「あまのじゃく」に考える: 時流に流されず、群れをつくらず、本質を見失わず (単行本)

著者 :
  • 三笠書房
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感想 : 15
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784837925866

作品紹介・あらすじ

「声の大きい人」にだまされてはいけない。
みんなが「正しい」と言うことは、一度疑ってみる――
ひねくれ者でも、嫌われ者でもない、
“知的なあまのじゃく”こそが、今一番必要な人たちだ。

言葉で「考え方ひとつ」というのは簡単だが、
実際にはどう考えればよいのか。
そもそも考えるとは何か。
「これからの生き方を、どう思考するか」のヒントを示す。

◎今、ぼくたちに必要なのは「問いを立てる力」
◎「こうすれば、ああなる思考」から離れる
◎身のまわりに「アンダーライン」を引き続けよう
◎自分の頭で「誰も考えたことのないようなこと」を考えるには
◎“自虐”は高度な頭の使い方である
◎自分の“限界”を知ることでわかること
◎満ち足りている人、いつも欠落を抱えている人
◎一人の“職人”として働く
◎ぼくたちが本当に考えていくべき「生存戦略」とは ……etc.

感想・レビュー・書評

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  •  「目的志向」、長い間席巻しています。役にたたないことはしない。目的に向かって最短距離をと。損得勘定の社会はもう行き過ぎ。「目的志向」の対極にある思考法が。英語では、Something for Nothing  何かのためではない大切なこと。目に見えない価値の中に大切なものがある。例えば、自分の家の軒下の雪をかいたついでに、お隣の雪もかく。(自分の利益にはならないけど)そう言えば、愛情、信頼、尊敬、家族、友人、健康・・・、幸福につながるものには値札がない!平川克美「あまのじゃくに考える」、2015.5発行。

  • P65
    「考える」という営みは、
    既存の社会が認める価値の前提や枠組みじたいを
    疑うという点において、
    本質的に反時代的・反社会的行為です。
    「徹底的に考える」という営為において
    自分が社会的な「異物」だということを
    選び取った存在だということです。
    どうか「徹底的に考える」という営みを
    これからも続けてください。
    そして同時代との齟齬を大切にしてください

  • この平川克美という人の書くことは、わたしの胸に感覚的にストンと落ちてくるのである。

    世の中の真実を知りたいという思いから、わたしはいろいろな本を読んできた。小説、ビジネス書、経済理論書、ハウツーもの・・・。なるほどと思う本はいくつかあったけど、平川克美の本がいちばん納得感がある。

    平川克美の論は、理屈としても情緒的にも実に分かりやすいのである。書いてあることの一部を紹介しよう。

    〔いま求められる政策〕
    今後の日本は大幅な人口減少が待ち受けている。人口減少すれば経済成長ではなく経済縮小の時代となるのは間違いのないこと。だから経済政策は"経済成長のための政策"ではなく"経済縮小に見合った政策"というのが必要になってくる。

    〔会社のありかた〕
    会社というのはある意味で究極の思考停止の場。そこの究極の目標は利潤の追求ということであり、逆に思考停止できない社員というのはお荷物なのである。だけど人間は短期には駒という役割を演じることはできても、長期には駒であり続けることはできない。社員を駒だけとしか見ない組織は長い目でみれば衰弱していく。

    〔個人の共同体に対する折り合いについて〕
    人の思考や行動を決定するのは共同幻想による価値観。この価値観から人は逃れようがなく、我々は共同幻想が支配する世界とどうやって折り合いをつけていくかが問題である。

    どうです、なかなか納得感があると思いませんか。

    【このひと言】
    〇会社というのはある意味で究極の思考停止の場

  • 自分の頭で「考えること」を、導いてくれる本だと思います。▼言葉というものは両義的、反対の意味を持っている。人間の存在そのものが両義的であるから。/「こうすれば、ああなる思考」(養老孟司)というリニア的思考に人生は従わない。/「考える」とは反時代的、反社会的な行為である(立教大学総長吉岡知也)。/一つの幻想の中では、個人はその幻想が有する価値観から逃れることはできない(吉本隆明『共同幻想論』)。/人間は自分で考えるほど自分のために生きているのではない。/もともと人間というのは、悪さと良さ、邪悪なものと聖なるものを両方同時に、己の内側に棲まわせていると考えるべきでしょう。/大人の言うのは正しさが自分の行動規範ではないんです。大人とは「嘘を自分で引き受けられる人」。「つらい大人」の姿をみること。/袖振り合うも他生の縁:人間は自分たちがよく知らない法則によって生かされている。/知性とは知識で武装することではなくて、その反対に武装解除したときに発揮される。

  • インプットに対して、予想していたアウトプットが出ない。予想外のアウトプットが出るというのが人間の一つの特徴…
    自分で考えるというのは、誰も考えたことのないことを考えることではなく、どんな些細なことであっても、誰も考えたことのないようなやり方で考えるということ…

  • 当たり前のことを考えるんだ。

  • 世の中をナナメから眺めて「不都合な真実」を書き散らしている本。文章が上手くて毒舌の舌鋒も鋭く、私の大好きな内田樹氏は大絶賛している。私自身も読んでいるときは面白く感じたけど、後になると何が書いてあったか思い出せない…。読んだだけで何も残らない刹那的なエンタテインメントって感じなのだろうか。

  • 平川さんの最近の考えを凝縮したような本。タイトル、装丁、ともにいい。いろんなことに対して見方を変える、ということは言い古された表現のように思えるけど、平川さんの言う「あまのじゃく」という生き方は、もっと洗練されている。

  • 肩の力が抜けるエッセー(だと思っている)

    固定観念に縛られているなと痛感しました。

    あまのじゃく、とは単に右向け右に対して左を向くことではなく「右向け右!なぜそうしなければならないのだろうか?」のように(←これは私の解釈ですが)根源的なことを考えること。

    そんなものの見方、スタンスで生きていくこと。

    シーシェパードの唱える正義とは?
    正義ほどやっかいなものはない。
    企業の成長は社会(世間)に迎合しているのだろうか、果たして怪しいのである…など。

  • 大学での学びには事前に到達目標があるものではない。自分が何を学んだのかということは学んでいるときにはよくわからない。わかるのは、自分が何を知らないのかということ。自分が知らないことに、次から次へとで夏という経験がある。こういう経験は学びにしかない。

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著者プロフィール

1950年、東京・蒲田生まれ。文筆家、「隣町珈琲」店主。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立。1999年、シリコンバレーのBusiness Cafe Inc.の設立に参加。2014年、東京・荏原中延に喫茶店「隣町珈琲」をオープン。著書に『小商いのすすめ』『「消費」をやめる』『21世紀の楕円幻想論』、『移行期的混乱』、『俺に似たひと』、『株式会社の世界史』、『共有地をつくる』『「答えは出さない」という見識』他多数。

「2024年 『ひとが詩人になるとき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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