記憶の小瓶

著者 :
  • クレヨンハウス
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本棚登録 : 162
感想 : 22
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  • Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784861010231

感想・レビュー・書評

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  • こんなに楽しかった本は久々。ひとつひとつ、子どもの頃の記憶からやわらかい毛糸でくすくす笑ってしまいながら編み出された、みたいな短編集(ときどき大人をちくりと刺す部分もあってドキッとする)。読んでいると自分の意思とは関係なく自分の子どもの頃の記憶も呼び戻される。万華鏡みたいにつぎつぎと現れては消えていく記憶、ときどき思い出してあげないとなかったことになってしまいそうで全てをいつも覚えていたいのに、私はまた忘れてしまう。だからこそふとしたときに何度も読み返したいなと思った。

  • なんたって「ドブに落ちたこと」が一番面白いのだが、「陽だまりのうんざり」に始まる幼稚園、小学校の気だるい思い出も読み応えがある。読み応えありすぎて、なんだか悲しくなるぐらい。
    高楼さんに共感したり感心したりしながら、未だに成熟していない自分に気づかされる。
    そのために日々起こる、泣きたくなるような出来事のたびに、このエッセイを思い出して少し救われるのだ。
    例えば私は、幼稚園児が大声を合わせる類のお遊戯会や挨拶が大嫌いだが、そこには高楼さんが味わった「うんざり」によく似た悲しい記憶があるからかもしれない。
    幼稚園や小学校で味わったぽつねんとした退屈さや情けなさは、この「みんなで声を合わせて」に象徴される数多のデリカシーのなさに起因する、気がする。
    そういえば小沢健二さんが幼稚園での合唱に発狂してそのまま幼稚園をやめたというエピソードがあるが、そりゃそうだよなあ。

  • 大好きな児童文学作家さんのエッセイ。1才半くらいの記憶って、誰に話してもわかってもらえなかったりしたのですが、ここでさらっと語ってあって、とても嬉しかったです。

  •  ああ、楽しかった。子どもあるある、という感じのエピソードがたくさんあって、何度も声を出して笑ってしまった。

     そして、確かに自分の記憶も蘇ってきた。
     子どもなりに理由があったのに、大人にはわかってもらえず、しかもそれをきちんと言葉で説明する力がないために、悔しい思いをしたこと。
     よかれと思ってしたことが、とんでもない結果を産んでしまったこと。

     これを読んでいる間、タイムマシンに乗ったような気分だった。

  • こどもの本を書く資質のある人は、子供時代のことを覚えている人・・・というようなことを言ったのは誰だったか。高楼さんはまさにそういう人でした。
    おもに3歳から8歳まで、官舎で暮らした日々の中から記憶にのぼったエピソードを紹介しているのだけれど、よくこんなことを覚えているものだとびっくり。
    そこには他の子が大笑いすることでも、自分は身の毛がよだつほど嫌なことだったことや、教室に貼ってある絵や作文の詳しい内容を覚えていたり、そうじゃないんだ!とやきもきすることだったりする。
    ・・・まてよ、こんなに仔細に覚えていられるものか、じつは創作ではないのかと、疑ってみました。でも、あとがきに1歳の情景まで書いてあって、恐れ入って疑うのをやめました。子供の時の記憶がこんなにも鮮明なひとがいるのです!そこはかとないユーモアは、絵本や児童文学の作風のまま、上質なエッセイになっていました。もっと大人に読まれてもいいのにな。
    作者は、これを読んだひとが、自分の幼年時代の記憶を呼び覚ましてくれたら、といいます。そういわれれば、読んでいると自分の記憶も(私の場合はまるで切れ切れですが)よみがえってきます。ふと、そういう時間はこれからの人生の中で、大切になるのかもしれないと思いました。

  • 2012/07/21 若気の至りが目白押し。

  • 高楼方子さんといえば、「へんてこもり」シリーズ「まあちゃんのながいかみ」というイメージで、なんとなく可愛らしいおばあちゃんに近い方だと想像していた。
    ところが、講演会に行って、方子さんのかわいらしさにびっくりした。
    そして、なるほど、この可愛らしい方から、これらのお話が生まれてきたんだなと思った。
    まあ、そういうわけで、私が持っているこの本は、サイン本である。なんて、どうでもいいことだけど。

    この本を読んでいると、方子さんの狙い通りに、自分の幼い頃のことがじんわりと思い出される。
    相撲をとっていたつもりが、砂の投げ合いになったこと、紫陽花の間からカタツムリを探したことなど。
    そして、方子さんのいろんな感じ方と、方子さんの作品がどこか繋がった気がする。

  • 大好きな高楼さんの子ども時代のエッセイ。
    2歳の時の記憶や1歳の時の記憶が断片的でも残っているのがすごいです。
    高楼さんの不思議作品はこのような子ども時代のエッセンスがちりばめられてるのかなあって思います。
    それにしても、1年生の時の担任っていやなやつ!って思いました。

  • 人の幼年期の記憶っていろいろなんですね。もう少しほっこりするのかと思いましたが、意外でした。

  • じわじわっときます。

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著者プロフィール

高楼方子 函館市生まれ。絵本に『まあちゃんのながいかみ』(福音館書店)「つんつくせんせい」シリーズ(フレーベル館)など。幼年童話に『みどりいろのたね』(福音館書店)、低・中学年向きの作品に、『ねこが見た話』『おーばあちゃんはきらきら』(以上福音館書店)『紳士とオバケ氏』(フレーベル館)『ルゥルゥおはなしして』(岩波書店)「へんてこもり」シリーズ(偕成社)など。高学年向きの作品に『時計坂の家』『十一月の扉』『ココの詩』『緑の模様画』(以上福音館書店)『リリコは眠れない』(あかね書房)『街角には物語が.....』(偕成社)など。翻訳に『小公女』(福音館書店)、エッセイに『記憶の小瓶』(クレヨンハウス)『老嬢物語』(偕成社)がある。『いたずらおばあさん』(フレーベル館)で路傍の石幼少年文学賞、『キロコちゃんとみどりのくつ』(あかね書房)で児童福祉文化賞、『十一月の扉』『おともださにナリマ小』(フレーベル館)で産経児童出版文化賞、『わたしたちの帽子』(フレーベル館)で赤い鳥文学賞・小学館児童出版文化賞を受賞。札幌市在住。

「2021年 『黄色い夏の日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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