躁うつ病を生きる―わたしはこの残酷で魅惑的な病気を愛せるか?

  • 新曜社
4.03
  • (12)
  • (8)
  • (8)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 107
感想 : 12
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788506541

作品紹介・あらすじ

自ら病み、自ら癒し人となったある女性精神医の生の回想。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 躁うつ病を発症した医師の手記。

  • Beautiful Story of a Person living with Manic Depression.

  • 「変わらないために変わり続ける」関連本。

  • 面白かった〜
    というのは語弊があるかもしれないけれど、満足な読後感…でした。
    題材が題材なだけに重苦しいものを想定していて、実際彼女の人生は壮絶なのだけれど、彼女の根本的な気質(もちろん、それが病と不可分であるのかもしれないけれど)が愛と行動力とに満ちていて、読んでるこちらも駆け抜けている気持ちになったのでした。

    精神疾患の中でも気分障害という、身近のようで全くわからない病に関して少し実感がもてたかもしれない。実感なんて持てないと言うことも同時にこの本は教えてくれたわけだけど、それも含めて収穫でした。

    病を引いてこの人を語ることはできないのかもしれないけれど、でもこの人の持つ愛へのエネルギー、そして愛からもたらされるエネルギーはとてもピュアなものだった。周りの惜しみなく援助してくれる人たちのかけがえの無さ、ありがたさが書かれていて、私もこのような関係を築いていきたいなと思った。
    読書感想文かな?

  • 自分自身躁うつ病なのではないかと思い本書を手に取ってみたが、自分の場合は躁うつ病ではないようである。著者はUCLAの医学部でテニュアを取れるほど聡明な方だが、治療のために服用する炭酸リチウムのせいで、心の機能が大幅に鈍化させられ、そのことに酷く苛立ち抵抗する。何度も断薬し、高い代償を払った末に、しかしそれでも服用していたほうが安定することを理解する。高い知性と遺伝的な狂気が互いに互いを封じ込めようとする。著者が自分は障碍者であり、それなりに制限された人生を送らなければならいことに納得するまで、人生の大部分を消費する。

  • 素晴らしい。
    その生き生きとした言葉づかい、真実を隠さず伝える勇気、
    困難を抱えながらも人生を生き抜いてきた確かな足跡。

    うつ経験のある身からすると、
    著者がうつの時に大学の講義に行っていたり、集中力がないのに本を読んでいたり、毎日図書館に行っていたりと
    著者の努力の徹底さはすごいとしか言いようがない。
    そこまで頑張るには、著者の経験からくる生きる力や周りの愛情深い支えがきっとあったのだろう、と想像するのは難くない。

    生きる勇気をもらえます。

  • 病気であること、治す立場にあること、一人の傷つきやすい女性であること…一冊の本にこれだけの視点から物語られるのはめずらしいです。
    人が窮地に立たされた時にどのように乗り越えるのか…それがはっきり書かれています。私の中のベスト5に入る本です。

  • 本書は精神医学を専門とする大学教授が、自ら罹患しているきわめて重度な双極性Ⅰ型障害(著者はこの呼称を嫌い、「躁うつ病」が適当であると主張しているが)について、主に当事者としての目線で記したものである。

    著者は、きわめて程度が重く、かつ期間の長い躁状態とうつ状態を反復するだけでなく、年を重ね炭酸リチウムによる治療を続けるにつれ、軽躁状態や混合状態も呈するようになるという、いわば気分障害のフルコースを人生の中に用意された人である。

    躁状態の記述はきわめて独創的かつ飛躍的で、意味を理解するために何度か同じ場所を読み返さなければならない(当然ながらそれでもあまり意味はわからないし、わかろうとすること自体無理がある)うえに、うつ状態についての記述はきわめて重い状態にあるような表現であるながら数行にとどまる点を見ると、まさに本書は双極性障害当事者のありのままを文章にしたものと捉えることができる。



    ところで、私は著者の記述の特徴ついて、重要な点に触れなければならないと思っている。

    本書は自伝的まとめられており、一応時系列に沿った記述がなされているのだが、その時思ったこと、その時自分の中に起きたことについて述べる際、その時の自身の考えについて、あるいは関連する過去のエピソードについて詳細かつ唐突に説明した後で、突如として本題に戻り、結論するスタイルが随所に見られる。

    こうした論の展開は読み手に過大な負担を与える。平たく言えば、読みにくくて仕方がない。ただし、著者が双極性障害当事者であること、そしてこうした記述はほとんど、躁状態に入った状況を説明する際になされている点は無視できない。

    私自身、双極性障害の当事者として暮らす身であるが、元気な時期は議論好きで、仕事でも地域の活動でも積極的に話す方である。しかし、例えば以前保育園の保護者会長を務めた際には周囲の方から以下のようなことをよく言われたものだ。

    「あかべこさんが20分話した内容を記録にすると2行ぐらいになる」
    「とにかく話が長すぎる。いつになったら結論が出てくるのかわからない」

    自分としては丁寧に、わかりやすく自分の考えを説明することを心がけているつもりなのである。そして自分の中では話の筋が通っており、十分自分の中での結論を理解してもらえると思えた段階になって結論を述べているのだ。しかしそのスタイルについての評判はあまり良くない。

    こういった点で少々自信を失っていた時期、自分は他人にどう見えているのか気になり、会社で日頃よく先輩社員を観察しているであろう入社して2年の後輩に、

    「・・・よく言われるんだけど、俺って話くどすぎるかな? 脱線して何言ってるかわかんなくなってることってある?」

    と聞いたところ、

    「あかべこさんは、最初と最後は合ってるんです! 途中がいろんなところに行くんですけど・・・ 最初と最後をちゃんと聞いてるときちんとつながっているのでわからなくなるということはないです。大丈夫です!」

    と元気に返された。


    自分の話が長くなったが、もしかすると躁状態あるいは軽躁状態にあるとき、こうした話し方は特徴的に表れるものなのかもしれないと、本書のあまりにも自分に共通する話の展開の仕方を目にして思わずにいられなかった。そうした意味で本書は、少なくとも私にはきわめて読みにくい書物であったと同時に非常に生々しい当事者の姿を描写した貴重な記録であったと言える。ただ、もう少し訳がこなれていれば少しは読みやすいものになったかもしれないとの思いも拭いきれないことと、解説でこの読みにくさにも触れてもらいたかった点を考え、星を1つ減じた。

  • 精神科の大先生が躁で長年苦しんでいた、という自伝。「わたしはこの残酷で魅惑的な病気を愛せるか?」という副題の通りの問題意識を持って書かれているので、単なる事実報告のような単調さはない。著者と一緒に謎に取り組む感じ。
    エピソードの数々を読むとなんとまあ力強い人なんでしょってとこにひたすら驚く。USAの為せる技か。とにかく上手く行っておめでとうございますと言いたい。

  • 著者本人も躁鬱病に羅患している(ここが重要)。私もそうだ。この本を初めて手に取ったのは高校生の時。難解な箇所が多く、何度か躓いたが読み終えたとき、彼女の頭の良さに呆然とした。同じ病を患っていても、こんなにも精力的に戦っている人がいるのか、と。それから、鬱でもなく躁でもないときを見計らって読んでいる。日本には躁鬱病の本が少なすぎる、そして理解も少ない。アメリカ社会とは違うところが多いけれど、何度読んでも新鮮で難解だ。

全12件中 1 - 10件を表示

田中啓子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×