動的平衡2 生命は自由になれるのか

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  • 木楽舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784863240445

作品紹介・あらすじ

生命よ、自由であれ

生命の本質は、自己複製ではなく、絶え間のない流れ、すなわち動的平衡にある。鮮やかに喝破した前著から2年。生物学の新しい潮流エピジェネティクスは、ダーウィン進化論の旧弊を打ち破るか。動物を動物たらしめた必須アミノ酸の意味とは? 美は動的平衡にこそ宿り、遺伝子は生命に対して、自由であれと命じている。さらなる深化を遂げた福岡生命理論の決定版がついに登場。

感想・レビュー・書評

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  • ブグログの良いところは、過去自分が読んだ本を検索できることだ。検索をしてみると、私が最初に読んだ福岡伸一の本は、「生物と無生物のあいだ」であり、その感想を書いたのは2008年2月のことであった。評価は5点満点で、「最近読んだ本の中ではベスト」と言い切っている。
    福岡伸一は生物学者であり、青山学院大学の教授である。著作は多く、生物学者としての科学的な著作が多いが、その他にも「フェルメール 光の王国」のような美術や歴史に題材をとったものも書いている。
    「生物と無生物の間」、そして、この「動的平衡2」は、科学的な本。ただ、私にとっては、「動的平衡」シリーズの方が、ついていくのが大変であった。注意深く読めば何とか話の筋についていけるけれども、少し集中を切らすと話の筋が分からなくなる。「生物と無生物のあいだ」では、そういうことはなかったようなので、記述されている科学的な内容の難易度が少し違うのだろう。
    福岡伸一は科学者であるが、美文家だと思う。いくら美文で書かれていても、難しいものは難しいのであるが、それでも、文系の私に科学的な内容の本を読んでみる気にさせるくらいの効果はある。

  • 科学者でありながらやたら文章がうまい著者であるが、章ごとに生命の不思議を説いているが、最終的に生命とは何かが結局わからない、現在の科学で解き明かすことはできないということだろうか、最終章では量子力学が出てきて、量子力学が解き明かされない限り生命とは何かも結局分かりそうもないのかもしれない。

  • 「『生物と無生物のあいだ』の人だけど、あの本は正直、面白くなかったんだ」
    油絵の匂いのするガレージの隅で、蛹はコーヒーを淹れていた。そこら辺にあったマグカップに、勝手に熱いコーヒーを注ぐ。そして、大きな古いソファに腰を下ろすと、持ってきた本をぱらぱらとめくり、適当に読み返し始めた。

    ガレージの主は、一心不乱にキャンバスに向かっていたが、コーヒーの匂いに気付いて振り返った。
    「オレのぶんは?」
    「俺が持ってきた豆だけど」
    「そこにあるロータスのビスケット、食べていいよ」
    「蚕も、コーヒー飲む?」
    「やった!」
    蚕は筆を置き、トレーナーの裾で手を拭った。それから、ポットに残っていたコーヒーをカップに注ぎ、蛹の隣に座る。身を乗り出して、蛹の手元から本を取り上げ、ぱらぱらとめくった。
    蚕は、ガレージで夜通し絵を描いている。昼間は眠っていることが多い。昼夜が逆転しているので、訪ねてくる人間は少ないし、自分から誰かを訪ねていくことも少ない。蛹は、その数少ない一人だった。いつも何かしら本を持ってきて、そのまま置いていく。持って帰ることは少ない。おかげで、ガレージの隅にはちょっとした本の山が出来ていた。

    「ふーん。生物と無生物のアレは、生命の定義を探す本だっけ。個人的には、生物がらみの色々な話題が取り上げられていて、けっこう楽しめたけど」
    「でも、答えにはたどり着けなかった。結局、自己複製能力という、既存の定義に縛られたまま終わった感じだったように思う」
    へえ、と蚕は相槌を打つ。彼は、どうやら面白そうな箇所を探して斜め読みしているようだった。
    「この人、そのあとも、何冊か本を出してなかったっけ?」
    「うん。で、前作の『動的平衡』で『生命とは動的平衡状態にあるもののことだ』っていう結論にたどり着くんだけど」
    「動的で平衡?」
    「動的で、平衡」
    「動的も、平衡も、理系っぽい言葉だよね」
    「絶えず変化しながら一定の秩序を維持し続けるシステム、くらいに捉えたけど」
    「感覚的には分かるかも。感覚的にしか分からないけど」
    うん、と蛹は頷く。
    それから、ビスケットに手をのばす。
    「で、この本は、動的平衡という概念を広げて生物学やら何やらを眺めてみるっていう感じ。新しかった」
    「新しい? 自分のコピーを作れるのが生命、っていう考え方を変えるってこと?」
    「考えてみたら、それって確かに窮屈だと思って」
    「まあ、もうちょっと何かねえの? とは思うけどさ」
    「うん。自己複製能力だと言われれば、そんなものかと思ってしまうけど、窮屈だし、独りよがりな気がする。それに、生命が『なぜ』存在するのか、という問いに対しては、行き止まりだし。どうでもいいけど、このビスケット、こないだ俺が買ってきたやつだよね」
    「それはどうでもいいんだけどさ、『なぜ』って、理由のこと? お前そんなん考えてたの?」
    「いや、理由というとちょっと違うんだけど、外側に求める何かっていうか―――生命それ自体でどうこうじゃなくて、っていう話で」
    「何らかの秩序を維持するために、生命という仕組みを導入したってこと? あ、なんか違うって顔してる」
    「目的というよりも、そういう仕組みを導入した結果、こういう惑星になった、っていう方が、好きかもしれない。生命という枠から、自由になれるとっかかりのようなものを感じるっていうか」
    蚕は少し首を傾げ、それからじっと表紙を見る。
    「うーん、まあいいや。ゆっくり読みたいから、しばらく貸してよ」
    それから、休憩終わり、と言って立ち上がった。
    蛹は、これからが休憩の本番とばかりに、靴を脱いでソファに横になった。

  • マイベスト本が15年ぶりに塗り変わった。

    15歳の私はリチャード・ドーギンスの「利己的な遺伝子」に衝撃を受けた。それから15年間、もはや内容はほぼ覚えていないながらも、ぼんやりと、ただ間違いなくその存在は自分の思考の軸であり、拠り所になっていた。そして実は同じ時期に「動的平衡」「生物と無生物の間」も読んだのだが、正直ピンと来なかった。

    それが、先日ふと図書館で見つけた本書を読んだところ、久々に雷が落ちたような感覚。

    あまりに本質的で、示唆に溢れている。
    圧倒的に美しい。
    「アートかサイエンスか」なんて、次元が違う。
    この本は、科学であり、芸術であり、哲学であり、宗教的ですらある。全てを内包している。
    本質とはそういうことなのか。
    こんな思考や表現が可能になるには、著者は一体どんな経験を積んだのだろうか。この本が本当に理解できるようになるには、一体どれだけ広く深い知識や教養が必要になるのか。
    今の私は文章の美しさに酔いしれているだけで、おそらくこの本の1割も正しく理解できていない。ただ、とにかく美しい。

    本書は、リチャード・ドーギンスが「利己的な遺伝子」の考え方をベースにおきながらも、「利己的な遺伝子」が生物を盲目的にプログラムされた「生存機械である」とした点において、「生物はもっと自由なものである」と説く。
    言い換えると、「利己的な遺伝子」はDNAを精緻なプログラミングコードとみなす一方で、本書はそれを「楽譜」と述べている。音楽は、同じ楽譜でも演奏者によって千変万化する。遺伝子は同じでも、その発現の強度やタイミングは環境次第であり、そこには「自由であれ」という命令が含まれていると説く。
    このくだりは、キリスト教でいう自由意志や決定論の議論を読んでいるかのようである。

    本書での気づきを挙げていくときりがないが、一つ挙げるとすれば、本書を読んでやっと腹落ちしたのは、今日新聞で目にしない日はない、「ダイバーシティ」。
    産休育休や介護休暇が取れる会社は「いい会社」であることは分かってる。雇用者からしたら間違いなくありがたい。が、企業の成長のためと言われると、ちょっと偽善っぽい気がしていた。
    いつ妊娠するか分からない女性がたくさんいたら、どうやって人員配置すればいいのか。リスクでしかないのではないか。
    自分自身が女性だからこそ、自分が部長だったら、仕事最優先で、体力があり、急ぎの仕事がある時は残業してでも仕上げてくれる、兵隊のような男性社員ばっかり揃えた方が絶対楽だろうと思っていた。
    でも、それは本書でいう「工学的な思考」だった。壊れないように、出来るだけ強固なシステムを作り上げる。それが工学的な考え方。
    しかし、この世界のなかでエントロピー増大の法則に反することができるものはない。
    形あるものは壊れるし、輝けるものは色褪せる。
    だから、生命は違う選択をした。わざと仕組みを柔らかく、ゆるく作っておく。エントロピー増大の法則が、その仕組みを破壊することに先回りして、自らをあえて壊し、壊しながら作り直す。そうして生命は揺らぎながらもなんとかその恒常性を保つ。
    このとき、多様性こそが最重要となる。結びつきが多いほど、そして結ばれ方が多岐にわたるほど、ネットワークは強靭でかつ柔軟、可変的でかつ回復力を持つものになるからだ。
    これは会社経営にも全く同じことが言えるだろう。ダイバーシティ経営は、生命が何億年もの時間をかけて構築したシステムのまねだったのだ。

    さらに示唆的なのは、がん。
    がんは、遺伝子のコピーミスが発端である。生命の遺伝子コピー技術は大変高い精度を誇るが、ほんのたまにミスを起こす。そうすると、様々なシステムエラーが起き、がんの発生に繋がる。
    じゃあ、ミスを徹底的に無くせばいいのか?
    ここも生命の選択は違った。認識しながらもミスの可能性を残し続けた。なぜなら、ミスが発生するが故に、変化が起き、それがもし環境に有利に働くならその変化が継承され、進化となるからである。

    「お前はこの組織のガン細胞だ」

    そう言われた当人は、その組織を変化へと導くヒーローになる可能性を秘めているということだ。



    15歳の自分は、おそらく「利己的な遺伝子」を読み、そのシステマチックな考え方からこの世界の全てが理解可能なものに思え、だから救われた気持ちになったのだろう。
    でも、生命はそんな単純なものではなく、相互に関係していて、常にゆらいでいて、また自由であると唱える本書に惹かれ、またそういった一種のあそびを受け容れられるようになった今の自分は、人との出会いや知識の蓄積によって、15年かけてほんの少し成長したのかもしれないと、嬉しくもなった。


    【備忘】
    ・センス・オブ・ワンダー
    ・すべてはアミノ酸
    ・脱炭素から脱窒素へ
    ・人はサルのネオテニーとして進化したという仮説(人とチンパンジーの違いは、遺伝子の違いというよりも、脳の成長スイッチの作用タイミングが人の方が遅いことによるもの)
    ・善悪から美醜へ

  •  本屋で動的平衡3が出ているのを見かけたので、まずは読んでいない2を読んでみた。これは2と呼んでいいのか正直微妙なところで、1作目の圧倒的な完成度と比較すると寄せ集め感が強かった。一部は媒体の原稿を集めて編集したものなので仕方ないのだけど、逆に1作目の凄さを際立たせる結果になっていた。
     ただ一つ一つの原稿は当然ハズレなし。著者の作品を読むのは4冊目だが、サイエンティストかつエッセイストとして右に出るものはいない。身近な生命の現象をこれだけ豊かに描くことができるのは圧倒的な読書量と頭脳の明晰さによることを本作でも例に漏れず思い知らされた。個人的にはエントロピーをめぐる議論が興味深かった。物事は自然と発散の方向へ向かうようになっているが、生命はそれを見越して自らを破壊・再構築を繰り返し動的平衡を維持、エントロピーの影響を逃がしている。ここからもう一歩踏み込んで「水を飲むことでエントロピーを捨てている」という話になるあたりが他のサイエンティストと違うところだと思う。あとは遺伝子上に発生するミスとしてのガンを考察しながら、どうしてミスが起こるような設計になっているかの話も興味深かった。ミスが発生する、つまりそこに進化の可能性を残しているということらしい。そこに遊びがないと皆共倒れになるというのは人生の教訓のよう。自分とは縁遠い生物の世界をアナロジーとして捉える面白さもあるのでジャンルにとらわれず色んな本を読みたい。

  • いいです。エントロピーの排出としての水の役割とか。大腸菌は20分で複製するとか。窒素固定の話とか。このタイミングでこの本を読むシンクロニシティが。

  • 飛ぶためには軽いほど有利。カゲロウ、ホタル、峨などは成虫になってからはほとんど食べない。
    働きアリの一部は、常に働かない。生物学的にはあらかじめ予定して準備しておくことはできない。なぜならその戦略は自然選択の対象にはならないはずだから。

    ランダムに起こる異変のうち、環境に適合したものだけが、生き残る。ある方向性をもって進化しているわけではない。

    生物の進化では、負ける、ということが変化に生き延びる力を生み出す。絶滅の危機のときに生き延びることができる力を持つものだけが生き延びる。

    鳥は、体を軽くするために膀胱と大腸のほとんどをなくした。ペニスもなく、総排泄口があるだけ。

    センスオブワンダー、を大人になっても失わない。自然に畏敬の念を持ち続けること。

    人はたんぱく質をたんぱく質としては吸収せず、わざわざ分解と合成を繰り返すのか。生命は一直線に死に向かうことに抵抗している。

    20種のアミノ酸に分解される。そのうち11種は体内で作れる非必須アミノ酸。
    あえて必須アミノ酸の合成能力を捨てた。必須になったとき、植物から動物になった。自ら動き回って求める必要ができた。=食べる。食べられれば、作る機能はいらない。

    グルタミン酸が最も多く含まれるアミノ酸。美味しさを求めれば、手に入る。

    トウモロコシには、リジンが含まれていない。リジンが含まれているのは肉や乳製品。
    鶏卵はバランスがいい。
    運動、老化にはBCAAが効果的。

    「志賀昆虫普及社」

    腸内細菌は胎児には存在しない。人間の消化管は体の外側。内側には免疫システムがあり、細菌は入り込めない。腸内は細菌にとって居心地がいい。

    細菌は、色がない。グラム染色法を使う。

    ペニシリンの耐性菌が、他の細菌にも伝達された。プラスミッドが重要な役割を果たした。
    プラスミッドを使った遺伝子交換で、新しい大腸菌が生まれた。O104は、O157のプラスミッドの影響で強毒化した可能性がある。

    DNAが先か、タンパク質が先か。
    鶏は、もともと赤色野鶏の生んだ卵から変異種が生まれたもの。卵が先。

    RNAが先にあった。DNAが生まれてRNAは必要なくなった。

    フェロモンは、排卵期はアクセル、排卵後はブレーキの役を果たす。
    人にも、レセプターであるヤコブソン器官がHタラいている。

    キリンは高いところの葉っぱを食べようとして首が延びた、わけではない。たまたま首が長いものが生き残っただけ。

    チンパンジーの成熟のタイミングが遅れ、子供時代が長くなって、人間ができたのではないか。子供の特徴を残したままゆっくり性成熟することは、進化上有利だった。恐れを知らず、好奇心に満ち、探索行動が長続きする。

    抗ヒスタミン剤を飲み続けると、より過敏な花粉症体質を招く可能性がある。薬の作用はこれと同じ。

    腎臓が人間のエントロピーを輩出している。尿で水を捨てるのではなく、エントロピーを捨てている。

    二酸化炭素濃度と気温上昇には因果関係のなら、気温は下がるかもしれない。しかし因果関係があれば、取り返しのつかないことになる。

    遺伝子のミスコピーがガンの原因。しかし、進化の可能性を失う。

    人間は分解と合成を繰り返しつつ、自らを作り替える。しかしやがてエントロピー増大に追いつかれてしまう。
    常に分解していることが大切。
    アレルギーとは、エントロピーそのもの。下げるために消化という仕組みがある。

  • 生命とは何か。
    その定義は長らく、「自己複製するもの」だったらしい。
    生命の目的は子孫を残すことであり、子孫を残すというのは遺伝子を単位としたその複製であり、言うなれば生物の個体は遺伝子の複製のために乗り捨てられるものに過ぎない、と。
    しかし、私たちは確かに生命の号令に突き動かされることもあるが、一方でその命令に背くこともできる。
    結婚せず、子どもを作らずにいることもできる。どうとでもできる。「できる」というのは、可能性・可変性を持つこと。
    となれば、遺伝子の中には「子孫を残せ」以外の号令もあるというべきだ。それは、「自由であれ」という可能性を志向した号令ではないだろうか――というテーマの一冊。
    『動的平衡』に続く、福岡ハカセの生命への考察・第二弾。

    考察内容も面白いのですが、それに行きつく前の事実・エピソードの紹介も面白くて、
    私たちの体内に住む大腸菌は数kgにも及ぶだとか、ヒトの遺伝情報は3GBくらいだとか、腎臓の働き(尿は何か)だとか、
    生物学知識ゼロ人間の私にとっては、読み進めるたびに「へー!」の連続でした。

    私たちの世界には、因果律も運命もない。
    ただ自由と共時的な多義性が確保され、私たちは何かを選び取ることもできるし、そのままにしておくこともできる。その自由さのありように、意味がある――。
    うーん、福岡生命論(論じるというより、エッセイ的な内容ですが)、面白かったです。

  • 前作に引き続き、本当に素晴らしい。
    科学の難しい話しを、実に明快な文学的表現で描いており、スラスラと読み進む事ができた。
    生命を動的平衡と考えてしまうと、そこが最終地点となって、考える事を放棄することに繋がると批判する人がいる。しかし、多くの人が楽しいと感じて読む本には、共感性の高い真理が潜んでいるのだと感じた。万物は流転するし、行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にはあらず、なのだ。ヘラクレイトスや鴨長明が、直観的哲学で唱えた言葉を、科学的アプローチで読ませてくれる良書だった。

  • 小田原の地球博物館に行った時に記念に買った本

    ちょうどこの本を読み終える頃に、死にまつわる経験をした。死んでも、炭素という形で循環する。その循環を感じられるだけで救われる気がしました。

    放っておけばエントロピーは増大する。それに抗うために、生命は積極的に壊して、再生を繰り返す。膨大なエネルギーとコストをかけて。コントロールできる範囲で積極的に壊し作り変える、というのはものづくりの観点で真剣に向き合ってみたい。決して使い捨てでゴミを増やすことではなく、循環のために、そして長く平衡を保つために。

    生命は常に動的に平衡を保とうとする。ある一側面の現象を変えると、また全体の平衡を保とうと全体が調整される。病気になる、筋肉が衰える、いろんなことが起こるけど、長い目を見てどう平衡させたいかは念頭に置いておきたい。
    そして、生命も社会システムも同じなんだろうな。一つを調整すると全体が調整されていく。

    一現象にとらわれず、全体を見ていきたい
    自然農でその訓練をして、システム思考を持って社会と対話する

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著者プロフィール

福岡伸一 (ふくおか・しんいち)
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。

「2019年 『フェルメール 隠された次元』 で使われていた紹介文から引用しています。」

福岡伸一の作品

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