禍いの科学 正義が愚行に変わるとき

制作 : ナショナル ジオグラフィック 
  • 日経ナショナル ジオグラフィック
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784863134782

作品紹介・あらすじ

誰もが良いことをしているつもりだった。いったいどこで間違えたのか?

新たな科学の発想や発明が致命的な禍いをもたらすことがある。十分な検証がなされず科学の名に値しないまま世に出てしまったものはもちろん、科学としては輝かしい着想や発明であったにもかかわらず、人々を不幸に陥れることがあるのだ。過ちを犯してしまった科学が「なぜ」「どのような」経緯をたどってそこに至ったのかを、詳しくわかりやすい物語として紹介する、迫真の科学ドキュメンタリー。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    ダイナマイトや原子力など、世界を大きく変えた発明のうちのいくつかは、利用する者に悪意があれば人類を脅かすほどの禍いをもたらす。
    本書は、世界を変えたたくさんの発明のうち、かえって人類に禍いをもたらすことになった発明を7つピックアップしている。アヘン、マーガリン、アンモニアを始めとした化学肥料、優生学、ロボトミー手術、『沈黙の春』によるDDTの全面使用禁止、ビタミン療法だ。それぞれが生まれた過程を歴史的に掘り下げていき、益がいかにして害に逸れていったかを詳細に説明、最後にこれらの事例から学ぶべき教訓をまとめている。

    例えばアヘン。アヘンは古代ギリシャの時代から万能の鎮痛剤として使われてきたが、その中毒性と強烈な快楽作用によって、社会が崩壊するほどの依存症患者を生み出してきた。主成分であるモルヒネの鎮痛効果を中毒性と分離する試みは、幾度となく行われそのたび失敗している。だれもが「中毒性を生まない神の薬」を求め続けていたのだ。
    そうして生み出されたのがヘロインやオキシコンチンであるが、これらはアヘンより少ない量で強力に作用するため、中毒患者がより生まれる結果となった。1995年の終わりにパーデュー・ファーマ社のオキシコンチンがFDAに承認されると、オキシコンチンの取引は盛況を見せ、薬の違法売買や処方箋の乱発が起こる。2012年には、12歳以上の1200万人の米国人が快楽を求めて処方鎮痛薬を使用していることが報告され、過剰摂取による死者は1万6000人にのぼっている。

    以上のような化学物質の紹介が7章にわたって続くのだが、これらの多くに共通しているのは、発見者は本当に「世界をより良くできる」と確信していたが、時代の流れが彼らを間違った方向に後押ししてしまった、という点である。化学肥料の章では、第一次世界大戦を勝利に導くための新型兵器として有毒ガスが開発された。優生学の章では、メンデルの研究が不法移民の増加と白人至上主義の隆盛に絡み合い、「使えない人間を間引く」という概念が堂々と支持される結果を生んでしまった。また、沈黙の春の功罪の章については、レイチェル・カーソンの著書がファクトチェックを得ないままアメリカでベスト・セラーとなり、世論が殺虫剤全面否定に振り切ってしまった、ということがある。(といっても、本書の逆の意見として、カーソンの批判によるDDT使用禁止と、マラリアの流行は直接的には無関係だ、という説もあるので注意)

    月並みな言葉だが、科学は利用する者の意思によって善にも悪にも変わる、とあらためて思い知らされた。優生学思想の体現者であるマディソン・グラントは、自然保護活動家として、レッドウッド国立公園の設立や数々の野生動物保護団体を立ち上げていた。レイチェル・カーソンも魚類野生生物局に在籍していた当時、『われらをめぐる海』において生物多様性の重要性を解き、米国の大手新聞社の編集者による投票で決定される『ウーマン・オブ・ザ・イヤー』を受賞している。彼らは断じて根っからの悪人ではなかったが、その意思が時代精神と融合した結果、禍いをもたらす方向になだれてしまった。その間違った方向を修正できるのは、普段から潮流の中心にいる消費者であり、我々が正しい見識を身に着けなければ、悲劇は幾度となく繰り返されるのは間違いないだろう。
    ―――――――――――――――――――――――――
    私が本書の中で一番印象に残ったのは、甲状腺がんや前立腺がん、乳がんを見つけるための早期検診の罪である。なんとこれら3つのがんは「検診による早期発見に意味はない」ばかりか、「見つかってしまえば生検や摘出手術、放射線治療のせいで身体に悪影響が起こる」という驚きの要素を持っている。
    これはがんの種類が3つに分類されるという新事実によって明らかにされた。がんは進行の早さによって「見つかった時点で手遅れなもの」「見つかってからすぐに治療すれば治るもの=早期発見に意味があるもの」「見つかっても発症より先に寿命が来てしまうもの」に分けられる。乳がんはこのうちの「一番早いもの」と「一番遅いもの」が殆どである。にもかかわらず早期検診によって発見されたものをむりやり治そうとすると、かえって体に害が出てしまう。マンモグラフィーによって自分の命が救われる確率は約0.16%という研究結果もあるぐらいだ。

    今常識とされている科学が、統計を取ってみると実は正しくないのかもしれない。とても恐ろしいケースだと感じた。
    ―――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 ケース1:アヘン
    古代ギリシャの時代から、医師たちは痛みを和らげたり、数々の病気を治療するためにアヘンを用いたりしてきた。それと同時に、中国や南アメリカを始めとした数々の社会を破滅に導いた。
    アヘンとその主成分であるモルヒネの鎮痛効果を、中毒性と分離する試みは幾度となく行われた。その道中、モルヒネのアセチル化によって生み出された薬物がヘロインである。1900年代のはじめに市販されるようになったヘロインだが危険性は取り除かれず、1918年にはニューヨーク市だけでも20万人以上がヘロイン中毒に陥った。1995年には、60万人以上の米国人がヘロイン中毒にかかっている。

    アヘン→モルヒネ→ヘロインと失敗に終わってもなお、人々は次なる神の薬を求め続けた。そうして生み出されたのが、アヘンに含まれる別の成分であるテバインを使った「オキシコンチン」だった。
    1995年の終わりにパーデュー・ファーマ社のオキシコンチンがFDAに承認されると、オキシコンチンの取引は盛況を見せ、薬の違法売買や処方箋の乱発が起こる。2012年には、12歳以上の1200万人の米国人が快楽を求めて処方鎮痛薬を使用していることが報告され、過剰摂取による死者は1万6000人にのぼった。

    今や、鎮痛剤は年間90億ドルを売り上げる一大産業となっており、世界のオピオイド系鎮痛薬の処方箋の80%が、世界人口の5%しか居住していない米国で書かれている。


    2 ケース2:アンモニア
    フリッツ・ハーバーが空気中の窒素からアンモニアを精製することに成功し、世界の食糧危機は当面の間消え去った。アンモニア肥料の流通と同時に、当時のドイツ帝国はアンモニアから1段階の反応工程で得られる物質を強く求めた。それは硝酸アンモニウム、爆薬の原料である。
    1915年、ドイツのライプツィヒ近郊のロイナに硝酸アンモニウム製造施設が建設され、年間24万トンの硝酸アンモニウムが生産されるようになった。戦争が消耗戦に突入すると、ハーバーは戦争に勝利するため、全く別の形で連合国の兵士を殺せる兵器を見つけようとした。こうして生み出されたのが塩素ガスである。

    当時化学兵器は国際法に抵触していたが、ハーバーは勝つことを目的にルールを破る。のちにハーバーはこのときの行為によって、戦争犯罪人というレッテルを貼られることとなる。
    1915年4月22日と8月6日の間に、連合軍を攻撃するために5回に分けてドイツ軍がまいた塩素ガスは1200トンにのぼった。かつて化学肥料を製造していたBASFのオッパウ工場は、爆薬と毒ガスの専用工場になっていた。1915年の1年間で、BASFは1万6000トンの塩素ガスを生産した。
    さらにハーバーは1917年、戦争で使われた化学兵器のなかでも最も危険なマスタードガスを使った最初の人間になる。最終的には風に吹かれて消える塩素ガスやホスゲンガスとは違い、マスタードガスは周辺にとどまり、地面や衣服、建物や道具類にも染みつく。すべてを洗い落とすことは現実的に不可能だった。マスタードガスは重度の結膜炎を引き起こすため、兵隊たちはほとんど目がみえなくなった。加えて皮膚や口、のど、気管にも激しい炎症を引き起こし、やがて死に至る。
    戦争が終結するまでに、フリッツ・ハーバーの化学兵器によって100万人以上が被害にあい、2万6000人が死亡した。


    3 ケース3:DDTの使用禁止
    1962年、レイチェル・カーソンが殺虫剤の危険性を世に知らしめる『沈黙の春』を出版すると、『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラーリストで一位を獲得し、20世紀の最も重要な本100冊のうちの1冊に選ばれた。
    レイチェル・カーソンの死去から6年がたった1970年1月1日、リチャード・ニクソン米大統領は国家環境政策法に署名し、「環境のための10年間が始まろうとしている」と宣言した。さらに国会は環境諸問委員会の設置、環境保護庁と労働安全衛生局の設立、大気浄化法、水質浄化法、殺虫剤・殺菌剤・殺鼠剤法、安全飲料水法、環境農薬管理法、有害物質規制法、絶滅危倶種保護法の制定と立て続けに動いた。1970年4月2日、数百万人の米国人と、数千万人の世界中の人々が最初の国連アースデイ(地球の日)を祝った。自然保護活動は環境保護活動に変わっていったのだ。

    沈黙の春の中で糾弾されたのはDDT系殺虫剤である。しかしDDTは、発疹チフスやマラリアの予防のために絶大な効果を上げていた。DDTほど安価で、持続性に優れ、効果の高い殺虫剤はほかになかったからだ。DDTは5億人の命を救ったとされる奇跡の薬品だったが、環境保護活動家たちはそのようには考えず、DDTの全面禁止を訴え、1972年に米国を始めとした国々で使用が禁止された。

    その結果、1972年以降、5000万人がマラリアで命を落とした。その殆どは5歳未満の子どもたちだった。
    最終的に99の国でマラリアは根絶されたが、ほとんどの国で根絶のためにDDTが再使用された。

    のちに、沈黙の春の中で挙げられていた、人間や動物に対するDDTの影響が誇張だったことが発覚する。彼女が述べた「人間が環境に与える影響を注視する必要がある」という言葉はたしかに事実だが、彼女は少しやりすぎた。自分の偏った意見に合うように真実を捻じ曲げたのだ。


    4 過ちを繰り返さないための教訓
    ①データがすべて。
    データは大切だが、現代科学にはデータが多すぎる。雑誌に載った論文すら誤った研究成果が使われているケースがあるため、査読と再現性をクリアした論文だけを信じること。
    ②すべてのものには代償がある。ただ一つの問題はその代償の大きさだけ。
    代償はどうやっても避けられない。特定の技術がその代償に値するかを見極めること。
    ③時代の空気に流されるな。
    遺伝子組み換え食品のように、世間から不当に怖がられている物の真偽を見極めること。
    ④手っ取り早い解決策には気をつけろ。
    ⑤量次第で薬は毒にもなる。
    カーソンのように、微量のリスクのある薬物を「全面禁止」することで、それによって防げた病気が蔓延するかもしれない。
    ⑥用心することにも用心が必要。
    予防原則の名のもとに、益少なくして不都合なことが多い行動を取らないよう気をつけること。
    ⑦カーテンの後ろにいる小男に注意しろ。
    怪しい健康法を掲げて医学的・科学的なアドバイスをしてくる輩に気をつけること。

  • 人の愚行が害悪をもたらした、 衝撃的な7つの科学的事例。|Pen Online
    https://www.pen-online.jp/article/007573.html

    木原未沙紀 | Misaki Kihara |official web
    http://www.kiharamisaki.com/

    禍いの科学|日経の本 日経BP
    https://www.nikkeibp.co.jp/atclpubmkt/book/20/G14070/

  • 邦題から内容が伝わりにくくて、損をしている印象。

    科学者で医師の著者が、「人類に破滅的な禍いをもたらした7つの発明」について、調査してまとめたサイエンス・ノンフィクションである。

    2014年に、著者は「世界を変えた101の発明」なる企画展を鑑賞した。
    それは肯定的な意味で「世界を変えた」発明を紹介する内容だったが、その中に火薬(20位)と原子爆弾(30位)が含まれていたことに、著者は仰天する。《これらの発明はどちらも、利益よりはるかに大きな害悪をもたらしたことは間違いない》からだ。

    そこから、著者は「世界を悪い方向に変えた101の発明」というリストが作れるのではないかと思いついた。そして、数年を費やして、多くの科学者・医師・人類学者・社会学者などに、人類に禍いをもたらした発明を挙げてもらった。

    挙げられた候補を集計し、それらを参考に、著者は自ら50前後の発明をリストアップ。そこからさらに「7つの最終候補」に絞り、各一章を割いて詳述したのが本書なのだ(最後の第8章は全体の総括)。

    そうした経緯自体が興味深いが、中身もすこぶる充実している。

    科学は〝よく切れるナイフ〟のような価値中立的存在であり、それ自体に善も悪もない。善用するか悪用するかは、使う者しだいなのだ。あたりまえの話だが。

    本書が恐ろしいのは、取り上げられた例がみな、発明者は〝人類を幸福に導く発明〟だと信じきっていたケースであること。
    「正義が愚行に変わるとき」という副題のとおり、大善をなそうとして大悪をなしてしまった科学者たちの物語なのだ。

    取り上げられているのは、アヘン、マーガリン(トランス脂肪酸)、化学肥料(人工窒素肥料)、優生学、ロボトミー手術、DDT(有機塩素系殺虫剤)禁止、メガビタミン療法の7つ。

    DDT禁止は一般的な意味の「発明」ではないが、レイチェル・カーソンがベストセラー『沈黙の春』で有機塩素系殺虫剤による環境破壊に警鐘を鳴らしたことを指す。

    このケースを取り上げた第6章は「『沈黙の春』の功罪」。タイトルが示すとおり、カーソンには「功」も多い。
    そもそも、環境問題が「地球的問題群」の一つとなるために、カーソンの著作と活動は多大な貢献をしたのだから……。

    しかし一方で、彼女の著作を契機としたDDT禁止が、世界的災厄をもたらしたと著者は指摘する。

    DDTの野放図な使用は環境破壊をもたらすが、一方でDDTは、マラリア・黄熱病・デング熱といった、蚊が媒介する疫病を大幅に減少させた。《DDTは、歴史上のどんな化学薬品よりもたくさんの命を救ったといっても過言ではない》(207ページ)のだ。

    ところが、DDTが全面禁止となったことで、負の影響は世界中に及んだ。
    たとえば、《インドでは、1952年から1962年の間に、DDT散布により、年間のマラリア発生件数は1億件から6万件に減少した。しかし、DDTが使用できなくなった1970年代後半には600万件に増加した》(209ページ)という。

    私にとって最もショッキングだったのは、ライナス・ポーリングが提唱した「メガビタミン療法」の悪影響を取り上げた第7章「ノーベル賞受賞者の蹉跌」だ。

    「メガビタミン療法」とは、〝ビタミンCを毎日大量に摂取することで、ガンも治る、風邪も治る、健康になる〟というトンデモ療法である。
    だが、それを提唱したのがノーベル化学賞受賞者であったことから、ビタミン・サプリメント業界の理論的土台になってしまった。

    ポーリングはノーベル化学賞以外にも、平和運動家としての活動が評価され、ノーベル平和賞を受賞している。分野の異なる2つのノーベル賞を一個人として受けたのは、ポーリングだけ。まぎれもない現代史の偉人である。
    にもかかわらず、彼はメガビタミン療法に入れ込んで晩節を汚してしまった。

    そのことは私も知っていたが、メガビタミン療法が効果がないだけでなく、がんと心臓病のリスクを高めることは知らなかった。

    優れた科学者も、時に愚行やあやまちを犯す。そして、世界的影響力を持つがゆえに、愚行がもたらす負の影響も巨大になってしまうのだ。

    ほかの章もそれぞれ衝撃的で、「物語」としても優れている。
    とくに、第3章「化学肥料から始まった悲劇」の〝主人公〟フリッツ・ハーバーの人生は、映画のようにドラマティックだ。

    ハーバーは化学肥料を生み出し、多くの人々を飢餓から救った「緑の革命」を推進した。だが、その一方では、おぞましい化学兵器の生みの親でもあった。
    また、化学肥料それ自体も、人工窒素の蔓延によって深刻な環境汚染をもたらした。

    ハーバーの最初の妻は、化学兵器開発に邁進する夫の行動に苦悩し、良心の呵責から自殺してしまった。

    また、ハーバーはユダヤ人であったが、ドイツで《最終的に数百万人の同胞を殺すことになる化学薬品、チクロン製造の指揮を執っ》た。
    そのようにナチスに貢献したにも関わらず、彼はユダヤ人としてドイツを追われる。
    そして、亡命先でようやく科学者としての良心に目覚めるが、その矢先に病死する。なんという人生だろう!

    全体を総括する第8章の、印象に残った一節を引く。

    《もし研究者が陰謀論を口にしたら、その相手が唱える説に根拠はないと思った方がいい。「真実を権力に話せばこうなる」という彼らの言い訳はそれらしく聞こえるかもしれないが、だからといって正しいとは限らない。数学者で疑似科学の誤りを論破するノーマン・レビットは、こんな有名な言葉を残している。「ガリレオが権威に逆らったからといって、権威に逆らうものが必ずしもガリレオではない」。彼らがどれほど一生懸命に自分たちがガリレオだと信じ込ませようとしたとしても》275p

    〝科学の役割とは何か?〟を深く考えさせる、第一級のサイエンス・ノンフィクションだ。

  • ギリシャ神話の中に、「パンドラの箱」というお話がある。
    パンドラは神々が作り出した人間の女である。最高神ゼウスは、彼女に「決して開けてはならぬ」と1つの箱を渡す。だがパンドラは好奇心に負けて箱を開けてしまう。すると、病や貧困、不幸、悲しみ、死といったありとあらゆる禍いが飛び出してきた。驚いたパンドラは慌てて箱を閉じるが、時すでに遅し。箱の中は唯一、「希望」だけが残った。

    本書の原題は"Pandora's Lab"である。
    科学の発展は、時として素晴らしい成果を生むが、一方で、「開けてはならぬ」ふたを開くこともある。
    本書では、発見当時、素晴らしいともてはやされたものの、時が経ってみると実は怖ろしい災厄をもたらしたと考えられる事例を取り上げる。
    いわば、よくある「世界を変えた〇〇個の発明」といったもののネガにあたるアイディアで、「世界を<悪い方向に>変えた発明」ともいえるものである。
    著者が取り上げているのは7つ。
    ・アヘン
    ・マーガリン
    ・化学肥料
    ・優生学
    ・ロボトミー
    ・『沈黙の春』
    ・抗酸化物質(ビタミンC)

    当初の目論見から外れていったものとしてわかりやすいのはアヘンとマーガリンだろう。
    アヘンは病気の治療薬として大変珍重された。錬金術師のパラケルススは「讃える」という意味のラテン語から、これを「ローダナム」と名付けた。ヴィクトリア朝時代には、赤ん坊を眠らせるのにまで使用された。米国でもリンカーン大統領の妻をはじめ、多くの中毒者がいた。最も害を被ったのは、アヘン戦争で敗北した中国だろう。
    マーガリンはバターの安価な代用品として発明された。その上、バターよりも健康によいともてはやされてきた。が、近年、マーガリンに含まれるトランス脂肪酸が問題視されるようになっており、欧米では厳しい規制が敷かれる国も出てきている。

    科学者の姿勢を問うているのは、化学肥料、『沈黙の春』、抗酸化物質だろうか。
    化学肥料の元になったのは、ハーバー・ボッシュ法と呼ばれる窒素固定法である。空中の窒素からアンモニアを作り出し、肥料を大量生産できるようにしたのである。これは大量の食糧も生んだが、一方で環境汚染も生じた。さらにアンモニアは爆薬の生産にもつながり、戦争の被害を大きくした面もある。また、アンモニアとは直接は関係ないが、ハーバー・ボッシュ法の発明者の1人であるフリッツ・ハーバーは化学兵器開発でも大きな役割を果たしている。このあたりになると発明がもたらした災厄というよりは科学者自身の姿勢の問題となりそうである。
    『沈黙の春』に関して著者が問題視しているのは、DDTの行き過ぎた排除である。カーソンの筆があまりに詩的で素晴らしかったがために、世論が過剰に盛り上がり、DDTは全面的に禁止されることになった。だがDDTの危険性は危惧されるほど高いものではなく、一方でマラリアや発疹チフスを予防する効果は非常に高かった。そもそも、彼女の主張はデータに基づいていたのか、というのが著者の問題提起である。
    サプリメントやビタミンで健康になると主張したのはノーベル賞受賞者のライナス・ポーリング。彼の元々の研究テーマの量子力学や化学とはかけ離れた分野だった。この件についても、著者はデータの不備を指摘している。

    本書中で個人的に最も怖ろしさを感じたのは、優生学とロボトミーである。
    優生学はいわば人を選別し、「不適合者」を排除して、「優れた」ものを残そうとするものだが、当時の優生学の諮問機関に錚々たる人物が名を連ねているというのが怖ろしい。各界の有力者も資金面からこれを支援している。
    精神的に問題を抱える人々の脳の一部を切除したり穴を開けたりして、症状の改善を図るというロボトミーも怖ろしい発想である。素人考えでもうまくいきそうに思えないが、当時は執刀医だけでなく、多くの人々が支持していたという。これには、病院の環境がひどかったことや、当時の治療がそもそも「ショック」療法を主としており、ロボトミーはその延長線上ととらえられたこともあるようだが。

    これらの事例から学ぶべきこととして、著者は最終章で、「データがすべて」「時代の空気に流されるな」「手っ取り早い解決策には気をつけろ」といった注意点をまとめている。
    輝かしい歴史の陰に暗部あり。だが、暗部にこそ、忘れてはならない教訓が宿る。
    なかなか考えさせられる1冊。

  • 科学がもたらした禍いについて、過去の事例の変遷と結果を紹介し、最後には同じ過ちを繰り返さないために何を気をつけるべきかを提示する。

    いずれの事例も当時大多数の人間が真実だと信じており、データという不変の現実を受け入れず、権威や多数意見に流された結果招いたことが起因となっている。

    個人的に一番恐ろしいのは優生学の事例だった。遺伝や血統で人間の優劣を決めるやり方は、一見するとそうなのかもしれないと思わさせられる。

    劣っている人間は何の努力もせず怠惰をむさぼり、優れている人間の足を引っ張るだけの存在で、何の社会的価値も生み出さないので排除すべきである。

    このような意見が教授や研究者といった肩書きのある人間から発せられたり、科学雑誌やメディアで喧伝されたら、大抵の人が身近にいる少数の人を思い浮かべて真実だと思い込む。

    退屈な論文や大量のデータを調査して本当の真実を突き止める人などほぼいないので、今も昔も人をコントロールするために、感情に訴えかける手法がいかに有効なのかを思い知らされる。

    気をつけるべきことは分かっていても、多くの情報が溢れるこの世の中では、本当の真実はほとんど分からないように巧妙に細工されている。だから、何でもかんでも無批判に受け入れるのではなく、少し立ち止まって考えることで防げる悲劇はあるのだということを肝に命じておきたい。

  • 知らない事があまりにも多い。また迷信の如く適当に人が言ってることを信用することの怖さ、また何かに縋りつきたいからこそ信じてしまう危うさも教えてくれる。
    ネットで試しに調べてみたら、メガビタミン療法なるものを普通にやってる医院の多いこと。恐ろしい、、、。

  •  データがすべて。

     良いと信じられていたものが、実は良くないものだった話が七つ。
     優生学とかDDTあたりはなんとなく知ってたかな。著者がアメリカ人だから、基本アメリカの話なんですよ。アメリカで一大ムーブが起きた事例がメイン。
     ロボトミー手術とか、聞いたことはあるけど、日本でやってたりしたのかね。物語のなかのことだと思ってるかもしれない。それを大真面目にやってたというか、できていたことが怖いなぁって。
     どれもこれもね百年も経ってないんだよ。たかだか百年前なのに、世界はこんな感じだったのかって。だから、百年後に今のコロナ関係の対応を見て、「たかだか百年前はこんなに遅れてたのか」って思われるんだろうなぁって。
     だいたい、トンデモ論が展開されるとき、データが無視されてるんだなってことはわかりました。
     ただ、今はネットやらなにやらで情報は手に入りやすい時代だから、そのあたりで多少はトンデモに踊らされないのかなって思ったけど、情報が多すぎるからこそ、トンデモがはやりやすいのかもしれない。
     いろいろと胃に来る愚行が多くて読むのに疲れました。これ、今ふと思ったけど、窒素肥料そのものは別に悪くはなかったんでしょ? それを作ったひとのその後がやべぇって話で。メガビタミン療法は、こっちでは話題になってないんじゃね? よく知らんけど。
     一個だけ気になったのが、最後の、自閉症の子供への治療法のとこ。細菌感染のはずないってのはわかるんだけど、その治療法を受けた子供たちに改善が見られなかった、というデータが提示されてないなって。あんだけデータがすべてっていっておきながら。どれくらいの子がその治療を受けて、結果どうだったのかってのをちょっと知りたかったな。
     文章として読みやすいかといわれたら、うぅん、っていいます。訳もだし、たぶん原文もそんなに読みやすくなさそう。まあナショジオやから、そんなもんかな、という気も。
     過ちを指摘され、それが正しいと理解できたらきちんと受け入れることが大事。

  • 人類に恩恵をもたらした科学の発明ではなく、人類に大きな被害を生んだ発明という視点が面白い。
    エビデンスに基づいて振り返っているため、過剰に著者の思想が滲み出ていなかったり、後半は著者自身が自分の思想とデータを比べて自分の意見は現段階で正しくないと語っているのも、語られてきた教訓に合っていて好感が持てる。

    アヘン→モルヒネ→ヘロインになっていく過程や、優生学、ロボトミー手術など、取り上げる例も興味を惹くものが多かった。
    ・物質の影響は量による
    ・流行や発言者ではなくデータで判断する
    ・自身の主張に削ぐわない結果でも受け入れて再考する
    ・得られるメリットと生じるリスクの大きさで判断する

    抗酸化やサプリメント、電子タバコやマンモグラフィ検査など、自身も聞いたことがあり現代にも続くテーマも語られていて役に立った。

  • ナショナルジオグラフィック刊、7つの大罪を意識しているのか、7つの科学の功罪が語られる。

    優生学を提唱したマディソン・グラント。
    ドナルド・トランプの話からこの優生学、という「学問」が一体なんだったのかを知る。
    今でも使われる知能検査、国内では田中・ビネー検査に名前の残るフランスの心理学者アルフレッド・ビネ。
    彼の検査から、知能指数70という数字が一人歩きを始める。
    また、メンデルの法則も完全に歪められて使われた。
    ありとあらゆるものが歪められ、人体実験が行われた。
    この章では、教訓として「時代の空気に流されるな」(147頁)とかたられる。
    「科学的な証拠を文化的・政治的偏見に合わせてねじ曲げようとする」(148頁)ことのなんと恐ろしいことか。

    レイチェル・カーソンの章は衝撃だった。
    高校時代にレイチェルの話を書いた文章を英語の時間に読んだ。
    もちろん彼女の成したことは、素晴らしかった。
    人間の活動が環境を破壊する、これは自然保護の観点からは非常に重要なメッセージだ。
    しかし、ゼロ・トレランス(ゼロ容認、つまり.認めない、ということ)の考え方はやはり極端であったというべきだろう。

    ロボトミー、アヘン、窒素肥料、マスタードガス、サプリメント。
    本書に出てくる科学の中には、人を殺したり廃人にしてしまったものもある。
    しかし初めから皆が人を不幸にしようとして研究開発したのではない。
    なぜ科学者たちは不幸へ進んでしまったのか、そのことは私たちもよく考えなければならない。

  • 科学の迷いを観察していくお話。
    人類の教訓そのもの。科学史上時代だからこそ、データが全てな判断の前提が必要。
    マラリアとDDTの話が特に恐ろしく感じた。
    物語に引っ張られて人は生きているからこそ、人の癖を知る必要がある。
    手っ取り早い解決方法もデータで見るしかない。
    どれだけデータに向き合えるかは課題。

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