- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784797670806
作品紹介・あらすじ
ナポレオンの熱狂情念。タレーランの移り気情念。フーシェの陰謀情念。三つのパッションが出会ったとき、世界史は動き出した!フランス革命からワーテルローに至る「怒涛の三十年」を鮮やかに描き出す、堂々の一〇〇〇枚。
感想・レビュー・書評
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見慣れないものが目の前をたゆたい、現れては消えてゆくのを眺めるのが楽しい。
「栄華に導き没落させるもの」
情念行動学
情念は全ての原動力
高位情念は、社会的集団の中で、稀にしか現れない。
高位情念を持つ人間が、情念を燃え立たせる時代の風を得るとき、その社会全体に大きな利益をもたらす。
情念は如何なるものであれ、その人の生きがいとなる。
その情念を満たすのはとても楽しいのだ。情念に忠実に生きているときは、完全なる幸せを感じられるのだ。
そういうわけで、情念はしばしばやり過ぎる。情念に駆られているときは、周りなんて見えないし、理性の声も役に立たない。
初めのうちこそ必要から行われ、歓迎されたことでも、極端な行動はやがて所属する集団を疲弊させる。
時と共に全てが変わる。
調和的情念=熱狂情念×移り気情念×陰謀情念
熱狂情念 合理的整合性を超越した、なにものかへの熱狂、陶酔。全く無益で無駄と思える事柄の中にも没入してゆく傾向がある
移り気情念 熱狂情念の狂躁的な要素を欠いている
フロイト 夢理論 多次元的決定 結節点
自分の見た夢を思い出して、そこから自由な連想を働かせ、思い浮かべたイメージや言葉を点と線で結んでゆくと、何本かの線が交わる交差点のようなイメージや言葉があらわれる。このイメージや言葉が、じつは、その人の無意識の核を探り当てるための入口なのである。それを手掛かりにさらに分析を加えていけば、その人の無意識の構造が見えてくる。
フロイトはこの交差点的なイメージを、「多次元的決定」の「結節点」と名付けている。
人間関係、とりわけ情念の連鎖においても、この「多次元的決定」の「結節点」に当たる人物がいる。
フランス革命からナポレオン帝政の「情念戦争」の時代に、この「結節点」の役を演じていたのが、テルミドールの反動後に成立した総裁政府の最高権力者バラスである。ナポレオンの熱狂情念も、タレーランの移り気情念も、フーシェの陰謀情念も、ジョゼフィーヌの浪費情念も、全ての情念の軌跡はバラスという点で落ち合い、そこを情念戦争のかりそめの戦場としている
「フーシェ」
陰謀(密謀、分裂)情念 後衛人間 リスクの分散 保険 マキャベリ的人間 観察者 知は力 良き家庭人
恐るべきフーシェの無個性 なにもかもを引き寄せる無
たった一度立場を明確にしたために、一生ついて回った「国王殺し」の汚名。
それがフーシェを栄華に導き、やがて没落させることになる。
「ジョゼフィーヌ」
浪費情念 天真爛漫で無邪気な浪費家である彼女にとって、男とは欲しいときにすぐもぎ取って食べられる果実であり、銀行小切手帳だった。
ナポレオンの生涯の中で、歴史家たちが合理的な解説を加えることが出来ないでいる二つの謎。
ジョゼフィーヌへの盲目的な愛と突然のエジプト遠征。
「タレーラン」
蝶々情念 全ての思想と行動に偏見を持たず、つねにおいしい蜜があればそちらのほうに飛んでゆく
選択的蝶々 さまざまな花のもっとも甘美な部分だけを吸い取り、あとはいさぎよく捨てる
大貴族としての誇りと典雅と洗練 みずからの存在そのものによって相手を圧倒する
悪徳司教 先見性のある偉大な政治家
「私」がまずあり、その延長上に「公」があるのであって、「公」の看板の裏に「私」があるのではない
タレーランにおいては「私欲」と「公益」は最終的には見事に一致しているのである。
人間は所詮私欲でしか動かないものである。ならば、その「私欲」をバネに「公益」をもたらす人間がいたとしたら、その人間こそは国家にとって貴重な財産なのである。この点を見誤ると、国家は奈落の果てに転がり込むことになる。
タレーラン 「私」の快楽が、「公」のそれと一致するように、「公」の方を変えていく 実際的なリアリスト
頭の良い人間の欠点は、頭は悪いが意志強固な人間に出会うと、すぐに戦いを放棄して、匙を投げてしまうというところである。
反対しても、馬鹿は聞き入れないとわかると、どうとでもなれという気持ちになって、結局は、妥協するのである。
タレーラン どんな環境にも、どんな人間にも順応してみせる柔軟性
移り気情念 一つ所に定住することを拒否する
私欲が公益に直結する
外交交渉と社交界は同質だ
タレーランは媚びることの天才だった。ナポレオンが最も言って欲しいと思っていることを絶妙のタイミングで述べ、ナポレオンの自尊心を気持ちよくくすぐった。しかし、タレーランは同時に誘導の天才でもあった。つまり、タレーランはナポレオンを自分の考えている方向にもっていってしまうのである。
タレーラン 平和主義者 驚くべき先見性を持つ
タレーランは相手国の弱点や敵意や思惑をすべて見抜き、これを容赦なく衝きながら、巧みにカードをやりとりして、粘り強く交し、
相手から最大限の譲歩を引き出し、最後は、戦争回避へともってゆくという外交戦術を得意としたのである。相手国は、すべて自分の言い分を聞いてもらったつもりになって喜んでいると、最後は見事にしてやられてしまう。ひとことでいうならば、タレーランの戦い方はナポレオンを相手にした場合でも、また敵対国を相手にした場合でも、いつも同じだったのである。
1800年6月マレンゴの勝利ー1802年3月アミアン条約(イギリスとの平和条約)
タレーランは戦争を避ける術としての「外交」の見本を示した
タレーランにとって、戦争はあくまで、和平交渉を有利に進めるための手段に過ぎない。だから、たとえ戦争が始まってしまっても、その瞬間からすでに、戦争のやめどきだけを考えていた。つまり、相手国が一番停戦したくなる頃合いを見計らって、交渉を開始するのである。
戦争を出来る限り回避し、避け得ない場合でも、戦闘は最小限で食いとどめて、あとは外交交渉にゆだねる。
戦争を仕掛けてもうける軍需成金よりも、平和をもたらすことによって賄賂を取るタレーランのような人間のほうがはるかに罪は軽いのではないか
アミアンの条約 イギリスとの八年間に及ぶ戦争に終止符を打った 1801年10月
外交交渉 相手の提案に対して対案を何度もだしあって、譲れるところは譲り、取るべきところは取る
相手に和平の意志があるときには、粘り強く交渉を重ねれば、必ず合意に達する
敗戦国の外交とは、戦勝国も納得せざるを得ない理屈を考え出し、それによって被害を最小限にくい止める技術であることを、タレーランは雄弁に示したのである。
「ダフ・クーパーのいうように、われわれは、タレーランの蝶々情念を、権力亡者の日和見主義と同一視しないようにしたほうがいい。
なぜなら、タレーランは政権を狙ってさまざまな陰謀を巡らすのだが、だからといって、政権に就いたときに打ち出す政策が、彼みずからが課している二つの原則「正統主義の原則」と「合理的な限界内での自由」を大きく逸脱することはないからである。」
タレーランの遺言状 1836年
「一、これまでに私が参加した諸政府の中で、私が与えた以上のものを私に与えてくれたものは、結局ただの一つもなかった。
一、私は、どんな政府であっても、それがみずからを見捨てる以前に、私の方から見捨てたおぼえはない。
一、また私は、一党一派や、自分ないしは自分の同族の利害をもってフランス全体の利害よりも重しとしたことがない。そして、さらにいうならば、フランスの利害は、決してヨーロッパの真正な利害と対立するものではないと、考えている次第である。
以上、この私の過去の行為に対する私自身の判断が、今後公正無私な人々によって確証されることを、私は期待している。そして、
かりにもし私の死後にこの期待が満たされないとしても、現在この私に責任があることを自覚して、余生を安らかに送るつもりである」
1770年代 ロココ時代 黄金時代の貴族たち 「生の歓び」を謳歌する 爛熟した貴族文化
デュ・バリー夫人 ルイ十五世の愛妾 「究極の快楽」を追求した
エピキュリアニズムの頂点 エピキュリアン「快楽は、いっさいこれを拒んではならない」
アンシャン・レジーム 宮廷貴族 聖職者階級 高位聖職者 高給取り 世俗の人たちと変わらぬ快楽
若い頃のタレーランは、上品さの見本ともいうべき青年で、彼のささやかな反抗も、優雅と精細さを兼ね備えていた。
その反抗とは読書であった。
また彼は、後ろ盾さえあれば、司教であっても愛人を持ち、博打を打っても、教会は見て見ぬふりをすることを学んだ。
「人を愛するという幸せ」と読書が、生涯にわたって彼の心と精神を支えていた。
1789年7月14日 この日を境に、王侯貴族の間で謳歌された快楽主義は、二百年の時間を掛けてゆっくりと民衆の中に浸透していった。
十八世紀の快楽主義は、革命を機により民衆的なサイズへ平準化し、民主化していったのだ。
人間は原則的に平等であるべきだが、「結果の平等」あるいは「能力を無視した平等」などの悪平等は不公平に劣らず悪い
『人権宣言』八月二十六日採択 フランス革命最大の功績
ミラボーとタレーランの成果
「ナポレオン」
熱狂情念 空想を現実に映しこむ 自分の無限の能力を信じた人間が、ふさわしい仕事を見つけたときに開花する情念
過去の成功は、さっさと捨てるべきガラクタである。
「熱狂情念というのはわれを忘れて、不条理な行動に突っ走る情熱のことではない。反対に熱狂情念の人は常に冷静である。突き放した他人の目で
自分を見つめることができる。だが、そうした冷静さにもかかわらず、彼の頭脳から導き出される結論はいつでも「ストップ」ではなく「ゴー」
なのだ。つまり、完全に目覚めている頭脳、的確な判断力、だれよりも健全な悟性といったものを有しながら、それらをはるかに超えた、
ほとんど神の命令に等しいような情念、人間そのものの限界にまで近づこうとする情念に、その人は身をゆだねてしまうのである。それゆえ、
外から見ると、熱狂情念の人は狂っているかのように見えるが、けっして狂ってはいないし、われを忘れているわけでもない。ただ、
神から託された使命に等しい大望に向かって、自分以外のものすべてを巻き込みながら突っ走っていくのである。」
アレクサンダー大王
アレクサンドル皇帝 ロシア
「最悪の状況のときに、さらに人に過ちを犯させるものは「希望」なのだ。実現するはずもない「希望」こそが、悪魔の繰り出す最も有効な誘
惑なのである。」
エジプト、ロシア、ライプティッヒで、ナポレオンは将兵を見捨てて逃げ帰った。
「切れるカードが何もなくなったナポレオンを、プロシャ、ロシア、イギリスは相手にしようとしなかった。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ナポレオン、フーシェ、タレーランを中心として展開される歴史書のようだが、読み物としてもおもしろかった。
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第13回アワヒニビブリオバトル「逆転」で紹介された本です。
チャンプ本
2016.05.10 -
とても面白かった。読んでいてこんなにも笑った歴史書ははじめてだ