- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784781617824
作品紹介・あらすじ
憲法改正、安倍政治、安全保障、国際関係……その「正義」が日本を亡ぼす!
新進気鋭の政治学者が教える「ニュースの正しい読み方」
日本メディアの「論調」は、政治学的にあまりにおかしい!
[本書に登場する主な面々]
池上彰、石破茂、枝野幸男、岡田克也、小沢一郎、小池百合子、小泉純一郎、小泉進次郎、志位和夫、玉木雄一郎、鳥越俊太郎、野田佳彦、鳩山由紀夫、前原誠司、村山富市、森達也、蓮舫 ほか
【目次】
第1章 政治家、評論家の偽善を斬る
第2章 メディアの偽善を斬る
第3章 「憲法改正」ニュースのおかしな議論
第4章 「安倍政治」ニュースのおかしな議論
第5章 「安全保障」ニュースのおかしな議論
第6章 「国際関係」ニュースのおかしな議論
第7章 「イデオロギー」という名の偽善を斬る
感想・レビュー・書評
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西郷隆盛を論じつつ、善悪二元論ではなく、史料を元にした想像が大事だと述べたり、やはり、前回の著書と同様、考えはいつも一貫している。
「反知性主義」については、「神の前では知性の有無は無関係であり、ただ信仰が重要である」というものであり、日本における反知性主義の使い方は、相手を「ネトウヨ」と呼ぶような感性と同程度のレベルであると論じているのも納得がいく。
また、障がい者について、またはマイノリティについての思いは、P277に述べられていて、全面的に同意する。
リベラル・デモクラシーの条件とは、相反する正義の複数性を担保するところにある、と述べたところも明快だ。猪木正道の引用も的確と思われる。
【社会現象の複雑さや人間性の奇怪さに眼をそむけて、好ましくない事態の責任を特定の個人や集団の陰謀に押しつけると、私たちは現実の世界から解放されて、オーストリアの作家ムジールが”第二の現実”と名づけた一種のユートピアの中に遊ぶことになる。”第二の現実”に住む人間は、現実的に可能な代替案を考え出す必要はなく、可能な現実というユートピアの中で、他人を道徳的に弾劾していれば十分生きがいを感じることができるからである】
そこから、イスラム教を踏まえつつ、多文化共生と口先で語るのは自由だが、実践するのは極めて困難であると述べる。
しかし、本著におけるもっとも興味深く、そして議論的にも面白いのは、死刑論である。というか、この本のメインが死刑論である。驚愕の逆転劇というか、著者が実に慎重で思慮深い人だというのがわかる。
最初は、娘が殺されても殺人犯を死刑にしたいとは思わないとなんとか主張し続ける左派言論人に対して、理解できないと首をかしげている。
金川真大について論じ、彼の思想を形成することになったのは、永井均の「子どものための哲学対話」だという。そこで金川は善悪には根拠はなく、正義とは強者が弱者を支配するためのものだと読んで学んでしまう。すべてが相対化して、ニヒリズムに陥ってしまったのだ。だが、残念なのは【こうした哲学的真理とされる考え方が、社会の存立とは対立するという「政治哲学的」な観点ができなかった点だろう。社会は「真理」ではなく、「意見」に基づいて構築されている。真理とは相反するように思われる常識こそが社会の要なのだ。なぜ、「真理」と「意見」が異なるとき、人は「意見」、すなわち常識を尊重しなければならないのか。ここまで考えなければ人間社会は成立しえないのだが、彼の哲学は非常に生半可なものだった。生半可な哲学が、金川なる人間に「常識」を軽蔑し、「善悪」を否定することこそ賢いと思わしめてしまったのであろう。】
そこから著者は、死刑願望のある虐殺者にたいして死刑をしてしまってそれでよいのだろうかと考える。死刑制度について著者は考察をし直す。そして、殺さないまま、何の娯楽もなく、面会もなく、ただ完全に一人生かし続けるという刑が死刑より厳しい刑で、それしかないと述べる。これも試論ではあるのだが、死刑論としては平易かつ、著者自身が考え、迷い、結論ありきではないところが、とても好感が持てる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
偽善者の見破り方というよりも、見せかけとか言行不一致というかそういう感じの社会的地位、責任のある、あった人についての客観的、論理的な検証のように捉えます(著者自身、見破り方といってますが。。)、人の振り見て我が振りを見つめることもできるように思います、しかしリベラルの意味とか定義とか範疇がいまだよくわからない。。一番響いたのは死刑の問題、もっと現実的思考も必要、重要で、いろんな立場から検証する必要、重要をあらためて思う、よい本(著者)でした。
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著者がいろいろな媒体で発表した評論集。
保守らしい保守の主張は切れ味があり、小気味良い。
巻末の死刑制度にかかる考察は考えさせられるし、「彼ら(リベラル)は善く生きようと思ってはいない。善く生きているように思われたいだけだ。」とは至言だろう。 -
●結局のところ「リベラル」を自称する彼らは、本当の意味で少数者の権利を擁護するつもりもなければ、多様性を認めるつもりもない。日本や日本国民を攻撃できると思った瞬間にマイノリティーを擁護するポーズをとって見せたり、多様性を守る芝居をして見せたりしているだけの話に過ぎない。「リベラル」の仮面をかぶった偽善者に他ならないのである。
●幣原が提案した戦争放棄条項に驚愕したマッカーサー。自分の夢であった。
●リベラルなテレビの思惑どおりに世の中を解釈している「テレサヨ」テレビ左翼(^^)
●憲法学者のほとんどがそう解釈するように、自衛隊を違憲と見ることが憲法解釈としては自然である。だから早期の憲法改正が必要だと考える。また野党は、この憲法改正を選挙の争点すれば良いだけである。
●日本には「非核三原則」と言う原則がある。「持たず、作らず、持ち込ませず」と言う内容だ。1967年、佐藤栄作総理が国会答弁で、述べたのが発端である。しかしこれは憲法で定められたものではなく、あくまで1つの政策に過ぎない。絶対に変えてはならない原則では無いのだ。
●約束を守らないのが朝鮮人の本質と、100年前に喝破していた福沢諭吉
●反知性主義とは、馬鹿や無知の事を言うのではなく、宗教的概念から来るもの。大衆はわかりやすい表現を好む。素朴な申告を尊ぶようになる。
●「死刑制度について」被害者遺族にとって、加害者が己の死を持って罪を贖うのは1つの「償い」になります。加害者に生きていてほしくないと思う気持ちは大事だと思います。
●「偽善者」彼らはそもそも善く生きようとなどと思ってはいない。善く生きているように思われようと口先だけの美辞麗句を並べたてているだけなのだ! -
「流されない読書」「リベラルという病」に続く岩田氏3冊目の本です。
今回は、日本で活動する「リベラル」の正体を手際よく暴露していく痛快本です。
保守論客としては櫻井よしこ氏が代表格でしたが、岩田氏にももっと活躍してほしいものです。
さて、本書では、池上彰、石破茂、枝野幸男、岡田克也、小沢一郎、小池百合子、小泉純一郎、小泉進次郎、志位和夫、玉木雄一郎、鳥越俊太郎、野田佳彦、鳩山由紀夫、前原誠司、村山富市、森達也、蓮舫など具体的な名前をあげながら、その言動の矛盾について指摘していきます。
捨て章無しの力作ですが、特に第4章は必読です。
とはいえ、死刑制度を論じた最終章には一抹の不安を感じました。
岩田先生は死刑制度賛成の立場ですが、自殺願望の犯罪者たちにとって死刑そのものが犯罪誘発要因になっていることから「死刑よりも厳しい刑罰を導入する形で議論を進めるべき時期が到来している」という結論に至ります。
では具体的にどんな刑罰を想定しているのかと思えば、「過酷な終身刑、例えば一切の面会を禁止、食事も最低限生きていける程度のもの、本を読むことも映画を見ることもできない状況」としているのだが、これでは寝たきりぼけ老人と変わりませんし、これが生き地獄(筆者はこの表現は使っていませんが)とも思えません。
要は何かを考えることをあきらめれば簡単に単純な生活の繰り返しに慣れてしまう人間の怠惰を甘く見ています。
死刑より重い終身刑とは、旧ソ連で行われた強制労働などの非人道的処遇のようなものであって、3食昼寝付きのムショ暮らしとは対極にあるものです。
今でさえ、犯罪人には過度に優しい人権派連中のおかげで、他人の命を奪いながら、自分だけは基本的人権をしっかりと享受できる状況になっているのに、岩田先生のいう「過酷な終身刑」でさえ瞬く間に骨抜きにされるのは目に見えてます。
さらにいえば、彼らを生き永らえさせる生活費や維持費は我々の税金だという点も忘れては困ります。
私はこんな人間のために税金が使われるのはまっぴらごめんです。
突然殺された被害者にとって、もうやり直しのきかない一生になってしまったように、加害者も自分の命でしか償う道はありえません、この点だけは岩田先生も早く正気に戻ってほしいと切に思います。