「おネエことば」論

  • 青土社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791767564

感想・レビュー・書評

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  •  「おネエことば」のメディアにおける扱われ方を分析し、そこに現れる異性愛規範を読み解くもの。
     社会言語学というほど大層なものでもなく、ジェンダーを扱った社会学のひとつの論考という感じだが、あまり内容がなかった。色んなテレビ番組や雑誌の記事、広告がどう「おネエことば」を扱っているのか、つまりどう演出されているのかということがものすごい割合で書かれているが、それを一生懸命読んでも、得られることは要するに「おネエことば」にある一定の(偏見を持った)価値観が表出されている、というそれだけのような感じがした。特に見たこともない番組の演出について延々語られるのを読むのはつらい。
     そんな中でもなるほどと思ったところや考えさせられたところをいくつか記しておく。「消費者を促す過程のなかで、ジェンダー規範を越境する『未来人間』としての『おネエキャラ』の存在は、むしろ古典的なジェンダー規範を強化する逆説へと転化する」(p.77)という部分は、当たり前と言えば当たり前だけれども、こういう批判的な視点を持っておく必要はあると思う。あと、おれは「メイクオーバー・メディア」という概念を知らなかったが、「処罰的親密性」つまり、「対象者に恥をかかせ、従順にさせなければなら」(p.80)ず、「さらに、ウェバーは、指導される対象者は、変容が成功すれば、エキスパートの愛情を一気に受ける」(同)という文法に従って「変身」させられる、という部分が、本当にそうなのかなあ、と思った。恥をかかせると従順になるんだろうか。前提として対象者の一定の規範に対する盲目的ないしは潜在的な理解やあこがれというものがないと、処罰してもこういう親密性は成立しないのではないかと思う。というかそもそもこの論考において、「おネエことば」の分析に「メイクオーバー・メディア」が扱われるべき十分な理由はあるとしても、それが必然的である理由はイマイチ分からない。他のメディアじゃ十分な分析はできないのか、なぜそんなに「メイクオーバー」にこだわるのか、なぜ「メイクオーバー」のからくりを明らかにすることが「おネエことば」の分析に必要なのかというところがしっくり来なかった。一例として取り上げているんですよ、というなら分かるが、全体の中でも結構な比重を占めているので、不可解だった。
     ただ言語の役割を考えるとき、「言語資源」という考え方が面白いと思った。この本を読む限りのおれの理解では、「話し手自身のアイデンティティや社会性、またはその場の関係性を構成する言語単位や要素」(p.33)つまり「言語資源」として、ことばと話し手との個人的な関係から切り離されたところで社会的に「資源」化され、その資源を使えば、話し手自身のアイデンティティとは関係のない社会的な規定がなされる、と理解したが、そういうことなんだろうか。だからおネエことばを話してもその人のアイデンティティを表すことにはならない、ということなんだろうか。でもその言語資源を選択するところに主体性、アイデンティティは認められないのか、とか思ったが、この点については、他の本を読んで考えてみたい。(15/01/27)

  • 大阪樟蔭女子大学図書館OPACへのリンク
    https://library.osaka-shoin.ac.jp/opac/volume/625478

  • ふむ

  • ことば
    TV

  • 2017.9.10市立図書館
    ざっと駆け足で読む。「おネエことば」=「女ことば」とはいえない。「男による女ことばの真似」というものでもない、もっと複雑で複合的なもの…さらに「おネエことば」と「(テレビなどで活躍する)おネエキャラのことば」は別物。女ことばに似た役割語と解釈できるが、「女」や「おネエ」の本質とは、「女/男らしさ」とは、といった概念について考えないわけにはいかない、というなかなか複雑な世界だと知る。語学の世界でも男女の言葉づかいをどうとらえて教えていくかはもっと考えなきゃいけないのだろうな。あと「〜らしい」のような文法を導入・練習するときにどういう例文を使うかもちょっと気にしなければならない時代になったと思う。

  • 日テレの番組に特化し過ぎ。
    最後のマツコと尾木ママの部分は良い

  • おもしろかった。ジェンダーと言語に関して、トランスジェンダーの使う言葉に着目するという視点はとても意義のあるものだと思う。メイクオーバー・メディアという概念を初めて知った。

  • 少女マンガのヒーロー(?!)にもおネエが出てくる今日この頃、すんごく気になっていた本。
    科研費の成果物なのかな。真面目におネエことばについて考察されています。『おネエMANS』を見ていたら、もっと分かりやすく読めたかなと思います。クィア界隈の参考文献も豊富ですよ~☆

  •  ずーっと不思議に思っていたのだ。
     「オネエことば」で話されることばは、普通の言葉よりも柔らかく聞こえる、と。

     2chという掲示板がある。そこは悪口雑言とまでは行かないのだけれど、おおむね荒れてる。けれど「オカマが~する」的なスレッドを見ると、荒れたときの対応が毒を吐きながらもユーモアを用いていて実に面白くコミュニケーションを取っている。何故だ。
     もちろんそこの住民たちの頭がスマートだからというのもあるんだろうけれども。疑問に思っていた。

     そしてこの本である。
     
    <以下ネタバレもしくは誤解を含みます>

     ぶっちゃけると、「オネエ言葉では、いくら正論を言おうとも、女性らしくとも、オカマは女にはなれない(それ故に正しいことを言えば言うほど滑稽味が増す)」ということが根底的な認識にあるらしい。
     それって……上から目線にならないってことなんだろうか。だとしたら、なんだかとてつもなくひどいことのような気がする。

     あと、オネェ言葉って、オカマさん(生まれの性別は男性で、女装している人(=他人に見せる自分を演出している人))だから、演出過剰なところもあり、正論のパロディに聞こえるので柔らかい印象があるというのもあるのかもしれない。
     思うままを口にするのでは無く、「オネェ言葉に翻訳する」段階でユーモアを産んでいるのかな。(それが話者の能力の高さなんだろうなと)
     だからこそ、荒れがちな2chで(オネェ言葉に翻訳するというワンクッションを置くことで)感情のまま発言することなく、上手いことコミュニケーション取れてるんじゃ無いかしら。だとしたらすごいな。
     個人的には世間一般的に、オネエ言葉を使う人は、頭の回転が速くユーモアがあるという認識があるので、オネエ言葉を使おうとするときに、その方向性に思考の舵が切られるのでは無いかなぁとかね。

     「自虐的に言う」や「冗談めかせて言う」の進化系かもしれない。

     しかしこれを読むと、オネエキャラだからって笑えなくなってくる。
     そしてテレビテロップの恣意的なことにびびった。
     でも本としては読みにくかった。
     テレビのような視覚的メディアを示すのには本は向いていないかも。
     せめてマンガかなぁ。

  • テレビの会話の部分がよみにくかった

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