- Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784834026078
作品紹介・あらすじ
98年の刊行以来、多大な反響のある『子どもへのまなざし』シリーズの完結編。今回は、子どもの虐待やひきこもりなどが増えている現代社会のなか、子どもにどう接していけばいいのか考えます。また、後半では、近年よく耳にする「発達障害」についても詳しく取り上げました。障害のあるなしにかかわらず、お互いに助け合い共鳴し合って生きていきたい。そんな思いがあふれた本書は、育児書であると同時に、人生導きの書でもあります。
感想・レビュー・書評
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主に、前半は現代社会と子育て、後半は発達障害児の子育てについて書かれていた。
現代の親にとって、子育てが「我慢」になっているという記述に、ドキリとした。子供よりペットを優先する親の例など、筆者は、育児が楽しめない人が増えていることに警鐘を鳴らしている。
発達障害児への無理解も問題だ。発達障害のある人にとって厄介なのは、理解がないのに熱心な人だそうだ。コミュニケーションの仕方に違いがあるということを、知る人が増えるといいと思う。
個人的には、どうすれば現代社会の親が子育てを楽しめるのかという問題について、もっと知りたいと思った。
学校や会社では、全ての行動に理由が必要で、何か目標をもって努力することが求められている。そういった環境で育った親は、やはり子育てに理由を求めてしまいがちだと思う。
でも、子育てには理由などなく、ただ子供がいるから育てるだけだ。地域社会や大家族と縁のない現代の親がそのことを理解するには知恵が必要だ。この本は、その知恵を少しだけ授けてくれた気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「続」を読んで、子供が求める親になろうと心がけはしたものの、ちょっと予定が狂わされる(出して欲しくない時に熱を出す)と、またしても元の木阿弥。
だめだ私、とまた落ち込む。
失敗ばかり続くし、理想にはイスカンダルほど遠い私だが、それでも折を見てはいうようにしている。
「そのままでいいよ」「今のあなたが大好きだよ」
でも本当は親が望むような子になってほしい。
トイレもきちんとできて、お箸でふざけないで、、片付けもして、お話も聞けて。
そうではないからイライラする。
頭にくる。
しかし、そうやって頭ごなしに叱りつけるのはいけないとわかっている。
わかっているけれど、できない。
続かない。
つい。
......あれ?
これってつまり、子供の「今」の状況と同じ?
苦しんでいるのは、愛されたいのは、望んでいるのは、この子と同じ。
違うのは、いつも子供が私に言ってくれる、「これのママが好き!」という言葉。
私は「これの〇〇ちゃんが好き」って心から言えている?
344頁にこんな言葉があった。
「いま、この子に何をしてあげたらいいのかということがわからなくなったら、いったん立ちどまりなさい。
そして自問自答をかならずしなさい。
自分の気持ちのなかに、この子に対する愛情が十分にあるかどうかを確認しなさい。
確認できなかったら一歩退きなさい。」
育児には自信がない。
決していい親ではないから、辛くて悲しくて何もかも投げ出したくなる。
それでも、熱いほどの手を握り、反目で寝ている顔を眺めていると、この子たちのためにまた頑張ろう、きっといい母親になろうと思えるのだ。
及第点にはまだまだ至らない。
いつか、この子たちが子供時代を振り返った時に、ちょっとでも幸せな子供時代だったと思い返してもらえるよう、失敗を繰り返しながら、努力していこうと思う。 -
わたしのバイブルである「子どもへのまなざし」完結編です。
今回は、自閉症スペクトラムについてが中心でした。
もしかすると、私たちは、「わがまま」という言葉の意味そのものを考え直さなければならないのかもしれません。
なんか、当たり前のように言われて、常識として流布されている素人の教育が、実はわたしたちの子どもたちを生きにくくしているのかもしれない。
最近、わたしがよく思っていることは、「他人はかわらない。変えることができるのは自分だけ。」ということ。
他人を変えるのに、汲々となるのではなく、変わるべきは自分かも。
もしくは、どうしてもうまくいかないならば、その人からはなれるというのが正解のような気がします。 -
3部作の最終巻。最後まで読んでよかった。
母親的なもの、父親的なもの、の話が深い。父性が、しつけや、社会的規範を教えること、勉強しなさい等と言うことを指し、母性は、しなくてもいいんだよ、等とありのままを受け入れる愛情を指す。
近年、おままごとで、お母さんをうまく演じる子どもが減り、家庭においてお父さんの存在感が薄くなっている傾向があるとか。そんな時に、お父さんがいない=父性が家庭から消えてしまうのかというと、そうではなく、お母さんが代わりに父性も担う必要がでてくるため、母性が先に消えてしまうのだという。
また、メモしておきたいのは、親としての喜びについて。親の喜びは二つあり、①こどもの将来に期待すること、②こどもを幸福にすること、だと。ただし①は、こどもの将来を考えているということは、”こうなって欲しい”という態度、すなわち”今のあなたに満足していない”というメッセージになってしまう。こどもにとっては、今幸せなことが将来への希望につながるわけだから、もっと②だけを求めてもいいのではないか。
こどもに望まれるように愛する親になろう、ということかと。
また、後半で半分以上は発達障害について語られるが、なによりも周囲の理解が必要なことがわかり、当事者たちの大変さが心に沁みる。発達障害の親の喜びは、②が中心になるのであり、親の理解と努力が不可欠なようだ。
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母親の負担を減らそうという方向にばかり進むことに警鐘を鳴らす佐々木先生。子供にとって母親もしくはそれに代わる存在がどれほど大切かを優しくしかしきっぱりと説いている。
発達障害の子供の育児論はとりあえず関係ないかなぁとも思ったけれど、自閉症の子にはどう説明すればいいかなどは通常発達(といっていいのかな)の子供にも適応できる気がする。あと旦那にしてほしい家事の説明にも…。
でも子供の望むように愛するというのは、いやいや期の子供相手だとなかなか悩ましい。子供の言う事を聞いてると何も進まなかったりするからなぁ~。 -
親がまず、孤立してはいけないということ。
それによって、子どもを心から可愛がることができるし、望んだことをしてくれてる、と愛情いっぱいに育った子どもはきちんとその後社会に適応でき、そのまた子どもに愛情を注いであげることができる。
シンプルだけど大切なことが、優しく書かれてます。 -
2年くらい前に購入したもの。
前二作と比べて発達障害への言及が多い巻。
久々に読み返し。読み返そうと思ったきっかけは非公開メモ参照。
・親が、自分の子どもの障害を受け入れないということは、じつは、その子を受け入れていないのと同じことなのです。その障害は、その子と切っても切り離すことのできない特性ですから、結局、親がいろいろな対応を一生懸命しても、その対応の多くは、子どもを拒否していることになるのです。親から受け入れてもらえないことが、子どもにとってどれだけ不幸なことか、悲惨なことか、考えていただきたいと思います。(p248)
・母親は、この子たちに教えるときには「穏やかに、繰り返し、急がないで」ということと、「口数を少なくすることが大切です」といっていました。(p281) -
これは読んで良かったと、思える本だった。
今教えている学校は、授業を基本的に英語で行うところなのですが、たまに日本語を使うとき、私は丁寧語を使います。
いや、基本そうでしょ、という人もおられるかと思いますが、周りの人にびっくりされたんですよね。
「子どもは別に丁寧語というわけではないのに、先生(私)は首尾一貫して丁寧語なんですね。」と。
この本も似ている。語り口が丁寧で優しくて、ずっと聞いていたくなるような、読み進めていきたくなるような。
できるだけ、耳に心地よい日本語に、触れてほしいと、思うのです。
生まれてきてくれただけで、本当に素晴らしくありがたいことなんだ。
この心持を忘れがちな今に、優しく語りかけてくれる「大人」が、まだいてくださることに、私は頭が上がりません。 -
子どもが喜ぶことをしてあげるのが、自分の喜び。そういう育児をすること。シンプルだけど大切なこと。発達障害に関して、早期発見してその人に適した教育をしてあげることはやっぱりとても重要なのだと思った。発達障害に限らないけど、みんなと同じ、ではなくてその子をちゃんと見て、個別にきめ細かく対応することができれば、悲しい思いや苦しい思いをさせることは少なくなるのかな。親は子どもをよく見なくちゃ。思い込みやマニュアル通りの育児ではなくて。