「おじさん」的思考

著者 :
  • 晶文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794965301

作品紹介・あらすじ

「日本の正しいおじさん」の旗色がよろしくない。「進歩的文化人」は罵倒の枕詞となり、「家父長」は打倒対象となり、「常識」や「社会通念」は反時代的イデオロギーとしてごみ箱に棄てられ、「正しいおじさんの常識」はいまや風前の灯である。だがその灯をほんとうに絶やしてしまってよいのか?日本が経済的に豊かになる主力となって、額に汗して働いてきた「おじさん」たちは、急変する価値観・社会情勢のもと、どのような思想的態度で世の中の出来事に処すべきなのか?成熟したよき「おじさん」として生きるための必読知的参考書、ここに誕生。

感想・レビュー・書評

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  •  額に汗して働いて、家族を守り、社会にコミットする「正しいおじさん」になりそこねてしまった頭が思春期の私に、大人への階段の秘密の在り処を教えていただきました。
     特に第四章「大人」になること―漱石の場合 は、ためになりました。

  • はじめの頃はこんな感じだったんだ!
    今の方が進化してるところが分かって
    読んでよかった

  • 『「私」は私の多重人格のひとつにすぎない』の章にあった「パーソナリティの発達過程とは、人格の多重化のプロセスである」というところが、すごくツボでした。

  • 2002年に書かれている。
    だから、対談本が増えてきた最近の書き口とは異なる。
    でも、「内田的思考」の先見さに変わりはない。
    僕は内田氏の思考が好きです。

  • おじさんという言葉は、近頃ではあまりいい意味合いで使われることはない。ダサくて、格好悪くて、時代遅れであるのに、それに自分で気づいていない人に対して使われるのが相場だろう。そう言われはしないかと内心びくびくもので毎日を過ごしているおじさん族も多いはず。あるいは居直ってしまっている強者もいるかもしれない。しかし、いずれにせよ自分たちが従っている価値観に自信をなくしてしまっている点では共通しているのだ。

    言葉に括弧を付けるときは、それが一般的に使われているのとは少しちがいますよ、ということを言いたいときである。内田は、この元気のないおじさんたちが大事にしてきたモラル(それはたとえば「額に汗して仕事をするのはそれ自体『よいこと』だという職業倫理」だったり、「『強きをくじき、弱きを助ける』ことこそとりあえず人倫の基礎だ」という信念だったりする)の埃をはらい、今一度新しい光を当てようとする。

    それが家具の場合ならニス塗りやワックスがけが必要であるように、捨てて顧みられなかったものに再び輝きを与えるためには工夫がいる。内田はレトリックを駆使することで、古びて魅力のない「正しいおじさんの常識」に新鮮な感動を与えることに成功している。稀代のレトリシャン花田清輝がそうであったように、内田もまたポレミック(論争好き)な言説を好む。世評が「おじさん」的な倫理観を嘲笑う以上そういう態度に出るしか道はないからだ。

    たとえば、評判のよくない「一国平和主義」について、内田は「私は『自分の国だけが助かればいい』というのが(動物の世界と同じく)国際社会における国民国家の基本的な、『正しい』マナーであると考えている」と断言する。その理由を内田はこう説明する。ウマだけが好む草から罹患する伝染病があるとしよう。そこにシマウマというちがう草を好む種がいることで、ウマを食べるライオンが絶滅から免れることがある。種が多様であることが、生物界においてシステム・ダウンを回避するのに役立っているのだ、と。

    「システムを支えるために個体は、『他の個体をもっては代え難い』というきわだった特性を持つ必要がある。それは『おのれひとりが助かればいい』という利己主義ではなく、実は『システムの延命のために、個性的であることを貫徹する』という『滅私奉公』の精神に貫かれた倫理的選択なのである。」「貫徹」だの「滅私奉公」だの、仮想される論争相手の好みそうな言葉をちりばめ、高揚した勢いに乗せながら、鮮やかなレトリックを駆使して、日本という国に冠される「普通じゃない」というマイナスとも思える性格の価値を転倒させてしまう。

    天下国家のような大問題ばかりを論じているわけではない。セクハラ教師が横行するのは、もともと「学びの場は本質的にエロティックな場である」からだなどという、お堅い先生方なら卒倒してしまうようなことを言い出したりもする。同じ大学教授でありながら、内田がその危険を回避できるは、学校がエロティックな場であることを熟知しているからだという決めぜりふは、ソクラテスの「無知の知」を髣髴とさせる絶妙のレトリックである。

    本当は大事なことだが等閑に付されていることを採りあげて面白く読ませ、それでいて実用的でもある。何の役に立つかって。ふだん何となく世論の風向きを変だと感じながらもうまく説明できないままに忸怩たる毎日を送っていた大人たちにとって、漠然と感じていたことが筋道立てて明快に整理されることで自分の足場がはっきりし、生きる元気がわいてくる。「おじさん」的思考とは、成熟したモラリストの思考の謂である。

  • 今回もいい話が沢山でした。
    素晴らしいな。

  • (※2010年手帳より)

  • レビューは下の記事で紹介させていただいております。

    http://zoo08.blog.so-net.ne.jp/2011-11-22

  • 新鮮で、かつ、納得・共感できる部分が多かった。
    内田先生の他の本も読んでみたい。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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