- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861823558
作品紹介・あらすじ
「3・11」以降の思想的・運動的状況を総括して、議論なきまま「脱原発」に流れ行く風潮に異論を呈し、射程はるかな資本主義批判の視座を提示する、5人の論客による、過激にしてまっとうな討論。
感想・レビュー・書評
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原子力発電
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昨年夏以降、しばらくの間、私はとある理由からインターネットを断絶していたおかげで、実感として認識していることがある。それは、メディアの原発報道は完全に隠蔽的だった「わけではない」ということだ(とくに毎日新聞などは相当速い段階で原子力ムラの腐敗構造に切りこんでいた)。
しかし。インターネットを再開したおり、たとえばツイッターで脱原発を唱える人々の視界から、マスコミの存在は消え去っていたように思える。それには心の底から絶望的な気持ちになった。
あんたら何みてんの?何が目的なの?
ネット上で「わずか7000人弱」の人に向かって声高に唱える自己目的化してしまった主張――
一度信奉したことに対する盲目的追従と異なる意見に対する苛烈な排除――
同調者に対しては「排除を排除」することで得る連帯――
全ては批評性の欠落。
そこから一体何が得られんの??
この本は、5人の思想家が、原発について、時折脱線しつつ語っている。
個人的見解としては、まず、「原発」を前にして、思想家が語らねばならないということに対する「根本的な不可解さ」を感じた。実際、そうせざるを得ない存在である「原発」。そういう存在だからこそ、本質が捉え辛く議論が錯綜していくのだろう。
というか、錯綜してもいいんだと思う。大事なのは、思考すること。
そう。結局、この本の中で、思想家の皆さんが主張していることは「皆、ちゃんと自分で考えろ。答えなんかない。け・れ・ど・も、尚、考えろ!!!」ということだ。なにを今さら……と思う方もしれないが、上述の通り、現状は本当に絶望的な状況なのだ。
吉本隆明による原爆詩人栗原貞子批判――
「いったいこの人物は、いつ誰の許可を得て『広島長崎の30万人の死者』の代弁者の資格を獲得したのか。思いあがりや甘ったれもいい加減にしろ。お前がどんな代弁者か知らぬが、お前はお前しか代弁することはできやしない。そのことが〈文学〉の意味であり〈民衆〉ということの意味である」
まさしくそういうことなんだ。「自立した思考の集合としての民衆」が立ち上がらないことにはどうにもならないんだよ。だから、これは原発問題に限った話じゃない。あらゆることに当てはまるんだ。 -
「…出る杭は打たれまくり、日常の隅々までマニュアル化と形式化が格差や紛争を抑えこもうとし、そういった細やかな規則をめぐって、かえって無意味ないざこざが絶えないにもかかわらず、というかそれゆえにこそ、いざなんらかの非常事態に直面すると、とたんにフリーズしてしまうような社会。僕もつきつめて言えば、なんでこんなに窮屈な世の中になってしまったのかな、という嫌な感じが根本にあるのは事実です。でもね、だからこそ、そこからの出口は至るところにあると言いたいとも思う。」という王寺先生のご指摘がとても印象的。