- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861826856
作品紹介・あらすじ
『ストーナー』で世界的ブームを巻き起こした著者が描く、19世紀後半の米国西部の大自然。バッファロー狩りに挑む四人は、峻厳な冬山に帰路を閉ざされる。男たちを待つのは生か、死か。
感想・レビュー・書評
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ボストンの司祭の息子、ウィル・アンドリューズは南部の小さな町のブッチャーズ・クロッシングへやってきた。
大学の講義で自然が自己を高める文献を読み感銘を受け、自分も自然を体験したかったのだ。
昔父の知り合いで今はバッファロー皮の商売をしているミスター・マクドナルドのところに寄ったウィルは、昔ながらの猟師のミラーを紹介される。
昔はバッファローは何千頭もの群れを成していた。しかし今では数百頭いればいい方だ。だが自分は10年前に山奥のバッファローの生地をみた。そこには五千頭のバッファローの群れがいたんだ。資金さえあればあの群れを狩れるのに。
そう語るミラーの言葉にウィルは叔父から受けた遺産をつぎ込み、資金提供者としてミラーと共にバッファロー狩りに出ることになった。
同行するのは、猟師のミラー、キャンプ係のチャーリー・ホージ、皮剥ぎ職人シュナイダー。
皮売人のマクドナルドと話を付けた彼らは、バッファローの群れを探しに旅に出る。
ウィルに惹かれたという娼婦のフランシーンは言う。今のあなたは優しくて手は柔らかいけれど、旅に出て戻ってきたらきっと別人になってしまう。
平原と山道を果てしなく進み、山に入るとさらに過酷な旅。
凍傷で片手を失くしたチャーリーは、酒と聖書が手放せず神の啓示を待っている。
現実主義者のシュナイダーは、狩人であることが存在意義のすべてであるミラーとは悉くぶつかる。
ウィルの前に顕れる自分が憧れた以上の自然の力。
ついにバッファローの群れを見つける。谷を覆うバッファロー、五千頭はいる。
ミラーは淡々と効率的にボスバッファローを仕留める。ミラーはどのバッファローを倒せば群れを操れるかを熟知していた。次々と倒れるバッファローの皮を次々に剥いでゆくシュナイダーとウィル。
積み上げられる皮と放置される肉体、滴る血、食料となる生肉、腐ってゆく匂い、バッファローにたかっていたノミ。
それらはウィルの胸を悪くするが、資金提供であり旅を申し出た彼はこのバッファロー殺戮を途中で止めるわけにはいかなかった。
帰路を促すシュナイダーに対し、ミラーは冬を越してでもこの群れのすべてを狩るという。定期的な銃声は響き続け、谷から逃げようとした数百頭のリーダーを仕留め群れを操る。
ところが群れの全滅まであとすこしということこで雪が降り始める。
最初はちらちらと舞っていた雪は瞬く間に猛吹雪となり、彼らの目線と行く手を阻む。
なんとかキャンプ地を張った彼らは、半年から八か月山の中に足止めされる。
寒さを凌ぐためにバッファローの皮を被る。あれほど殺したバッファローの肉は雪に埋もれて食料に苦しむ。彼らは次第に一人一人自分の世界に閉じこもるようになる。
春が訪れてやっと帰り道に出立することになった。
剥いだ皮の千枚を持ち帰り、四千枚はまた取りに来るという。
千枚の皮を積んだ馬車で、雪の悪路を彼らはブッチャーズ・クロッシングへと帰る。
果たして彼らの全財産である皮は無事に持ち帰れるのか。
そして「自然の中に行けば本当に強い真の自分が見つかる」というウィルの望みの行く末は…。
***
都会の青年が資料の上での自然に憧れ知ろうとするが、自然と、それと共に生きてきた人間たちは青年の憧れを砕くほどの荒い力を持っていた。
入れるところはどこにでも入って行き力で踏みにじり去った後は自分にも相手にも何も残らない…とはアメリカそのものを風刺した描写でもあるということ。
小説としては、淡々とした書き方によりかえって身に迫るような描写となっています。登場人物の感情を「彼は怒った」のように直接書くのではなく、「放った火にすべてを放り込んだ」という行動で、彼がどんな気持ちを持ったかを読者に示します。
バッファロー殺戮も、「定期的に響く銃声」という事実を書くことにより、状況の凄まじさを読者にわからせます。
なんとなく、何かをここに置いていくような気がしていた。自分にとって大切だったか知れないものを。それが何なのか、自分にはわからない。(P254)
おまえらは他人の指図を受けない。絶対に。自分の流儀とやらで獲物を殺しては、あたりの土地に嫌なにおいを振りまいていく。売りさばけないほどの大量の皮を後から後から送り込んで市場を破綻させておきながら、おれのせいで人生が台無しになったとぬかして泣きついてくる。(P299)
いまはもう自分をこの部屋へ、この肌へと不思議な魔力で惹きつけた情熱を思い出すことはできない。彼をこの大陸の反対側へと駆り立て、自然の中へ引き込んだもうひとつの情熱の力も忘れてしまった。あそこへ行けば、想像したとおりに揺るぎない自分に出会えると夢見ていた。今彼は何の悔恨もなく、あの情熱の源は虚無だったと認めることができた。 (P328) -
またまた★5つ本!
とても力のある小説である。
19世紀後半、野生の山へバッファローの群れを狩りに出る男4人、というワイルドな設定。
厳しい自然を、こんなに緻密で繊細に描写した小説があっただろうかと思うほど。
特に、雪が降り出した時の絶望感、雪や吹雪の描写ときたら。
しかし決して野外冒険小説やウエスタン小説で終わらせてはいない。
荒くれ男どもも娼婦たちもリアルで、体温を感じる。
また、裕福な家庭で育ちハーバードに在学していた23歳の青年が主人公であるあたり、『荒野へ』を先取りしているかのよう。
殺戮や暴力、勝利主義なども重なって見えてくる。
思った通りや願った通りにはいかなかったり、絶望的な状況に陥ったりしても、そうだよ、それでも生きねばならぬ、生ききらねばならぬ、と思わされるのは『ストーナー』と同じで、それこそがこの小説に宿る”力”なのだと思う。
それにしても、生涯4本の小説のうちの2本が『ストーナー』とこの『ブッチャーズ・クロッシング』って、どういう作家だ。あまりに高密度、あまりにハイレベル。舌を巻く。 -
ジョン・フォード監督に『シャイアン』という映画がある。いつもの白人の視点ではなく、不毛な居留地に閉じ込められたインディアン側に寄り添った一味違う西部劇だ。約束を守らない白人に業を煮やしたシャイアンの部族全員が故郷に帰る決断をする。苦労を重ねた末にたどり着いたそこには、彼らの生活の糧となるはずのバッファローの白骨が散乱していた。白人がコート用の毛皮を得るために狩りつくしていたのだ。
インディアンは皮だけでなく、肉は食料に骨はナイフや矢じり、針とバッファローを使い切る。それを白人は毛皮だけのためにほぼ全滅させた。何よりそれがネイティブ・アメリカンの命脈を断ったのだ。『ブッチャーズ・クロッシング』は、そのバッファロー狩りを主題に描いたものである。それも極端にミニマムの視点で、一人の猟師が一シーズンにどれだけの数のバッファローを殺すことができるのかを克明に記す。
チームの人数は最小構成で四人。猟師(ハンター)が一人、皮剥ぎ職人が二人、料理その他を取り仕切るキャンプ係が一人。彼らは獲物がいる場所まで来る日も来る日も旅をする。猟場に着いて肉が手に入るまでは、豆とベーコンとコーヒーという食事。川筋から離れ平原に入ると水すら飲めなくなる。用意した水が切れるまでに次の水場に着けるかどうかがリーダーの能力にかかっている。だから、リーダーの指示には絶対に服従しなければならない。
この小説でリーダーを務めるのはミラーという猟師だ。他の流れ者や南軍くずれとちがい、彼はこの地方をよく知る本物の猟師である。人を雇って猟をさせ、毛皮を鞣して売る商人マクドナルドは彼を雇いたがるが、彼は自分のやり方で猟をすることにこだわり、首を縦に振らない。狩猟隊を組むには元手が必要だ。獲った毛皮を運ぶ荷車とそれを牽く連畜、銃と火薬、食料に馬等々、一介の猟師には手が出ない金額になる。だから、ミラーは獲物の大群がいる場所を知りながら、ここ十年狩猟隊が組めていない。
そこに、語り手の青年がボストンからやってくる。カレッジを三年で中途退学し、ラルフ・ウォルド・エマソンの思想にかぶれ、自然の中で自分の生き方を見つけたいとおじの遺産を胴巻きに入れて、はるばるブッチャーズ・クロッシングにやって来たのだ。この地で皮商人を営むマクドナルドはボストンにいた頃、ユニテリアン派の在俗司祭を務める父の教会に顔を出していた。父の紹介状を手にしたウィリアム・アンドリューズは、ホテルに着くと真っ先にマクドナルドをたずねる。
商人は若者の軽はずみをいさめるが、気のはやる若者は聞く耳を持たない。そこで、マクドナルドが紹介したのがミラーだ。自分のいうことは聞かない男だが、誰よりもこの地方をよく知る男で、古い知人の息子を委ねる相手としては彼をおいて他にないと判断したからだ。ミラーと会って話を聞くうちにアンドリューズは狩猟隊を結成するのに自分の所持金を提供することを決める。その代わり自分も一緒に連れていってほしいという。
ミラーがバッファローの大群を見つけたのは、カンザスから二週間ほどかかるコロラド準州。ビーバーを狩りに入った山で偶然に見つけた。山間に隠れた谷の下に広がる平地で、多分白人は誰も知らないが、四、五千頭はいるという。猟の方法は、猟師が一日がかりで仕留めたバッファローを一晩中かけて皮剥ぎ職人が皮を剥ぐ。キャンプ係はその間に料理したり、牛や馬の世話をしたりする。単調な作業の繰り返しだ。アンドリューズはシュナイダーという皮剥ぎ職人に教えてもらいながら皮剥ぎを手伝う。
三部構成で、一部と三部はブッチャーズ・クロッシング、第二部がバッファロー狩りの旅が舞台。第二部が小説の中心だが、刊行当時ウェスタン扱いされたこの小説は不評だったという。さもあらん。舞台こそ西部だが、これはその手のウェスタンとはちがう。終始一貫してバッファロー狩りだけを追う、ある意味、ノンフィクションのような味わいがある。無論、人物同士の葛藤や、猛威を奮う大自然との格闘があって、スリルやサスペンスに溢れていて、面白さは格別だ。
特にミラーという猟師の人物像が魅力的だ。誰にも頼らず、自分の足で好きなところに行き、好きなように生きる。それも大都会ではなく、道などない手つかずの大自然の中だ。携行する道具は最小限。狩りに使う弾丸も自分で金属を熔かし、火薬を詰めて作る。雪に降り込められたら、避難小屋も建て、猛吹雪の中で獲物の毛皮を細工して寝袋も作る。沈着冷静にして穏やかだが、一度これと決めたら譲らない頑固さもある。アメリカ人の理想のような男である。
ところが、至極頼りになるこの男が豹変する場面がある。バッファローの大群に一人で立ち向かう時だ。リーダーを殺されたバッファローは、うろたえ怯えるばかりでうまく逃げることもできない。その相手を、Y字型の木の枝を支えにして、狙いをつけては心臓か眉間の間を撃つ。銃が熱を持つと交換し、一日中撃ち続ける。これはもう、狩猟というよりただの大量虐殺である。必要十分な数の毛皮を得ても猟をやめて帰ろうとしないミラーにシュナイダーが噛みつくが、撃てる限りのバッファローを撃ち殺すまで、ミラーはやめない。
ふだんは頼りがいのある有能なリーダーなのに、銃を手にすると人が変わったようになる。相手が、自分たちと同じ「人間」ではないからだ。ミラーはその猟場のことを「遠い昔にインディアンが来たかもしれないが、人間(傍点二字)はまだだ」と発言している。つまり、彼の眼にはインディアンは「人間」として見えていないのだ。ならば、相手がインディアンだろうが、黒人だろうが、黄色人種だろうが、ミラーにとってはバッファローと変わらないのではないだろうか。
法が支配する町では出来ないことも、西部のフロンティアなら可能だ。力さえあれば土地も獲物も金も思い通り手に入れることができる。アメリカ人の頭からはこの考え方が抜けきらない。ヴェトナム戦争時代に書かれたというが、湾岸戦争でもイラク戦でも、現在のシリア情勢でも銃を手にしたアメリカという国の振る舞いにはミラーを思わせるところがある、と思うのはうがちすぎだろうか。
シュナイダーの忠告を聞こうともしないミラーは、そのために重大な判断ミスを犯す。雪が降りはじめるのだ。大量の毛皮を積んだ荷車を牽いて雪山を出ることは到底不可能。四人は人里を遠く離れた山中で雪が融ける春まで越冬しなければならなくなる。無論シュナイダーはミラーと険悪になるし、以前雪山で凍傷になり、片手を失ったキャンプ係は正気を失いかける。攻める時は果敢だが退き時を誤り、大きな被害を被る点もミラーはアメリカに似る。
大自然の中での経験が主人公の人間的な成長を描くことが主眼と思えるのだが、訳者あとがきで、エマソンの思想に触れて、訳者はアンドリューズが赴いたコロラドのような大自然はバックカントリーといい、エマソンのいうカントリーとは、都市の周辺に残る人間に管理されたフロントカントリーのことだという。自然に触れる中で本来の自分を見つけようとした若者が、触れるべきでない大自然に飛び込んでしまった結果、何を得て何を失ったのだろう。馬に乗って町を出る青年の遠ざかる背中を見つめ、そう思った。 -
なんという物語!
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1960年の作品で、1873年時代の話だけど、穴蔵から掘り出してきたような古くささは感じられない。舞台はアメリカで流行してきた水牛のコートの材料となるバッファローを狩るための入植地での話。大学に通う裕福な青年が単純に自然の大地を理解したい、そのためにそこで行われている狩に同行し、費用を出すという話。全然キャンプ用品などは開発されておらず、職人達の生きた知恵と経験のみで話は進んで行く。沢山屠る。沢山剥ぐ。荷物を運ぶ牛、馬頑張る。雪に囲まれて帰れなく一冬過ごす。最近山の話多いなあー。
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ストーナーのジョン・ウィリアムズの作品。
ストーナーでは大学という閉ざされた世界での人間の細かな営みをリアルに描き出した作者が選んだのは、大開拓時代のアメリカ西部。
その開拓の最前線の地ブッチャーズ・クロッシングに降り立ったのは、自分探しの旅に出た青年。
彼は地元のハンターと組んでバッファローの皮を狩る猟に出る。
初めて降り立った西部の地の乾いた埃だらけの大地。その地にへばりつくように暮らす人々。そして、猟場への過酷な旅、命懸けのバッファロー狩りなどすべての描写が生々しく、ぬらぬらとした血の感触まで伝えてくる。
バッファローの大群との出会いから、ブッチャーズ・クロッシングへの帰還まで、その描写は細かく生々しい。
そしてやってくる結末までのスピードある展開にページをめくる手を止められない。
ジョン・ウィリアムズ やはり侮りがたし。
とても面白かった。