怪しい戦国史 (産経セレクト)

著者 :
  • 産経新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784819113694

作品紹介・あらすじ

専門バカを疑え!
軍事忌避は戦国史研究にもある

東京大学史料編纂所
本郷教授が定説を疑いまくる

《太平洋戦争に敗れた後、日本史という学問は大きく変わりました。……日本の国をリードしてきた将軍権力を構成する要素とは、大づかみには「軍事と政治」です。でも大学の歴史教育において、各時代の政治のありようを教えてくれる講義はあまたあっても、軍事を科学的に検討するような授業は見ない。社会への発信もほとんどない。だからへんな理解がまかり通ることもある。》(「はじめに」より)

歴史は疑うから面白い

感想・レビュー・書評

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  • 三成はなぜ忖度ができなかったか、が興味深い内容でした。
    三成、なんて不器用な人なんでしょう。
    で、結局答えは脳科学者の中野先生が読み解いています。
    こうやって、歴史学者と他の分野の学者さんが力をあわせて歴史を読み解くっていいですね!

  • 2021.8.10完了
    そんな考え方もあるよねっていう感じ。好きも嫌いもないかな。

  • 新聞の連載をまとめた軽い読み物。
    簡単に読めるが、もう一回読むものではない。

  • 産経新聞連載中のコラムをまとめた1冊。日本史の通説を疑う軽い語り口のエッセイ。

    従来の定説を否定した考察が魅力の歴史エッセイ。川中島の戦いの上杉、武田両者の兵力を見積もったり、暴れん坊的イメージの強い福島正則が実は知恵者だったり。概ね2話続きでテーマは実に幅広く戦国史を考察している。

    軽い語り口が心地よい。歴史探偵半藤一利の後継者はこの方かもと思ってしまう。

    あくまで筆者の気楽な考察なので、学術的に検証されているわけではない。

    歴史に疑問を持つことを目的とした1冊。まさに題名のとおりでした。

  • 内容は相変わらずの本郷先生本。新聞掲載のエッセイ集ということで、読みやすいようで二話完結の構成が木になるところ。

  • <目次>
    はじめに  合戦史の「定説」は本当か
    第1章   戦いを決する「兵力」の謎
    第2章   秀吉の天下取りと「行軍力」
    第3章   武将が「城を攻める」意外な理由
    第4章   関ヶ原と大坂の陣に見る「大名」の実像
    第5章   信長・信玄たちの古戦場で見えること
    第6章   家康の隠れた「遺産」
    第7章   三成はなぜ「忖度」できなかったか

    <内容>
    産経新聞連載の「本郷和人の日本史ナナメ読み」の2015年7月~18年5月までを再編成したもの。それ以前は『戦国武将の選択』にまとまる。
    ハッキリ言って「戦国漫談」。おそらく直木孝次郎や林屋辰三郎などもこうしたエッセイと書いただろうが、気品に欠ける(って自分に言う権利はないけど)。もうちょっと歴史家らしく、ちゃんとした分析をしてほしいな。プロらしいところもない訳ではないけどね(城攻めの話とか兵力の話とか)。

  • 福島正則が、ヤンキーでなかった、は、衝撃。

  • この数年で私の老眼が進んで、本を読むのが大変になってきたので、そのせいもあり、読む本を選ぶようになってきました。社会人生活も後半を迎えた今、以前のような「ビジネス術」を解説したものよりも、小説を読むのが楽しくなってきました。

    そんな私が出会った素晴らしい人として、この本の著者である「本郷和人」さんがその一人に挙げられます。今までの通説を疑ってみて、実際には何が起きていたのだろう、と思いを巡らすのに、最適な本です。今年は、本郷氏の本から目が離せませんね。

    以下は気になったポイントです。

    ・戦国時代の合戦における兵力は誇大である、不退転の覚悟で佐和山を出発した石田三成が、20万石で6000、基本的には100石で三人と計算しているのが妥当(p27)

    ・兵農分離を徹底してやると、つまり兵種別編成をやると、褒美が出せなくなる。プロの武士ばかりで軍隊を編成したならばこの問題は解決できるだろうが、半農半武士であれば兵種別は不可能である(p37)

    ・小牧長久手の戦いでは、秀吉や尾張の犬山城に、家康は小牧山城に本営を置き、砦や土塁を修築して防御機能の向上(野戦築城)をした。こうすると両軍ともにうかつに攻撃できなくなる、だから先に手を出したほうが不利になる(p66)

    ・欧州や中国では道が城内を通っているので、旅人は城門でチェックをうけて行き来する、なのでここで攻城戦が始まる。日本では、道を場内に取り込んでいないので、城を無理に落とさなくても城兵に対しての備えを配置すれば先に進めてしまう(p96)

    ・織田信長は小牧山城を築くときに初めて石垣を積んだ、寺院にあった技術を応用した。あっという間に堅固な石垣が各地の城に用いられるようになり、山城から平山城、さらに平城へと変容した。都市全体を石垣で囲む「惣構え」も登場する(p96)

    ・福島正則は「できる男」でキーパーソンとの評価があったからこそ、関ヶ原の戦い以前に家康は、福島家との縁組を実行した。家康の姪にあたる満天姫を養女とし、正則の養子で跡取り、正之(かつて播磨三木城に籠城して秀吉と戦った別所長治の叔父)と結婚させた。関ヶ原後は毛利輝元の城だった広島城を与えられた(p109)

    ・大坂夏の陣の開戦時点で、大坂城は堀を失い、二の丸・三の丸を破壊され勝負はついていた。織田信雄、織田長益(有楽斎
    )などは城を出ている(p124)

    ・今川義元は大軍(今川の総力をあげて)を催し尾張になぜ侵攻したのか、一番納得できる考えは、鳴海・大高両城の後詰である。尾張、三河国境付近を今川領に取り込み、信長の本城である清州城を狙う拠点とする(p143)

    ・上野甘楽郡(三万石)は小幡藩と呼ばれるが、織田信長次男の信雄(かつて100万石)は淀殿の縁(従兄弟)で秀頼につかえて大阪城内にいたが、冬の陣の直前に城を出たので、家康に大名に取り立てられた(p162)

    ・大坂夏の陣で、天王寺・岡山の戦いにおいて、家康本陣を守るように位置していた、本多隊・小笠原隊は真田幸村・毛利勝永らの猛攻にさらされる。小笠原隊はほぼ壊滅(当主忠なが戦死)、本多隊も分家筋の忠朝が戦死、小笠総力原家は播磨・明石10万石へ加増、そして豊前小倉15万石へ躍進して明治維新まで続く、本多家は播磨・姫路15万石に加増(p182)

    ・忠節無比の三河武士とは、物語に過ぎないのではないか。駿府という都会育ちの青年家康は、困り果てたと思われる。将軍の座を退いてから、家康は岡崎に帰っていない、家康にとっての故郷は駿府であり岡崎ではない(p186)

    ・花押とは実名の代わり、花押を用いる以前は自分の名前をくずして草書で書いていた、これを草名(そうみょう)という。なので、実名プラス花押という組み合わせは無い。(p231)

    2019年7月21日

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著者プロフィール

1960年、東京都生まれ。1983年、東京大学文学部卒業。1988年、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。同年、東京大学史料編纂所に入所、『大日本史料』第5編の編纂にあたる。東京大学大学院情報学環准教授を経て、東京大学史料編纂所教授。専門は中世政治史。著書に『東大教授がおしえる やばい日本史』『新・中世王権論』『壬申の乱と関ヶ原の戦い』『上皇の日本史』『承久の乱』『世襲の日本史』『権力の日本史』『空白の日本史』など。

「2020年 『日本史でたどるニッポン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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