みんな政治でバカになる

著者 :
  • 晶文社
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794972750

作品紹介・あらすじ

バカ(認知バイアス)とバカ(政治的無知)の「バカの二乗」によってこんな世界ができあがった。私もあなたもみんなバカなら、いったいどうすればいいのか?
──橘玲

怒りは必要だが、それだけでは誤る。本書はいま、「理性」のありかを問う。
──千葉雅也

分断・ヘイト・陰謀論が絶えないのはなぜか?
進化心理学、認知科学から導かれる、道徳感情をめぐる考察。

トランプ当選をいまだに信じるひとに、Qアノン信者。世界を操るのはディープステートで、コロナワクチンにはマイクロチップが……。なぜかくもフェイクニュースや陰謀論が後を絶たないのか? それは私たちが「バカ」だから!
人間の脳内には「直観システム」と「推論システム」という異なる認知システムがある。この認知科学の「二重過程理論」をもとに、今世界で起きている政治的な分断と対立と混乱の図式を描き出す。我々が囚われている「バカの連鎖」から抜け出すにはどうしたらよいのか? 最新の進化心理学、認知科学の知見に基づいてその脱出口を探る長編評論。新しい人間像を構築せよ!

本書のタイトルは「みんな政治でバカになる」である。「バカなんて許せない!」とイラッとした人も多いかもしれない。しかし、ちょっと待って欲しい。本は読まれなければ、意味がない。人間は「理性」よりもまず「感情」が反応することがわかっている。「バカ」という乱暴な物言いで、あなたの「道徳感情」に訴えかけて、本書を手に取ってもらったわけである。(……)私たちは人間本性上バカな言動をとってしまう。くわえて、ほとんどの人が政治について無知=バカである。いわば、「人間本性による」バカ(認知バイアス)と「環境による」バカ(政治的無知)とがかけ合わさった「バカの二乗」である。これがフェイクニュースや陰謀論が後を絶たない理由である。(「はじめに」より)

第1章・大衆は直観や感情で反応する
第2章・幸福をあたえる管理監視社会
第3章・よき市民の討議はすでに腐敗している
第4章・ポピュリズムは道徳感情を動員する
第5章・もはや勉強しない亜インテリ
第6章・部族から自由になるために

感想・レビュー・書評

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  • p2 二重過程理論 人間の脳内には直感システムと推論システムという異なる認知システムがあるという説である
    直感システムは、経験や習慣に基づいて直感的な判断を下さす。非言語的・自動的・無意識的であるため、素早く判断できる。しかし、間違いも多い。その間違いには一定パターン(認知バイアスがある

    推論システムは言語的・意識的な推論をおこなう。直感室テムに比べて間違いは少ないが、時間や労力を必要とする。ざっくりいうと、直感システムと推論システムは感情と理性と言い換えられるかもしれない

    p037 当事者研究 これまで治療や研究の対象とされてきた当事者が、同じ悩みや苦しみを持つ人たちとともに、自らの症状や傷害について研究を行うものだ。ソーシャルワーカの向谷地生良らが設立した、浦賀べてるの家で2001年に始まった。

    p066 熟慮の悪魔という認知バイアス じっくり思案して出した決断ほど考えが一貫せず、またモラルに欠ける傾向

    p073 集団分極化 同じ考えを持つものが議論すると、極端な考えの方に先鋭化する現象

    p073 私達には自分の考えを裏付ける情報を信用し、自分の信念に反証する情報を無視する傾向がある(確証バイアス)。また、自分の信念に反する情報に出会うと、自分の考えにさらに固執する傾向がある(バックファイア効果)。エビデンスではなく、部族の信念に一致するかどうか、という観点から、情報を判断してしまう(アイデンティティ保護的認知

    p081 私達は「人間本性」によるバカ(認知バイアス)と「環境」によるバカ(政治的無知)という「バカの二条」というべき状態にある

    p120 バークによれば、人間とは無知で誤りやすものである。伝統はさまざまな試行錯誤の上に生まれ、長い年月をかけて先人の良識が蓄積されている。各人が自分だけで私的に蓄えた理性は僅少でしかなく、むしろ伝統や慣習といった共通の偏見に隠された潜在的智恵を発見するべきだ。偏見の上衣投げ捨てて裸の理性の他はなにも残らなくするよりは、理性織り込み済みの偏見を継続させるほうが遥かに賢明である

    p127 古代ギリシャのアテナイでは抽選で選ばれた市民がポリスの要職についたが、専門性の高い財政や軍事の役職は選挙制で選ばれたという。選挙制は能力が高い人物や信望を集める人物が選ばれやすく、エリート主義的で貴族主義的なのである

    p171 ターリシャーロット 数字や統計は真実を明らかにする上で必要な素晴らしい道具だが、人の信念を変えるには不十分だし、行動を促す力はほぼ皆無である

  • とても良い本ですし重要な書だとも思う。身につまされる。政治制度とか政治を語る環境だとか何とかしてまともなものにしたいなとしみじみ感じます。
    選挙前のこの時期に読むとまた余計に味わい深い。選挙へ行こうと促す芸能人の動画にもどこか危うさを抱いてしまう。

  • 《「他者」と向き合う能力を持たないが、そのいっぽうで「他者」に無関心ではいられない。それが大衆の本能的・感覚的な思考なのである。》(p.54)

    《亜インテリは「勉強」が足らないのだ。「亜インテリ」は集団やコミュニティといった「部族」の「ノリ」に合わせるためだけに「勉強」している。「共感」という「集団のノリ」に溺れ、共通の「敵」をいっせいに罵倒する。しかし、「深く勉強する」ことは「部族」の「ノリ」から「距離をとる」ことであった。「部族」の信念を相対化するために「最小限のツッコミ意識」(アイロニー)を持つ必要がある。だが、このようなアイロニーは近年きわめて評判が悪い。というのも、ネット右翼の言説が冷笑主義的で、シニカルであることがよく指摘されてきたからだ。》(p.207)

    《であれば、「教養」それ自体からも「自由」になる「教養」が必要だろうし、「部族」ならざる「部族」にならなければならない。もちろん、「部族」から「自由」になった人々は「ドヂ」な振る舞いによって、「部族」の「はえぬきメンバー」からは「不信の念」を抱かれ、「異分子」として排除されるし、「残酷」に嗤われる。というのも、コミュニティや集団の多数派は「テンポ」が「ズレ」ることをなによりも恐れているからだ。バカの居直りでもなく、シニカルな冷笑主義でもない。そのあいだとして、ドヂな存在が求められている。》(p.247)

    《インタビューを通じて「だめ連」をはじめとした活動家の考えや生き方に魅了されるいっぽうで、しかし、その「快楽」や「欲望」は彼らの特異なキャラクターに依ることが多く、私のような「普通の人」が実践するのはきびしい、とも感じていた。そして、その方法をなるべく一般化したいと思って書いたのが本書だった。》(p.253)

  • 2024年2月25日朝日新聞に載った
    「陰る「自己責任論」、希望と危惧」
    という記事が興味深かった。
    ラディカルだ。
    この時初めて綿野恵太という名前を知った。

  • 面白かった。ほとんどの人間が、認知バイアスによる「バカ」と、政治的無知による「バカ」という、「バカの二乗」だという。

    認知バイアスによる「バカ」を引き起こす人間の認知システムは、なにかを認知するときに、言語的・意識的な「推論システム」よりも、非言語的・自動的・無意識的な「直観システム」が優先されてしまうという。「直観システム」のわかりやすい例として、「許せない」と即座に関する「道徳感情」が挙げられる。

    僕にとって興味深かったのは、理性的な市民が対話を行う市民社会が、現在では行き詰まりを迎えている、という指摘だ。歴史学は長らく、日本の近代史を基本的に市民社会の形成史として描いてきたところがある。けれど、人間が理性的な存在たりえないとするならば、この歴史観は放棄されなければならなくなってしまう。そういうことを考えるきっかけになったので、とても面白かった。

  • 途中途中、ネット右翼の思考解説みたいに読んじゃった。
    メモ:
    ・6つの道徳基盤。同じ論点でも、異なる道徳基盤に依拠するので、対立する。
    ・大衆は政治において自らの手を汚す実感を持たない。
    ・ポピュリズムは、大衆の政治への疎外感や無力感を背景にしつつ、敵をつくりだす。許せないという怒り(道徳感情)がポピュリズムに利用される。
    ・ディベートは相手を打ち負かすべき敵とみなし、論破することが目的。敵への憎悪がまず存在し、バッシングを正当化する材料として歴史を利用する。歴史は敵を論破するためのツール。

  • とても面白い。
    認知のバイアスも克服して、市民にならなければならないと思っていだけれども、それは時代遅れだったことを知らなかった。
    でも、どうすればいいのかはわからない。ディストピアな印象が残った。

  • 耳慣れない言葉が多くて、不勉強な大衆の一人としては読むのがしんどかった。流し読みになってしまった。うすらぼんやりした理解だが、ネットが部族を増長させたとかバイアスの話はなんとなくわかる。最後に出て来る「ドヂ」の話はよくわからないが、あとがきでダメ連の話が出てきて、そこはわかりやすかった。

    Twitterはしょっちゅう見てしまう方だが、いつも何かが炎上したり叩きあったりして大変だ。このケンカのエネルギーを他に活かせないのかと思う。黎明期からネットに親しんでいた身としては、こんな事態になるとは想像していなかった。140文字しか書き込めないSNSがこんな影響力を持つようになることも。

    「理性に基づいた対話を行う『市民的公共性』」という言葉からは哲学カフェを連想した。しかしそういう対話の場に参加しても、結局そこに集う人達は部族だ。少なくとも私はそこでリベラル寄りの人しか見たことがない。保守やネット右翼的な人達はまた別のところで集っているのだろう。

    とりあえず、ニュースを見て感情に任せて、この本で言う「直観システム」に任せて脊髄反射でTwitterへ書き込むのは全人類が辞めた方がいいと思う。この本に具体的な処方は書いてないが、一度書き込んだ1分後に投稿が消える仕組みにしたらいいと思う。一旦書き込むことで「直観システム」は開放できるし、自分の書いた文章を見直すと「推論システム」が少しは作動すると思う。それでも書きたれば再び書けばいい。ああ、でもそれこそ「アルゴリズム的公共性」なのか。先日読んだ「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」の、あらゆる建築やシステムの構造が人の行動や言動を誘導操作している事と話が繋がる。

  • 通読したが、頭に残らない。
    表紙に書いてあること以上のことは書いてないのではないか、とさえ思われる。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50265569

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著者プロフィール

綿野 恵太(わたの・けいた):1988年大阪府生まれ。出版社勤務を経て文筆業。詩と批評『子午線 原理・形態・批評』同人。著書に『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)、『みんな政治でバカになる』(晶文社)がある。

「2023年 『「逆張り」の研究』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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