ほんとうの道徳

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784798701714

作品紹介・あらすじ

2018年度に小学校、2019年度には中学校でも、道徳が「教科」となった。
学習指導要領は「家族愛」や「生命の尊さ」「国や郷土を愛する態度」など22の「価値」を教えるということを掲げている。しかし、ある価値観を教えるというのが、果たして「正しい教育」なのか? 現場の先生にとっても悩み多き問題だ。

そもそも、「道徳」は教え、評価できるようなものなのか? 著者はその問いに否定的だ。学ぶべきは道徳ではなく「市民(シチズンシップ)教育」であり、それはすなわち相互承認に基づく「教養」だと考える。
では、その中身とはどのようなものだろうか。
それを考えるには、道徳とはそもそも何なのかを知る必要がある。実は、この答えは古くから哲学者たちが突き詰めて考えてきたことなのだ。

道徳の授業なんて、「いい子」ぶった答えをしていればよい。
――そんな授業はもう終わりにしよう。
気鋭の哲学・教育学者が、道徳の本質をわかりやすく解き明かし、来るべき教育の姿を構想する。
道徳副読本として教師や親、子どもたちも使える「理想の道徳教科書」となる一冊。

感想・レビュー・書評

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  •  いやー,気持ちのいい本だった。読後の清涼感がたまんないな。
     帯には「そもそも道徳教育は学校がするべきじゃない」とあったので,「教科化された道徳を糾弾する!」という内容かと思ってしまうのですが,本書はそんな批判本ではありません。
     今の現場の現状を受け入れながら(ゆくゆくは道徳という教科がなくなればいいと思いながら)も,今,学校現場で展開されている道徳教育をどのように変えていけばいいのかのヒントをもらうことができます。
     道徳教育から市民教育へ。苫野一徳氏が常日頃主張している「自由の相互承認」というものの歴史的な意味や,学校教育上の意味なども分かってきます。そして,道徳の授業や学校の取り組みそのものも変革できそうな気がしてきます。

     わたしは,本書を,学校の校内研修で紹介しました。
    「スゴイ本が出たよ」「夏休みでいいから,これを読んでみてね」「これからの学校の方向性が分かるよ」とね。

     たくさんたくさんアンダーラインを引かせてもらいました。

  • 今朝届いた。午後から読み始めて、途中買い物などはさんで、読み切った。いやあ、おもしろかった。何かしたくなった。自分に何ができるのだろう。本質観取、おもしろそうだ。テーマは何がいいか。「正直」とか「友情」とか「愛」とか、いろいろな人の意見も聞きながら、じっくりとその本質を探ってみたい。探究のテーマはどうだろう。「遺伝子診断」とかもおもしろそうだが、「努力」とか「性差別」とか「国境」とか、そういうテーマも興味深い。学校でなくても、個人の寺子屋みたいな形ででもできたらおもしろそう。両親が残した家がある。場所がよければ何かにうまく活用できるのだが。それはちょっと難しいなあ。本書を読むと、道徳科の内容項目の中からでも、十分におもしろそうな授業はできるということが分かる。指導書の通り、結論ありきで、与えられた答えを最後に提示して終わり、というのではおもしろくもないが、自分たちでテーマを選んでやっていけば、相当意味のある授業ができるのだろうなあ。だいたい、著者はいまある学校の形態自体を変えていこうとしている。ここ十数年の間でどれくらい変わるのか。孫ができて、その子が学校に通うころ、大きく違っているのだろうか。おじいちゃんも授業参観に行っていいかな?

  • 書いてあることは納得できる。
    ただし現場感は無い。理想論、とまでは言わないが…

    成長に伴ってルールは作り替える、作り合うべきという点は確か。
    道徳、というより学校教育全体の話だとは思うけれど。

  • P.27より引用
    「『考え、議論する道徳』と言うのであれば、本来、そもそもルールとはいったい何なのか、どのようなルールであれば従うべきで、どのようなときにそれは変えられるのか、変えるべきなのか、新たにつくるべきなのか、といったことを議論する必要があるはずです。いついかなる時もルールに従えなんて、むしろ非道徳的な教育と言うほかありません。」

    とかく、道徳の授業というのは、模範的な児童生徒が模範的なことを言ったり、自然の美しさ、伝統を守ることの大切さについて理解したり話し合ったりすることが多い。
    そして、巷間言われている「考え、議論する道徳」も、その域を出ていないことが多い。
    苫野氏の主張するように、本来の意味で、よりよい社会をつくっていくためには、ルールの有用性を理解するとともに、その適用性やその適時性などを話し合っていくことが、不可欠である。社会に出て、前例だけに囚われたり、間違った組織の論理(違法なことを組織の一員としてさせられても従ってしまう同調圧力のようなもの)に従ってしまったりすることは、ありがちなことであるが、それだけでは間違いなくよい社会人にはなれない。
    きちんとなぜそのルールがあるのか、なぜそうするのか、なぜ校則があるのか、学校に携帯電話を持ってきてはいけない理由(逆に持ってきて良いとした場合にどんなルールを作ればよいか)などを話し合い、その中でよりよいものをつくり出すことこそが、これからの社会の一員として求められる、「生きる力」なのではないだろうか。
    そんなことを考えた。

  • 2019/07/06

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著者プロフィール

哲学者・教育学者。1980年生まれ。熊本大学大学院教育学研究科准教授。博士(教育学)。早稲田大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程修了。専攻は哲学・教育学。経済産業省「産業構造審議会」委員、熊本市教育委員のほか、全国の多くの自治体・学校等のアドバイザーを歴任。著書に『学問としての教育学』(日本評論社)、『「自由」はいかに可能か』(NHK出版)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマ―新書)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『教育の力』(講談社現代新書)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)など多数。

「2022年 『子どもたちに民主主義を教えよう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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