- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784863854161
作品紹介・あらすじ
現代台湾文学選、始動。
近代台湾史を貫く民草の悲哀を重層的に捉えた作品だ。勇気と保身、執着と後悔、正義とその代償。何かを得るために何かを失うのが人生なのだとしたら、彼らは誰ひとり間違ってなどいない。
――東山彰良(小説家)
よどみなく流れる物語に心を打たれる。徐嘉澤は優れたストーリーテラーなのだ。そして知らぬ間に読者は、複雑で入り組んだ台湾の歴史の記憶のなかに引きこまれてゆく。
――郝譽翔(作家)
『次の夜明けに』は徐嘉澤の野心作である。台湾の大きな歴史と個人のささやかな欲望を一本の辮子(ピエンツ:お下げ)あるいは鞭子(ピエンツ:鞭)へと巧妙に編み上げて、苦悶の暗黒時代のなかに、ヒューヒューと音をたてながら、一すじ一すじの光明の所在を明らかにしていく。
――紀大偉(作家)
台湾の新世代作家の一人、徐嘉澤
本作が本邦初訳
1947年、二二八事件に始まる台湾激動の頃。民主化運動で傷つき、それまでの生き方を変えなければならなくなった家族。新聞記者の夫とともに、時代の波に飲まれないよう、家族のために生き、夫の秘密を守り続けて死んでいった春蘭(チュンラン)。残された二人の息子、平和(ピンホー)と起義(チーイー)は、弁護士と新聞記者として、民主化とは、平和とは何かを追求する。起義の息子、哲浩(ジョーハオ)は、歴史にも政治にも関心がなく、ゲイだと告白することで一歩を踏み出す。三代にわたる家族の確執を軸に、急激に民主化へと進む時代の波に翻弄されながらも愛情を深めていく一家の物語。
感想・レビュー・書評
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台湾の三世代の家族の物語。その時代時代に起こる台湾の史実や空気感と絡まり台湾をより深く知ることができる。
台湾の歴史の影にはこんなふうに翻弄されていた市井の人々がいたのだと感じ、いままでそこまで考えが及ばなかった自分の想像力のなさに恥ずかしくなった。
訳者あとがきより、当初天野健太郎さんが担当する予定だったそう。天野さんの翻訳も読んでみたかったなぁ。
三須さんの訳文もとても素晴らしく楽しませていただいた。どこがどうと表現する力がないのがもどかしいのだけど、ぴったりはまってる印象。
良い本に出会いました。
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二・二八事件と白色テロに始まり、20世紀後半の台湾が辿ってきた道は語られることも少なかったが、厳しい戒厳令を経て民主化し、さらに自由と権利を求める数々の運動も経て現在に至っている。その歴史を一つの一族に託して描いたこの小説は、あっという間に読めたのだがそれでも読後にはずっしりとした重さが残る。折に触れて読み返すことになるだろう台湾の本がまた1冊増えた。
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かつてポルトガル人がその美しさに「フォルモサ(麗しの島)」とたたえた台湾。その歴史は、林家の人びとの人生そのものだった。
すごい一家だ。日本統治時代以降の台湾史上における数々の重大事件に、家族全員がなんらかの形で関わっているのだから。それは、林(リン)家の男たちが、それぞれのやり方で〈公理と正義〉を追求していることに由来する。
夫の太郎は新聞社に勤めていたが、二二八事件後、魂の抜けた〈彫像〉と化してしまった。また息子二人、兄の平和(ピンホー)は弁護士として高雄地下鉄タイ人労働者暴動事件に関わることになり、弟の起義(チーイー)は美麗島事件のデモ参加者として逮捕されている。そして起義の一人息子哲浩(ジョーハオ)は、いじめ事件を調査している指導教授に伴い、謎めいた死をとげた少年Y(葉永鋕)の保護者や学校を訪問したり、ボーイフレンドと一緒に高雄の第一回LGBTパレードに参加したりした。
一方、そんな男たちを支えた女たちも、〈公理と正義のドレスを身にまと〉い、愛する家族を守るために必死に戦っていた。妻の春蘭(チュンラン)は、動かなくなった夫と幼い平和を連れ、お腹の中に起義を身ごもりながら台北から南(高雄)へと引っ越し、生活を安定させる。そしてこの引っ越し先を迅速に手配してくれたのが太郎の姉の桜で、舶来品を売る商売をしながら、起義を預かり育ててくれた。さらには起義の妻となった月娥(ユエオー)も、夫の不安をすべて引き受け「あなたがいればそれでいい」と言い、太郎の世話をしてくれるフィリピン人のお手伝い阿美(アビー)はいつもにこにこ、曇天に差す一筋の陽光のように明るい気持ちにさせてくれる。男たちは、どれだけこの女性たちに救われてきたことか。彼らにとって、家庭こそが誇り高き母なる〈ゆりかご〉であり、愛すべき「フォルモサ」ではなかったか。
本書は、登場人物それぞれの目線で書かれた連作短編形式になっているのだが、林家の人びとの生き方に大きな影響を与えることになった夫、太郎の目線で書かれたものがない。太郎はある出来事をきっかけに、一心不乱に何かを書きためていたが、その手記も提示されない。ゆえに読者は、家族から見た動かない太郎の姿しか知り得ない。ところが、この手記の謎が突如明かされ、林家の兄弟とともに読者も大きな衝撃を受けることになる。私はそこを読んだとき、しばし呆然としてしまった。
これまで、台湾という国にあまり関心がなく、普段とくに意識することもなかった。日本が統治していた歴史のある、日本と関わりの深い国なのに。しかし本書を読んで、私の中でぼんやりしていた台湾が、くっきりと浮かび上がってきた。新聞で台湾に関する記事を見つけると必ず目を通すようになったし、テレビから「台湾」と聞こえてくればハッと目を向けるようになった。この変化があっただけでも、本書を読んだ意義は私にとってとても大きい。
春蘭の「家族そろって暮らしていければそれでじゅうぶんなのよ」という思いが、ずっしりと心に残る。
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台湾の作家・徐嘉澤さん。
1947年の二二八事件から時代や社会に翻弄されながらもそれぞれの生き方を見つけていく三代にわたる家族の物語。
時代や社会はどうしようもなく、生き抜く姿が切なくて心がぎゅっとなりました。
身動きのできないこのコロナの今も、時代の波に翻弄されていて、私も頑張っていこうと生きる力がもらえる作品でした。
題名を「次の夜明けに」と訳された訳者の三須さんのあとがきでのお話もよかったです。
「夜明けを待って次になにをするべきなのか」 -
複雑な台湾の近代史を三代にわたる家族によって描く
祖父は日本皇民化により「たろう」の名のもとに生き、後半生は妻の春蘭に護られながら死んだように生きるしかなかった。息子の「平和」と「起義」のふたりはともに人権派の弁護士、党の実力者として成功する。
「起義」の息子「哲活」は政治、社会に関心がなく自身がゲイであることをカミングアウトする。
彼らはみな父親との距離を遠く感じながら生きてきた。
学校でのいじめて自殺した少年Yと彼の母の後悔や
フィリピンから来た介護者阿美や土木建築に関わるタイの労働者の劣悪な環境も描く。
どれも台湾だけではなく今現在の日本の姿であり同じ問題に直面していると共感する。
「父の名前は、平和という」で始まる 著者あとがきで再読したくなる作品。
https://www.roc-taiwan.org/jp_ja/post/81153.html