目の見えない白鳥さんとアートを見にいく

著者 :
  • 集英社インターナショナル
4.03
  • (227)
  • (291)
  • (135)
  • (27)
  • (5)
本棚登録 : 3586
感想 : 333
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797673999

作品紹介・あらすじ

見えない人と見るからこそ、見えてくる!
全盲の白鳥建二さんとアート作品を鑑賞することにより、浮かびあがってくる社会や人間の真実、アートの力――。

「白鳥さんと作品を見るとほんとに楽しいよ!」
という友人マイティの一言で、「全盲の美術鑑賞者」とアートを巡るというユニークな旅が始まった。
白鳥さんや友人たちと絵画や仏像、現代美術を前に会話をしていると、新しい世界の扉がどんどん開き、それまで見えていなかったことが見えてきた。
視覚や記憶の不思議、アートの意味、生きること、障害を持つこと、一緒にいること。
そこに白鳥さんの人生、美術鑑賞をする理由などが織り込まれ、壮大で温かい人間の物語が紡がれていく。
見えない人とアートを見る旅は私たちをどこに連れていってくれるのか。

軽やかで明るい筆致の文章で、美術館めぐりの追体験を楽しみながら、社会を考え、人間を考え、自分自身を見つめ直すことができる、まったく新しいノンフィクション!
開高健ノンフィクション賞受賞後第一作!

本書に掲載された作品:
ピエール・ボナール、パブロ・ピカソ、クリスチャン・ボルタンスキー、興福寺の仏像、風間サチコの木版画、大竹伸朗の絵画、マリーナ・アブラモヴィッチの《夢の家》、Q&XL(NPO法人スィング、ヂョン・ヨンドゥのビデオ作品など。

・カラー作品画像多数掲載!
・会話から作品を想像していただくために、本文ページでは見せていない大型作品をカバー裏面に掲載!

川内有緒(かわうちありお)
ノンフィクション作家。1972年東京都生まれ。
映画監督を目指して日本大学芸術学部へ進学したものの、あっさりとその道を断念。
行き当たりばったりに渡米したあと、中南米のカルチャーに魅せられ、米国ジョージタウン大学で中南米地域研究学修士号を取得。米国企業、日本のシンクタンク、仏のユネスコ本部などに勤務し、国際協力分野で12年間働く。2010年以降は東京を拠点に評伝、旅行記、エッセイなどの執筆を行う。
『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』(幻冬舎)で、新田次郎文学賞、『空をゆく巨人』(集英社)で開高健ノンフィクション賞を受賞。
著書に『パリでメシを食う。』『パリの国連で夢を食う。』(以上幻冬舎文庫)、『晴れたら空に骨まいて』(講談社文庫)、『バウルを探して〈完全版〉』(三輪舎)など。
白鳥建二さんを追ったドキュメンタリー映画『白い鳥』の共同監督。
現在は子育てをしながら、執筆や旅を続け、小さなギャラリー「山小屋」(東京)を家族で運営する。趣味は美術鑑賞とD.I.Y。「生まれ変わったら冒険家になりたい」が口癖。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「Yahoo!ニュース 本屋大賞2022年ノンフィクション本大賞」。受賞作。


    白鳥建二さん。51歳、全盲。
    年に何回も美術館に通うー。
    「白鳥さんと作品を見るとほんとに楽しいよ!」
    という友人の一言で、アートを巡る旅が始まった。

    目が見えないひとが美術作品を「見る」って、どういうことなのだろう。と私も思いました。


    視覚とは「目」や視力の問題だと考えられがちだが、実際は脳の問題であるそうです。

    本文より
    目が見えないひとが傍にいることで、わたしたちの目の解像度は上がりたくさんの話をしていた。(中略)だから本当の意味で絵を見せてもらっているのは、実はわたしたちのほうなのかもしれなかった。(中略)でも、肝心の白鳥さんは楽しんでくれているのだろうかー。

    彼は「わかること」ではなく「わからないこと」を楽しんでいるのか。

    白鳥さんはオーディオガイドを聞かない。
    彼が求めているものは、音楽にたとえれば、CDでなく生演奏、それも即興のジャズだった。

    白鳥さんは「全盲だけど展覧会が見たい。誰かに案内をお願いしたい」とリクエストされて、アートを見るようになったそうです。

    また、著者は
    みんなでみていると知らず知らずのうちに作品の核心に近いところまでたどり着く。ひとりでそこまでたどり着くのは難しいが、みんなで色々と話しているうちに「実はそうなのかも」というところまで行けちゃう。だからほかのひとと話ながらみるって面白い。
    とも述べられています。



    障害のある人と健常者との固定観念を崩す、かかわり方の教科書といえると思いました。

    白鳥さんは毎日散歩に出かけて、写真をデジカメで撮ったり、大好きなピアニストの小曾根真さんと映画を撮ったり、毎日積極的に外部と様々な交流をしています。

    そしていつも「ありがとう」と言う側だったのが、いつの間にか、白鳥さんが「ありがとう」と言われる側に逆転しています。

    もう、障害者とか健常者とか超越した、人間の在り方だと思いました。
    ごく、普通の人々はこんなに様々な活動をしていません。
    なんとも行動力と周囲の人間に恵まれているというか、自分で引き寄せていらっしゃるのですね。

    白鳥さんは、形は違っても、生き方を真似したい人だと思いました。

  • アートを見るって、こんなに自由でいいんだ!

    早速、この気持ちを持ったまま美術館へ行きたい!
    ワクワクが胸いっぱいに広がっている



    白鳥建二さんは全盲。
    年に何十回も美術館に通う。
    「白鳥さんと作品を見るとほんとに楽しいよ!」
    という友人の一言から、全盲の白鳥さんとアートを巡る日々が始まった。

    単純に、どうやって鑑賞するのかな?
    って疑問だった。

    まず何人かと一緒に見る。
    それぞれが声に出して、その作品を伝えていく。
    例えば仏像を鑑賞する場面では、
    「手にいろんなものを持ってます。おそうじグッズみたいな(笑)」
    「食堂のおばちゃんみたい」
    など実に自由。
    見たこと感じたことを遠慮せず、どんどん口に出す。

    白鳥さんはそれを聞いて、時々質問しながら楽しんでいる。
    「わかること」ではなく「わからないこと」を楽しんでいると言う。


    私も年に何度かは美術館を訪れるが、こんなに自由な気持ちで鑑賞していなかった。
    「正解」を探そうとしていたのかも知れない。
    次からは、自分の感じるまま自由に楽しみたいと思った。


    そしてこの本では白鳥さんを通して、障害者に対しての偏見など、多くの事に気付かされる。

    ーーーどうして自分たち盲人は「見えるひと」に近づくよう努力しないといけないんだ。
    どうして「かわいそう」なんだ。ーーー


    それにしても白鳥さん、人生を楽しんでいるなぁ。
    楽しんでも楽しまなくても、同じように時間は流れる。
    だったら色んな事をやってみるぞ!

    • Manideさん
      aoiさん、やっぱり、たまたまでしたよ(笑)
      aoiさん、やっぱり、たまたまでしたよ(笑)
      2023/12/07
    • aoi-soraさん
      たまたま・⁠・⁠・(笑)
      いえいえ、なおなおサンタの愛が詰まっているはずです!
      ありがたく頂きましょう♡
      たまたま・⁠・⁠・(笑)
      いえいえ、なおなおサンタの愛が詰まっているはずです!
      ありがたく頂きましょう♡
      2023/12/07
    • なおなおさん
      "/)/)ꕤ*.゚
      ( • - •)
      /つ♡ どうぞ♡
      "/)/)ꕤ*.゚
      ( • - •)
      /つ♡ どうぞ♡
      2023/12/07
  • 美術館で芸術作品を見ていても、
    「見えているものは自分の価値観や経験を通して見ているので他の人とは見えているものが違う」ということにあらためて納得しました。作品を見た全員が「いい作品だね」と感想を言ったとしても、捉え方は千差万別なんですね。そして、「会話によって作品の本質にせまれる」というのもすごく興味深かったです。
    白鳥さんがアートを通して時間を共有する事も大事にしているのかなと思いました。
    登場する皆さんの行動力と自由さが素敵でした。

  • 【感想】
    美術館に行っても、きちんと鑑賞できていないなぁ、としみじみ思う。絵の前に立つのはいいが、何となく全体を眺めるだけ。細部まで読み解こうとせず、解説を読んで「ふ~ん」「へ~」という感想を抱いて次の絵へ行く。鑑賞というよりもウィンドウショッピングみたいな感覚で、ベルトコンベアに乗りながらアートを消費している。
    本書で実践されているのは、その真逆だ。同じ絵を10分でも15分でも観続け、印象を言語化する。ディテールを相手に伝え、質問が返ってきて、それをまた自分の言葉で返す。「読み解く」ことを中心とする鑑賞体験は、一人では味わえない発見の連続である。

    本書は、全盲の美術鑑賞家・白鳥建二さんと筆者による「新感覚のアート本」だ。様々な美術作品――印象派、現代美術、仏像、アール・ブリュット(障害者によるアート)などを大勢の人と一緒に観て、その時の会話を記録している。集まる人々は、とくに造詣が深いわけではない。しかし、素人だからこそ、ああでもないこうでもないと議論を尽くすため、そこから生まれるゴチャゴチャ感が非常に面白い。さながらワークショップを追体験しているようであり、「人と対話することでこんな風にアートを観られるんだ!」と、楽しくなってしまった。

    では実際、目の見えない白鳥さんはどうやって鑑賞するのか。それは一緒に付き添っている人からの口授である。「2メートルぐらいの大きな絵」「コロシアムのような建造物が書かれている」「中央には台座がある」「台座の上にはのっぺらぼうの人間がいる」というように、作品を構成するパーツを事細かに伝え、それを頼りに白鳥さんは想像を膨らませていく。
    当然だが、白鳥さんが頭の中で完成させる作品は、伝える人の知識と認識に依存する。たくさん人がいれば解釈もまちまちになるため、時には参加者から真逆の印象を与えられることもある。スーツを着た人物を「サラリーマンだ」「いやこれは子どもだ」と伝えられたり、仏像を「鬼みたい」「食堂のおばちゃんみたい」と表現されたりと、自由自在の解釈が飛び交う。

    「それで鑑賞になっているの?」と思うかもしれないが、むしろこれがベストだ。白鳥さんは解釈の相違を気にしない。自分の頭の中で結ばれている像が、他の人の言葉によって全く違うものになっても、むしろそれを楽しんでいる。本人は目の前の「もの」の正誤よりも、限られた情報の中で行われる筋書きのない会話を楽しんでいるようである。その「わからなさ」こそが、アートの神髄なのだ。

    解釈が自由自在である例として、こんなエピソードが紹介されている。
    昔、白鳥さんは松坂屋美術館の男性スタッフに付き添ってもらい美術鑑賞をしていた。男性は、一枚の作品を前にして、「湖があります」と説明を始めた。そのあとに「あれっ!」と声をあげ、「すみません、黄色い点々があるので、これは湖ではなくきっと原っぱですね」と訂正した。男性は「自分は何度もその作品を見ていたはずなのに、ずっと湖と思い込んでいた」と驚いている。
    それを聞いた白鳥さんも仰天した。「ええ?湖と原っぱって全然違うものじゃないのって。それまで見えるひとはなんでもすべてがちゃんと見えているって思っていたんだけど、見えるひとも実はそんなにちゃんと見えてはいないんだ!と気がついて。そうしたら、色々なことがとても気楽になった」

    目が見える人も、実はちゃんと見えてない。そして、見えているものが変われば、解釈は自由に変化していく。これがアートの面白さではないだろうか。

    ところで、全盲の人は感受性が高いと思われるフシがある。目が見えない代わりに他の感覚が発達しているという、アレだ。だが、白鳥さんはそれをあっけからんと否定する。
    「見えないからこそ感じるものがあるだろうってよく言われるんだよねー。そりゃあ、見えないから感じるものはありますよ。でも、見えないから感じることは、見えるから感じることと並列だと思ってるんだよ。そこにどういう差があるんだってツッコミたくなる。見えないからこそ見えることがあるって言うひとは、たぶん盲人を美化しているんじゃないかなあ」
    全盲で感覚が鋭い人もいるし、そうでない人もいる。それだけのことなのだ。
    ――――――――――――――――――――――――――
    この本は、白鳥さんの姿勢を通じて「美術鑑賞とは何か」を考えさせてくれる。
    当然だが、アートには正解がない。それと同時に、鑑賞方法にも正解はない。晴眼者にも視覚障害者にも、パンフレットやオーディオガイドで「公式の解釈」を求める人がいれば、ひたすら己の感覚だけで鑑賞する人がいる。作品は一つだが、楽しみ方は無数にある。そういう意味では、美術鑑賞とは「作品に触れてから観終わるまでのプロセスに意味を見出す行為」と言えるのかもしれない。
    白鳥さんとのアート鑑賞が楽しいのは、そうしたプロセスのアタリマエを壊すからだ。今まで一人でじっと眺めることしかできなかった鑑賞方法が、白鳥さんに伝えることで双方向のやりとりになる。認識のズレを対話で共有できれば、意味が幾重にも反響し、結果として作品も見違えてくる。
    世界が思わぬ方向に広がる体験。それもこれも、アートに正解がないからこそできる楽しみである。

    今度美術館に行ったとき、隣にエア白鳥さんを連れて行こう、そう思える一冊だった。
    ――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 全盲者のアートの見方
    全盲の美術鑑賞家、白鳥建二さんと筆者の川内さん、友人のマイティは、絵画の前に立った。
    「じゃあ、なにが見えるか教えてください」
    白鳥さんが尋ねる。彼は「耳」で見るのだ。
    ・女性が犬を抱いて座っている。犬にシラミがいるかを見つけるように、後頭部を見ている。
    ・テーブルの上にはチーズとパンがある。
    ・セーターの色がすごくきれい。赤というよりも朱色に近い。
    ・壁の色が薄い青で、セーターの赤の補色になってコントラストがきれい。
    ・絵には描かれていないけど右側に窓があるのかもしれない。壁が少し黄色がかっていて、ほんのり光が当たってる気がする。

    このように、絵から得られた情報や印象を白鳥さんに伝えることで「鑑賞する」のだ。
    ただ、パーツの配置や形は伝えられるが、色はどうやって伝えるのだろうか?
    白鳥さん「一般的には 『色』って視覚の話だと思われるんだけど、白とか茶とか青とか、色に名前があるという時点で概念的でもあるんです。それぞれの色には特定のイメージがあって、それを(視覚としてではなく)その特徴的なイメージで理解している」


    2 見る人によって印象が違う
    3人はボナールの『棕櫚の木』の前に立った。
    川内「この村はたぶん南フランス。光がキラキラしていて、とても気持ちいい絵」
    マイティ「え〜、気持ち悪い絵だと思うなぁ。女性の表情がぼんやりと曖昧で、亡霊みたい。バックの風景と女性が繋がってなくて違和感がある」

    同じ絵を見ているのに、なぜここまで印象が異なるのか。それは、どうも「見る」ことの科学と関係があるようだ。
    視覚とは目や視力の問題だと考えられがちだが、実際は脳の問題だ。その昔、「ものを見る」という行為は、現代のスマホで写真を撮る行為と同じくらいシンプルなことだと考えられていた。しかし近代科学の発展とともに、徐々に「見ること」の複雑さが明らかになってきた。ものを見るうえで不可欠な役割を果たすのは事前にストックされた知識や経験、つまり脳内の情報である。わたしたちは、景色でもアートでもひとの顔でも、すべてを自身の経験や思い出をベースにして解析し、理解している。
    棕櫚の木で言えば、川内さんは南フランスの風景を多く見てきているため、直感的に絵画の風景を自身の思い出と関連付けた。一方マイティは、南フランスに対する思い出がゼロなので、手前の人物に注目した。

    このようにわたしたちは、過去の経験や記憶といったデータベースを巧みに利用しながら、目の前の視覚情報を脳内で取捨選択し、補正し、理解している。さらに、その過去の記憶情報を元に、対象物をポジティブにもネガティブにもジャッジする。

    二人の傍らで話を聞く白鳥さんは、作品に関する正しい知識やオフィシャルな解説は求めておらず、目の前にある「もの」という限られた情報の中で行われる筋書きのない会話こそに興味があるようだった。逆に、作品の背景に精通しているひとが披露する解説は、「一直線に正解にたどり着いてしまってつまらない」と言う。ひとつの作品でもその解釈や見方にはいろんなものがあり、その余白こそがいいらしい。

    10分も15分も一枚の絵画を見ていると、途中から印象がガラリと変化する。言葉にすることで、自分の思考の扉がほんの少し開いたような気がするのだ。


    3 視覚障害者への偏見
    白鳥さん「自分には、目が見えないという状態が普通で、見えるという状態がわからないから、『見えないひとは苦労する』と言われても、その意味がわからなかった」
    実際に白鳥さんは、歩く、食べる、お風呂に入るなどの日常生活に大きな不自由は感じていなかった。

    「盲学校で教わったのは、障害があるからこそまじめに努力しないといけない、ということ。たぶん先生たちの中でも『障害者は弱者、健常者は強者』で、欠如部分があるならばそれを補って、できるだけ健常者に近づくべきだ、という先入観があったのだと思う」
    どうして自分たち盲人は「見えるひと」に近づくよう努力しないといけないんだ。どうして「かわいそう」なんだ。どうして、どうして。ますます大きな疑問になった。
    それはたまたまその体に生まれた個人に対し「がんばり」という負担を押しつけるような理不尽な言葉だ。本当に変わらなければいけないのは、不公平でバリアだらけの社会のはずだ。


    4 視覚障害者と一緒に見ることで、道が開ける
    いまわたしが目の前で見ているコップを同様の大きさ、色、形で白鳥さんが頭の中で再現することはない。彼はまったく別の想像力でそれを「見て」いる。そして裏を返せば、「見えるひと」もまた彼が「見て」いるものを想像することはできない。
    水戸芸術館で鑑賞ワークショップを企画した森山さんは、ワークショップの目的を、「見えるひとと見えないひとの差異を縮めることではなかった」と言ったのだが、まさにそこだった。
    見えないひとと見えるひとが一緒になって作品を見ることのゴールは、作品イメージをシンクロナイズさせることではない。生きた言葉を足がかりにしながら、見えるもの、見えないもの、わかること、わからないこと、そのすべてをひっくるめて「対話」という旅路を共有することだ。
    感想や解釈が同じではないからといって、相手が間違っているわけではない。むしろ違いがあるからこそ発見があり、自分の海域が豊かになる。そうするうちに、自分でも何年も忘れていたことを語り出すこともあるかもしれない。

    美術館に足を運び、長い列に並び、入場料を払い、やっとのことで見た作品でも、実は見えていないもののほうが圧倒的に多い。しかし、「見えないひと」が隣にいるとき、普段使っている脳の取捨選択センサーがオフになり、わたしたちの視点は文字通り、作品の上を自由にさまよい、細やかなディテールに目が留まる。おかげで「いままで見えなかったものが急に見えた」という体験が起こるのだ。


    5 言葉だけではわからないもの
    筆者はいままで、白鳥さんは言葉や会話から多くの情報を受け取っていると思い込んでいた。だから、美術鑑賞も、言葉さえ耳で聞くことができればなんとかなるだろうと思っていた。しかし言葉が運ぶものは「多くの情報」かもしれないが、「情報の多く」ではなかった。この違いは大きい。
    例えば人間が発する声というのは、ただの言葉の乗り物ではない。ひととひとが一緒にいて、口から流れ出た空気で、わたしたちの間にある空気が震え、風になる。その風は暖かいかもしれないし、冷たいかもしれない。ビリビリするようなものかもしれない。そういう物理的な変化をすべてひっくるめての声であり、言葉だった。

    そして美術作品もまた物体としてのエネルギーを発している。ランプ人間の冷ややかさ、大竹伸朗が描く荒々しいタッチや紙の重なり。そういうすべてがただの物体だったものを作品たらしめる。そして、その作品と鑑賞者をまるごと包み込むのが美術館である。
    だから画面上でやりとりするバーチャル鑑賞には、美術鑑賞を「体験」に変えてくれるものが決定的に欠けているのだと思う。


    6 表現の力
    障害のある人の作品を展示している「はじまりの美術館」館長の岡部さんはこう言う。
    「表現の力に障害のあるなしは関係ないのです。ここでは、障害の有無に関係なく一緒に作品を展示し、鑑賞してもらうことで、むしろ『障害とはなにか』を考えるひとつのきっかけになるのかなと思うようになりました」
    なにをもってして「表現」と呼ぶのかという問題にもぶちあたるが、広く捉えれば、わたしたちの日常の行動のすべてが表現と呼べるのかもしれない。写真や絵、音楽などのいわゆる表現活動はもちろんのこと、どう働くのか、どんな料理をするのか、SNSでなにを伝えるのか、なにを買うのか、なにを捨てるのか。そういうすべてが表現といえば表現である。表現はみんなが生まれつき持っている力なのだ。

  •  著者の川内有緒さんが、全盲の白鳥建二さんに同行し、2年間にわたる美術館等を巡る旅で、見えてきたことは何だったのでしょう?

     一つは、アートを鑑賞することの楽しさ・奥深さが増したこと。もう一つは、障害、差別、偏見についての見識が広がり、深まったことではないかと思います。
     少々重いテーマのような気がしますが、印象はいい意味で裏切られます。まずはポップなカバーデザイン、読む前から楽しそうです。また要所にアートの写真(カバー裏にまで)、更には重要なポイントとして、個性的で愉快な友人たちも同行するからこそ生まれる豊かな視点の会話、最終的な著者の伸びやかな文章表現…。これらが上手く融合し、読み手が追体験している感覚になります。

     (白鳥さんがいるので)「一枚の絵を10〜15分見ていると、自分の目の解像度が上がること、また、言葉にすることで、思考の扉が開く感覚になる」。
     一方白鳥さんは、「教えてもらうのではなく、話すというプロセスの中で意味を探ったり、発見していくのが面白い」とのこと。なるほど〜。
     
     著者は、白鳥さんと同行を繰り返すほど、視覚障害者に対する先入観や偏見(大変だね、かわいそう)と向き合うことになります。
     対話という旅路を共有することで、「見える人と見えない人の差異を縮めることは意味がない」こと。そして、「窮屈な許容範囲の外側に勇気を持って一歩踏み出し、自己規制を解除し続けることで、『普通』『まとも』『当たり前』の領域が広がる」と気付かされるのでした。

     アートの解釈の本質、人として(健常者・障害者の隔たりなく)他者と共に生きることの意味を〝軽やかに〟問う、良質なノンフィクションでした。

    • しずくさん
      >アートの解釈の本質、人として(健常者・障害者の隔たりなく)他者と共に生きることの意味を〝軽やかに〟問う、良質なノンフィクションでした。
      ...
      >アートの解釈の本質、人として(健常者・障害者の隔たりなく)他者と共に生きることの意味を〝軽やかに〟問う、良質なノンフィクションでした。

      全く同感で私も好きでした!
      2022/12/17
    • NO Book & Coffee  NO LIFEさん
      しずくさん、こんにちは♪

      コメントありがとうございます。
      なかなかアートを観に行く機会などないのですが、例えば原田マハさんの作品を読むと、...
      しずくさん、こんにちは♪

      コメントありがとうございます。
      なかなかアートを観に行く機会などないのですが、例えば原田マハさんの作品を読むと、たまらなく観てみたいと思ってしまいます。
      作家さんの「言葉の力」って凄いと思います。
      映画や音楽も同じでしょうね。
      感動をいただけることに感謝し、感動する心を失いたくないものですね。

      今後もよろしくお願いします!
      2022/12/17
  • 目の見えない白鳥さんのアート鑑賞の方法は一緒に鑑賞をする人の説明(話言葉)によるものだけど、説明するほうの人が話をしているうち最初の印象を変わっていってしまう。私も興味のある美術展に出かけて、時には説明ガイドを聴いたり、横に書かれた説明文を絵を見る以上によく読んだりして、わかった気がして美術館を出ることも多いけど、アートの解釈というのは正解は無いのでしょうね。
    明るいトーンでユーモラスに書かれているけど、障害を持つ方の現実をつきつけてくることもあり、読んで良かったと思う本でした。

  • 全盲の白鳥さんと一緒にアートを見に行く…どういうことなのか?見えないのに見たい…実際に足を自ら運んで、その場でどんな作品なのかを説明してもらいイメージを膨らませる…コミュニュケーションを経て、その場の雰囲気を楽しむということなのだとわかりました。

    目が見えるようになるとしたら、それを望むか?の問いに白鳥さんは過去にさかのぼって見えるようになるのならいいが、今は特に不自由も感じないし望まない…そう答えていたのが印象的でした。それと、目が見えない人、白状をついている人を見かけると、つい大変そうだなぁ、とか、困っていることも沢山あるんだろうなぁ、とか感じてしまっていましたが、でもそれは大変な思い違いだったこともわかりましたし、なによりその考え自体が対等ではなかったと反省しました。

    この作品を知ったのは、何冊か読ませていただいた喜多川泰さんのホームページで紹介されていたこと、その後「Yahoo!ニュース本屋大賞2022年ノンフィクション本大賞」を受賞されたこと、そしてお世話になっているまことさんのレビューから是非に読んでみたいと思いました。白鳥さんと筆者の川内有緒さんとその友人たちが実際に鑑賞したアートがカラーで掲載されているもいいですね!読んでいる私も一緒に連れて行ってもらえたような、なんとも得した気分になれました。

    • まことさん
      かなさん。こんばんは♪

      名前を出してくださりありがとうございます。
      でも、何もお世話はしていないので、(*^^*)。
      喜多川泰さんの、ホー...
      かなさん。こんばんは♪

      名前を出してくださりありがとうございます。
      でも、何もお世話はしていないので、(*^^*)。
      喜多川泰さんの、ホームページがあるのですか。
      私も以前、数冊拝読した、作家さんです。
      そのうち、覗いてみたいと思います。
      2022/12/07
    • かなさん
      まことさん、こんばんは。
      コメントありがとうございます(^^)
      まことさんにはいっぱいお世話になっていますよ!
      まことさんのレビューは...
      まことさん、こんばんは。
      コメントありがとうございます(^^)
      まことさんにはいっぱいお世話になっていますよ!
      まことさんのレビューはいつも参考にしながら
      読みたい作品を決めています。
      これからも参考にさせていただきたいので
      よろしくお願いします。

      喜多川泰さんのホームページには
      自身の著作の紹介もしていますが、
      別の作品の書評も掲載されています。
      そんなに沢山の作品が掲載されているわけではないのですが
      その中でもこの作品、絶対に読みたいと思っていました!
      お時間のあるときに覗いてみてください。
      2022/12/07
  • どこで知ったかは忘れたけど、直感で、いいっ!って思った本。大当たりでした。
    本の中に、自分の好きなもの、ひと、行ったことのある場所などがたくさん登場したこと、筆者のことばの選びかた、文章の軽やかさで一気に引き込まれ、読み終わりました。
    最初、アートの楽しみ方の提案という雰囲気でしたが、後半は生き方、社会とのかかわり、世界全体の問題など、考えさせられました。
    知らなかったことを知る機会になって、とてもよかった。

  • 図書館本

    白鳥さんの考え方とか生き方とか、そういうのが心に響く。
    どんなふうにアートを見てるかというより、アートを通して問題意識持ったり、考えたり、という一冊だと思う。
    いわゆる芸術の説明本ではないところが面白い。

    優生思想や差別とか。
    多くの人々の中に優生思想はある、と白鳥さん。だから優生思想はとんでもない、ではなく、程度の違いはあれど、自分の中にも優生思想がある、そこから始めないと。
    単純に、優生思想なんてとんでもない、と叫ぶことは思考停止なのかもしれないと。
    途中割愛しますが、
    成長はすばらしい、便利になることは進歩だ、というこの世の中の考え方を踏まえ、
    かつて行政が不幸と決めつけてきたこと、人生につまづいた人を自己責任で片付ける風潮、できるという能力に価値を置いてきたこと、それが社会の歪みを生んだのかも、には共感。

    他者とは異なる自分を受け入れられたり、そのままを受け入れられる自分でありたい。

  • 友人の誘いで、全盲の美術鑑賞者・白鳥健二さんと美術館を巡るようになった著者。
    白鳥さんや友人たちと美術作品を観ながら、一緒に話し、一緒に笑い、一緒に過ごした時間をお裾分けしてくれる1冊です。

    白鳥さんが、その作品の歴史的な背景や事実などのいわゆる"正解"ではなく、一緒に作品を鑑賞している人たちがどんな風に感じているのか、どんなことを思ったのか、を楽しんでいるところがすてきです。
    のびのび自由に作品を感じて、感じたことを遠慮なく言葉にする。
    人によっていろんな感じ方があって、それによって自分の見方や感じ方も変化していく。
    そんな気付きに満ちた時間が描かれていて、読みながら自分もやってみたくてうずうずしてきました。

    また、白鳥さん自身も行動力のある方なのです。
    アート作品に出演したり、デジカメで何十万枚もの写真を撮影したり。
    そもそも白鳥さんが美術鑑賞をはじめたのは「盲人らしくない行動で面白いな」と思ったからなのだそう。
    人を惹きつける人ってこういう人なんだなぁ…と白鳥さんの飄々とした魅力に浸りつつ読了。

全333件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

川内 有緒/ノンフィクション作家。1972年、東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業後、米国ジョージタウン大学で修士号を取得。米国企業、日本のシンクタンク、仏の国連機関などに勤務後、ライターに転身。『空をゆく巨人』(集英社)で第16回開高健ノンフィクション賞を受賞。著書に『パリでメシを食う。』(幻冬舎)、『パリの国連で夢を食う。』(同)、『晴れたら空に骨まいて』(ポプラ社/講談社文庫)など。https://www.ariokawauchi.com

「2020年 『バウルを探して〈完全版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

川内有緒の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×