- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784811808437
作品紹介・あらすじ
竹内洋岳最新刊にして、山岳書初(!)の「下山」ドキュメント
ヒマラヤ8000m峰14座完全登頂とは、14の山すべての頂から無事に下ってくるということ。「生きて還ってこなければ、下山しなければ、登山ではない」とつねづね語り、それを実現してきた竹内は、どのように山を下ってきたのか。疲労困憊のなかで頻発する危機、生死を分けた判断と行動、朦朧とする頭で考えていたこと……。敗退もふくめて、17年にわたる14座の全下山をたどり、現在に続く新たな挑戦を報告する。
世界的クライマー、ラルフ・ドゥイモビッツほか、本人を深く知る6人へのインタビューをとおして竹内洋岳を「解剖」するコラムも収録。
感想・レビュー・書評
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やっぱり成し遂げている人は違う。格好の良い登頂シーンではなく、失敗や撤退を含む厳しい下山の行程を堪能させて頂きました。以前に竹内さんの本を読んだ時にも感じましたが、飾り気のない真摯なお人柄が滲み出ている文章で感動の1冊です。今後のご活躍にも注目していきたいと思います。
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地球上に8000m超えの山が14座ある。
著者は2012年に日本人初14座登頂のサミッターとなる。
その1座から14座までの主に下山の記録が綴られている。標高8000mを超える世界はデスゾーンと言われるように、どの山も一筋縄ではいかない、どころか何度か挑戦の末、何年もかけて登頂を果たした山もある。
形成される登山隊もまちまちで、第一座目のマカルーは立正大学の学生として、日本山岳隊の一員として参加している。
ほかに、公募隊に応募しての参加、ここでいう公募とは、お金を払ってガイドに連れて行ってもらうというものではなく、参加の一人一人が、ある一定の技術を持ち備えて、一人でも行動できるレベルに達していて、費用を出し合い参加するというもの。
そういうところでいろんな国のいろんな人に出会えることを楽しみに参加していた。
またそこで知り合った人たちと次、別の山に行ったりしている。
8000m峰もある程度征服すると、自然14座制覇という目標ができ、各国の志を同じくする人たちと行動を共にしていくが、制覇を達成した人から抜けていき、最後の3・4座は仲間を一般から公募したりしている。
さて、14座の中で特に印象に残った山は、7座目のシシャパンマ、標高8027m。チベットの奥深くに位置し、8000m峰で唯一完全に中国領内にある山。
竹内にとって三度目の挑戦で、なんと無酸素でアルパインスタイルで登るというとんでもない発想に驚く。
アルパインスタイルとは、日本のアルプスを何日かかけて縦走するようなもの、普通、7000・8000m級の山は極地法といってベースキャンプから上にいくつもキャンプを設営しながら登るところを、荷物全部を持ってシシャパンマをぐるっと一周10日間、本当に楽しい旅だったと振り返る。
ここで常々、竹内が言う「頂上は通過点」をより実感することができる。
頂上に着いたからあとは半分だなとか、下山は楽だから7割がた終わったなとかいう感情は持たないと。頂上は登山の行程の通過点のひとつでしかなくて、それが全行程のどの部分なのかは終わってみなければわからないと。
改めて共感する。
あと印象的な山はやはり、体調不良やけがをおしての無事下山。
シシャパンマ下山後、なんと翌々日後にはエベレストに登りに行っている。
いくら高度順応ができているとか、お隣の山だからとか、ちょっと凡人には考えられないんだけど、やはり体に無理があったのか、体調を崩し、意識を無くし一時は呼吸停止になり体は冷たくなっていき、元薬剤師と看護師のパートナーの必死の手当てで一命をとりとめたという。
もう一つは、ガッシャーブルム2峰での雪崩に巻き込まれての大けが。
何とか掘り出されたが、背骨の破裂骨折、肋骨が5本折れて肺が片方つぶれていた。
ドクターに明日まで持たない、家族にメッセージを残せ。と言われたほど。
それでも生還を果たし、翌年に背骨にボルトを入れて再度ガッシャーブルムに挑戦、10座目制覇。
こういう風に書いていると、竹内さんてギラギラした根性の塊の山やさんのように思いますが、メディアなどでお見かけすると、ウエーブのかかった長髪に、ジャケットを羽織り、ストールなんか巻いてらして、長身だし細身なので、雑誌のモデルさんのようです。
話し方も穏やかで、どこにそんな根性があるの?と思うようなお姿です。
山は下りて初めて完結、ということで、次の山に登るために下山するんだと、14座制覇の次も新たな挑戦を続けておられます。 -
タイトルに哲学とあるけど、それほど哲学的な内容はなかったな。
8000m峰1つくらいは自分も登っときたいな、と読んでて思ったが、費用がすごそう。 -
サラッと読める軽い本
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一登山家の紀行。哲学は感じ取れない。
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個々の山のレビュー。
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8000メートル峰14座すべてを制覇した登山家竹内洋岳さんの「下山」の行程に光を当てる一冊。登山は頂上に達することが目的ではなく、登頂して無事に帰ってくること、それで初めて登頂したといえると。降りるからこそ次の登山ができる、か。いい言葉ですね。
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お家に着くまでが遠足です。
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【生き方】下山の哲学 / 竹内洋岳 / 20210814 / (53/893) / <254/147229>
◆きっかけ
日経書評
◆感想
・俳人 黛まどかの「理性をふり絞って右足、左足をいかに交互に出していけるかなんです」。人生という"輪"の中で、上りであれ下りであれ、一歩一歩足を前に出すのみだ、というのが心に刺さった。上っておしまいではない、登山に限らず連綿と続く営みの中のほんの一部にしか過ぎない。生きてる以上、前に進まなくてはならないことをよく示してくれていると思う。Must Run
◆引用
・登頂をクライマックスとして物語が語れていく。確かに山頂はだれにとってもわかりやすいゴールでしょう。しかし、実際に登山をしていると、山頂がゴールとだと思うことはない。
・登山ではリタイアができない。どんなに苦労して登頂しても、あるいは途中であきらめても、必ず自分で下山しなければならない。だから、降りてくるという行為は重要で尊いもの。降りてくるからこそ、次の登山ができる。下山は次の登山への準備であり、助走でもある。
===qte===
下山の哲学 俳人 黛まどか
2021/4/24 14:00日本経済新聞 電子版
「下りが弱い選手は上りも弱いんです」箱根駅伝の中継で山路の激闘を観(み)ていたら、解説者がこんなことを言った。換言すれば、上りが強い選手は下りも強い。
その言葉に胸を衝(つ)かれた。人生にも数えきれない程の上りと下りがある。恋をしたり、仕事を達成したり、絶頂の喜びを噛(か)み締める時もあれば、その逆もある。
私自身は昨年最愛の父を突然亡くしてから、精神的にはひたすら坂道を下っている。もちろん社会的責任は精一杯果たしているつもりだ。しかし、底なしの暗く深い沼に下りていくような感覚が薄れることはない。
友人で登山家の竹内洋岳氏が『下山の哲学』を出版した。氏が登頂した8000メートル峰14座すべての下山について書かれた一書だ。
「登山という行為のピークは、かならずしも頂上ではありません。登山をひとつの輪と考えたとき、『登り』と『下り』は一体で、分ける必要もない」。真に「登頂した」と言えるのは、ベースキャンプに帰った時なのに、下山の行程に光が当たることはあまりないと言う。「『降りてくる』という行為は重要で尊いものです。…下山はつぎの登山への準備であり、助走でもあるのです」
今の精神状態を立て直すことは当分できそうにない。しかしこれは次の登山への助走なのだと思えば、心して歩むことができる。山では止まっていたら絶対に帰れない。「理性をふり絞って右足、左足をいかに交互に出していけるかなんです」。人生という"輪"の中で、上りであれ下りであれ、一歩一歩足を前に出すのみだ。
===unqte===