- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794222725
作品紹介・あらすじ
いまや世界を席巻する「オタク文化」。かつては異物として排除された時代から、いまではアナタもワタシも「オタク?」の時代へ。でもその実体は? 「非オタク」自認するノンフィクション作家が、オタクの聖地的ショップで働き、2006 年から2017 年まで「フィールドワーク」しつつその体験と考察をリアルタイムでレポート。で、「オタク」とはいったい何だったのか?
感想・レビュー・書評
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タイトルに惹かれて読んだ。エヴァを履修していないのでわからない部分が割りとあった。筆者が自らオタク生活をして取材をするという自分にとっては斬新な話でレンタルビデオショップでの話が一番面白かった。モンスターハンターには詳しくないのでわからない部分もあったが…
結末が衝撃的だったが、あんなに後悔していた綾波ポエムを載せているところが皮肉に感じた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/719611 -
今年になってアニメの面白さに
目覚め、いろいろ観ているうちに
オタクというものに興味を持ったので
関連する本を読んでみた。
『中華オタク用語辞典』(はちこ)
『オタクのことが面白いほどわかる本』(榎本秋)
『オタクの考察』(ヒロヤス・カイ)
個人的にこの本が一番面白かった -
俯瞰したような内容かと思ったら、
実際に、ゲームや本やCDを扱う店にバイトとして入り
フィールドワークの中で実態を探り、
それを10年続けた、
というこの時間のかけ方に唸った。
客観的に外から分かったような意見を書くのではなく、
自分もその中にどっぷりとつかりながら、
考えを深め、自分の最初の見立てをどんどん更新していく、
この醍醐味。
ルポルタージュの仕事って、
こういう地道な努力と時間の積み重ねの上にあるのだ、と再確認。
竹熊健太郎氏や伊藤剛氏との対談の中で、
事実から客観へと落とし込んでいくのも面白い。 -
両性具有的な意味でオタクなんていなかったんだとする結論は読者を煙に巻いているか、"オタク"というサークルの中で自家中毒になってしまっているかのように読めた。
オタクは存在しないと言われてもアニメやゲームに全く興味がない人間、萌え絵をキモいと思っている人間には理解できない。じゃぁ、アニメショップで鼻息荒くしている人たちは何なのだと。彼や彼女は特段特別な人ではなく何処にでもいる普通の人なのだと言われればまだ(百歩譲って)理解はできるとしても、そう言われても前掲のような人間からすれば「アニメ・ゲームを好きな人をオタクと呼びます」と言われて、堂々巡りになるだけだ。
竹熊健太郎との対談でオタキングと名乗った岡田斗司夫の話題が出るが、彼のように肥大した自己愛は過剰だとしても、誰にでもあるそういう感情がオタクをオタクと呼ばせているのではないか。
その対談の中でも話題にあった岡田斗司夫は常に仮想敵を捏ち上げて対立構造に持っていき自分の立場を作るという指摘は近くにいた人(そして実際に対立した人)ならではの説得力を持った指摘だ。
「オタク」と「サブカル」を別々の存在として対立を図ったのが岡田斗司夫というのはナルホドと溜飲が下がるかのような思いがした。
思い起こせば『BSマンガ夜話』で「稲中卓球部」を指して「渋谷系とかフリッパーズなんちゃらってこんなもんでしょ」と吐いた彼を見て体型とは裏腹に薄っぺらい人だということに自分はやっと気がついたのだった。パブリック・イメージ、雰囲気の話で言えば「稲中卓球部」をクソダサイとバカにしているのが渋谷系であって、渋谷系に憧憬こそすれ距離があるのが稲中の連中でしょう。
閑話休題。
「オタク」と「サブカル」という対立だとか、そもそも「オタク」とは何かという問いも岡田のような「オタク」を利用しようという輩の仕組んだ構造に過ぎないのではないか。中森明夫が「おたく」と自己卑下的に用いた言葉を捨てて全く違う言葉を生み出したほうがいいのでは、と思う。