精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける (シリーズCura)

著者 :
  • 中央法規出版
4.19
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本棚登録 : 169
感想 : 21
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  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784805830147

作品紹介・あらすじ

モザイク処理は絶対に使わない!-タブーに挑み、精神病の本質に迫った映画『精神』の想田和弘監督が、公開にいたるまでの紆余曲折と葛藤を語る。精神科を撮る理由、「観察映画」にこめた思い、患者への共感、モザイクをめぐる葛藤…。映画には収め切れなかった数々のエピソードから、精神病大国・日本の現実と社会・メディアに広がるタブーについて考えさせる一冊。精神科医・斎藤環氏との対談も収録。

感想・レビュー・書評

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  • 映画を観てから読む。すごくよかった。
    映画のことや監督の想いや裏話や背景など、特典映像的な内容で、興味深く読んだ。

    当事者としても、いいもの作ってくれてありがたいなあという気持ち。

  • 映画『精神」を見て読んで、そして数年経ち、映画『精神0』を見るという今。山本先生の一貫した佇まいに感動する。そして勇気付けられる。

  • “精神科”
    ストレス社会の中、この病気に対する偏見は少なくなってきていますが、それでも“精神科”について話すときは一段声が低くなります。そんなタブーの世界にカメラを向け、トキュメンタリー映画を撮った監督がいます。
    作り手の意図を観る人に刷り込まないように、テロップ・ナレーション・BGMを排除した「観察映画」という手法を使って撮られた映画です。観客がその映画を観てどのように思うか、自由に思考することを促します。

    舞台となったのは、“こらーる岡山”という外来専門の精神科です。古民家に少しだけ手を加え、居間のような待合室で、患者が寝転びながら、患者同士で談話しながら診察の順番を待ちます。
    この映画の驚くべきところは、患者をモザイクなしで写しているところです。予め患者の了解を得ています。もちろん、NOと言った人は写しません。

    なぜモザイクをかけないのか?
    患者のプライバシーを守るためには、モザイクが必要…と考えがちですが、それは反対に、作り手がリスクや責任から逃れる手段にもなるのです。そのような逃げの姿勢からは、患者の本質を捉えることはできない。そう監督は考えたのです。

    この映画を観てはいないのですが、ここに登場する患者が皆、魅力的に感じるのはなぜでしょう?
    苦しんでいる。
    もがいている。
    でも闘っている。

    この映画を探して観て見たいと思っています。

  • 思索

  • 493.7

  • 以上を正常だと認識して生きている人と正常を異常だと認識して生きている人のファインダを取り除く

  • [ 内容 ]
    モザイク処理は絶対に使わない!
    ―タブーに挑み、精神病の本質に迫った映画『精神』の想田和弘監督が、公開にいたるまでの紆余曲折と葛藤を語る。
    精神科を撮る理由、「観察映画」にこめた思い、患者への共感、モザイクをめぐる葛藤…。
    映画には収め切れなかった数々のエピソードから、精神病大国・日本の現実と社会・メディアに広がるタブーについて考えさせる一冊。
    精神科医・斎藤環氏との対談も収録。

    [ 目次 ]
    第1章 社会と精神病者を隔てる「見えないカーテン」―精神科を「観察」する理由
    第2章 「病んで」いるのは誰か?―カメラを通して精神病者と向きあう
    第3章 『精神』をめぐる波紋
    第4章 私たちが映画に出た理由―登場人物との対話
    第5章 精神を「治す」ということ―山本昌知医師との対話
    第6章 『精神』という爆弾―各国で巻き起こった議論
    巻末対談 『精神』が照らす日本の精神医療(斎藤環;想田和弘)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 想田監督が撮った映画「精神」のメイキング的な本。

    「精神」は、岡山県の精神科クリニックで精神障害がある人々を追ったドキュメンタリー。5年ほど前に公開され、以来各地で上映されている。次々と人物が出てきては笑ってひょうきんな姿を見せたり、泣きながら話したり。ナレーションは無い。でも編集が良いのか(あるいは被写体が良いのか)、わざわざナレーターに説明してもらわなくても状況が分かる仕組みになっている。

    □■□

    ちょうどこの本をを読み終わった直後、(想田監督とは別の)某男性監督が撮った、とあるインディペンデント系ドキュメンタリー映画を観る機会があった。被写体は精神科病院に集まる人々。被写体は凄く人間的で、私にとっては魅力的な人たちだった。

    上映終了後、それを撮った当人(監督)が登場。舞台挨拶と称して話し出したが、「偶然面白いなーと思ったから(映画を)作ってみた」などと、地に足が付いていない様子。一つ一つのシーンは確かに良かった。特に陽性症状が出ている時の長回し。私は食い入るように観た。ただ、その映画が結局何を目指しているのかいまいち分からなかった。

    だから私は監督に直接、内容や取材の意図を尋ねた。「なぜこのタイトルなのですか」「なぜいま日本にはたくさんの人間がいるのに、その中で精神障害者をクローズアップしたのか」等々…。
    しかし、はぐらかされてしまった。監督はもっぱら「それは観た人に考えてもらいたいです」と連呼していた。

    この日はファンらしき男性に映画の出来を手放しで賞賛された時だけ、口角を上げ饒舌になっていた。ああ、この監督はきっと、取材対象者のことを一人の人間ではなく、ただの「コンテンツ」「ネタが出てくる打ち出の小槌」程度にしか思っていないのかな、という印象を受け、がっかりした。

    □■□

    「あえて受け手に考えさせる」ことと「受け手に放り投げてそのままにする」ことの間には大きな隔たりがあると思う。
    自分がなぜ取材して伝えるのか。だれのために、なんのために、どのような必然性があるのか。
    それを自分自身の中ではっきりさせないままの状態で社会のデリケートな部分に踏み込むのは、私は(精神疾患分野を扱ういち新聞記者として)、とても無責任なことだと思う。


    新聞もテレビも、もちろんドキュメンタリーも、世の中の事実を切り取って受け手に伝えるという点では変わりない。
    (俗にいうマジョリティの)社会の側から覗けば、にわかに信じられない別世界のような話であっても、それは「フィクション」ではない。現実で本当に起きていること。
    受け手に向かって一方的に放り投げることで、受け手に誤解を与えてしまうような映画なら(例え誤解するのがごく少数だとしても)、取材された側が不利益を被ってしまう。報道には、人の人生を左右するほどのリスクがある。

    この本のように、発信する側の主観をきちんと整理して提示する、というのはある程度は必要だと思う。特にこの本は「なぜ精神障害者の顔にモザイクをかけるのか/かけないのか」というところから「実子を殺めてしまった母親のシーンの必要性」まで、丁寧に説明してくれている。そこにに対して賛成・反対を示すのは受け手の自由。物事すべてに説明が要るわけではない。
    でもそこにきちんと「意図」が存在することくらいは示してほしい。と、私は思う。

  • 映画「精神」と合わせて。
    正気と狂気の境目がわからんとずっと思っていたが、なるほどスロープか。
    境目なんかなかったのだ。
    斉藤先生の「病院に近づかない方がいい」に共感。
    病院と美容院は苦手やわ。

  • わたしはこのひとたちとどこがちがうのか、考える。
    いっしょだよな。

    かなり前に読んでいて登録してなかったぶん。

    想田和弘というドキュメンタリー映画監督の本。
    『精神』という作品についてのエピソードを中心として、想田監督のドキュメンタリー(「観察映画」というらしい)に対する姿勢などが書かれた本。

    ぼくは何年か前にたしか京都か大阪の映画館で『選挙』をみたのが観察映画初体験で最初の衝撃を受け、こないだ『演劇1』『演劇2』という映画が公開されると知り、その前に予習として『精神』を借りて観て、ほいでこの本を買って読んで、それから『演劇1』『演劇2』を観て、いまに至る、という想田映画経験をもっている。

    『演劇1』『演劇2』は昔から気になって仕方のない存在だった平田オリザと、自分のいまいる場所にわりかし近い現代演劇の世界を観察し続けた映画だったので予備知識もそこそこあって、もしかすると「映画」として受ける衝撃はある程度和らいでしまっていたのかもしれないし、初めてみた『選挙』はたしかコメディ映画的な期待を受けて観に行ったんじゃなかったかな、と思う。それも間違いではなかったと思うけど。そういう意味では、『精神』はドキュメンタリー「映画」観察「映画」としていちばん衝撃を受けた作品かもしれない。え、それを撮るのか、とか、うそ、そこを長回しするの、尺は、全体のバランスは、とか。しかも題材が題材だけにもうほんとうにぐっさぐさときて、自分自身が「カーテンの向こう側」にいるのかこちら側なのか、というよりはたしてどっちが正常なのか、いやいやそんな括りなんてないんじゃあないのか、とか、観ながらずーっと揺さぶられ続けていたと思う。

    そこにきてこの本、映画としてこちらに差しだされてきたものがいったんは全てだと思うけれど(たぶんなんの予備知識もなく観ても面白いと思うのだ)、そのも少し先が、手前が、横が、後ろが、気になるひとには丁度よい本だと思う。

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著者プロフィール

1970年、栃木県生まれ。映画監督。東京大学文学部宗教学科卒。ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒。台本やナレーション、BGM等のない、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。監督作品に『選挙』『精神』『peace』『演劇1』『演劇2』『牡蠣工場』『港町』『The Big House』『精神0』等があり、海外映画祭等での受賞多数。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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