眼 新装版: 美しく怒れ

著者 :
制作 : 岡本敏子 
  • チクマ秀版社
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784805004272

作品紹介・あらすじ

本書は、『週刊朝日』(朝日新聞社)に連載(一九六五年)された「岡本太郎の眼」と、『今日をひらく-太陽との対話』(一九六七年刊・講談社)の原稿に、雑誌等で発表された未収録原稿を加え、新たに編集したものである。

感想・レビュー・書評

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  • 1998年に発行されたものとは思えない、今こそ必要な言葉の宝庫。

    エチケットの章で「婦人はいたわらなければならない。自分自身のことばかり話したり、自分の成功談をとくとくとしゃべったりしてひけない。」等エチケット集に書いてあった話が記載されていますが、20年たっても社会がそれほど変わっていないことが驚きです。今の社会を見たら太郎さんは何と仰るかな。

  • 大阪万博の太陽の塔や「芸術は爆発だ!」で有名な岡本太郎ですが、
    生前はその価値が正当に評価されていたとは言えません。国内の画
    壇や文壇から無視されていた様子が本書からはひしひしと伝わって
    きます。「オレは異端ではない。オレのほうが正統なんだ、人間と
    して正しいスジを貫いているんだ」と太郎はいつも言っていたそう
    ですが、結局、最後まで異端・変人扱いされていたようです。

    岡本太郎は実は大変なインテリで、戦前の10年間をパリで過ごして
    います。当時のパリは世界の最先端。そこで太郎は単に芸術を学ぶ
    だけでなく、マルセル・モースに文化人類学を学ぶなど、当時の最
    先端の学問に触れ、知識人達との交流を深めていました。

    「世界人になるためには、逆に日本を徹底的に見きわめる必要があ
    る」との思いで1940年に帰国してからは、その人類学的素養を生か
    して日本文化の根源に迫っていきます。縄文式土器や沖縄・東北の
    土俗的な文化など、原始的で野性的な、日本人の生命の根源に触れ
    るような文化を太郎は再発見し、世に問うていきました。それは生
    命力を失った当時の日本人達に対する挑戦状でもあったのでしょう。

    太郎が嫌悪したものは日本社会を支配していた閉鎖性であり因習で
    した。何故日本人は「もの言えば唇寒し」で本当のことも言えずに
    我慢して生きているのか。どうして憤らずに、妥協と堕落と倦怠に
    甘んじているのか。いつから顔を失い、個性を失ってしまったのか。

    ムラ社会の中で自らを押し殺して生きる日本人のありようが太郎に
    は歯痒くてしょうがなかったようです。誰だって屈曲や矛盾の中で
    生きている。でも生きることの切実さを失ってはいけない。切実さ
    は今この瞬間を生き抜くことから生まれる。無心に青空を振り仰げ
    ば、そこには今初めて発見した青さと広さがあるように、そういう
    一回限りの「今」に対して無邪気に感動できる、透明な眼と心が人
    間の生命をふくらませてゆくのだ。そう太郎は言います。

    「独自な彩りで生命を輝かす」ことを太郎は求め続けました。その
    純粋さと気高さゆえに社会からは孤立してしまいましたが、「人に
    好かれようと思うな。そこに人間的勇気がわき起こる」と自らを鼓
    舞し、戦い続けたのが太郎の生涯でした。純粋で気高い精神。透明
    な眼と心。自らを切り捨ててでも世界と関わる勇気。岡本太郎の生
    き様と言葉は、古びるどころか、ますます輝きを増しています。

    残念ながら本書は絶版になっていますが、Amazonで簡単に古本が
    入手できますので、是非、読んでみて下さい。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    世界をこの眼で見ぬきたい。
    眼にふれ、手にさわる、すべてに猛烈に働きかけ、体当りする。ひ
    ろく、積極的な人間像を自分自身につかむために。純粋な衝動であ
    る。

    私は今日、憤るという純粋さを失い、怒るべきときに怒らないこと
    によって、すくみ合い、妥協し、堕落している一般的なずるさと倦
    怠が腹立たしい。世の中が怒りを失っていることに、憤りを感じる
    のだ。

    自然の樹木がわれを忘れたように伸びひろがっている、凝滞ない美
    しさ。そんな、そのままの顔、われとわが顔なんか忘れているよう
    な、ふくらんだ表情こそすばらしいのだ。

    東北の人の顔も好きだ。横手の「ぼんでん」や八戸の「えんぶり」
    に集まる農民の表情。三陸の港の近くの魚菜市場に群がる女たちの、
    ハジケるような顔のつや。

    空は青いにきまっている。しかし、このひどく単純な感動。…私は
    思う。大むかしから人間は空を見上げては、その青さを総身にやき
    つけた。そんな人間の自然への喜び。それを今日、たとえ何歳にな
    っても、感じつづけるべきだ。(…)
    誰でも、もう一度、無心に空をふりあおいで見るといい。その色は、
    かつて見た「青」ではないのだ。生まれてきて、いまはじめて発見
    する輝き。ひろさ。はじめてぶつかる、一回限りの。すると、ああ
    空が青かった、ということに驚く。
    そういう無邪気な感動こそ、人間生命にとって貴重だ。透明な眼、
    心に人間の誇りが拡充されてゆく。

    素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふく
    らまない。

    人生には、世渡りと、ほんとうに生きぬく道と二つあるはずだ。

    今日もないし、明日もない。今だ。自分は自分であると同時に、み
    んなである。みんなであると同時に自分なのだ。

    いつでも吐き出して空にする。するとその容れものは、逆に一段と
    ふくらんでくるのだ。現実の容器とは、そこが違う。空にすればす
    るほど太るのが、この精神の場所だ。

    忘れることが人間のふくらみだ。自分自身をのりこえるというのは、
    実は己れ自身を忘れることだ。

    「本職?そんなものありませんよ。バカバカしい。もしどうしても
    本職って言うんだなら、『人間』ですね。」
    みんな笑う。どうして笑うんだろう。
    生きがいをもって猛烈に生きること。自分のうちにある、いいよう
    のない生命感、神秘のようなもの、それを太々とぶつけて出したい。

    人に気に入られたり、お役に立とうという気は少しも持たず、むし
    ろ憎まれ、誤解されることを前提に、孤独に生きたいと思う。それ
    が逆に世界をひらくのだ。

    もし世界が変えられないなら、変えることのできるものがある。そ
    れは自分自身である。自分というミクロ宇宙。(…)
    そのためには、自分を用心深く、大事にしては駄目だ。逆に自分を
    瞬間瞬間に分断し、切り捨てて行くことだ。自分の存在に切り口を
    あたえる。すると、瞬間にまた新たな彩りが忽然とひらく。
    今日もし多くの者が誠実に、勇気をもって、そして平気で、己れを
    変えて行ったならば、私はこの絶望的と思われている世界の状況、
    非人間的なシステムも変え得ると思うのだ。でなければ何で人類が
    生きてきた、そしてこれから生きて行く意味があるだろうか。

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    ●[2]編集後記

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    例年より早く梅雨明けした東京は、真夏日が続いています。暑いの
    は構いませんが、困るのは畑の水やり。せっせと水を撒きにいかな
    いと、日照りで作物が枯れてしまいます。

    井戸から水を汲んで如雨露(この漢字、好きです)で撒くのですが、
    これが一苦労。相当な量の水をあげたつもりでも、掘ってみると、
    表面のちょっとの部分にしか水が届いていないことがわかります。
    こんなちょっとの面積でも苦労するのだから、大規模農家の畑の撒
    水問題は深刻ですね。それに比べて水田農業はずっと楽。もしかし
    たらそんなところにも日本人がコメ作りにこだわってきた理由があ
    るのかもしれません。

    二日に一回は早朝に水撒きに行くのですが、表面だけ湿らせるよう
    な水撒きを繰り返していると、根が浅くなってしまい、逆にひ弱に
    なってしまうのだそうです。とにかくせっせと水を撒けばいいとい
    うわけでもないようですね。ほんと、自然相手は難しいです。

    やっぱり雨じゃないとダメなんだなと思っていたら、今朝は未明か
    らバケツをひっくり返したような大雨。おいおい、いくらなんでも
    これは降り過ぎだろうと朝から溜息です。ほんとお天道様を前にす
    ると、人間はなすすべなくオロオロするしかないんですね。

  • 美しく怒れ

  • 本質を見極めるってこんなに難しいことだったっけ?日本で普通に生活していたらどんどんくもる当たり前の感性。常に挑戦、大変なほうを選んでしまう姿勢は、自分とかぶっていてすごく勇気づけられた。敏子さんの温かい目なざしがこの本にも感じられる。

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著者プロフィール

岡本太郎 (おかもと・たろう)
芸術家。1911年生まれ。29年に渡仏し、30年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参加。パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。40年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。51年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。70年大阪万博で太陽の塔を制作し、国民的存在になる。96年没。いまも若い世代に大きな影響を与え続けている。『岡本太郎の宇宙(全5巻)』(ちくま学芸文庫)、『美の世界旅行』(新潮文庫)、『日本再発見』(角川ソフィア文庫)、『沖縄文化論』(中公文庫)ほか著書多数。


平野暁臣 (ひらの・あきおみ)
空間メディアプロデューサー。岡本太郎創設の現代芸術研究所を主宰し、空間メディアの領域で多彩なプロデュース活動を行う。2005年岡本太郎記念館館長に就任。『明日の神話』再生プロジェクト、生誕百年事業『TARO100祭』のゼネラルプロデューサーを務める。『岡本藝術』『岡本太郎の沖縄』『大阪万博』(小学館)、『岡本太郎の仕事論』(日経プレミア)ほか著書多数。

「2016年 『孤独がきみを強くする』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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