絶滅鳥ドードーを追い求めた男 〔空飛ぶ侯爵、蜂須賀正氏 1903-53〕

著者 :
  • 藤原書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784865780819

作品紹介・あらすじ

絶滅した謎の鳥「ドードー」を偏愛し、その探究に生涯を捧げた数奇な貴族の実像
幼少時から生物を愛し、イギリス留学によって鳥類研究に開眼、17世紀に絶滅した謎の鳥「ドードー」の研究に生涯を捧げ、探検調査のため日本初の自家用機のオーナーパイロットにもなった侯爵、蜂須賀正氏(1903-53)。
海外では異色の鳥類学者として知られ、世界中で収集した膨大な標本コレクションを遺しながら、国内では奇人扱いを受け正当に評価されてこなかったその生涯と業績を、初めて明かす。
◎3/5「世界ふしぎ発見!」(TBS系)で放映!
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■蜂須賀正氏(はちすか・まさうじ)とは――
1903年生まれ、徳島・阿波藩主蜂須賀家十八代当主。幼少時から生物、とくに鳥類を愛し、16歳で日本鳥学会(1912年設立)に入会。次代当主の期待を背負ってイギリスに留学するが、博物学研究の先進地でますます鳥類への関心が高まってドロップアウト。弱冠22歳で鳥類研究者として国際的にデビューする。約7年間の留学中にエジプト、アイスランド、南アフリカなどへ探検調査を行ない、数々の貴重な生物標本を収集する。帰国後も席を温める間もなく、国内各地や朝鮮半島・中国・フィリピン・アフリカへと探検の足を伸ばす。17世紀に発見からわずか100年で人為的に絶滅させられたドードーをはじめとして、絶滅鳥への関心が高く、世界の研究者と交流しながら研究を続ける。自家用機を購入し、日本初のオーナーパイロットとなるが、探検と飛行機で次第に蜂須賀家の財産は食いつぶされ、第二次大戦が始まると、ヨーロッパ仕込みの行状が統制社会になじまず批判を集め、敗戦直前に爵位返上に至る。戦後、ようやく研究の自由を取り戻したなかで、生涯の集大成『ドードーとその一族あるいはマスカリン諸島の絶滅鳥』の執筆に没頭するが、刊行わずか1か月前の1953年5月14日、狭心症によって急逝した。
現在入手できる著書は『南の探険』(平凡社ライブラリー、2006年)。

感想・レビュー・書評

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  • 阿波蜂須賀最後の侯爵・正氏については、実姉・年子の回想録「大名華族」始めあちこちに顔を出す。この分野に興味のある人なら一度ならず耳にし、気になっていた名前だろう。
    初めてこの人自身を主役とし、丹念に足跡を追った本書は、だが旧来のいわゆる「不良華族」的風聞ではなく、もっぱら優れた鳥類学者・時代を超越したコスモポリタンとして描き出す。その点「怪帝ナポレオンIII世」と近いが、本書においては著者いわく、「ことさら背を向けたのではなく、調べたが実態が判然としない。思うに旧弊な日本の『常識』と正氏の気質との衝突だったのではないか」とのこと。それもそうかもしれないが、いくら独身、あるいは昔風の政略結婚に反対する立場とはいえ、「無理を通してまで娶った妻とわずか4年で別居」(「探検を志す」男にとって、家庭は安住の地とはなりえなかった…というお決まりの男性性無罪論つきだが、男が「そういう生き物」であるならば、男なるものには結婚の資格はないだろう)、秘書と称する若い美女を「とっかえひっかえ」「とにかく気まぐれと評判」などというあたりは、「旧弊な者どもの誤解」で押し切るにはいささか苦しいだろう。著者は多分に正氏に肩入れしているようだが、「どっちもどっち」だったのではないかと、読んだ私には思われた。
    とまれ、学者としての業績は本物である。他書では殿様の道楽のような書きかただったが、むしろ殿様が副業、というかそちらこそまともに稼働していない感じである。その業績も、殿様としての莫大な資産なくしてはなしえなかったとはいえ、正氏に関しては「殿様学者」というよりは、「たまたま殿様であった学者」と呼ぶのが相応に思えた。

    2016/9/6~9/10読了

  • 請求記号 289/H 11

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