「できる」と「できない」の間の人

著者 :
  • 晶文社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794973085

作品紹介・あらすじ

「たはは…まっ、そんなこともあるよね」って現実を踏みしめて、爽やかに、軽やかに、明日へズンズン歩いていく日記がたまらない。つられて元気になっちゃう。たはは。
──帯文・岸田奈美(作家)

病気や怪我、老いなどで「できていたことができなくなる」ことがある。誰もが、できるとできないの間で迷ったり、不安を感じたりしながら生きている。でも大丈夫。困りごとは人に伝えて、周りに助けてもらえばいい。
突然発症したレビー小体病という「誤作動する脳」を抱え、長いトンネルから這い出てきた著者が、老い、認知症、そしてコロナ禍と向き合い悪戦苦闘する日々を綴ったエッセイ集。心配しないで。未来はきっと、そんなに悪くない。

「コロナみたいな、どうにもならないものに振り回され、理不尽なことがいっぱい起こる社会の中で、みんな、それぞれに必死で生きている。人間は、弱くてちっぽけだけど、それぞれが、かけがえのない、大切な人なんだ。間違いなくそうなんだよと、私は、言葉にして伝えたかった。弱っている人にも弱っている自分にも」(「はじめに」より)

【目次】
1 コロナ時間とできない私
2 会いたい。会いたい。会いたい。
3 形を失った時間
4 ゴルゴ13とモンローの間
5 「きれい」と言われたい
6 最後に知る秘密
7 バナナの教え
8 強くはなれない
9 「確かさ」のない世界
10 おしゃべりな植物
11 幻視と幽霊
12 母の舌
13 死語と記憶とビンテージ
14 ずぼらの達人
15 育児がつらかった頃
16 永遠の初心者
17 認知症って何なのよ
18 見えない未来を生きていく
19 終わらない私の宿題
付録 認知症のある人が社会に居場所を取り戻すための3つの提言

感想・レビュー・書評

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  •  「誤作動する脳」を読んだ後、その後の樋口直美さんのことを知りたくて手にした作品がこの作品です。樋口直美さんは、30歳台の頃から身体の不調を抱え、40歳台でうつと言われ、50歳台でレビー小体型認知症との診断を受けられています。「誤作動する脳」を抱え、迎えたコロナ禍で描く読む人をちょっと元気にするエッセイ…。

     このエッセイでは、樋口直美さんのこれまでの生活、今の生活を垣間見ることができます。子育てで悩んだり、コロナ禍であることから思うように日常生活を送ることが出来なくなったり…そんな場面を読むと、共感できることも沢山ありました。

     徐々にできないことが増えてきて人の手を借りなければならないと場面に直面しても、みんながそうなるのだから、躊躇せずに助けてもらう…今できないことはできないのだし、その後のことを考えてもそうすべき…。「あなたは、大切な人だ」心配なことが沢山あったとしても、助けてもらったり助けることができたら手を貸して、少しずつ社会とのつながりをもっていきたいとそう綴る樋口直美さんって素敵な女性だと思いました。

     『付録 認知症のある人が社会に居場所を取り戻すための3つの提言』は、本当に読めてよかったと思っています。これから認知症のある方と関わる中で大事にしなければならないことがしっかり読むことができます。この部分は、認知症に関わるすべての人に読んでもらいたいです。私もはっとさせられましたし、今後何度も読み返すと感じています。認知機能が衰えたと感じたとき「まぁ、ちょっと不便だけれど、これはこれで、そんなに悪くないよ」と笑顔で話せる…私もいつか認知症になるかもしれないけれど、そのときそんな風になれるといいなって思います。

  • 間の人 – 晶文社スクラップブック
    http://s-scrap.com/category/higuchinaomi

    「できる」と「できない」の間の人 樋口直美(著/文) - 晶文社 | 版元ドットコム
    https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794973085

  • 読みやすいエッセイで、すごく良い内容だった。最近ギックリ腰になったりして老いについて考えることがあったので、先達の言葉が身に染みた。
    「誤作動する脳」を読んだ時に、「こんな面白い本を書ける人が、レビー小体型認知症にならなかったら本を1冊も出さずに人生を過ごしていたのか」と不思議な気持ちになった。そんな人の日常的な要素多めのエッセイが読めて嬉しかった。

    再読。言葉や内容の選び方が丁寧で、おそらく憤っていらっしゃるのであろうことや悲しい思い出についてもそんなに辛い気持ちにならずに読めるのがすごい。あと、参考文献がまめに書いてあるのが助かる。

  • こんな世界があったのかというくらい、普通の人には気づきがある。普通と言われる基準ではない人も同じ人間。頭ン中の思考は同じ。いずれ年老いていく過程できっと同じように感じるはずと気づきをもらった。

  • とても良かった!

    レビー小体症と診断されている著者の、病気と共存する日々のエッセイ。
    当事者の体験する諸症状や、当事者から見る社会の課題、そこから広がり、病気に関わらず子育ての中で感じることなど。

    当事者目線を知ることが出来るだけでなく、当事者ではないのに「あ〜わかる…」と共感する点も多々あり、それでも何とかやってこうとする著者の姿勢に励まされ、肩の力抜いてやってきますか〜と思える。
    病気や症状を切り口に日々の工夫や課題を語るが、それは社会の中で少しでも難しさを感じている人なら、共感、応用できるアイデアに満ちている。
    体力や体調的に社会一般で普通とされてる働き方ができない私だから、共感する部分が多かったのかもしれない。

    また、エッセイの中で触れるデータや言説に細かく引用文献やエビデンスが示されているので、より深めて知りたい場合に有難い。

    病気のこと半分、社会や個人的なこと半分くらいの割合で、決して重い難しい本ではないので、ぜひ色んな人に読んでもらいたいと思った。

  • 他者と自分の境遇を比較、優劣を設定、それに一喜一憂する。

    そしてネットの世界には「できる人」がいっぱい。ありとあらゆる物事に、「上には上がいる」「もっといいものがある」「もっとすごいことがある」と見せつけられ続ける世界。自分の持っているどんないいものも色あせていくような気がする。

    でも、いいよ。
    私は、私が楽しいと思うことを続けていこう。私は、また毎日書いていこうと思う。

    “主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと
     変えられるものを変える勇気と
     その両者を見分ける英知を我に与え給え“

    有名な「二―バーの祈り」だ。自分一人の力だけでは、変えられないものがある。例えば病気でできなくなったことは、忍耐や努力ではどうにもならない。どんなにがんばったところで、できなくなったことは、もうできない。

    がんばることの素晴らしさだけを、私たちは小さい頃からいつも教えられてきた。でもそれと同じくらい、負けること、諦めること、逃げることも大切だと教えられ、練習できたら良かったと思う。

    思い通りになることなんて、ほとんどない。人間は弱い。そして脆い。そのことをもう少し早くからわかっていたら、いろいろ違っていただろうなと思っている。

    できないことを無理やりやって、「混乱←自滅←自信喪失」ルートにはまるほどアホらしいことはない。自分にできること、できないことを見極めて、できないことに無駄なエネルギーは注がない。手持ちのエネルギーは、限られている。すっぱり諦めたり、人の助けを借りながら、省エネモ―ドで賢くいくのだ。


    上記は本エッセイ内のお気に入りの文章の抜粋です。
     
    わたしの父はレビーで、著者の作品は1作目から読ませて頂いています。レビーのいまいちピンとこない症状だったり、事象だったりを分かりやすく代弁してくれる著者のルポは、わたしにとってとても貴重です。

    1、2作目はレビーの貴重な情報として主に読ませていただいたのですが、今作はレビーの症例等情報一旦置いといて、レビー患者、認知症患者がどう感じるか、どう接して欲しいか、また介護をするにあたり、無理をしないでね、と患者や介護者を優しくハグしてくれるエッセイのように感じました。

    お互いをマウントし、優劣をつけあう社会ではなく、みなが優しくハグし合う社会になればどんなに素晴らしいか。レビー患者、認知症関係者問わず、自信喪失し自尊心が薄れつつある人にも読んでほしいと思います。



    素敵な文章がとても多いエッセイですが、特に心に届いた文章を抜粋

    (P121/P171 71%. kidle)
     「認知症」とつく病気を診断された人が、歯を食いしばって苦手になった計算ドリルをしたり、させられたりすることがある。記憶障害が主症状のアルツハイマー病の人が、覚えられないことを必死に覚えようとしたり、周囲から「思い出して!」と言われたりする。それは苦痛でしかないし、悪いストレスは、脳には猛毒だと私は実感している。
     がんばることの素晴らしさだけを、私たちは小さい頃からいつも教えられてきた。でもそれと同じくらい、負けること、諦めること、逃げることも大切だと教えられ、練習できたら良かったと思う。
     思い通りになることなんて、ほとんどない。人間は弱い。そして脆い。そのことをもう少し早くからわかっていたら、いろいろ違っていただろうなと思っている。
     きらびやかな祭典が過ぎれば、また厳しい現実に引き戻され、悲痛なニュ—スが続いていく。命がまた失われていく。
     学校でも会社でも育児でも介護でも、一人で耐えてがんばり続けたらどうなるだろう?気になる。最悪の場合は、死んでしまう。それだけはダメだ。絶対にダメだ。
     毎日苦しくて、笑うこともできなくなったら、もうがんばる必要なんてない。そんなときにがんばり続けることは、害悪だ。「こうあるべき」とか、「正しさ」とか、そんなものは、どうでもいい。
     一番大事なのは、自分だよ。会社より、学校より、家族より、何よりも、まず自分だよ。つらいニュースを見るたびに、私は、そう叫びたくなる。
     大事なのは、「しんどい」「苦しい」と口に出すこと、黙って聴いてくれる人に愚痴をたくさん言うこと、「手伝って」「助けて」と、人の手を可能な限り借りること。そんなことは、学校でも家でも誰も教えてくれなかった。でも今は、それができる心の柔らかさを持っていることこそが、人が持てる強さなんだと思っている。「自己責任」なんて呪いの言葉に操られてはいけない。


    (付録)
     100歳まで生きれば、ほとんどの人が認知症になる。長生きの先に、みじめで悲しい晩年はいらない。笑いながら、ゆっくりと坂を下りていきたい。認知症を恥じることなく生きられる社会がほしい。
     そのために、最後にもう1つ、あなたにお願いがある。どうか積極的に見つけ出してほしい。老いていくことの豊かさ、不思議さ。衰えていくことのおもしろさ。認知症のある人の世界の美しさ、自由さ、新しい価値観を。そしてそれを伝えてほしい。
     認知症のある人と一緒に何かを楽しみ、対話し、そこで見つけたその人の魅力や素晴らしさを語ってほしい。
     あなたの親も親戚も、そしていつかあなた自身も認知機能が衰えていくだろう。そのとき、「まあ、ちょっと不便だけど、これはこれで、そんなに悪くないよ」と笑顔で人に言えたなら、今ある認知症問題の多くは、既に問題ではなくなっているだろう。

  • 認知症について、多少の知識があると思っていたが、誤りだと気付かされた。
    前向きに生きる姿に、親や自分の将来を重ねていた。

    恐れずに接することや幻視のことなど、初めて聞くことだった。認知症のことをもっと知ろうと思った。

  • 女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000058318

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著者プロフィール

樋口直美(ひぐち・なおみ)1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。多様な脳機能障害のほか、幻覚、嗅覚障害、自律神経症状等もあるが、思考力は保たれ執筆活動を続けている。著書に『私の脳で起こったこと』(ちくま文庫)、『誤作動する脳』(医学書院)、『「できる」と「できない」の間の人』(晶文社)等がある。

「2023年 『レビー小体型認知症とは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

樋口直美の作品

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