- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784845917068
作品紹介・あらすじ
第二次世界大戦中のアメリカで、強制退去によって追われた日系人の一家。
彼らはユタ州の砂漠にある収容所に送られる。家族それぞれの視点から語られる、有刺鉄線の内側で過ごす日々……。
オオツカの長編デビュー作、待望の新訳。
「かつて、「日本人」であるというだけで、囚われたひとたちがいる。ひどいめにあわされたひとたちがいる。かれらの普通の日々を狂わせたのは、「神」だった」
――温又柔(小説家)
「歴史のけたたましい音の下でひっそりと息を殺していた、名もなき声の数々が、物語のなかでこだまする。不穏で、残酷で、そして美しい言葉が」
――藤井光(アメリカ文学研究者)
【内容紹介】
カルフォルニア州バークレーで暮らす日系アメリカ人家族に突然訪れた不幸。
パール・ハーバーの夜、父親が尋問のためFBIに連行された。
そして翌1942年春のある晴れた日、街のいたるところにあの告知が現れた。「強制退去命令十九号」。
残された母親とその子ども二人が、込み合う列車に乗り込み、たどり着いたのは、ユタの埃っぽい砂漠の有刺鉄線で囲われたバラックの町だった…。
「天皇が神だった」あの時代、名もなき家族の人生が深く、大きくゆさぶられる…。
『屋根裏の仏さま』でPEN/フォークナー賞を受賞した、ジュリー・オオツカのデビュー作が小竹由美子の新訳で復刊。
感想・レビュー・書評
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第1章で印象的な場面があった。収容所に行くため、母親が手際よく荷造りする一連の流れのように、飼い犬を自らの手で処分したのだ(直前にごはんを与えて、事に及んだ後土葬した)。
確かに、置き去りにされたショックを抱えたまま餓死させる方が残酷だ。母親の判断力と躊躇せずやり遂げる行動力。それだけ切羽詰まった状況だったのだろう。頭では理解できるが猫と暮らす身としてはきつかった。
父親が子供らに宛てた手紙に「折れてしまうよりは曲がるほうがいい」と諭す一節があった。
彼はこの言葉を自身にも言い聞かせていたに違いない。家族との再会を唯一の希望としていた、とても子煩悩な人だったのに、やっと念願が叶った頃にはまるで別人のようになっていた。心身共に損傷を受け、すっかり心が折れてしまったのだ。
淡々と感情を排して書かれているのは、感情に溺れる事なく事実のみを伝えたいという著者の強い意志の表れではないだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
3.82/67
『第二次世界大戦中のアメリカで、強制退去によって追われた日系人の一家。
彼らはユタ州の砂漠にある収容所に送られる。家族それぞれの視点から語られる、有刺鉄線の内側で過ごす日々……。
オオツカの長編デビュー作、待望の新訳。
「かつて、「日本人」であるというだけで、囚われたひとたちがいる。かれらの普通の日々を狂わせたのは、「神」だった。」
――温又柔(小説家)
「歴史のけたたましい音の下でひっそりと息を殺していた、名もなき声の数々が、物語のなかでこだまする。不穏で、残酷で、そして美しい言葉が」
――藤井光(アメリカ文学研究者)
【内容紹介】
カリフォルニア州バークレーで暮らす日系アメリカ人家族に突然訪れた不幸。
パール・ハーバーの夜、父親が尋問のためFBIに連行された。
そして翌1942年春のある晴れた日、街のいたるところにあの告知が現れた。「強制退去命令十九号」。
残された母親とその子ども二人が、込み合う列車に乗り込み、たどり着いたのは、ユタの埃っぽい砂漠の有刺鉄線で囲われたバラックの町だった…。
「天皇が神だった」あの時代、名もなき家族の人生が深く、大きくゆさぶられる…。
『屋根裏の仏さま』でPEN/フォークナー賞を受賞した、ジュリー・オオツカのデビュー作が小竹由美子の新訳で復刊。』
(「フィルムアート社」サイトより)
原書名:『When the Emperor Was Divine』
著者:ジュリー・オオツカ (Julie Otsuka)
訳者:小竹由美子
出版社 : フィルムアート社
単行本 : 192ページ -
日系アメリカ人著者の処女作。
原題は"When the Emperor was Divine"。「天皇が神聖であった」頃、つまりは第二次世界大戦の頃、敵性外国人と見なされ、強制収容所に送られた人々の物語である。
主人公一家の名前は明らかでない。
母親と姉弟は、「女」「女の子」「男の子」と呼ばれる。
一家は海の近く、カリフォルニア州に住んでいる。比較的裕福で、近所の人々とも親しく付き合っていた。
だが、その暮らしは戦争がはじまると暗転する。
父親は真珠湾攻撃の後、スパイと見なされ、どこかへ連れ去られていった。
空気は徐々に不穏になり、ついに一家にも強制退去命令が出る。
家を出て、ユタ州の砂漠の収容所へと向かうのだ。
物語は、退去の直前から、戦後、一家が家に戻るまでを綴る。
語りは三人称だが、視点は移り変わる。
退去前は「母」、列車の移動は「姉」、収容所生活、そして家に戻ってからは「弟」。
それぞれの見たこと、考えたことが綴られていく。
そこから浮彫になっていくのは、大きなものに蹂躙される人々の姿だ。
退去の準備をする母は一張羅を着て最後の買い物に出かける。粘着テープや紐はともかく、シャベルや金槌まで吟味する(実はこれには理由があるのだが)。ペットは連れていけないのでそれぞれの身の振り方を考える。
女の子はそろそろ反抗期。異性への興味も出てきている頃。豊かな暮らしが懐かしい。戦争が始まって、いろんなことが変わってしまった。
男の子は8歳。最後に見た父は、バスローブと室内履きのまま、帽子もかぶらず連行されていった。面影も忘れそうだ。収容所暮らしの中で、学校の友達はどうしているかと思うが、手紙をくれるのは1人だけだった。戻ってきても、かつての友達は皆よそよそしい。自分が収容所にいたことなどなかったかのようだ。自分など存在しなかったかのようだ。
一家の裏庭でかつて咲き誇っていた赤いバラ。そのバラはどこに行ってしまったのだろうか。
ある特定の一家を描いているようでいて、これは同じ経験をした多くの家族の物語である。主人公たちの匿名性がそれを際立たせる。
長らく不在だった父が、最後に戻ってくる。
最終章は「父」の語りである。
わずか6ページの「告白」と題された章は、悲鳴である。大きなものに手ひどく痛めつけられた人の、いや人々の。
彼らが受けた理不尽な仕打ち、抗えぬことの苦しみ、絶望。
それらがこの短い章に集約される。
彼らのいったいどれほどが本当に天皇を神だと思っていたのだろうか。
これは、「天皇は神だ」と彼らが思っていると、別の誰かが思っていたころの物語である。 -
『屋根裏の仏さま』への萌芽が。
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真珠湾攻撃の後、アメリカに住む日系人は砂漠の中の強制収容所へ送られ、終戦まで不自由な暮らしを強いられた。
父は当局に連行され、母子で収容所へ移動する。母、娘、息子の目線で、静かなタッチで語られるその暮らしはあまりにも過酷。生きる力を日々失われていく様子がうかがえる。
戦前は一軒家で裕福な暮らしをしていた日系人家族の人生を一変させた母国の攻撃。アメリカ人として暮らしていた彼らなのに、何の罪もないのに、日本人というだけで虐げられ、戦後、収容所から我が家へ戻ってきた後も差別に苦しむ。
戦争の被害は原爆や空襲だけではない。国籍による差別。それは今の時代にも続いている。心の受けた被害(傷)はどうすれば回復するの?答えを出すのは難しいだろう。。。 -
2019.03.04 図書館
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第二次世界大戦中、住んでいる町から強制退去させられ、収容所に入れられていた日系アメリカ人たちの物語。
戦争が終わり、自宅に戻ってからのほうが深い地獄。
淡々とした筆致が怖い。