地雷を踏む勇気 ~人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

著者 :
  • 技術評論社
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本棚登録 : 385
感想 : 59
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784774148700

作品紹介・あらすじ

東電も保安院も復興会議もネトウヨもナデ斬り!3.11大震災以降「言論の地雷」を踏み続け、そのチャレンジングな姿勢で大喝采を浴びた、日経ビジネスオンラインの超人気連載、待望の単行本化。

感想・レビュー・書評

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  •  先ず小田島の文体が独特な言葉のつながり、使用があり慣れないと少し読みづらいかも知れない。或いは理解するまで時間を要することになる。
     独特な視点があるというより、かなり深く考え抜いてるという印象がある。

     この本は2011年の初版だが、時代が色褪せている感がある。時事のコラムというのは新鮮さが求められる。だが過ぎ去った過去のものであっても、鋭く抉るように新鮮な洞察をみせてくれる。「君が代」問題である。当初この問題は学校の教職員に対する「指揮系統を顕在化させる踏み絵みたいなものとして機能し」ていたのだが、この国歌を義務化したことは「義務で歌うと、まず歌の心が死ぬ」と鋭くみている。即ち、愛国心を強要してはならないとするものだ。愛国心とは心の中で自然発生的に萌芽し育まれるものだからである。このことを小田島はこんな比喩をしている。

     二人の愛の絆であるべき「結婚指輪を身につける法的な義務を帯びているのだとすると」その意味を失うのだ。
     それと、小田島の比喩には独特のものがある。これもまた簡単には思いつかない感じがする。村上春樹を思わせるような比喩だ。面白く読ませてもらってる。

  • 著者の文章はあちこちで目にしてきたが、まとめて読むのは初めて。なるほどなあと思うところがいろいろあって、面白く読んだ。

    3.11を挟んでウェブ上で連載されていたということで、当然震災・原発関係のコラムがある。これが独特の視点で読みごたえがあった。特に原発を「マッチョ」という切り口でとらえたものなど、言われてみればそうだなあとうなずくことしきり。圧倒的なパワーを持つものに対して、「すげー」と無条件に思ってしまう心情は(男性ほどではないと思うが)分かるように思う。何かにつけ「マッチョ」は抵抗すべき「敵」だと思うことが多い昨今、いろいろ腑に落ちたのであった。

    「言論弾圧」についての意見も共感できるものだ。それは今の社会では「なんとなく面倒くさい」という形で現れる、というのはまったくその通りだと思う。実生活で、ネット上で、「これを言ったらうっとうしいことになりそうだな」と思って言わないでおく、ということがどんどん増えていると思う。自分としてはごく当たり前のことを言おうとするのに、地雷を踏んで炎上する覚悟が要求される。ああ煩わしい、というのが普通の感覚だろう。
    「結果として、それらの問題を面倒くさくしている勢力に荷担することにつながる」「誰かが地雷を踏みに行かないと、議論が死ぬ」
    こういうスタンスは、社会について発言する書き手として、いたって真っ当なものだと思う。

    あと一つ、全く同感だと思ったのは、教育について述べられた中での次のくだり。
    「個性を尊重するということは、言葉を換えて言えば寛大さのことだ」
    本当にそうだ。すごく難しいことだけど。

  • 面白かった。迷いや恐れも含めて率直な意見が綴られていると感じた。表現も楽しい。笑えるって本当に大事。

  • これは最高に愉快な本だ。ぜひ一読をお勧めする。でも、いつもぼくが考えていることと同じ内容なので新しい知見はひとつもない。それでもとても快適な読書になるのは、著者の例え話があまりに秀逸な為である。内容じゃない。文章なのだ。ASYLの表紙ももちろん素晴らしい。面食いのぼくとしては表紙は大事なのだ。あと、編集のコラムの順序の配慮が素晴らしいと個人的には思いました。

  • P84
    多様な個性を守ることができるのは
    多様な個性だけだ

    P210
    わが国において「有能さ」とは
    「衆に抜きん出ること」ではなくて
    むしろ逆の
    「周囲に同調する能力=突出しない能力」
    を意味している (橋本治)

    P236
    大人になったことで変わったのは
    私自身の内実ではなくて
    外界なのだ

    P236
    私と世界の関係が変質したから
    私は大人として振る舞わざる得るなくっている ※

    P236
    社会の中で一定の立場にある人間は
    個人である以前に役割としてそこに立っている

    P236
    大人というのは
    ひとつの「機能」なのだ

    P237
    (大人は)感情と人間関係を
    適切にマネジメントせねばならなくなる

    P239
    アイドルが「ちゃん」付けで呼ばれるのは
    彼女たちが子供っぽいからではない。
    むしろファンが子供っぽいからだ ※

    P240
    結局、大人とは
    役割であり契約であり義務であり
    責任なのだ ※

    P240
    逆に考えれば
    子供であることはひとつの特権だ ※

    P240
    子どもとして振る舞うことは
    事実上の権力行使なんだと
    言い換えてもよい

    P240
    対人折衝や価格交渉みたいな
    「大人」のマネジメントに従事することが
    タレントとしての魅力を維持する上で
    マイナスになる

    P259
    三島由紀夫はその著書のどこかで
    「罪に先立つ悔恨」という不思議な感慨に
    ついて語っているが、
    オダジマは現在、ベストセラーに先立つ
    多幸感の中にいる ※

  • Twitterで小田嶋さんの存在を知ってウィットに富んだ文章に魅力を感じて著書を手に取った。およそ10年前のコラムだがやはり面白い。

  • ・著者は赤羽出身、借りた本は赤羽図書館所蔵とは面白い偶然。
    ・日経ビジネスオンラインで連載していたものを書籍化。マスコミ・メディアへの揚げ足取りが基本で、言いたい事を言いっ放しというものだが文体が面白く、最後まで読んでしまった。

  • 出版社さまより献本いただく。

    書評エントリー:
    <a href=\"http://rashita.net/blog/?p=6924\">【書評】『地雷を踏む勇気』(小田嶋隆)</a>(R-style)

  • 本文は言わずもがな、氏の真骨頂は「あとがき」にあるかも

  •  詳細なレビューはこちらです↓
    http://maemuki-blog.com/?p=9288

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著者プロフィール

1956年東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業。食品メーカー勤務などを経て、テクニカルライターの草分けとなる。国内では稀有となったコラムニストの一人。
著作は、『我が心はICにあらず』(BNN、1988年、のち光文社文庫)をはじめ、『パソコンゲーマーは眠らない』(朝日新聞社、1992年、のち文庫)、『地雷を踏む勇気』(技術評論社、2011年)、『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社、2012年)、『ポエムに万歳!』(新潮社、2014年)、『ア・ピース・オブ・警句』(日経BP社、2020年)、『日本語を、取り戻す。』(亜紀書房、2020年)、『災間の唄』(サイゾー、2020年)、『小田嶋隆のコラムの向こう側』(ミシマ社、2022年)など多数がある。
また共著に『人生2割がちょうどいい』(岡康道、講談社、2009年)などの他、『9条どうでしょう』(内田樹・平川克美・町山智浩共著、毎日新聞社、2006年)などがある。
2022年、はじめての小説『東京四次元紀行』(イースト・プレス)を刊行、6月24日病気のため死去。

「2022年 『諦念後 男の老後の大問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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