まだ見ぬソール・ライター THE UNSEEN SAUL LEITER
- 青幻舎 (2022年8月26日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861528903
作品紹介・あらすじ
何の変哲も無いものを写して
そのなかに“特別な何か”を見つけるのが好きなのです
—ソール・ライター
アトリエに遺された未発表スライドから厳選
全世界同時刊行
青幻舎が、日本初の写真集『ソール・ライターのすべて』を刊行してから5年、本書は19刷を重ねるロングセラーとなり、欧米およびアジア圏の国で刊行されるという、アート本としては驚異的展開となりました。
『ソール・ライターのすべて』では、仕事としての「ファッション写真」、極めてプライベートなモノクロ「ヌード写真」、そして「ストリート・フォト」の3つの柱としてソールの全体像を伝えましたが、ソールの真骨頂はなんといっても「ストリート・フォト」といえるでしょう。
2013年、ソールは亡くなる直前、ギャラリストとして晩年深く親交したマーギット・アーブに自分の作品を託しました。その後、マーギットは夫であるマイケルとともにソール・ライター財団を設立。最大の優先課題として取り組んだのが、アトリエに無造作に遺されたままになっていた数万点に及ぶ膨大な数のカラースライドを、デジタル化する「スライド・プロジェクト」でした。剥き出しのままになっていたり、箱と中身が違っていたり、整理は難航を極めながらも財団スタッフと協力者の情熱に支えられ、約10年の歳月を経て、その成果として本書の刊行に結実しました。
青幻舎は、全貌を伝えた『ソール・ライターのすべて』に続き、未公開の「ストリート・フォト」を収録する『まだ見ぬソール・ライター』を上梓いたします。本書は、厳選された「ストリート・フォト」とともに、プロジェクトの経緯で発見された新事実をはじめソールの思考と技術の秘密に迫るエッセイ、アーカイブデータを収録しています。
ソールのこれまでの作品集で最大サイズ(A4変型)となる本書で、日常の景色を“一幅の絵画”に変えてしまう、ソールの色彩と構図の妙をご堪能いただけましたら幸いです。
本書は、世界6カ国語に翻訳され同時刊行されます。
*発売日は予定のため変更の可能性がございます。
感想・レビュー・書評
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レストランの窓から、部屋の窓から、舗道から見た道行く人々、あるいはバスに乗っている彼女彼ら少女。彼らは動いている。なので写真の人は線をひいている。表紙も雨の中、車をぬうように道を渡っている男。全編こんな感じだ。最初は、なんか動いてるなあ、というかんじだったが、何回か見直すと、覗いた彼らの息が空気に漂っている、という気がしてきた。
ソール・ライター(1923-2013) 巻末説明
ペンシルバニア州ピッツバーグ生まれ。10代で絵を描き写真を撮り始める。1946年にニューヨークに移り住み、絵を描くかたわら生計のために商業写真に力を入れる。「エスクアイア」「ハーパーズバザー」などの雑誌で活躍。売れっ子商業写真家の傍らストリート写真を撮り続けていた。そのほとんどが自分の住むマンハッタン・ダウンタウンで撮られていた。2006年、初の写真集「Early Color」が出版されると、1940年代後半にすでにカラー写真を極めていたその才能に広く注目が集まるようになった。
022.8.30初版 図書館詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『あなたが今手にしているこの本は、私とともにソール・ライター財団のディレクターを務める夫のマイケル・パリーロとともに進めている「スライド・プロジェクト」の成果といえる。このプロジェクトが正式にスタートしたのが2018年、そして作業は現在も続いている。ここで紹介する76枚のスライド写真は、私たちが1万枚のなかから選び抜いたものだが、それはソールのスライドアーカイブのごくごく一部であり「氷山の一角」でしかない。この76枚はいずれも未公開のもので、関係者のなかでも目にしたのはごく限られた人間だけである』―『ソールが遺したスライド/マーギット・アープ』
Bunkamura企画のソール・ライター展「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色」を観に行く。2017年に同じくBunkamura主催で開かれた写真展を基にした写真集は持っているものの、会場で様々なスタイルで投影・展示されたポジの色に魅了されて新たな写真集も手に入れる。写真展の記憶が蘇る。ただし、やはり投影されたポジの魅力は紙に印刷された写真では伝え切れないことも再認識。ソール・ライター財団のホームページでデジタル化されたものを見るだけでも良かったか、と一瞬思うが、手元に写真集があるということの心地よさをよしとする。
『こうして、ソール・ライター財団のデータベースに新しい画像がどんどん蓄積されていくにつれ、私は再び大きな夢を見るようになった。そう、写真集の刊行である。しかしながら、私たちは新たな懸念に直面した。ソール不在で彼の作品を編集するということは、超えてはいけない「一線」を超える行為ではないかと。写真家の死後、他者が作品を編集することについて交わされる議論に、私自身も長年強い関心をもっていた。たとえば、ゲイリー・ウィノグランドやヴィヴィアン・マイヤーなどは、その死後に写真集の編集が行われている。ソールはこのことを望むだろうか?』―『ソールが遺したスライド/マーギット・アープ』
薄々感づいてはいたけれど、やはりソール・ライターを思う時、ヴィヴィアン・マイヤーのことはどこか頭の片隅にあったのだ。二人の写真は、特に白黒の写真に写し撮られている「日常」の中に潜む「不穏さ」は、よく似ている。もちろん、ソール・ライターと言えば「カラー」な訳だけれど、モノクロの世界に投射された写真家の不安のようなものも、また、観るものを惹きつける。
ヴィヴィアン・マイヤーとの比較をするなら、ソール・ライターは経済的に不遇な時代が長かったとは言え商業写真家としても一応認識され、晩年は稀有な芸術家としてその作品と共に生き方も注目されるに至ったのに対し、ヴィヴィアン・マイヤーはと言えばその生涯は家政婦以上でも以下でもないまま過ぎ去った。もちろん、共に膨大な写真(ヴィヴィアン・マイヤーの紙媒体の収集癖には、それはそれで何処となく不世出の何者かたらんとした性格を示しているように思わせるが)を残し、それを丁寧に拾い上げた人が居たというという点において、その物語性はよくある貧乏芸術家のステロタイプのような話だけれど、そのお陰で彼らが見ていた日常に潜む尋常ならざるものが時を経て鮮明になる。そのことをソール・ライターが講演会で語っていたというのが実に象徴的だと思うけれど、時を経て残るのは「事実」だけではなく「写し撮られたものに人々(それを作った人、選んだ人、そして写した人)が込めた意思(あるいは念)」のようなものであるように思えて仕方がないのだった。あるいはヴィヴィアン・マイヤーもまた語らぬままに同じようなことを考えていたのだろうか。
『古い車、ミッドセンチュリーなファッション、そして褪せた色合いが、明らかに過ぎ去った時代を物語る一方で、どの時代も感じさせない、むしろ近未来的な、ソール・ライターならではの世界観が表現されている。「当然のことながら、私たちを取り巻くすべてのものは時間が経つにつれ、まるで遥か遠くのもののようにエキゾチックに思えてくるものです」と、ライターが2002年のユダヤ博物館での講演会で語っていたのを思い出す。「ある意味、時間は写真家の味方なのです」』―『人生における大切な要素/マイケル・パリーロ』
もちろん、時間は写真家だけではなく、多くの人にとっても味方であるとは思うけれど。 -
大学の写真の授業を思い出すような。
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2023年の展覧会へ行く前に購入。
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ページをめくって行ったり来たり。
新しい発見が何度でも。 -
ソールライターが有名になったのは、ここ10年くらいではないか。
今は美術館と博物館が一体化され伊丹市ミュージアムとなったが、その前は伊丹市美術館だった。
ここで三沢厚彦も知ったし、ソールライターも知った。
ソールライターは多分独自のストリートフォトの世界観が多くの人の共感を得たのだろう。
95ページの写真が目をひいた。
題名 ママがいい!
いやNO TITLEだった。
部屋から見た雨の街並み、雪の街並み。
ソールライターの真骨頂だ。
よく出てきたね。
全部コダクロームだって。
ではリクエスト曲。
Paul Simon のKodachrome