才女の運命 男たちの名声の陰で

  • フィルムアート社
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784845919307

作品紹介・あらすじ

トルストイ、シューマン、ロダン、アインシュタイン、フィッツジェラルド……

歴史に名を残した男たちの傍らで、才能に溢れた女性たちが過ごした波乱の生涯、苦悩の日々。



かつて女性は就くことのできる職業も限られ、チャンスを与えられず、正当な評価を受けることもできない……そのような時代が長らく続きました。「偉人」と呼ばれ、後世に名を残した多くの人々が男性であることからも、それを伺うことは容易です。そしてそのような風潮は現代においても、全てが覆されたとは言えません。

本書で紡がれるのは歴史に名を残す「偉人」のパートナーとして翻弄されながら、それでもなお自らの創造性を発揮しようとした女性たちの物語です。

彼女たちはそれぞれの分野で特異な才能の持ち主でしたが、家庭に入ることで夫や子どもの身の回りの世話に忙殺され、社会的な規範に押し込められ、あるいはパートナーの身勝手さに振り回されることで、自身の夢から閉ざされることを余儀なくされます。

ジェンダーの問題が社会全体の課題として強く認識されるようになった今日でも、同じような状況はあらゆるところに存在しているはずです。25年ぶりの復刊となった本書は、そのような状況に屈することをよしとしなかった気高き女性たちの孤独な闘いと魂の記録を通じ、人がその性差に束縛されず個人として生きることの価値、そしてそれを守ることの義務を問い直す一冊です。


【本書で取り上げる“才女”たち】
◎レフ・トルストイの妻 ソフィア(文学者)
◎カール・マルクスの妻 イェニー(政治活動家)
◎ロベルト・シューマンの妻 クララ(作曲家・演奏家)
◎オーギュスト・ロダンの愛人、ポール・クローデルの姉 カミーユ(彫刻家)
◎アルベルト・アインシュタインの最初の妻 ミレヴァ(物理学者)
◎ライナー・マリア・リルケの妻 クララ(彫刻家)
◎ロヴィス・コリントの妻 シャルロッテ(画家)
◎オットー・ヒンツェの妻 ヘートヴィヒ(歴史学者)
◎カール・バルトの妻 シャルロッテ(神学者)
◎スコット・フィッツジェラルドの妻 ゼルダ(小説家)


「『ミューズ』の美名のもとに、男性から社会的・創造的搾取を受けてきた女性たちを呪縛から解き放つ名著、待望の復刊!」
鴻巣友季子さん推薦!


 有名な男性の陰でずっと生きてこられて、どんなお気持ちですか。エレーヌ・ド・コーニングはあるときそんなふうに尋ねられた。一九三三年から一九八六年に癌で世を去るまでの五十年間、戦後アメリカでもっとも重要な画家の一人となったヴィルヘルム・ド・コーニングとの間に別離と再会をくりかえし、波乱に富んだ結婚生活を送ってきた女性画家は、その質問に対してそっけなくこう答えた。

 「わたしは彼の陰にいるのではなく、彼の光のなかに立っているのです。」

 有名な男性とともに生きてきた多くの女性たちは、エレーヌ・ド・コーニングと同じように考えてきたのだろう。彼女たちは夫の名声が発する光を浴び、その光が自分の上にもふりかかるのを楽しんできたのかもしれない。

 この本で取り上げた女性たちも、夫(や愛人)の名声をいくらかは楽しんだだろうし、なかには有名だったからこそその人を夫に選んだ、という女性もいる。しかし、彼女たちはすべて、多かれ少なかれ、最終的には光ではなく、夫の陰に生きなければならないという辛い体験をした。光があるところには必然的に陰が生じるものだし、この陰は結局妻たちの上に投げかけられる。たいていは彼女たちがまだ生きているうちに、そうでなくても死んでから、男性の天才にばかり興味を示し、女性などはさっさと忘れてしまう後世の人々によって。

(中略)

才能ある女性はどこにでもいるものだ。だからこそ、この本が日本でも読者を見いだしてくれるように願う。

(「日本語版への前書き」より一部抜粋)

感想・レビュー・書評

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  •  カミーユ・クローデル、クララ・シューマン、ゼルダ・フィッツジェラルド……! この顔触れを見ただけで、ハッとする人もいるでしょう。
     そう、この一冊には、夫や恋人に勝るとも劣らぬ天与の才を秘めながらも、抑圧と葛藤のなかに生きるしかなかった暗黒星が集っているのです★
     前々から興味をそそる女性ぞろいであり、その生きかた(死にかた?)をまとめ上げた一冊に、渇えを満たされました。

     この本に集合した女性たちは、世界を唸らせた天才のかたわらにいた。それでいて、もしもそのまま自分自身を解き放っていれば、愛する男性を凌駕した可能性が高いのです。
     それが、最近まで続いてしまった(今日でさえ解決したとは思えない……)男性中心主義社会に、ある意味で敗北せざるを得なかった。父親の洗脳から抜け切れなかったり、夫の陰に回ることを選んでしまったり、愛と芸術、生活と芸術の間で引き裂かれたりして。
     またこういう時、芸術家気質の女性ほど、男性をさしおいて自分が主役に躍り出たいとは望まないことも。そこら辺で蜘蛛の巣に絡み取られて、もがいていたような女性もいます。

     その結果、メンタルヘルスを病んでしまった人がやけに多い……☆ そういえば、私は10代のころ、時代に適応するよりも狂える天才が好きだったのでした(?!?!?)。
     それがいいこととは言えないのだけれども……、ここで女性解放運動に向かう人(もちろん必要な気運なのだけれども)より、苦しみながらも自身の心の宇宙を見つめていた女性に、より強く感銘を受けてしまったりもします★
     しかし恨みますね。彼女たちが創作的に生きる権利が守られなかった時代を。素晴らしい作品が遺るチャンスが、たびたび潰された時流をーー

       ★

     この頃に比べたら、現代は少しはましになったのだなぁと感じます。
     世の中全体としては、美術も音楽も文学も、女性の躍進に眉をしかめる人はないですよね? 既婚女性だから活躍してはいけないということもないでしょう。
     一方で、身近な男性が嫉妬する問題のほうが、意外となくなっていない気はします。身内が、自分より活躍してほしくなかったり、応援してくれなかったり、「家のことを優先して、その上でやってほしい」と条件をつけたり等々……。
     その辺で女性が活動制限との戦いに摩耗しているということのほうが、根が深いかもしれないです★ おっと。話がずれていくようだ。

  • 大学時代、「青年期の病理」という講座で、「芸術的才能がある人から芸術を取り上げるとやばい。病気になる」と聞きました。
    この本に出てくる女性たちの多くが病に向かっていったこと、その事実に切ないものを感じました。

  • 金のある家に生まれて父親に愛され才能にも恵まれたとしても、女、というただそれだけのことで尊厳は奪われ男の肥やしにされたり心身を潰されたりしてしまうのだ、という救いのない話。そのような女の影を無視して男どもは男を讃え続ける。厭世が増す。しかし教育機会や選挙権の歴史を考えれば女の人権の歴史はやっと始まったばかりだ。ただ私は女はこれからだと期待をするよりは、人類はさっさと滅びるべきではないかと思ってしまう。人類はこれまでの犠牲を考えればあまりにも学習ができない動物だからである。

    私は、私は恵まれない家庭で育ったけれども努力して仕事を持ち家庭を持つのだとずっと頑張ってきたけれど、結局は金も家族も得られずに死ぬことになりそうである。私なんかが納得できる仕事をして愛する家族を持ちたいなんて到底無理な話だったのだなあ…とうんざりする気持ちが深まる。

    「自分自身の役割を内省し、男性たちとの関係のなかで自分自身のアイデンティティの獲得のために闘い、自己表現の方法を求め、男性優位のヒエラルキーに基づいた関係を拒否し、パートナーとの「対等」な人生をめざした」当然のことのようだがこれを達成できるのはいまだ奇跡の女である。

  •  本書はソフィヤ・トルストヤ、イェニー・マルクスなど著名な夫やパートナーを持った10人の女性の生涯を取りあげ、女性達が才能豊かであったが故の不協和音や葛藤を、フェミニストの視点で捉えています。
     このうちの1人、ゼルダ・フィッツジェラルドは、夫スコットと互いを傷つけ合い、精神を崩壊させながら凄絶な人生を過ごし、また1人ミレヴァ・アインシュタインも失望と貧困の中に後半生を送りました。ここには、女性達それぞれの苦悩の物語
    があります。
     表紙は、室内画を多く描いたハンマースホイの作品です。北欧の著名な画家の静謐な世界と、フェミニズムとは必ずしも一致しませんが、題名は、「画家の妻のいる室内、コペンハーゲン、ストランゲーゼ30番地」この女性もまた本書に綴られた一人と
    言えるでしょう。

    京都外国語大学付属図書館所蔵情報
    資料ID:642918 請求記号:280.4||Ste

  • 「男たちの名声の陰で」の副題通り、豊かな才能や野心を抱きながら、その仕事すべてが有名な夫または愛人のものになってしまった女性たちの生きようを記した一冊。読んでいて何度も腹が立ち、やるせなくなり、家父長制くたばれと悪態をついた。いっそグウィンの短篇小説ーー男は城に閉じ込めて身体ゲームに興じさせ、優位に立っているかに思わせ、受精の時だけ女に買われる。そのじつ研究などの分野はなべて女のものであるーーのごとくになってしまえと呪いそうにもなった。これは現在もいちぶを除いて女性に降り掛かりつづけているできごとなのだから! ……けれどまちがいなく「女性」である我が身を振り返って、たれかの助けが必要なのは自分も変わらない、加害者になりうることもあるのだとため息をついた。男も女もなく、互いが互いの共生相手として、認め尊重しあって高め合える、そんなモデルはないのだろうか?
    しかしもう一度言ってしまうが、家父長制くたばれ案件ではある。それを許しながら女性に「輝け」という政府の罪も重いだろう。

  • 最近、ワシリー・カンディンスキーの愛人、ガブリエレ・ミュンターについて知ったが、完全に『才女の運命』案件だった。カンディンスキーはミュンターから影響を受けた時期さえあったが、長年の愛人関係の末、カンディンスキーは国外移動後すぐに他の女性と結婚してミュンターとの関係を切っている。この本を読んだ後だったので、これも才能ある女性が搾取され、捨てられて、才能を吹き返すことなく次世代にその才能を残すこともできないという一例であり、何ら特殊な事例ではないということが分かった。
    歴史に名を残す男性が多くいる一方で、傍で埋められてきた女性がたくさんいることを認識し、少なくとも実績が残っている女性については再評価の流れができているのは良いことだ…

  • 偉人の陰にさらなる能力を持つ女性あり。

  • 才能のある女性ほど生きにくかった時代の話。


    女性を差別する社会制度の上で成り立つ道徳や倫理があり、色んな夫婦がいるとはいえ、夫婦間の関係もそれに大なり小なり影響される。


    日本語版前書きにあるウィレム・デ・クーニングの妻、エレイン・デ・クーニングの「私は彼の影にいるのではなく、彼の光の中に立っているのです。」という言葉が印象的。

  • 伝記が出ているレベルの偉人の裏にいた、才女たちの生涯を静かな筆致で描いた本。まず、”偉人”になっている男性(ドストエフスキー、マルクス、アインシュタイン・・・)の方は知っていたが、その妻、また妻やその他女性とどう接していたかに関しては全く知らなったことに気付かされた。才気あふれる彼女たちの記録(日記、手紙など)は少ないが、著者の調査によってあぶりだされた才女たちの人生は、あくまで”偉人”たる男性を支えるサポーター役に収まらせようとする圧力によって潰されてしまっていた。また多産によって気力が吸い取られているケースも多い。
    このあたりの描写は、なぜか結婚すると「主人と奥さん」という言葉で描写されるようになったり、経口避妊薬が今だ承認されない現代日本と無縁ではないと思う。

    女性を吸血鬼のように吸い取って犠牲にしないと作れない男の作品やアート、業績をどう受け止めたらいいのだろうか?ロダンのブロンズ像は素晴らしいけれど、その像はカミーユ・クローデルを「活用して」作られたのだということも記しておかなければいけない。

  • 【推薦コメント】
    自分が読んでみてとても興味深かったし、男性の栄光の陰でそれを支える女性がどのような思いをしていたかがよくわかるから。
    (人間社会システム科学研究科 D3)

    【所蔵館】
    総合図書館中百舌鳥

    大阪府立大学図書館OPACへ↓
    https://opac.osakafu-u.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2000940754

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