- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784862761316
作品紹介・あらすじ
ある幼児の死にショックを受けた著者は、まちに「遊び場」をつくることを決意する。人々を集めて手作りしよう。すべり台を、のぼり棒を、砂場を、ブランコを…。その行動は多くの人の共感を呼び、瞬く間に全国各地に広がっていく。それは同時に、いつしか人々が失っていた「コミュニティ」を、現代に再生する試みでもあった。-100万人以上を巻き込み、2,000以上の遊び場をつくってきた驚異の団体「カブーム!」の15年の軌跡を、創設者が初めて語った感動の物語。
感想・レビュー・書評
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第56回アワヒニビブリオバトル「持続」で紹介された本です。
チャンプ本
2019.09.03詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
非営利のエネルギーと地域コミュニティにとっての公園の価値。やっぱり楽しいことでないとね。
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コミュニティの教科書。
すごいなぁ、15年、地道に思いを持ってやっていきた、その中で様々な努力をされてきた。
コミュニティというかそういったサービスをやっている身としては、15年続けるかぁ、、、と思わせてくれる本。 -
組織のあり方、資金の調達の仕方、どうやってプロジェクトを素早く、地域の人の力で進行させていくか?
ダレルハモンド氏の
生い立ちに親近感を感じ、
プロジェクトと仕事仲間に愛情を感じ、
組織と運営の仕方にパワフルさと知性を感じた。
地元に根付いた組織、NPO、個人事業主に関わる人は何度も読み返してほしい。自身のやり方に繋げていける事例が示されていると思う。
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コミュニティの資源(モノやお金だけでなく、人の思いややる気)を最大限活用して、遊びの可能性を引き出していくやり方、そして著者がリーダーとして育っていくストーリー(プロセス)がとても興味深い。
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大学院の後輩Rちゃんから借りて読みました。
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日本の子供は窮屈だと思っていたけど、アメリカは授業の休み時間も昼休みもほとんどなかったり、幼稚園で遊んでる子供を近隣住民が訴えたり(しかも勝訴)、公園すらほとんどないとしって驚き。でもこういうNPOが主導すると地域住民も協力して寄付金集めやボランティアをやってくれるところはやはり日本とは違うなと思った。
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Kaboom!マンガの吹き出しに使われるこの言葉の意味はドカーン!だと思えばいいだろう。この名前のNPOがやっているのは全米の全ての子供達に徒歩圏内に遊び場を作ること。1995年の設立以来1万5千を超える遊び場を700万人の子供のために、100万人を超えるボランティアを集めて作ってきた。特徴的なのはその手法でカブームが担当するのは資金集めや建設の指導で実際に遊び場を作るのは地域のコミュニティだ。ただ予算をとって遊び場を作っても環境が維持されないとその遊び場は長続きしない。遊び場を作るとともに地域のコミュニティを遊び場を中心に機能させていくのがこれだけの数の遊び場ができた力の源泉だろう。
デザイン・デイではその遊び場を実際に利用する子供達に何が欲しいかを聴いて行く。子供達が描いた絵や話をできるだけ生かそうとしている。ハリケーン・カトリーナの被害を受けた公園にはメキシコ湾の浜辺が眺められるブランコがあり、子供達や両親は同じ方向にブランコを向けて欲しいと希望を出しかなえられた。ビルド・デイは雨でも氷点下でも37℃を超える様な高温でもボランティアが一斉に集まり、カブームのプロジェクトマネージャーの指揮のもと1日で遊び場を完成させる。(YouTubeでプロレスのWWEがボランティアを派遣してニューオーリンズで遊び場を建設した早送りのビデオが見られる)自分たちのコミュニティが作り上げた遊び場という体験とそこで実際に遊ぶ子供達とそれを見守る親や地域の人たちが出来上がった遊び場を維持して行く。
創設者のダレル・ハモンドの一家は大家族で父親が蒸発したために友愛組織が運営するムースハートという施設で高校を卒業するまで暮らした。奨学金を得て大学に進学したダレルだが学習障害があったらしく、バイトに精を出し大学は中退する。(後にカブームの活動によりこのリッポン大学から博士号を贈られたが)その後参加した都市研究プログラムでNPOでインターンとして働き、コミュニティ作りの世界では伝説的な存在のABCD(資産を活用したコミュニティ開発)研究所のジョディ・クレッツマン博士と出会い、地域づくりの哲学はそこにある物に目を向けるという哲学を身につけていった。この研究所ではミシェル・オバマが助手として働いていたこともあり時期としてはバラクと付き合い始めたころの様だ。
このプログラムの実習でシカゴ公園局の実習生として働くダレルはシカゴの77の居住区にはそれぞれのコミュニティがあり市がお祭りを支援するのにお仕着せの画一的な支援ではなく、その住民、プエルトリコ系やギリシャ系や様々な人たちが自分たちで計画して実行する方が遥かにうまく行くということを学んだ。大学には戻らずシティ・イヤーという若者が1年間フルタイムのボランティアに当てるというNPOがシカゴに事務所を開く際に最初の現地スタッフとして採用された。オバマとの結婚直後にミシェルが93年に立ち上げたパブリック・アライズというNPOとシティ・イヤーは一時期事務所をシェアしていたらしい。パブリック・アライズもまたアメリコープ(シティ・イヤーの国家プロジェクト板)とボランティアを必要とする地元の団体を結びつける活動をしている。
ダレルはシティ・イヤーの第一回全国会議のための奉仕プロジェクトを企画するように頼まれそこで出したアイデアが遊び場作りだった。結果としてこのプロジェクトは色々なごたごたを乗り越えうまくいったのだが、そこからダレルは思いを巡らすことになる。コミュニティの人たちがお互いに向き合い「自分たちがこれを建てた。ダレルでも、建設会社でもない。私たちがやったのだ。」と言えるようにするにはどうすればいいのか?
カブームの活動は発展しプロジェクトの進め方がシステマティックになる一方、組織が追いつかなくなりどたばたしていく。この辺りはまるでフェイスブックの話を思わせる。キンバリー・クラークが創立125周年の祝賀イベントにカブームを候補にした所37カ所が手を上げ、57万5千ドルの小切手をカブームに送ってきたのだが、その時カブームにはまだ定款もなく、法人口座もなかった。
なぜ遊び場がそれほど大事なのだろうか?アメリカの貧困な地域は治安が悪く発砲事件があれば子供が流れ弾に当たって死ぬこともある。それ以前に例えば廃車の山の中で遊んでいた兄弟が閉じ込められ死亡する様な事件もあった。日本でもあったが適切に管理されていないと遊具による事故も起こる。
ハリケーン・カトリーナの上陸後ベイ・セントルイスというメキシコ湾岸の田舎間値を故郷に持つジニー・レイノルズがカブームに遊び場を作るのに手を貸して欲しいと依頼してきた。ジニーは幼い頃同じ様なハリケーンを経験しており子供(の遊び場)が後回しにされたことに腹を立てており、これが間違いをただすチャンスだと思っていた。ダレルがスポンサー企業に相談すると一様に「遊び場よりもプレハブ住宅と発電機だ」「生活を立て直す方が先でしょう」、あるいは「ニューオーリンズに何かを建てるべきだ」とほとんど断わられてしまう。カブームは自前の資金でこの遊び場建設を決めた。ジニーの幼なじみでこの地域に住むジョー・ギルモアがこのプロジェクトに参加するように何度も説明してもやはり乗り気ではない人も多かった。カトリーナから3ヶ月半後の12月17日のビルト・デイには600人を超えるボランティアが集まり、一時避難していた人たちも戻ってきた。その日の終わりには4台のブランコ、3人が一度に滑れるすべり台、ミニチュアのお茶室、砂場、ターザンロープのある美しい遊び場が完成した、1週間後のクリスマスには住民達が集まり子供や孫が遊ぶのを見守っている。後の調査では他の地域でみられる子供達の問題、自殺や暴力などがこの遊び場の効果で明らかな違いがあったと報告されている。最終的にカブームがこの地域に作った遊び場は140カ所を超えさらに増えている。
少し残念な話としては訴訟社会のアメリカでは近隣住民のうるさいという苦情で遊び場と時間は削減され、遊具もどんどん安全になって行っている。ダレルに言わせると子供達にも許容できるリスクを与えるべきだ。学校でも休息時間は短くなりますます遊ぶ時間は減っていて、逆に肥満だけが増えている。本を読んだり勉強したりを要らないと言ってるのではなく自由な遊びと両方必要だと言うのがその主張だ。