きずなと思いやりが日本をダメにする 最新進化学が解き明かす「心と社会」

  • 集英社インターナショナル
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797673326

作品紹介・あらすじ

誰もがなんとなく「これでいいのか」と思っている問題に、社会心理学者である山岸先生と、進化学者の長谷川先生が、最新の脳科学、進化学、社会学、心理学などを駆使してずばりと切り込む痛快対談。

感想・レビュー・書評

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  • 進化生物学者と社会生物学者、2人の先生が現在の日本社会について対談する、というちょっと面白い切り口の本。読んでいると、お2人とも歯に衣着せぬ感じの物言いで、タイプが似ているからこそ相乗効果的に話が進んでいくテンポの良さがあります。
    対談となると、他に対決している流れのものと一方がインタビューする流れのものがあるように思うのですが、双方に専門知識があるなら今回のような流れは面白いなぁ、と感じました。とは言え、じゃあこの対談に反対の意見を持つ人を1人加えてみたらどうなるだろう、と興味を持ってしまうのも事実ですが。。

    日本社会が抱える問題に対して、2人の専門分野の中から知見が出てくる訳ですが、専門分野を少し離れて「子育て」や「いじめ」なんかを対象にカジュアルめな対談をしているのが、変な物言いですが贅沢な印象を受けました。
    各分野でトップクラスの頭脳が、まるで居酒屋で雑談をしているようなスペック持て余し感ですが、「へー」となる話がちょいちょい出てきます。個人的には総じて面白く読めました。

    ちなみに、一部のサブタイトルについて、おそらくその後に本文を削ってしまったからか、サブタイトルの内容が全く本文に出てこないという箇所がありました。そこも読みたかったなぁ。

  • 対話形式で進められていることもあって、思ったほど読みにくくなかった。 多様性をたびたび耳にする今こそ、必要な内容だと思った。

  • 簡単なまとめは最後に書かれている。

    対談という形式になっていてスラスラ読める。
    二人が類似しているので、どちらが長谷川真理子さんで、どちらが山岸俊男さんかわからなかった。長年の付き合いの結果だろうか?

    思い込みのうち、『Factfulness』にもあったものとして、あちらの方々マインドや、昔は良かったマインドがあって、やっぱり進化論的に見ると、そうなのだということを改めて感じた。

    心でっかちというのは、なるほどと思った。スローガンを掲げていても仕方がなくて、制度を変えなければ、すべてはうわごとに過ぎないというのも強烈なメッセージだった。

    びくびくする人に対し、原理を持つといいよというのは参考になった。私自身がそうだからだと言えばそれまでだけど。。。多様性に対して、みんな一緒では価値がないというのが難しい。

    まだ整理できていない。自由な対談なので、まとめにくい。

  • ここのところ山岸俊男さんの本を3冊続けて読んでいるのだけれど、それは社会心理学者の山岸俊男さんが観る社会の景色を共有したいとおもってからだった。
     でも、山岸さんの本はかつて読んだ記憶があるのだが、専門的で重厚で立ち向かうのに苦労した記憶があった。
     この本も、そして数日前に読んだ『リスクに背を向ける日本人』もそうだが対話を書籍にしているので、対談相手が見つめてる景色との対照性で、ずっと読み易くなり山岸さんが観ているだろう景色もくっきりと立ち上がってくる。
     そして今回の対談のお相手の長谷川眞理子さんが行動生物学、進化生物学を専門にしているということもあって、山岸さんの見つめる現代社会の姿を、時間という厚みと、人類が携えている進化の過程のクビキをともなって、私の心にすとんと落ちる味付けをしてくれている。
     この両分野の視点というのは、それぞれに読んでも引き込まれる好きな分野だけど、両者が合わさると、錐で穴を開けるように刺激をもって引き込まれ、想像を広げていってしまう。
     次にはもう『しがらみを科学する』を読んでいる。

  • 身の回りを見ても、精神論で解決を迫ることが多い。
    「交通事故が続くから、慎重に運転しましょう」
    「競合の動きに、アンテナを高くしましょう」
    会議の席でおかしいと思っても発言せず、動かないことを是とする。
    グルーバル化が進むなか、言葉も通じない人たちと空気で理解しあうことはできるはずもない。
    精神論でなく、仕組みで解決を図ること、考えさせられる一冊。

  • またしても昼食をとりながら約1ヶ月かけて読んでいるので、何が書いてあったのかほとんど記憶に残っていない。要するに社会システムはいろいろ変わっても、人間の脳はそんなに進化しているわけでもなく、長く狩猟採集民であった時代に形作られたものがいまだに残っている。だからいろいろなひずみが出てくる。というような、いままでに何度も読んできた話がもとになっているのだと思う。気になるのは後半の議論で、2人ともどうも欧米のシステムを取り入れることにより積極的なようだ。けれども、たとえばアメリカは日本よりうまくいっているのか。新大統領の就任式であんな暴動まがいのことが起きる国がはたして正しいのか。などと考えると、決して日本の方がよいとばかりは思わないけれど、本書にもあるように幸せの感じ方は個々人で違うわけだし、さほど気にしなくてもいいのではと思ってしまう。自分はどちらかというと日本びいきかな。自己主張ばかりして、ぎすぎすした雰囲気になるのもつらいよな。と思う。

  • 社会
    心理

  • 社会心理学者と進化生物学者の対談。話がかみ合っていて、内容は結構深い。逆説的なタイトルは、集団内で問題を起こさないようにするネガティブな協調性として取り上げているようだ。理念ではなく、客観的事実に基づいて政策決定することを主張する最初の章は読みごたえがある。

    多産か少産かの戦略の違いは、その生物の置かれた環境に関係している。生存環境が飽和状態であれば、子どもの数を限定して、一人の子に資源と時間を割いて育てる必要がある。生存環境が飽和していない場所では、子どもは産みっぱなしでいい。

    ヒトは母親だけで育児はできない。子育てを母親だけでやる社会はどこにもない。配偶者、家族、属している集団メンバーからのサポートを得る戦略をとった。他者からの力添えを期待できなければ、子どもをつくろうという話にならない。グアテマラでは、産婦に付き添うドゥーラという習慣があるが、ドゥーラのあり・なしで正常分娩の割合や分娩の平均時間が大きく違う。分娩が近づいても、社会的なサポートが得られなければ産まないという生理的メカニズムが働いていると推測される。

    1950年代から60年代の日本では、出生率が4以上あったので、人口抑制が至上命題だった。優遇措置をして移民を奨励し、2DKを普及させて一軒家から集合住宅に住まわせた結果、出生率はあっという間に2に下がった。

    人類の脳が発達した理由として、かつては狩猟で肉が食べられるようになり、肉を女性に分け与えたので一夫一妻制が生まれたというハンター仮説があったが、ご都合主義とされて失墜した。1970年代後半に、ホームベースで集団生活を行い、それぞれが調達してきた食糧を持ち寄って命をつなぎ、共同生活を行う中で男性も育児に協力するようになり、夫婦の絆も生まれたとするホームペース仮説をグリン・アイザックが提出し、今でも重視されている。社会を維持するために知性を発達させたとするのが社会脳仮説。

    社会の作り方は、集団主義的で閉鎖的な社会、個人主義的で開放的な社会の2つしかない。山岸は、それぞれを安心社会、信頼社会と定義する。

    共感能力には、認知的共感と情動的共感の2種類がある。認知的共感は、自分が他者の状況に置かれた場合を想像して推測するもの。情動的共感は、相手の痛みをシミュレートして、自分の感情が反射的に抑えられるもの。

    シナプスで放出されたドーパミンを受け取る受容体のうち、D4が新奇性追求と関係している。D4受容体の生産を制御するDRD4遺伝子は、人によって繰り返しの数が違い、多いほど新奇性追求の傾向がある。

    日本人には和を重んじる心があるのではなく、和を重んじているふりをすればメリットがあるからそうしているに過ぎない。中でも若者が高いのは、集団の問題を解決するポジティブな協調性ではなく、集団内で問題を起こさないようにするネガティブな協調性。思いやりや気配りを美徳として、積極的にリスクを取りに行く人がいなければ、社会全体の効率が落ちてしまう。

    ローマは商取引の争いを解決するための民事訴訟法を整備した結果、域内の交易が盛んになった。マグレブ商人は仲間だけのネットワークに頼ったが、ジェノバ商人は取引における法を整備し、裁判所を設立してオープンなネットワークを作ることによって地中海貿易を制した。

  • Yotsuya

  • 感想

    新聞広告か何かでタイトルに惹かれて図書館で借りた。学者が2人対談する方式。結構読むのに時間がかかった。

    以下メモ。
    ●社会問題の原因を客観的、科学的に捉えずに、全て「こころ」に求める傾向はますます広がっている。お説教では問題解決はしない。社会科学は個人レベルの行動や心がけをいくら変えても社会は変化しないというところから出発している。一人一人の気持ちや心がけとは関係なく戦争は起こる。
    ●少子化問題は「心でっかち」な議論が横行。「女性が働くようになり子供が生まれない」「家庭の素晴らしさを若者に教えなければならない」など。
    ●生態学的観点から見ると寿命のなかのエネルギー配分が重要。おばあさんは繁殖期を終えたメスと定義するとヒト以外の生物でおばあさんは居ない。何故ヒトだけにおばあさんがいるのか。それは人間の子育ては大変だから。
    ●統計を見ずに心のせいにしたがる人々。「土日になるとバイク事故が増える。終末になると気が緩むのではないか」「大型バイクの死亡は統計上40代50代が多い。中年になると運転に慣れて気が緩むに違いない」なんでも心のせいにされる。
    ●土日と平日のバイクの通行量を見る、年齢別の事故発生率を見る。そもそも大型バイクは排気量も多く値段も高く経済的余裕のある中年の購入が多いだけ。事故率は20代の方が高い。それなのに「中高年のバイカーは規制しましょう」になってしまう。
    ●83年から88年にかけて離婚率が17パーセントも下がる。そのことに「バブルの絶頂期で景気が良く、経済的な不満がないから離婚しない」「戦後の民主的な教育を受けた世代は夫婦関係が平等になり友達のような夫婦が増えたからだ」「女性の自立が進んで昔ならイヤイヤ結婚していたような女性が結婚しなくなった。離婚自体が減ったのだ」これらに共通しているのは心。正解は「離婚適齢期の人が減ったこと」。事実関係を確かめずに先に心に原因を求めるのが役所。
    ●50〜60年代に人口抑制をするためにとられたのは「移民奨励」と「2DKの普及」。長屋や一軒家ではなく、こうした集合住宅に住み、冷蔵庫洗濯機掃除機など電化製品を揃えた暮らしを送るのが「文化的」とのだと宣伝し大成功を収めた。団地サイズの家では大人数の子供を育てられず、出生率4から2へ、下がった。子供を産むなと号令をかけたり命令するのではなく、そうやって核家族化して暮らすことがモダンなんだという風潮を作っただけでなく、公団住宅を実際に作ってみせた。
    ●自然淘汰によってヒトは勝ち組であり、ゴリラやチンパンジーは負け組だというのは誤解。いま地球上にいるのは皆、進化の「最先端」な生き物。
    ●海外で活躍する日本人を見て「あの人は特別だから」と言う。日本人らしくないから成功した、と暗に言っている。しかし、アメリカに行けばアメリカ人のように振る舞う方が何事もうまくいくし、逆に日本にいた時のように周りの目を気にしていてはやっていけない。海外に行く人が変わってるんじゃなくて、海外に行ったら変わる、それだけのこと。
    ●ショウザフラッグとは逆の概念が「空気を読む」。自分たちは空気を読む生き方をしていながら「個性が大事」「多様性の時代だ」「共生社会だ」とお説教をする。
    ●そう言う人たちの考える「多様性」「共生」は結局のところ「みんな仲良く」という思いやりの世界。思いやりを最優先したら自分の頭で考えなくなり、多様性も共生もなくなる。
    ●みんな違ってていい、という言葉が最近流行っているが、みんな違うというのは大変なことであって、簡単に「いいね」というものでもない。世界観や思想が違う相手でも尊重しましょう、というけど、本当のところは「違っている」ことに耐えること。
    ●思いやりとおもてなしの精神でなんとかなるのは、相手がお客さんである限りのこと。一緒に仕事していこう、仕事してもらおう、の時は通用しない。
    ●今の日本は思考力を高めることを目指さずに「正しい心を育てましょう」ばかり言っている。何が「正しい」か分からないから、必死に思考しないといけない。

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著者プロフィール

総合研究大学院大学名誉教授・日本芸術文化振興会理事長

「2023年 『ヒトの原点を考える』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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