急に具合が悪くなる

  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794971562

作品紹介・あらすじ

もし明日、急に重い病気になったら――
見えない未来に立ち向かうすべての人に。

哲学者と人類学者の間で交わされる
「病」をめぐる言葉の全力投球。
共に人生の軌跡を刻んで生きることへの覚悟とは。
信頼と約束とそして勇気の物語。

もし、あなたが重病に罹り、残り僅かの命言われたら、どのよう
に死と向き合い、人生を歩みますか? もし、あなたが死に向き
合う人と出会ったら、あなたはその人と何を語り、どんな関係を
築きますか?

がんの転移を経験しながら生き抜く哲学者と、臨床現場の調査を
積み重ねた人類学者が、死と生、別れと出会い、そして出会いを
新たな始まりに変えることを巡り、20年の学問キャリアと互いの
人生を賭けて交わした20通の往復書簡。

感想・レビュー・書評

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  • この本の概要を見て、単純に興味を持った。
    読んでみて驚いた。
    凄かった。ただ凄い。

    終始、哲学者・宮野真生子さんのパワーに圧倒される。癌を患い思うようにいかない体を抱えながらそれでも本を執筆したり講演に出かけたり、自分のやりたいことを諦めない。
    そんな宮野さんと手紙のやりとりをするのは人類学者・磯野真穂さん。
    宮野さんの話を自然に引き出し、豊富な知識量で「こういう文献があって、今の状態はこれで説明すると分かりやすいよ」と会話を膨らませてくれる。
    主な内容は、病を宣告されると起こる「正しく選択する」事へのプレッシャー。
    「お大事に」という定型分が使えない重苦しさ。そんな中で、病者とどんな関係を築いていくべきなのか。などなど。

    ただ、私には内容が難しく、もちろん一度読んだだけでは到底理解できず、何度も読み直し付箋を貼ったところをノートに書き出してやっと話の輪郭が見えてきた。
    本の内容がほぼ「二人の間だけで交わされた手紙」であることに驚く。病を抱えた人とその周囲の人との間に起こる色々な出来事・感情をリアルに、見事に説明している。

    宮野さんの強さをよく表している、と感じる一文を引用。
    【癌になった不運に怒りつつ、何とかその不運から自分の人生を取り返し、形作ろうともがいている/
    しかし分からないものと対峙するのはしんどいし、怒り続けることも難しい/
    でも、分かる必要などないのです。分からなさの前で、自分を取り返すために私達は問わねばならない。これは何なのだ、と。
    分からないことに怒り、それを問う力を、自分の人生を取り返す強さを、哲学は私に与えてくれたのです。】

    普通は癌になった時点で絶望して諦めて、100%患者モードで治療された方が楽に決まってる。
    その楽な運命に抗い続ける強さ。
    【死は間違いなく来ている】と感じる毎日の中で、その強さを保ち続けることがどれだけ難しいか。
    真に生きると書いて真生子さん。
    これほど名前を体現している人はいないんじゃないか。

    この先私にも起こるであろう様々な事。
    自分の死期は分かるかもしれないし、分からないかもしれない。
    どっちになったとしても、最期まで自分を貫けるような大好きな事に出会いたい。
    そして自分がここにいた、という踏み跡を一個でも世に残したい。
    そんな風に強く思いました。

  • なかなか辛い本だった。
    読み終えて、何か気分が変わる軽い本を探して読んだほど。自己開示を命懸けでしている宮野さんへの思いで胸が潰れそうになった。多くのことを考え過ぎてグッタリ疲れもしたし。
    重い本だ。決して悪い意味ではない。
    これから何度も思い出して、今よりもここに書かれたことが深まっていく予感もする。いろんな人に、この2人のことや、自分が読んだ後何を考えたかを話すだろうなという予感も。

    「ネガティヴケイパビリティ」というものがある。これも帚木蓬生の著書を読んだ後に、何度もその概念にあたることに遭遇して深まった言葉だ。
    今回もまた「腑に落とす」ということに関しての二人のやりとりから、「ネガティヴケイパビリティ」って大事だなと思うことがあった。
    合理的に見える物語を受け入れることは楽だ。
    わからないものと対峙するのはしんどいから。
    自分ががんになったというのは多くの選択肢の中のたった一つである。なぜ他の道でなかったのだろう。理由は?と問う。
    でもわかる必要などない、そのままを受け入れるのだ、と宮野氏はいう。
    カオスを整理整頓し二項対立で秩序づけたのは近代の精神だ。しかし、人間の感情は簡単に整理整頓できるほど単純ではない。複雑なものを複雑なままに受け入れる。
    ここでもまた「ネガティヴケイパビリティ」が発動していた。

    がんになったのは不幸なのか?
    磯野氏は言う。
    「不運は点、不幸は線」
    私にも不運はあったので、とてもよくわかる。不運は不幸にも幸せにも、「普通」にも枝分かれする。

    がんになってしまうと、周りの人は、気を遣い言葉選びをするのがマナーだという風潮がある。それは、相手を「100%のがん患者」にしてしまう。 「自分はいつもがん患者なのではない」という宮野氏の言葉に、コミュニケーションが相手を「がん患者」に閉じ込めることもあることを知った。
    そこで磯野氏のいうLINEにおける会話の広がりの効用はなるほどなと思った。
    LINEのやり取りはあっちへ行ったりこっちへいったり、取り止めがない。
    最初の「100%の患者」気分から、いつのまにか「ほぼ患者」くらいへ移行できる。「患者ではない素の自分」にも。
    私たちはそういうふうに、あっち行ったりこっち行ったり、一息ついたり、逃げたり、横目で見たりしながら、本質から外れたり戻ったりしていくことは多い。
    そうやって二人は信頼関係を築いていく。
    信頼感が深まるにつれて、学者同士として、「死」を迎える哲学者はいかなる思いを持ち、何を発見していくのかという核心へと歩を進めていく。

    宮野氏が本当に具合が悪くなってから
    磯野氏が、宮野氏がそう遠くない時に迎えるであろう「死」を哲学者としてどう捉えるかについて真正面から問いかけた時、(おそらく読者である私も、その問いをし意識しつつ封印して読んでいたせいで)涙がどっと出た。

    このやり取りの後、二人の本気が「ミラクルな本気」になった。この本気度がすごい。切なくて何度も本を置いた。

    「シスターフッド」という言葉を使うと2人は嫌だろうか?(安直に聞こえるかもしれないが、私は好きなので使わせてもらおう)
    一人で渡るしかない「死」を、二人で渡ることができるのだな。しかも一人はまだ死なないのに!

    見事な「シスターフッド」を見せてくれる本だ。

  • 誰もが「急に具合が悪くなる」かもしれない。そんな時、私ならどうするか。
    本書は、がんが転移し余命を意識せざるを得なくなった哲学者の宮野さんと、拒食症などの研究で知られる医療文化人類学者の磯野さんの、真剣勝負、魂のやり取りである。

    感動、という言葉が適切かわからない。でも、やはり私は心から感動し、勇気づけられたのだ。宮野さん、凄い。磯野さん、凄い。人間、凄い。

    書簡のやり取りの体裁をとる本書では、まず磯野さんがボールを投げる。それに対し、宮野さんが自身の奥底から汲み出すように言葉を返す。おそらく、宮野さんは磯野さんの背後にいるその他大勢の我々読者に対しても語っている。
    読んでいるこちらは宮野さんの文章に何度もうなづき、あっという間に、本が付箋でいっぱいになっていく。ところが、磯野さんは、その回答では納得しないのだ。「宮野、そんなもんじゃないよね」と言わんばかりの返信を返し、宮野さんはそれに応えるかのように次便でさらに一歩、また一歩と自分の哲学を深めていく。まさに点と点だった2人が、共同で深いラインを刻み込んでいくかのよう。その過程は心揺さぶられずにはいられない。

    宮野さんが偶然性を思弁した九鬼周造の研究者であったことも、磯野さんという最良の友人に会えたことも、「にもかかわらず」にあったこと。

    もし本書をまだ読んでいなかったら、万難を排して手にしてほしい。おもしろい本はたくさんある。けれど、凄い本はそうはない。

  • とてもいい本でした。

    最後の方は涙ぐんでしまう、それは死んでしまう悲しみでもあるが勇気と覚悟によって偶然性を引き受けて、約束を果たそうとする2人の姿勢によるものなのだろう。

    ラインと連結器の話に関して何かしっくり来る自分の中のそれに当たる事柄がうまく出てこない。しかし、今までの自分とこれからの自分に対して、これからの自分が網の目の中に生きて行くことを自覚するために必要な言葉だと思う。
    網の目とは、本書214頁の「人は自らが紡ぎ出した意味の網の目の中で生きる動物である」、意味の網の目=webs of significance。

    この言葉とその文脈も指している意味も違うが、以前、人間関係網目の法則という言葉に「君たちはどう生きるか」を読んで出会った。そのシーンでは、コペル君が眺める銀座とそこから広がる世界を想像し、影響を受けたが、またこうした形で網の目という表現に出会うとは。

  • がんを患う哲学者・宮野真生子さんと、友人の人類学者・磯野真穂さんとの往復書簡を書籍にしたもの。
    7便まではうなずけるところが多かったけれど、8便あたりから話がより一層難しくなり、読むのに時間がかかりました。

    お互いを思いやりながらも、考えたことは言葉を選びつつはっきり述べる。
    それは一見、ケンカのようにも見えハラハラするのですが、本当の語らいってこういうものだよなとも思いました。

  • 読み応えあった。
    あぁ、
    読んでしまった。
    進むうち、読みたい気持ちと、読みたくない気持ちが入り混じる。けど、また、読む。

  • すさまじいと思ういっぽうで人文学を研究していない「普通」のひとにはこんなことは難しいのだという思いもある。

  • 『急に具合が悪くなる』
    偶然を受け止め、選ぶことで自分を見つける。
    宮野さんと磯野さんが出会い、「共に踏み跡を刻んで生きる覚悟」を持って向き合い、今を言葉にしていくことで新しい始まりに満ちた世界が開かれていく。
    人生を賭けた往復書簡を読むことで世界が違って見えてくる

    本書を読み進めていくということが、宮野さんの死が近づいていることも意味していると考えると、死の手ざわりを感じながら、生き方を考えさせられる緊張感のある読書であった。

    #読了 #君羅文庫

  • 哲学者 宮野真生子さんと、人類学者 磯野真穂さんの往復書簡。
    はじめはまだ遠くにあった「死」が、急激に身近なものになってきて、読み進めるにつれて、どんどんぐいぐい引き込まれました。

    2人で話すこと。お互いを知ること。2人の中から生まれてくること。

    出会うとは。生きるとは。

    読みながら、自己との対話も深まる一冊でした。

  • もしこれから自分や自分の大切な人が急に具合が悪くなったら、もう一度この本を読み返すだろうと思う。

    生きることはすばらしいというより、生きることを全力でこねくりまわして尾ひれも背びれもつけて、ハチャメチャに面白いものにしていく、その営みが愛おしい。

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著者プロフィール

福岡大学人文学部准教授。一九七七年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程(後期)単位取得満期退学。博士(人間科学)。著書に『なぜ、私たちは恋をして生きるのか』(ナカニシヤ出版、二〇一四年)、共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社、二〇一九年)、『愛・性・家族の哲学』シリーズ全三巻(ナカニシヤ出版、二〇一六)。論文に「九鬼周造の存在論理学」(『西日本哲学年報』第19号、二〇一一年、西日本哲学会若手奨励賞受賞)、「個体性と邂逅の倫理―田辺元・九鬼周造往復書簡から見えるもの」(『倫理学年報』第55集、二〇〇六年、日本倫理学会和辻賞受賞)、他。

「2019年 『出逢いのあわい』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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