- Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794220592
作品紹介・あらすじ
自身の父親の死を契機に、フィナンシャルタイムスのベテラン記者だった著者は、世界各地にさまざまな「葬儀」の姿を訪ね歩いた。文化や社会によってきわめて多種多様なかたちをもつ儀式の歴史的経緯もたどりつつ、人間にとっての「死」と「死者」の意味を問う。ルポルタージュ風に綴られた文章は読みやすく臨場感があり、多様な死の儀式を追体験するうちに、いつか私たち自身の「死」に思いをいたらせてくれる好著。
感想・レビュー・書評
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自身の父親の死を契機に、フィナンシャルタイムスのベテラン記者だった著者は、世界各地にさまざまな「葬儀」の姿を訪ね歩いた。文化や社会によってきわめて多種多様なかたちをもつ儀式の歴史的経緯もたどりつつ、人間にとっての「死」と「死者」の意味を問う。ルポルタージュ風に綴られた文章は読みやすく臨場感があり、多様な死の儀式を追体験するうちに、いつか私たち自身の「死」に思いをいたらせてくれる好著⁇
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宗教
社会 -
2017年10月、草思社文庫化。
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生前、断固とした無神論者だった父が、遺灰を教会墓地に散布してほしいとの遺言を残したことに戸惑いを覚えたジャーナリストの著者は、これを機に、人間が今までどのように死者を扱ってきたかを知りたいと思い立つ。そこで、これまでに仕事で訪れ、印象の深かった国々への旅に出る。嘆きの国イラン、美しく荘厳な火葬のバリ、死者を着席させるフィリピンなど、9カ国に及んだ旅から著者が学んだことは、「人類は死者の扱いに驚くほど長けている」ということだ。
親しい近親者の死。それはとりもなおさず、みずからの死の影を鮮明にすることだ。世界の多様性に驚きながら、自分はどう送られたいのか考えたい。 -
ひとは自らの終焉を自分で決められるものだろうか。年老いた父親から、自分が死んだらこうしてほしいという詳細な指示書をうけとった著者は、実際にその父親の死にふれたことをきっかけに、世界の葬式について調査するようになる。
観光客がよべるほどの祭りのようなタイ、紙の供え物を用意する中国、死体を着席させて腐敗させるフィリピン。整然と並ぶ香港の納骨堂で、ある女性は携帯電話から自分の子供の画像を仏壇にかざして話しかける。
イーヴリン・ウォー『ご遺体(愛されたもの)』にも登場するエンバーミング(遺体処理)、エリザベス・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』、J.G.フレイザーなど死とその儀式にまつわる作品も紹介しつつ、それぞれの国の葬式のありかたを問う。
死ぬ前に自分の棺桶を作ることができる自由もある。著者はエンパイアステートビル型の棺桶をつくり、部屋でともに過ごす。
そうそう、父親と叔父って似ているんだよね。 -
著者自身が世界のあちこちを旅して死にまつわる文化を見聞きした記録。その間に、父との別れを中心とした自身の物語が織り込まれる。もちろん本やウェブで仕入れたであろう情報も。その多彩さに圧倒させられる。ただ、我ら日本人が自身の葬送を考える上で示唆となるところは少ないようにも思う。