顔のない遭難者たち 地中海に沈む移民・難民の「尊厳」

  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794973368

作品紹介・あらすじ

「あの人たち」の権利を守り、「私たち」と「あの人たち」の死を同じように扱うことが、私たちの挑戦だった――(本文より)

いまも昔も、世界中のあらゆる国々で、「身元不明の遺体」が発見されてるが、その多くの身元を特定されない。身元不明者が移民・難民である場合、その遺体を「放っておけ」と言う人々がいる。それはなぜか?
イタリア(ヨーロッパ諸国)には、領海内で遭難した外国人の身元特定にかかわる法律が存在しなかったが、法医学者である著者は仲間たちと協力し、ヨーロッパではじめて移民遭難者向けデータバンクの創設に取り組む。

近しい人の身元がわからず、藁にもすがる思いでときには親族のDNA(髪の毛や爪、唾液など)を携え、著者のもとへ訪れる人々たちの怒り、慟哭、悲痛。そして「ここに来てよかった」という言葉。
数字としてまとめられる身元不明の遺体、「顔のない遭難者たち」の背後にも、それぞれの名前と物語がある。遺された人が死と向き合うため尽力し続ける人々の法医学ノンフィクション。


「死者の身元を特定したいという願いは太古から続く欲求である。あの人はもう生きていないのだと納得し、その上で死者を埋葬したり、あるいはせめて、最期に丁寧に身なりを整えてやったりするためには、遺体そのものに触れる行為が必要不可欠となる」(第1章「二〇一三年十月 死者に名前を与えること」)

「では、なぜ、死んだのが「あの外国人(移民)たち」である場合は、抵抗なく受け入れてしまうのか? なぜ、このような事態を放置したまま、なにも行動を起こさないのか?」(第2章「『あの人たち』の死を、『私たち』の死と同じように」)

「『移民の遺体にたいしては、ほかの遺体(この場合、要するに、欧米人の遺体)にたいしてささげられるのと同じ努力を注ぐ必要はない』。見知らぬ誰かが、自分たちにことわりもなく勝手にこんな決定を下しているという事実を、移民の遺族は従順に受け入れてきた。遺族の頭のなかで、こうした現実がどのように解釈されているのか、私はどうにか想像しようとした」(「第4章 最初の同定 『ここに来てよかった』」)

感想・レビュー・書評

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  • 移民・難民への無関心はどこからくるのか? クリスティーナ・カッターネオ『顔のない遭難者たち――地中海に沈む移民・難民の「尊厳」』|じんぶん堂
    https://book.asahi.com/jinbun/article/14783138

    ‘A question of dignity’: the pathologist identifying migrants drowned in the Med | Global development | The Guardian
    https://www.theguardian.com/global-development/2021/jun/03/a-question-of-dignity-the-pathologist-identifying-migrants-drowned-in-the-med

    顔のない遭難者たち | 晶文社
    https://www.shobunsha.co.jp/?p=7323

  • アフリカの国々から、地中海を渡りヨーロッパに迫害を逃れる人々がいる。
    その粗末で小さな避難船に、許容を遥かに超える人々が乗船しているため、一度転覆でもしようものなら、被害は甚大だ。

    『顔のない遭難者たら』の著者であるクリスティーナ・カッターネオは、地中海に沈んだ移民の遺体に「名前」を与え、「曖昧な喪失」に苦しむ人びとを助けるために奔走しているイタリアの法医学者。
    法医学者は「名もなき死者」の身元を、指紋鑑定、遺伝学、歯科医学の3つを主たる手段として探っていく。
    また著者が勤務する「ラバノフ」には、人類学者や考古学者も籍を置き、それを遺体の同定に役立てている。

    本書では、犠牲者が多かった2013年10月と2015年4月の2つの遭難事故に焦点が当てられているが、悲劇はそれだけではないことを理解しておく必要がある。
    国際移住機構の報告によれば、2000年から2016年までに、少なくとも22,400人が地中海で没しているとのことだ。地中海は、移民・難民にとっての「集団墓地」と言われながらも、未だに決死の航海は跡をたたない。
    欧州移住に成功した人々が、残された家族をアフリカから呼ぶケースがある。そして突然難破したと知らせを受ける。しかし、その目で遺体を見たわけではない。その手で遺体に触れたわけではない。

    我々がその当事者であったなら、自分にとってほかの誰よりも大切な人がもうこの世にはいないという事実を、本当に受け入れられるだろうか。海に沈んだ遺体が回収され、損傷が激しいのであれば科学的な同定(身元特定)が行われ、それがほんとうに愛する家族の亡骸なのだと判明するまで、心から納得することはできないのではないだろうか。

    「確かさが得られないこと」の苦しみを、今日の心理学は「曖昧な喪光」と呼び、鬱やアルコール依存を招きかねない危うい心理状態として注意を促しており、現在の欧州には、この「曖味な喪失」に悩まされる移民が、数万、数十万の規模で存在しているとのことだ。


    人間が死しても、それに敬意を払い、遺された遺族への配慮も怠らない。素晴らしいと言う言葉では言い表せない。
    またその一方で、ロシアによるウクライナの侵略と虐殺、イスラエルのパレスチナ人への過度とも言える報復、ミャンマー軍事政権の民主運動家殺害など、世界の中では命の重さが、こうも違うのかと思わせることが続いている。
    深く考えさせられた。

    ちなみに、移民・難民の収容所があるランペドゥーザという小さな島の島民には、移民・難民の悲惨な現実が見えていないらしい。
    敢えて見えないようにしているようだ。
    しかし、この島の人たちを非難することは、出来ないのかもしれない。
    それも複雑で深い問題だ。

  • 「移民」と聞くと、暴力や迫害から逃れるために他国からやってきた人々が頭に浮かぶ。しかし、生きている人間だけが移民ではない。

    二〇〇〇年から二〇一六年までに、少なくとも二万二千四百人が地中海を渡る途中で命を落とした。大半の遺体は、名もなき移民として扱われた。遺族たちは心待ちにしていた人々に会うことも、亡骸を見ることも叶わず、いまも心のどこかで、帰らぬ人を待ち続けている・・・
     
    法医学者が扱う遺体の多くは、なんらかの犯罪の被害者が大半である。しかし、イタリアのラバノフ(犯罪人類学医科医学研究所)所長である法医学者の著者が目を向けたのは、アフリカや中東からヨーロッパを目指してやってくる移民たちの遺体だった。

    地中海沿岸のイタリアでは、ヨーロッパの中でもとりわけ多くの遺体が流れ着く。本書では、二〇一三年十月三日にイタリア最南端の島で起きた「ランペドゥーザ」の悲劇と、二〇一五年四月十八日に約千人もの犠牲者を出した「バルコーネ」の事故が取り上げられている。

    イタリアは後者の船の引き揚げを決定し、海軍、UCPS、消防隊、科学捜査班、シラクーザ県庁、特別機動隊、カターニア検察、シラクーザ県保険当局、赤十字軍事部門、大学、各種人道主義団体、そして著者の属するラバノフから成るメンバーたちが、日夜、移民の遺体をいっぱいに詰め込んだ船から遺体を回収し、冷凍、解凍して検死し、同定に必要な死-後(PM)データを集めた。

    その結果、遺族から問い合わせがあった場合、遺体の写真を見たり、所持品の情報が合致したり、生前の遺伝子情報と一致する品といった死-前(AM)データがあれば、彼らがその事故で命を落としたことやお墓の場所などを伝えることができるようになった。

    「移民たち」もわたしたちも、同じ権利をもっている。もしも、愛するひとが亡くなってしまったら・・・。きっと、一目でも最期の姿を見てから棺を閉じたいと思うだろう。亡骸がなければ、果たして心から故人を悼むことができるだろうか。

    遺体に触れて、確かに死を確信できないことの苦しみを、今日の心理学では「曖昧な喪失(ambiguous loss)」と呼ぶ。現在、この「曖昧な喪失」状態の移民は、数え切れない。しかし、イタリアのように、死後のデータが保管してあれば、少なくとも亡くなったという事実だけは手に入れることができるようになる。

    イタリアは移民の受け入れに積極的なだけでなく、ヨーロッパにたどり着く前に命を落とした人々のアイデンティティを取り戻す努力さえもしている。一方、日本はどうだろうか。難民の受入数ですら三桁台なのに、大量の移民の遺体を乗せた船が漂着したら・・・

    生死の重みは、人類みな等しい。

    命からがら自国を脱する人々のことを、日本人は遠目に眺めているだけではないか。必死の思いで逃げ出した人々について、その背景も含めて、改めて移民問題を考える必要がある。

    参考:ランペドゥーザ島に住む少年と地中海を渡る移民たちの[https://www.bitters.co.jp/umi/:title=素晴らしい映画]が二〇一七年に公開されている

  • イタリアの法医学者が、地中海を渡る途中で遭難した移民・難民の同定作業(=遺体の身元を確認する)を振り返るノンフィクション。優れた科学啓蒙書に贈られる「ガリレオ文学賞」の受賞作だ。

    政治的混乱などの問題を抱えたアフリカや中東の国々から、ヨーロッパに逃れようと、粗末な船やボートに乗って地中海を渡る大勢の人々がいる。

    そして、時には途中で遭難し、命を落とす。その多くは、身元確認すらされないまま異国で葬られる。

    そうした死者の尊厳回復と、遺族の「喪の仕事」のため、著者たちは困難な確認作業を買って出たのだ。

    愛する人の死を確認できないままでいると、専門用語で「曖昧な喪失(Ambiguous loss)」と呼ばれる危うい心理状態に陥る。それは日本の「3.11」においても取り沙汰された。
    身元確認をし、遺族に確かな事実としての死を伝えることは、彼らをその苦しみから救うことにもなる。

  • 不法移民の船が地中海へ相次ぎ沈んでいると、度々ニュースで目にしていた。ぼんやりと、遺体は母国に送り届けられるんだろうなあ、などと考えていた。本書を読み、それがあまりに甘い見通しであることを痛感させられた。
    遺体の氏名を同定し、然るべき遺族へと繋げること。言うは易しだ。実際にそれをなすには、生前データと死後(検死)データのマッチングが必要でる。国内の身元不明死体でも、それをしっかりこなすのは簡単では無い。増してや、移民ともなれば尚更だ。
    生前データの収集を巡る困難について。例えばリビアでは、家族が移民船に乗ったことが当局にバレれば、残された家族はムショ送りなのだという。そんななかで、母国に「この死者の家族の情報をください」などと公的に助けを求められるはずもない。そのため本書では、コミュニティを介した「クチコミ」で生前データを収集している。それでも少なくない難民が、家族や友人の消息を尋ねて遠くミラノまで来るのだと言うのだから痛ましい。
    死後データを巡る困難について。検死は労力も専門性も、時間的制約も大きい。何百人もの移民の遺体に、その労力を掛けるのか? 誰が法医へ賃金を支払うのか?

    DNA鑑定が必ずしも万能ではない、というのも面白い視点だった。DNA鑑定以外の鮮やかな鑑定方法については、ぜひ本書を実際に見ていただきたい。

    本書を通じて、法医学者達の高い職業倫理に強い感動を受けた。この大きな問題に、熱意を持って(決して恵まれない資金状況のなか)取り組んだイタリアの法医学者達に心から敬意を表する。
    本書の取り組みが、発展的に実を結ぶことを切に願う。地中海移民は現在進行中の大きな問題である。この問題は本書に登場するような法医学者達の「熱意ある働き」だけで解決できようもない。いずれもっと国際的視野で持って解決を図るべきだろう。

    自らの死後も尊厳を持って扱われ、家族や友人に悼んでもらえるであろうという希望があってこそ、ひとは自分の命を、他人の命を大事にできる。死者の尊厳を守る。「死者に名前を与える」ことは、ひとが人として生きていく上での第一歩、見過ごしてはならない権利なのだと思う。

  • 数ではなく名を。憐れみではなく尊厳を。

    「遠く」の死者の無関心さ、無意識での無関心について考えた。数字だけで終わる、処理されてしまう大多数の個人の歴史・家族。想像がつかない過酷な世界から安心して暮らせる世界へと死を覚悟して出航して亡くなっていった人々が、死してなお軽んじられる。
    自分の大事な人、家族、友人がもしかしたら亡くなったのかもしれない。おそらく亡くなったのだろう。けれど確証がない。事実がない。証拠がない。事実を得るための力も自分にはない。書いているだけでも底のない真っ暗な沼の中に入ってしまいそうな絶望。
    今現在(2023年11月)に起こっているイスラエル・パレスチナ問題にも通づる。ニュースで「この爆撃で約〜人が亡くなりました」。
    数字はなんて楽で残酷なんだろう。1の中の歴史を無にしてしまうのだから。私もその事をわかっていても「犠牲者が多いなぁ」と思ってしまう。

    人権について真に理解出来ていない。同じ人間だと、仲間だと思っていないから安易に数字で表せるのだろうか。数字は悪では勿論ない。が、命の安易なカウントのニュースに心が痛む。この活動(失踪者の同定)が世界各地で当たり前のように起こせるようになっていきますように。全ての命が重んじられる世界へなっていきますように。

  • 2023.01.02 図書館

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著者プロフィール

一九六四年、ピエモンテ州に生まれる。ミラノ大学教授、ラバノフ(犯罪人類学歯科医学研究所)所長。専門は法医学。二〇一四年より、地中海で命を落とした移民・難民の遺体の同定作業に従事している。その体験を綴った本書『顔のない遭難者たち』(Naufraghi senza volto: Dare un nome alle vittime del Mediterraneo, Raffaello Cortina Editore, 2018)で、ガリレオ文学賞を受賞。「犯罪と蝶々 自然科学が解き明かす謎」(Monica Maldarellaとの共著、二〇〇六年)、「体、骸骨、犯罪:ラバノフの物語」(二〇一九年)などの著作を通じて、法医学の魅力を一般読者にもわかりやすく伝えている。

「2022年 『顔のない遭難者たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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