- Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
- / ISBN・EAN: 9784828412665
作品紹介・あらすじ
「美しき品格」を持ち「優秀な知恵」を兼ね備えた日本人の原点がここに…。
感想・レビュー・書評
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文庫でもっていましたが、 また買ってしまいました
マックス・ウェーバの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に、対して、山本七平がぶつけてきた、「日本資本主義の精神」論。
日本の伝統と倫理に根づいた日本的特質を論じたものである。
そして、江戸時代の三人から描かれている。それは、鈴木正三、石田梅岩、そして、上杉鷹山である。
気になったのは以下です。
・では、いったい、日本資本主義の「見えざる原則」は何なのか。という疑問である。ここで忘れてはならない点は、その「見えざる原則」が外部にとっては確かに「見えざる」だが、内部においては当然自明の原則であり、それを少しも隠さずに、堂々とそれで動いているということである。商店の番頭は、「日本資本主義の精神」を経験により体得しているが、経済学、経営学などという学問は全然しらない。彼が体得しているのは、文字どおり「見えざる原則」なのである。
・ただ、その原則を、言葉にして客体化し、それをひっさげてアメリカ帰りの若い社長と討論する方法を彼はもっていないのである。したがって、討論すれば、「言い負かされる」にきまっていることを彼は知っている。
・だが、言い負かされても自分のほうが正しいことを彼は知っているから、「ではお手並み拝見」という態度にならざるを得ない。この態度の背後には、「言葉の論争では敗れても、現実の争いでは必ず自分が勝つ」という、実に強い自信がある。日本の会社が経済学、経営学とは無関係の「見えざる原則」で動いていることの、一つの証拠でもある。
■共同体の原則
・徳川時代の享保のころの年功序列の世界なのである。享保の頃も、商店には、丁稚、手代、番頭、大番頭、宿這入り、暖簾分けという序列があった。
・終身雇用や年功序列は、会社種族にだけ適用される共同体の原則だから、それ以外の者には適用されない。正規の新入社員は、血縁社会における新生児のように、会社種族になったとたんに、すべての基本的権利を認められる。
・会社には、下請けという小共同体を傘下にもっている。下請け会社を別の共同体として両者のあいだを取り引きという関係で結びながら、両者が同じような仕事をしている。
・日本社会は、正当、不当の二種類の解雇をはっきり区別している。したがって、実質的に解雇であっても、それは希望退職、すなわち本人が希望し、その自由意志で自ら共同体を去った、としなければならない。
・社員が不名誉なことをしでかしたとなれば、厳しい攻撃をうけるであろう。というのは、ここに二つの要素があるからである。一つはいうまでもなく、社の名誉すなわち共同体の名誉という意識があるはずであり、もう一つは、世間に対して相済まないという感情があるはずだという前提である。
・三年契約をしたからといって、三年で終わるという論理は日本では通用しない。それは、三年たったら、また、話し合いをしますということなのである。
・日本の契約書には、「双方誠意を以て云々」の文言がはいっている。契約書と同様に、日本の法律には、すべてこの要素が含まれている。
・外国人から、「中東は、問題はあるが理解できる。日本は、問題はないが理解できない」
■江戸の思想的巨人 鈴木正三と石田梅岩
・石門心学の祖、石田梅岩、当時の農村共同体内の相互規制が実に厳しいものであった。奉公先にどんな不備があったとしても、口外してはならない。また、梅岩は徹底的に理詰めで考えないと気が済まない人間であった。
・日本の思想家を扱う場合、最も困難を感ずるのは、その思想が体系化されていないことである。だが、不思議なことに、鈴木正三だけは、組織禅学と、それに対応している禅宗社会倫理とを抽出できるのである。この点からまさにユニークな思想家と言わなければならない。
・仏教の三毒を超えて善にはげめ。三毒とは、欲、怒り、そして無知である。正三の教えは、仏教の教えを士農工商の各層へ教えたことであった、特に、商には、欲をむさぼることはいけないが、正道として、商売の道を行っていった結果、利益がでることは善と説く。
・結果としての利潤については、決して否定していない。ここの倫理が、日本においても、ビジネスを開花されるのである。
・一方、日本のプラグマティズム:実用主義、は、心学の梅岩から始まる。人間は本心に素直でなければならない。倹約第一主義、浪費、贅沢は悪なり。つぎに、必要以外のものは身につけない。これはピューリタンの倫理にたいへんに似ているものである。
・すべての階級にとって、経済性と合理的の追求は、そのまま倫理になりえる。
・心学は、孫弟子の時代には、町人の知るところとなり、武士にも受け入れていった。
■資本の論理と、武士の論理 藩の資本主義
・江戸時代には、藩の経営自体がなりゆかなくなっていく。その中で、特筆すべき人物が現れる。それが上杉鷹山である。鷹山は倒産寸前の上杉家を率いて経営改善を行わなければならなかった。
・鷹山は決して、命令という形をとらずに、あくまでも、みなに相談をし、全員の総意という形にもっていっている。と同時にみずからが模範を示した。
・鷹山の手足となって動く近習は、辞任に追い込まれてる。彼の相談できる相手は侍医の藁科貞裕だけになってしまった。まったくどうにもならない状態に追い込まれたのであった。
・鷹山の方針は、まず多少なりとも藩政の黒字を回復し、それを基に、会社更生法にも似た藩更生法というべきものを発動して、旧債を一時的に棚上げし、新たに資本を導入し、武士をも生産的労働力として活用して、拡大再生産へもっていこうということであった。
・鷹山が行ったのは、経済政策だけでなく、社会福祉も教育施設も拡充した。それは、今日の大企業が、企業内教育施設と企業内福祉を充実させていくのに似ている。
・徳川時代とは、上は諸侯から下は庶民にまで、いや応なく経済を教え、「資本の論理」に従わない者は破滅することを、実地に教育した時代であった。と同時に、この「資本の論理」の上に、「資本の倫理」を樹立しなければ、その「資本の論理」自体が崩壊することを教えた時代であった。
・いわば、「資本の論理」を厳格に実施しつつも、本人は、無私・無欲であらねばならぬという、倫理である。これはおそらく、かつてのピューリタンが持っていた倫理とともに、人類史においてきわめてユニークなものである。
■日本資本主義の美点と欠点
・日本人は、「資本の論理」は否定せず、経済的合理性なきものは、評価しない。
・非倫理性への糾弾はもちろん当然であり、これを失えば日本の資本主義は崩壊する
・梅岩も私欲を禁じた。利益追求は、共同体のためにでなければならなかった。それは、共同体に属する人々の生活を保障するための行為であった。
目次
まえがき
第1章 日本の伝統と日本の資本主義
1 日本のこれまでを支えたものは何だったのか
2 血縁社会と地縁社会
3 「契約」の社会と、「話し合い」の社会
第2章 昭和享保と江戸享保
1 日本をつくった二人の思想家
2 善とエコノミック・アニマル
3 神学と心学
第3章 現代企業のなかの「藩」
1 「資本の論理」と「武士の論理」
2 日本資本主義の美点と欠点
3 日本資本主義の伝統を失わないために
ISBN:9784828412635
出版社:ビジネス社
判型:新書
ページ数:288ページ
定価:952円(本体)
発行年月日:2006年84月25日 第1版第1刷詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久々に理解の難しい本でした。 頭に残らなかった。。もう一度読む機会を作らないと。。
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藩閥は藩がなくなっても機能し、派閥という形で今なお機能しており、擬制の血縁集団というべき共同体に転化する。会社が機能すれば、そこに会社共同体が生ずる。新入社員の採用試験や入社式は、共同体加入のための資格審査であり、通過儀礼である。共同体に加入すると、共同体の一員としての訓練があり、それが終わって初めて機能集団としての会社の役割が与えられる。共同体への加入であるから、追放されない限り終生そこにとどまり、雇用契約はない。
会社が共同体であるという意識は、会社の名誉を汚してはならないという意識を生む。名誉ある共同体に所属することは、犯罪の抑制になるが、共同体の一員の犯罪を外に出さないという形にもなる。
日本を敗戦に導いた最大の要因は、軍部がその共同体を維持するための要請がすべてに優先してしまったこと。組織を維持するために行動されることは、今でも変わらない。機能集団が同時に共同体であることは、共同体を維持するためだけに機能することになり得る。
著者は、日本の資本主義を作った人物として、鈴木正三と石田梅岩をあげる。正三は1579年に生まれ、関ヶ原にも大坂夏の陣にも出陣し、戦後は大坂番を勤めた後、出家した禅坊主。「世俗の業務は宗教的修行であり、それを一心不乱に行えば成仏できる」と説いた。この発想の背景には、戦乱から秩序へと移り変わったものの、戦国の夢が消えて精神的閉塞状態をきたし、人々が何に生きがいを求めればよいかわからない時代となったことがあると考えられる。
石田梅岩は1685年に中農の家に生まれ、一介のサラリーマンとして過ごした後、退職して45歳の時に私塾を開いた。弟子と孫弟子の時代には、石門心学として日本国中に広がり、武家・公家社会にまで浸透していった。
著者は、藩を資本の論理に基づく経営体としてとらえ、明治の「富国」と戦後の「日本株式会社」の原型と考える。戦乱なき時代には武士の存在理由はなく、資本の論理に基づいて藩の経営者とならざるを得なかった。徳川時代は、諸侯から庶民まで、いやおうなく経済を教え、資本の論理に従わない者は破滅することを実地に教育した。開国後は、機械さえ購入すれば、これを生産に活用し得る優秀な労働力があり、労働を少しも賤業と考えない国民がいた。合理的経営を当然とする町人がおり、藩の政治にも経済的合理性に立脚する伝統があった。
正三の「あらゆる事業はみな仏行なり」という思想は、経済性を無視してひたすら働くことに精神的充足感をもたらし、それに満足してしまう傾向も生んでいる。さらに、その行為を認めることを求め、夜遅くまで残業すれば評価される社会を生んだ面もある。 -
[ 内容 ]
「美しき品格」を持ち「優秀な知恵」を兼ね備えた日本人の原点がここに…。
[ 目次 ]
第1章 日本の伝統と日本の資本主義(日本のこれまでを支えたものは何だったのか;血縁社会と地縁社会;「契約」の社会と、「話し合い」の社会)
第2章 昭和享保と江戸享保(日本をつくった二人の思想家;禅とエコノミック・アニマル;神学と心学)
第3章 現代企業のなかの「藩」(「資本の論理」と「武士の論理」;日本資本主義の美点と欠点;日本資本主義の伝統を失わないために)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
日本人の資本主義に関する考え方を学べる良書。
なんで堀江貴文がパクられ。村上世彰の判決で安く買って高く売ることに裁判長が戦慄したのか。利益を出すことを企業の目的にするとあさましく思われるのか。クビにされた人が人格的に問題あるとみなされるのか。
色々な疑問がほどける。立派な本。 -
岩崎勝彦先生推薦