文庫 お母さんはしつけをしないで (草思社文庫 は 1-1)

著者 :
  • 草思社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794218049

感想・レビュー・書評

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  • 著者:臨床心理士
    ・子どもを支配しない
    ・子どもを有りのまま認める
    ・勉強させるより子ども時代にしかできない貴重な経験をさせる
    ・家庭を「居心地のいい場所」にする
    ・他人に「いい子ども」「いい母親」と思われようとしない

    感想:前著「しつけー親子がしあわせになるために」をもっと簡単に、読みやすく、題名を刺激的にすることで多くの人に触れてもらおうとしたのだと思う。理論はよくわかるが、じゃあどうしたらいいの?という戸惑いも残ってしまった。その後前著を読んで納得する部分が多かった。子育ては自分が親にどう育てられたかを振り返り、子どもと一緒にもう一度自分も育ちなおす機会なのかも。

  • 昨今問題になっている少年の凶悪犯罪について、根っこは母親のしつけのし過ぎが原因であると著者は指摘する。子供のためと思ってしつけをし過ぎてしまい、親から子への会話がほとんど指示や命令になってしまい、子供は親に歯向かえずに従順する。しかし、フラストレーションはたまっていくため、その吐口として外で凶悪犯罪を起こしてしまう。
    そして、こういった子供の親の職業には実は教師が多い。理想の子供像を持ちすぎてしまい、子供に過度に期待するためにしつけをし過ぎてしまうと予想される。

    厳しい躾は、親から子へ子から、またその子へと受け継がれるもの。そのような躾しか受けていないからおかしいことに気付けない。
    犯罪に走った子供の親ほど「うちは厳しく育てた。甘やかしていない」と胸を張って主張する。

    わかる、認める、受けとめる、許す、包み込む。これら母性をもって子供と接することが大切。

    不登校母にありがちなのは、喋りすぎなこと。食べ物は何が好き?好きなテレビは?など、子供に対する質問なのに母がかわりに答えてしまう。

    小学校時代の学力と高校時代の学力は必ずしも関連しない。子供時代は勉強でがんじがらめにするより好奇心を伸ばす遊びに集中させること。

    少子化によって、子供1人当たりに占める大人の割合が増えたことによって、常に子供は大人の監視下にあり、子供だけの世界がなくなってしまったと言える。

    子供の困った行動(おねしょ、指しゃぶりなど)は、禁止するのではなく反対のことを言う(その行為を受け入れてオッケーする)と、よくなることがある。問題を一度棚上げしていずれできるようになれば良いと構えること。

    母の楽は、子供の楽しみに繋がる。
    好ましいママ友は、多少いい加減で細かいことには無頓着な人。そして、適度な距離感が保てて、どんなに仲良くなっても深入りしないこと。

    夫のことは諦めて、小言を言わないようにする。それと同時に必要以上に夫に尽くすこと、気を使うこともやめる。

    子供らしい子供時代を送ってもらうために、いっそ勉強はしなくて良いと開き直るぐらいがちょうど良い。
    躾と虐待は表裏一体であることを親は常に忘れてはいけない。

  • 著者の長谷川博一(1959-)は心理学者であり臨床心理士である。『殺人者はいかに誕生したか』は重大な事件を起こした犯人の心の闇に迫るもので読み応えがあった。それに比べて本書は読み方に注意が必要だ。子育てのハウツーではないと心得るべきである。
    「身を美しく」という躾(しつけ)という字が筆者は好きではないと言う。形を整えても心に歪みを生じていたら意味がない。むしろ有害である。
    そして、心の歪みを抱えた母親は子どもへの関わり方を間違えることがある。「しつけ」が「おしつけ」になり、子どもの心を歪ませるのだ。そこで本書のタイトル『お母さんはしつけをしないで』となる。
    では、親は子どもに対してどのような関わり方をすれば良いのか。母性の根幹は「受容」である。子どもの気持ちを受け止めてあげることが肝要であると筆者は言う。
    昨今、「子どもの居場所」ということが方々で言われるようになった。子どもとは自然である。都会には自然の居場所がないことの証左であろう。現代のしつけ子どもの管理であり、それが行き過ぎれば虐待になる。また逆に管理を放棄した状態がネグレクトである。
    長谷川博一は過去にクライアントへの性加害事件を起こしている。もともと筆者の主張を全肯定する気も全否定する気もないが、本書から学ぶべきことを学び、納得がいかないところは捨てることが大事である。

  • しつけしすぎてうるさくなってはいけないのだなと思う

    親の行動ひとつで子供の人生も決まるのかなと思う

  • 子育て中の親たちは読んだほうがいいね。
    自分も気をつけないとなぁとしみじみ。
    子供の存在を認めることが大切なんだよね。

  • あくまでも個人的経験に基づく個人的見解という体裁であるのがよかった。
    門外漢だが、心理学は"全ては親のせい"が大好きだなーという印象をより強くした。学問のセントラルドグマ的なものか?
    著作意図としては、もっと感情移入して読んで欲しかったのかな、と。

  • ”すべてはモテるためである”の"キモチワルイ"人の育ち方が書かれている?

    自分より弱い人間を支配したいとの願望が幼女性癖になると書かれていて、納得。

    問題のある人がどのような育てられ方をしてきたのかをあげて、どのように修正するかの本として書かれているのですが、自分のような"キモチワルイ”人が読んでも充分に役に立つ。

    カウンセリングの本を読んでいると、過去に触れる方法、触れない方法などあるけれど、過去の辛い感情を引き起こした内容を本人が理解することで解決するか、現在の辛い感情を引き起こす状況を本人が理解することで解決するかという入り口か出口かという方法論の違い。
    この本に書いてあるわけではないが、収穫。

    今、多くの人に信じられていて自分自身も恐らく信じている"母性"、"効率優先”、”学歴社会”という類のものが、ある種の思想信条、宗教であるということはもう少し大きな声でいう人がいてもいいような気はするし、結局最後はコミュニケーションに尽きるという感じもする。

  • 産前に読んでおけば良かった。実母のような母にはなりたくないのに同じように怒鳴ったとき泣きたくなった。その理由がよくわかる本。

  • 日々子どもと向かい合っていると、どうしても視野が狭くなってきます。
    「これくらいできるはず」「これくらいはできないと困る」「こんなことではおとなになってから困る」
    毎日そんなことを思いながら子どもと接していると、どんどん要求水準が上がってきてしまうんですが、自分でそれに気がつくのはすごく難しい。
    特に自分が子どもの時にそれなりにうまいことこなしてきてしまっていると、同じようにできない(ように見える)子どもに苛立ってしまうのです。
    世間では家庭のしつけに対する風当たりが大変強く、ちょっとでも道を踏み外したら非難の大合唱。そんな情勢をみると怖くてたまらなくなって、また子どもへの手綱を強く引いてしまう。
    悪循環だなあと思いながら、それを自分で断ち切るのは大変な困難を伴います。
    だって、そもそも自分のことだって「いい」と思ってないのに、なんで子どもだけ認めてあげなきゃいけないの?と思ってしまうから。

    でも、ふりでも仮面でもいいからまず、子どもをまるごと受け入れることから始めようかなと思いました。そうやっているうちに、自分のことも認めてあげられるようになるかもしれない。
    私も長谷川先生のカウンセリングを受けたいと痛切に思いました。

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著者プロフィール

1959年、愛知県生まれ。東海女子大学人間関係学部心理学科教授。名古屋大学大学院教育学研究科博士後期課程中退。専門は心理療法。1999年に「親子連鎖を断つ会」を設立し、虐待する親のケアに取り組んでいる。スクールカウンセリングや犯罪心理鑑定など、幅広い実践活動に日々奔走している。
著書に『子どもたちの「かすれた声」』、『たましいの誕生日』、『こんにちは、メンタルフレンド』(いずれも日本評論社)、『しつけ──親子がしあわせになるために』(樹花舎)、『〈私〉はなぜカウンセリングを受けたのか』(東ちづると共著、マガジンハウス)などがある。

「2003年 『たすけて! 私は子どもを虐待したくない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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