだとか意思だとか意見だと思っているものが、実は無意識の自己欺瞞、自己疎外であるかもしれないのだという批判的な眼差しを、他者よりも自分にこそ常に投げかけているべきなのだということ。私の選好や考えや行動は、真に私のものだと、私はいえるだろうか、と。
     そしてまた、社会に顕現するのが差違に基づく卓越化の構造なのであってみれば、問題となりうるのは、かれこれの社会空間や卓越化の是非よりも、その背後に人々が知らずして社会から自己欺瞞を押し付けられている状態が潜んでいるときなのだろう、ということ。

     筆者が書いているように、「格差社会」がいわれる今日、改めてブルデューの理論について読み、自分をも内包するものとしての社会を見つめることは意義深い。

  • 書評はブログに書きました。
    https://dark-pla.net/?p=2778

  • しばし積読。

  • 階級。身も蓋もないことを言ってしまうのがブルデューなんだなぁ……。勉強って大事だね。

  • 東2法経図・6F開架:361.235A/I75b//K

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著者プロフィール

1951年生まれ。中部大学教授・東京大学名誉教授。専門はフランス文学、フランス思想。15年から19年春まで東京大学理事・副学長をつとめる。91年、ブルデュー『ディスタンクシオン』(藤原書店)の翻訳により渋沢・クローデル賞、01年『ロートレアモン全集』(筑摩書房)で日本翻訳出版文化賞・日仏翻訳文学賞、09年『ロートレアモン 越境と創造』(筑摩書房)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。著書に『フランス的思考』(中公新書)、『時代を「写した」男ナダール 1820-1910』(藤原書店)、共著に『大人になるためのリベラルアーツ(正・続)』(東京大学出版会)などがある。

「2020年 『危機に立つ東大』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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