潜匠 遺体引き上げダイバーの見た光景

著者 :
  • 柏書房
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感想 : 15
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760153206

作品紹介・あらすじ

海難事故、入水自殺、人命救助、そして2011年3月11日東日本大震災――宮城県仙台の海底に潜り続け、いくつもの「魂」を引き上げてきたプロの潜水士・吉田浩文。凄腕のダイバーとして地元自治体からの信頼も厚く、長年にわたって遺体引き上げ・捜索、救助活動に携わってきた男が目にしたものとは? 生と死、出会いと別れ、破壊と再生――「現場」に立ち会った者のみが知る様々な人間模様と苦闘を描くドキュメント。

感想・レビュー・書評

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  • <東北の本棚>水難現場を陰で支える | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
    https://kahoku.news/articles/20210712khn000010.html

    事故、入水自殺、東日本大震災の津波……海から遺体を引き上げる民間ダイバーの“ギリギリ”な現場|日刊サイゾー
    https://www.cyzo.com/2021/05/post_279673_entry.html

    潜匠(一般書/単行本/ノンフィクション/) 柏書房株式会社
    http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b556625.html

  • 【感想】
    震災から何年経っても、前を向いて歩き出せない人たちがいる。

    東日本大震災から10年、福島第一原発周辺にはいまだ立ち入り禁止区間が残っているが、多くの住人はあのときの故郷に帰ることができた。傷ましい記憶が消えるにはまだまだ時間がかかるが、みな懸命に復興を続けている。

    しかし、そんな中でも復興に向けて動きだせない人たちがいる。
    本書にも登場する、津波での行方不明者の遺族たちである。

    行方不明者はどこにいるか分からない。もしかしたら、土の下に埋まったままかもしれない。
    しかし当然、復興の過程では、津波で流された家を撤去し、土地を埋め戻し、その上に新たな家を築く必要がある。その過程で遺族は、自分の大切な人が歴史の中から永遠に葬り去られることを恐れる。たとえ目に見える景色が全て変わってしまったとしても、「見つけ出すことができなかった」という後悔は、被災地にいつまでも残り続けるのだ。

    3.11の前と後では倫理観そのものが変化した。多くの人々が復興に向けて尽力したが、それはあくまでも自分たちが安全圏にいるからできたことであった。あのとき遺族の悲しみを心から理解し、手を差し伸べることができたのは、たった一握りの人間だけだった。ましてや震災で家族を失わなかった人たちが描いた「復興のロードマップ」は、家族を失った人たちが見ていた景色とはだいぶ違っていただろう。

    しかし、吉田は数少ない一握りの人間であった。
    彼は家族を亡くしたわけではないが、潜水士という立場を通して、「死体と遺族」の関係を心から理解していた。

    吉田は情に厚い男である。金のアテが無い遺族の引き上げ依頼を断らず、自らが破産することになろうとも、亡くなった人と家族のために尽くし続けた。しかもそれは震災発生以降の話ではない。震災が起こるずっとずっと前から、遺族の悲しみに寄り添い続けていた。
    そして、死体を返してあげられないことの無念さを誰よりも分かっていたのだ。

    「復旧はできても復興はできない」

    これは本文中に出てきた被災者の言葉である。たとえ町がきれいに生まれ変わろうとも、そこで亡くなった人々の悲しみを消し去ることはできない。
    吉田もこの言葉を胸に、発災から1年が経過しても、わずかな空き時間を捜索活動に当てていた。いなくなった人を永久に忘れないよう、彼はこれからも被災者に寄り添い続ける。

    震災から10年の節目、当時の記憶が薄れつつある今こそ読むべき一冊。
    吉田が30年にわたって築いてきた「死者とその遺族」との関わりを、是非記憶の中に焼き付けてほしい。



    【本書のまとめ】

    吉田浩文の本職は潜水士。水死体を海の底から引き上げるプロである。

    10代のころから宮城県で土木潜水(水中にある基礎部分の写真撮影などをする仕事)をしていた吉田は、ときおり水没した車両や遺体の引き上げを警察から依頼されていた。

    その実績を警察に買われ、専属として24時間引き上げに対応してくれないかと打診を受ける。遺体を扱うことに気が進まなかったが、吉田はOKし、土木潜水と遺体引き上げの2足のわらじを履くようになる。そこから吉田の精神は徐々に蝕まれていった。

    遺体に向き合うということは、吉田が思っている以上に強烈な体験であった。遺体の顔は、無表情といっても生きている人のそれとはどこか違っており、その虚無の表情がデスマスクのように、そのまま吉田の脳裏に焼き付いていた。
    一年も経たないうちに十数件の引き上げに従事すると、日常のふとした瞬間に作業の情景がフラッシュバックする。幼い息子の腕と遺体の腕を重ね、タクシーの運転者の後ろ姿が、車ごと海中に沈んだままの男性にオーバーラップしてしまう。水死体に引きずり込まれる悪夢も繰り返し見た。

    そのうち、吉田は奇妙な体験をするようになった。捜索の合間に突然一人で笑いだしてしまうのだ。警察に「不謹慎でねえか」と注意されても、笑うことをやめられない。
    吉田は、これを安全弁のようなものだと思っていた。恐怖で頭がおかしくなりそうなところを、心がバランスを保つために笑ってしまうのだと考えていた。
    吉田はこのときから、現場の関係者に、積極的に笑い話をするようになる。「ミニスカートの話」「伸びたおばあさんの話」など、作業中に起こったハプニングを面白おかしく話すことで現場の空気をなごませていた。
    はたから見れば不謹慎だったのかもしれない。しかし、笑いの対象がタブーに触れていればいるほど、現場に一体感をもたらすようだった。吉田は笑うことで引き上げ作業を乗り切ってきたし、笑うことでしか乗り切れなかったのだ。

    ─────────────────────────────────────
    吉田の人生は鬱屈としていた。貧乏という問題が常につきまとっていた。18歳で結婚し二児の父になるも、勤めていた父親の会社での人間関係がうまく行かず、退社。その後母親の過度な束縛が原因で妻と離婚。自身は独立して企業するも、母親に会社の金を使い込まれ、生活は困窮していた。

    会社は赤字続きであったが、その原因の大半は捜索費用の未回収であった。
    捜索費用を請求すると難色を示す遺族が、想像以上に多い。それは「山は捜索費用がかかるが、海はかからない」という世間の根強い誤解がある。また、自死に至るケースは借金苦の場合が多いため、そもそも払うアテがないことも一因だった。

    年間30体の引き上げ現場を担当して、きちんと支払われたのはその半分にも満たなかった。残りは踏み倒しや破産、引き取り手がいないということが原因で、未払いのままであった。
    そんな状態が続いていたため、自身で債権回収に奔走する日々が続くも、遺族が払うのを拒否したり、自身が敢えて費用を請求しなかったりと、収入は安定しなかった。

    吉田の叔父はこんなことを言っていた。
    「モノの値段は負けてもいい。けれども、技術の値段は負けちゃいけない」
    吉田は自分の仕事の価値を低く見られるのが許せなかった。加えて、いくら支払いを拒否されようとも、金がなければ吉田も生きていけない。
    「人の足元だけ見て金だけ取りやがって」
    そう言う遺族と何度も衝突した。

    数々の引き上げに対する金の請求が折り重なったため、保険をかけていた遺体への捜索費用に、赤字分を計上していたこともある。しかし、その裏で、子を残して自殺した母親の捜索を無償で請け負ったりもしていた。
    それは心の底に残った罪悪感をぬぐう、無意識の帳尻合わせであった。

    そんな彼を周りの人間はこう呼んだ。
    「汚れた英雄」

    吉田はかつて自殺した人間に怒りを覚えていた。「その気になれば誰だって生きていけるのに、死を選ぶなんて愚かだ」と。
    しかし、引き上げの経験がそれを変えてくれた。一つひとつの遺体に、なけなしの生の形がある。借金苦、叶わぬ恋、無理心中。自死の理由はさまざまだが、そこには人間の小ささも儚さも、愚かさも残酷さもあった。そしてそれらを垣間見るうち、かつて自殺者を見下していた吉田にも、死者を悼む気持ちが生まれていた。

    ────────────────────────────────────
    弾けたバブルの余波が建設業界を襲い、吉田の会社も経営が傾いた。それまでに行ってきた100以上の引上げの現場で、遺族から支払われなかった借金の肩代わりが4千万円にまで膨らみ、回収できなくなった設備投資の赤字が2億円以上あった。
    とうとうあらゆる財産が差し押さえられ、車上生活が始まる。

    この状況で手を差し伸べてくれたのは、当時付き合っていた美香であった。吉田のよき理解者となった美香は、自身の名義でアパートを借り、吉田に貸し与える。そのうち2人は結婚し(吉田にとって4度目の結婚)、男の子が一人生まれた。

    吉田は破産そのものを後悔していなかった。引き上げの仕事が破産の大きな原因であったため、土木の仕事だけを選んでいれば、もしかしたら切り抜けられたかもしれない。しかし、吉田は破産をして引き上げをする人生を選んだ。そんな吉田の正義感や親切心が、美香はたまらなく好きだったのだ。

    そのうち吉田は海水浴場の警備の仕事を任されるようになり、アルバイトに来た若者たちと師弟関係のような絆を持ち始めた。生活がやや上向き始め、新たな会社も立ち上げた。

    ────────────────────────────────────
    2011年3月11日、東日本大震災が起こる。吉田は避難先の小学校で、消火ホースを身体に巻きつけて濁流に飛び込み、孤立した人々を救助していた。

    吉田にはある後悔があった。「あの時、家からドライスーツを持ってきていれば…」

    窓の外、垂れ込めた雲の下には、水没した町の景色があった。人々はなすすべもなくその景色を見つめていた。
    夜になり、深い闇が人々をさらなる不安へと陥れた。校舎の近くの家々からは「助けて」という声が幾度となく響いた。しかし視界が効かない闇の中、救助に行くのはあまりに危険すぎる。人々のあいだに無力感が広がった。声は少しずつ弱々しくなり、やがて聞こえなくなった。

    震災から三日後、吉田に捜査協力が届いた。市長の佐々木からの直接依頼である。
    津波にのまれた人を救助しようと現場に向かうも、今までとは違い、どこもかしくも障害物だらけである。ヘドロとガレキが重なった水中ではなにもかもが手探りだった。作業は難航を極め、1日にたった数十メートル前進するだけだ。そして何より、終わりがなかった。

    見つかったとしても、足だけ、指だけ、内臓だけというケースもよくあり、近くで発見された別々の体の一部が同一人物のものなのか、他人のものなのか、それさえもよくわからなかった。五体満足の遺体であっても、津波から逃れようと必死だった人びとの恐怖や無念が刻まれており、仙台港で見つけた――自らの意思で命を絶った人々の、ある種晴れやかな表情とは程遠いものだった。

    吉田は15年近くのあいだ幾度となく遺体の引き上げをしてきたが、上がった遺体を見て涙が出たことは一度もなかった。
    そんな吉田が泣いたのは、海水浴場のアルバイトに来ていた木村の遺体を見たときだった。
    吉田は木村を可愛がっていた。一度は自分の会社に誘い内定を出したが、4月から自衛隊に入隊することが決まり、内定を断られていた。あの時、自分が自衛隊に行くのを許さなければ、木村は自分のもとで働いていて、守ってやれたかもしれないのに……。そうした後悔が吉田を襲った。

    ────────────────────────────────────
    2011年が終わろうとしていた。自衛隊はいなくなり、捜索も大々的には行われなくなった。

    復興は急ピッチで進んだが、被災した人の中には、「瓦礫と化した町の痕跡が日々薄れていくのがよいことなのか」と疑問を感じる人もいた。日本中の人が復興に向けて手を差し伸べたが、被災者の中にはこれを上から目線に感じる人も少なからずいた。かといって、寄せられる「善意のメッセージ」を声高に否定することも憚られた。矛盾した気持ちが人々の心に静かに横たわっていた。

    特に、行方不明者家族と復興を加速させたい人のあいだで軋轢が生まれていた。
    行方不明者家族にとっては、家族はまだ土の下に埋まっているかもしれない。新しい町が作られると言うことは、彼らを永遠に土の下に葬り、忘れ去ることに他ならなかった。しかし見つからない人を待っていては復興が前に進まないのも、確かな事実である。行方不明者の家族たちは、そんな世間との圧倒的な温度差に悲しみ、ときに傷ついてさえいた。

    色々なことがあった1年だった。それを思い返していた吉田は、「人の死には色がある」ことをぼんやりと思い浮かべていた。
    もちろんイメージにすぎないが、仙台港で引き上げた遺体は、たいがいが群青色だった。一方で震災以降に引き上げた遺体につきまとっていたのは、「重苦しいどす黒さ」である気がした。
    それは生きたいという意思の違いなのか、死ぬ間際の苦しみの違いなのか、はっきりとはわからない。ただし少なくとも、どす黒さより群青色のほうが、わずかにいいような気がする。
    ひょっとすると、吉田が長く引き上げを続けてきたのは、水底に沈む死者たちを、群青色の境界の向こうへ連れて行ってやろうという思いがあったからなのかもしれない。

  • 代々潜水業を営む家に生まれた、優れた一潜水士の半生。

  • わかりやすいヒーローではない
    なかなか屈折したおじさん。
    そこが良いのかな。

  • 潜る、探す、引き上げる、類まれな才能。筋を曲げない頑固さ、正義感。高校中退、母親との確執、家出。三度の離婚と四度の結婚。遺族とのけんか、元請会社との諍い。倒産、破産、車上生活。不器用な生き方、発達障害を思わせる人物像、慕う若者がいる。311、自らの危険を顧みずに果たした人命救助。復興。忘れられていく犠牲者たち。探し続ける。まだ待っている遺体がある。彼の功績に我々の社会は十分に報いているだろうか。才能を存分に発揮するだけの環境を与えているだろうか。遠くから緊縮財政が罪を犯す。50歳を過ぎ、波乱万丈は続く。

  • 読み応えのある一冊。
    超オススメ。
    これだけ筆力のある著者が出てきたのは、ノンフィクション界にとって大収穫。

  • 寝る前に読んだら怖い夢を見た。それだけ遺体の描写がリアル。日々こんな仕事をしていらっしゃる方もいるんだなあ、と思った。

  • ふむ

  • ニュースですこーーしだけ映る世界。
    遺体を引き上げるのって全て警察関係だと思っていたし民間に頼んでいいものなんだなと思った。
    感謝されど叱責を受ける権利はないと思うけど人の命、ましてや身内となるとそういう心情になるのかな。
    自殺と事故での違いなどリアルだった。
    本に書けないような事例もあるだろうし、これでスポットライトも当たらない、食うに困るってなんともやるせないな。
    本に書いてある内容なんてほんの一部だと思うけどこんな立派な職業があるということを少しでも知ることができてよかった。

  • 遺体引き上げにあたった人が何を感じ、どんな境遇にあったのか、なにを見たのかが描かれた作品。
    だいぶ遺体引き上げとは関係のない章があるので、痛い引き上げを行ってきたおじさんに心打たれた作者が書いたおじさんの伝記だと思って読んだほうがいいです。

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著者プロフィール

1980年、千葉県市川市生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒。在学中、イラク戦争下のアメリカ合衆国を自転車横断しながら戦争の是非を問うプロジェクト”Across-America”を行い、この体験を文章にまとめた「アクロス・アメリカ」を執筆、雑誌「かがり火」に連載。また2011年以降、マニラのストリートに暮らす人々を見つめるドキュメントの制作にも着手。以降、人の内面の光と影を追いながら取材活動を展開。東日本大震災直後に現地入りし、現地に居を構えながら被災した人々の声を拾う活動を続ける。ユネスコなどと共同し、全国で震災写真展を開催。放送批評雑誌「GALAC」に「東北再生と放送メディア」を連載。スポーツ・冒険マガジン「ド級!」でエクストリーマーの一人に選ばれる。

「2021年 『潜匠 遺体引き上げダイバーの見た光景』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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