- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784774153162
作品紹介・あらすじ
どんとこい、炎上!
オダジマタカシがさらなる地雷を踏みに行く!
昨年刊行して大好評だった『地雷を踏む勇気』に、待望の続編登場。
ノイズだらけの言論メディアを一刀両断。
ハシズムも維新も再稼働も受けて立つ!
大震災以来、目に見えて不寛容になっているわが国の言論状況に対し敢然と立ち向かう、孤高のコラムニストの真骨頂エッセイ。
「デジタルの世界に生きる人間は、ノイズに対してタフにならなければいけない」などなど、ハードボイルドな名言満載!
感想・レビュー・書評
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維新の会・東日本大震災・東電・メディア論など…ここ最近の問題を悩みつつ真摯に書く姿勢にコラムニストとしての矜持が感じられる。その点は評価したいが、結局ダジャレで落とすパターン多くないか? それって親爺ギャ…いや、TBSラジオ「たまむすび」の水曜はいつもポッドキャストで楽しく拝聴してますけどね。各章の副題がロックネタなのもナイス(フォローのつもりです)。表紙が杉浦茂画伯でポップな印象だが、読後感は重い。解決してないことばかりだから。
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献本でいただく。
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O氏の本を久々に見つけ、入手。わが~、我が心は~という定型節がうれしかったりする。
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安全が当たり前と思って鍵をかけない地域によその地域から来た人が入って感じる違和感と、日本に入ってきた外国人の違和感を同質のものという視点はよかった。
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日経ビジネスオンラインに連載している、著者のコラムを載せたものである。橋本と石原の維新の会についても結構書かれている。選挙が間近になり徐々に各党の立ち位置が明らかになるにつけ、著者が維新に対して感じてきた胡散臭さなど、コラムに書いてきたことが、現実問題として浮上してきた感じがする。しかし維新の支持率も下がってきたとは言え、未だに15%程度出ているのだから、この国も心配だ。今月の衆議院選挙は、この先も日本人が民主主義でやっていけるのかどうかが掛かった選挙になるのではないか。
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同著者の他のエッセイほどの破壊力はないが、やはり面白かった。
新型うつの考察が、なるほどと思わせる。 -
インターネットの連載が面白く、時々読んだいたので、書籍版にも手をだしてみる。
衆参議院事務局への攻撃を題材についてセキュリティについてのコラムがある。筆者自身の下町出身田舎者精神が、セキュリティーの重要性を言い出す奴への共感を妨げるという趣旨のことをいっていて、なんとなく納得してしまう。「他人を信用しないのはあんたの勝手だが、何もそのことを公衆の面前で誇らしげに語らなくてもいいんではないのか」と。
しかし筆者自身も認めるように、日本社会に育まれた「ムラ社会」は毀損されつつあり、つまりそこにセキュリティの重要性が発生せざるをえない。 -
いつもながら歯切れがよいというか。その視点をよく持てますね~?と感心してしまいます。コラムの時期が橋下さんの市長選時期だったので、選挙がらみの話が多かったかも。
自分のやっぱり最大多数派に属してますな。 -
特に第1章は、現在の日本に蔓延している「嫌な感じ」を、見事に分析している文章ばかりで、思わず姿勢を正して拝読した。
読後、自分もできるなら、こうやって世の中のことどもを眺められるようになりたい!と切実に実感させられた。 -
天才コラムニスト、小田嶋隆さんの本はこの1か月でこれが5冊目。完全にかぶれています。
で、分かってきたことというのは、様々な論件を扱っていますが、うまく着地できていないことも多々あるということ(笑)
でも、それも含めて読み応え十分。いや、個人的には、うまく着地できていないコラムの方により魅力を感じます。
悶えているときに、その人の技量が最も如実に出るのかもしれません。
そもそもこれだけ社会が入り組んできているのに、森羅万象を扱うコラムがスパッと分かりやすく着地するわけがありません。
もし分かりやすい解答を示しているのだとしたら、どこかにウソがあると疑った方がいいかもしれません。あまりいい態度ではないかもしれませんが。
小田嶋さんは、そういうタイプではありませんね。通り一遍の解答を示して、悦に入るようなことは決してない。むしろ迂遠で分かりづらい経路をたどることもしばしば。話もたびたび大きく脱線します。正直なんでしょうね。
読者におもねることなくタイトル通り「地雷」を踏みに行き、自ら告白しているように粘着性の読者から批判を浴びることも多いようですが、私はそこにむしろ読者に対する小田嶋さんの敬意を感じます。
本書の中身の話に入ります。
まず、今、レビューを書くのに再読して目に留まったのが日本維新の会についてのコラム。2011年12月のコラムには、こんなことを書いています。維新がイケイケドンドンだった時ですね。
「でも、私は、『維新』なり『改革』が、そんなに簡単に結実するとは思っていない。正直に申し上げれば、非常に悲観的な観測を抱いている」
維新の今の体たらくは言わずもがなでしょう。
震災以降の不寛容な言論状況は、小田嶋さんがたびたび扱う論件で、本書でも直接テーマにしたり、言及したりしています。
たとえば、一時、激論を巻き起こした生活保護の問題。「ナマポ」の呼称で生活保護受給者へのバッシングが吹き荒れたわけですが、小田嶋さんはそのことに強い不快感を表明します。
さらに、もともと、弱者の味方だったマスメディアまでもが弱者叩きに加担ないしは放置している現状を嘆きます。
「偽善を含んでいようが、臆病さのあらわれであろうが、公の場にある人間が弱者の側に立つことは、結果として、善をもたらしていた。われわれの世界は、そういうふうにして、弱者をいたわるポーズをお互いに強要することで、かろうじて弱者を保護する形を整えてきたのである」
ずいぶん、深い見方だと思いませんか?
「差別や残酷さを減らすためには、多少とも偽善的なふるまいに対して寛大であらねばならない。逆に、偽善をなくすためには、残酷さや差別意識を容認しなければならない。で、どちらがマシなのかという話になる。私個人としては、偽善的な世界の方がずっと住みやすいはずだと考えている」
私もそう思います。いえ、これを読んで説得されました。情理を尽くして語る言葉には力があります。