言葉を使う動物たち

  • 柏書房
3.39
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  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760152339

作品紹介・あらすじ

動物はしゃべれるのか? この疑問はすでに過去のものとなっている。なぜなら、動物はしゃべっていることが証明されているからだ。人間は動物の一員であるにも関わらず、自分たちが一番上位にいると思いこんできた。そのため、すべての動物に対する価値判断を人間ができることを基準に行ってきた。

 でも考えてみよう。イヌは嗅覚が人間の何百倍も優れ、コウモリは超音波により眼が見えなくても空を飛べ、ゾウは超低音が聞こえて遠距離の連絡ができる。これらの感覚は人間にはまったく理解できないものだ。当然これらを使って動物は意思疎通を行う。人間は書いたり聞いたりと言葉を中心にしたコミュニケーション(人間が感じ取れる範囲の視覚と人間が聞き取れる音域だけ)しかとれないが、動物は人間には感じ取れない方法でコミュニケーションをとる。

 著者は哲学者でもあるため、言語とは何かを意識する。伝統的な哲学では言葉の持つ意味が重要だと考えるが、その概念すべてを1つの言葉が表し切れていないとすれば、動物の言葉への視野が開けてくる。動物は鳴き声を上げるだけではなくしゃべっているのだ。生きるために敵から逃げたり、餌を探したりしなければならず、そのために仲間同士、さらに他の種の動物とも情報交換していることが見えてくる。そう、動物も思考し、過去の経験から状況を理解し言葉でそれを伝えているのだ。人間中心に考えるのではなく、動物中心に考えることで、地球上の生き物として、すべての動物がお互いに何かしらの意思疎通を求め、敵からは逃げて、協力すべき仲間とは協働し生きているのだ。

 本書には、子どもの頃に両親を密猟者に殺されたゴリラが、おとなになって手話を覚え、その時の様子を人間に伝えた話、流産した飼育員からそのことを手話で伝えられ理解したゴリラが一緒になって涙を流す仕草をした話、韓国で育てられたゾウが、韓国語を覚えてそれをしゃべるので、その低音の録音を韓国人に聞かせると、何を言っているのか理解できる話、モスクワでは郊外に棲むイヌが地下鉄を利用して都心にやってきて(おとなしく座っている)、信号を守って移動し、餌をくれそうな人(40歳を超えた女性、つまりファッションもわかる)にそれをねだり、また地下鉄で戻っていくことを周りの人間が容認し共存している話など、これまで動物は人間よりたんに劣っていると思ってきた人にとって、驚くような事例が書かれている。

 人間も動物の一員であり、動物にも人間と同じような権利があることを、著者はさまざまな事例を上げつつ述べている。動物による興味深い言語とコミュニケーションの世界、そして新たな哲学的視点からの言語について語り尽くす。

感想・レビュー・書評

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  • 原書:Eva Meijer "Dierentalen"

    原著の題はそのまま”動物言語”。日本語版はMIT Pressから出版された英語版 ”Animal Languages”の重訳。


    昔は動物と人間は道具を使うかで分けられる、というのが自明かのように語られた。それが間違いだとわかったいま、動物と人間との違いは言語や心と語られることが多いけれども、著者の主張によれば、ほかの動物たちも人間同様、それぞれの言語があり、感情を動かし考える心をもっている。人間中心の思考を変えれば、そこに差はない。
    ということを、著者はさまざまな動物の”言語”の実例をあげて説明する。
    動物のコミュニケーション手段は我々人間の”言語”と同じくらいの複雑さをもっており、それを著者は動物の”言語”とよぶ。動物の言語にも、われわれとおなじく文法があり、相手への働きかけがあり、(双方向の)正真正銘の”コミュニケーション”がある。
    人間中心的な世界観に一石を投じる本だ。

    周縁化された存在への差別という共通点から、フェミニズムの視座にも言及がある。

    哲学、倫理学、言語学や、動物学諸分野の知識の下地がないとたぶん著者の主張を完全に読み取るのはむずかしい。気軽なエッセイ風だし、確かにそうも読めるのだが、今まさに議論の渦中にある最先端の学問知でもあって、私自身内容を八割以上つかめている自信はない。
    心にかんする哲学論争とか、動物倫理と種差別とか、歴史的な流れをなんとなく知ってる程度のレベルではなかなか…。

    動物倫理に関する日本語の情報はあまり多くないので(特に大陸ヨーロッパのもの)ものの見方を学ぶのによい機会になった。
    ヴィーガニズムの背景にある、人間とそれ以外の種を区分けせず、対等に扱うべきという考えを、自然に受け入れられるような本だ。

    動物たちと対等にコミュニケーションするべき、可能だというのが、実際にどこまで適当な主張なのか、現時点の私では判断できないが、個人的には共感する。コンパニオンアニマルに限れば、わたしも日々かれらと対等なパートナーでありたいと思っている。まあ、むこうもそう思ってくれているのかはわからないけれども。

    それにしても、動物と対等であろうとする研究者に女性が多いのはおもしろいというか、必然というべきか。従来のアカデミア的な権威とは違う視点から綴られた書籍は、いつも目が覚めるようにエキサイティングだ。

  • 動物同士がコミュニケーションを取るのはなんとなく知っていたけれど、真正面から動物の言葉を取り上げた本を読むのは初めて。

    動物たちは、彼らのなりのやり方で話し、時に人間とのコミュニケーションの取り方を習得する。あなたがもし動物と一緒に住んでいるなら、“同じ家で同じ習慣を持って暮らせば、理解は深まる”ことを当たり前に思うかもしれない。彼らは人間の言葉を話さなくても、人間とコミュニケーションがとれるからだ。

    長いあいだ、動物とのコミュニケーションにおいて、動物は物体と見なされて調べられていた。なので動物の物体としてのイメージを裏づけるデータばかりが集められた。例えば、動物のオスは、メスを引きつけるためや縄張りを守るために、歌ったりコミュニケーションをとったりすると考えられてきた。だが今では、彼らが本能に従って行動するだけではなく、創造性があり複雑な反応のパターンを示すことも分かっている。

    猫には猫の、鳥には鳥の、イルカにはイルカの世界がある。人間の耳には聞き取れないほど高い音や低い音を出してコミュニケーションをとっている動物もいる。警告音を発する、ダンスを踊る、体の色を変化させることも人間の言語に匹敵するメッセージ性があるという。単に彼らは人間の言葉とは別の言葉を使っているにすぎない。

    この本の優れた点は、言語とは何か?文法とは何か?そもそも他者を知ることはできるのか?といった言語学や哲学の内容にまで話が及ぶところだ。そして、蠕虫からクジラに至るまで非常に多くの例が挙げられ、情報量は凄まじいのに読みやすくまとめられている。

    この分野の研究が進み、人間と人間以外の動物がお互いの言葉を理解し、より共生しやすい社会になるといいな、と思った。

    p30
    人間は笑ったり、あくびをしたり、脚を組んだり、顎に手を添えたりするような姿勢や身振りを知らず知らずのうちにまねている。すべて伝染するのだ。人間はしばしば別の誰かを無意識にそっくりまねて、指摘されたとたんにそれをやめる。人とつながり合っている感覚を持っていたり、同じグループの一員だと思っていたりする人々は、まねをする頻度が高い。まねをするとお互いの理解が深まって連帯感が強まることもあり、感情的な波長がよく合うようになる。

    p39
    彼らは人間になり損ねた者ではなく、彼ら独自の能力を持っているのだ。人間とほかの霊長類は多くの点で似ているし、そのほかの点では異なっている。こうした類似点と相違点
    知りたければ、ほかの霊長類の世界観に基づいて研究を進める必要がある。

    p42
    イルカは人間と違って、意図的に呼吸する。息をしたいときには必ず水面に上がらなければならない。生きることに耐え難くなると、最後の息を吸って底に沈み、そこで動かなくなる。

    p43
    イルカの音声の多くは聴くことができない。私たちの可聴域外にあり、録音できる装置もずっと現れなかったからだ。イルカの研究者デニス・ハージングはデジタル技術を利用して、こうしたイルカ語を人間の言葉に、また逆に人間の言葉をイルカ語にも翻訳している。

    p44
    クジラやイルカは、彼らのソナーで水中の爆弾を検知することなどに利用される。ノックは北極圏で魚雷を探索するために使われた。

    p46
    イルカが使う音の一部は高すぎて人間には聞こえないが、ゾウの音の一部は低すぎて聞こえない。イルカと同様に、ゾウは複雑な社会的関係の中で暮らしているため、音がコミュニケーションで重要な役割を担っている。ゾウは二つの声を持つ。口を使っても鼻を使っても話すことができるのだ。低周波音は人間の可聴域よりと低い音で、超低周波音(インフラサウンド)としても知られており、高周波音に比べて遠くにまで到達可能だ。音は最長四キロメートル離れた場所でも聞こえるし、さらに、大声で叫べば七キロメートル先でも聞き取ることができる。

    p47
    ゾウが死にかけているとき、グループ内のほかのゾウたち(多くの場合は家族)が、死んでゆくゾウの周りに集まってきて、それぞれが鼻で優しく慰める。ゾウが亡くなると、彼らは亡骸を抱きかかえたり、抱き上げたり、あるいは背中を押し上げたりしようとすることもある。そして土と葉で覆うと、それから何年ものあいだ、亡くなった場所を訪れる。ゾウの墓だ。

    p52
    プラトン以来、哲学の伝統は真理の探求にある。彼が描いた真理のイメージは普遍的で一義的なものだ。プラトンによれば、真理は日常の中ではなく、知性が伴う場合にのみ知覚できる永遠のイデアの中に見つかるものであり、永遠のイデアの反映が私たちの周囲の現実の中に見えるのだという。この真理のイメージには、言語はそれの指し示すものを一義的で純粋に反映するという考えと、「言語」の概念ははっきり定義され知られうるという見解がつきものだ。このような理解にといては、「言語」の持つ意味は正確に定義されて、そらを普遍的にあてはめることができる。
    これに反して、言語哲学者のウィトゲンシュタインは後年の研究で、言葉は一義的な意味を持ち、言語は一つの方法で定義できる、という考えを否定した。彼によると言語を定義することは不可能であり、そのような考えは、言語と意味がどのように働くかをわかりにくくもさせるという。言語は無数の異なる方法で使われていて、言葉や概念と意味することや、「言語」という言葉の意味することも、状況によって変わりうる。

    p54
    言語と思考の関係と、言語と現実の関係は、どちらも哲学研究の主題だ。多くの人間は、言語を使う能力が頭の中にあると考える。しかしウィトゲンシュタインは、頭ではなく、言語と世界の関係に視点を変えて、とりわけ社会での実使用の役割に目を向けさせる。口から発した言葉の意味は、外側(世界の高次の力や、必然的な構造)に由来する訳ではなく、頭の中(他人に覗き込めない閉じた空間と考えられるもの)から生じるわけでもない。言葉はその使用によって意味を獲得する。そしてそれゆえに言葉はつねに公の事柄だ。例え声に出さずにひそかに言葉を使っで考えたのだとしても、自分のためだけに書き記したのだとしても、そうした社会的な要素は存在している-私たちは話し書くことをほかの人々から学んできたので、私たちが自分の考えを表現する方法は伝統や文化の一部であって、新たに何かを発展させることは可能でも、まったく新しいものは理解不能になるということだ。言葉の使い方と意味の関係に重点を置くことで、新たな視点から動物を使った言語の研究や動物の言語の研究をすることになり、人間以外の動物の思考を疑う態度は、もはや入り込む余地はなくなる。動物たちが話すかどうかを判断するために彼らの頭の中のことを知る必要はない。彼らがどのように言語を使っているかを調べて、そこから研究を続ければいいのだ。

    p58
    これを書いている時点では、五種の哺乳類-人間、コウモリ、ゾウ、アザラシ、クジラ-は新しい音を作り出す方法を学ぶ能力があると考えられている。これらの動物は人間の言葉を習得できる。また、ほかの動物の言葉を話せるようになる、あるいは話せるようになろうとする動物もいる。たとえば、シャチはイルカの音声を模倣し、このスキルを使ってイルカとコミュニケーションをとることが知られている。オウムはほかの動物の声をまねるが、それは自衛のためでもあり、ほかの動物を狩るためでもある。

    p60
    言葉を学ぶとき、単語と、関連の物体や行動とを学ぶだけでは十分ではない。言葉は実践を通じて意味を獲得するからだ。一つの単語の意味は状況によって違いうるので、言葉を上手に使うためには単語がどのように使われるかを知る必要があるということだ。人間でも動物でも、たんなる模倣を超えてこれが広がる。

    p98
    動物の言語には、人間の言語にはない特徴があるといっていいだろう。色のパターンや科学的なにおいシグナルによるコミュニケーションのニュアンスを真に理解することが、やがてできるようになるのかはわからない。人間が決める言語の定義は人間に都合よくできているのがつねなので、ほかの動物の言語について考えるときには、そうした特徴を含めて考えなければならない。

    p105
    においの感知能力は、イヌの品種によって異なる。たとえばパグやプードルに比べて、長い鼻の品種のほうがにおいの感知能力が高い。

    p107
    ドイツの哲学者ハイデッガーは言語と世界をequiprimordial、つまり同じように根源的なものと見なした。これによって彼は、世界より以前に言語は存在せず、言語より以前に世界は存在しない、といったのだ。世界が発展するのは、私たちが自分の考えを表現し、世界に意味を与えるからだ。世界が存在するとは、私たちが自分の考えを表現できて、意味を与えることができるということだ。ハイデッガーは、人間以外の動物は自分を世界の中の自己として理解することができないから、言語を持てないと考えた。彼の考えは当時の生物学者たちの研究に基づいえいた。特に、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、動物はみた自分の「環世界(Unwelt)」の中に固定されていると考えた。動物は自分の置かれた状態を自覚して、自分の知覚でその状態を感じ取っている。環境はその状態によって決まるので、すべての動物の環境はそれぞれ違う。クモはクモとして世界を知覚し、クモの考えだけを抱くことができる。ハイデッガーは、人間だけが、こうした環境の違いを越えられるのだという。人間は直接経験した世界を越えて、世界について考えることが可能であり、それを言語によって行うのだといっている。しかし、現実世界には、それよりはるかに微妙なニュアンスが含まれていることは、前述の数々の物語が示している。人間以外の動物たちは、自分の周りの状況が意味することを自分の言語で理解しているのだ。

    p109
    t野生の動物を、それが家畜化された亜種〔訳注:野生種のオオカミに対するイヌや、野生種のイノシシに対するブタなど。それぞれ野生の動物と種は同一〕と比べれば、後者のほうが子ども時代の特徴を多く残していることがわかる。遊び好きで、見知らぬ人にも懐きやすく、発見を求めてうずうずしていて、目が大きく、耳がひらひらと柔らかく、全身に対して頭が大きく、新しい状況への適応能力か高いといった特徴だ。この現象はネオテニー(幼形成熟)として知られている。イヌをオオカミと、ボノボをチンパンジーと、あるいは人間を先祖と比べるとネオテニーが認められる。進化論は最適者生存を装うこともある。だが、多くの種は生き残るために、協力と共感、共同作業が必要だとダーウィンは指摘する。友好的にしていると報われるということだ。

    p116
    子ネコは母親を呼ぶための声を出すが、おとなのネコは互いに対して鳴くことはなく、人間に対してだけニャーニャー鳴く。つまり、これは猫が人間との相互作用で習得したスキルなのだ。

    p144
    経験主義(すべての知識は経験に由来すると見なす考え)と合理主義(理性が知識の唯一の源とする考え)とは対照的に、現象学は知覚の本質に焦点を合わせる。現象学者によれば、経験はつねに世界の何かに焦点を合わせている。無作為にただ見ているだけではなく、いつも何かを見ているのだという。このように世界の何かに焦点を合わせることは志向性と呼ばれる。現象学では、経験に重きを置くため、思考がいつも必然的に世界に、知覚に、そして経験に結びついている。

    p146
    私たちは自分自身の外側にあるどんな視点も占有できないし、私たちのアイデアや思考は何もないところに存在するのではなく、私たちの経験に色濃く影響を受けている。

    p149
    つまり、他者が自分と全然違う文化に属するとき、その自分のよう知らない他者を理解するには非常な労力がかかる、ということだ。言語は私たちの生活の仕方に結びついており、特定の活動をとおして何らかの文脈の中でのみ意味を獲得する、とウィトゲンシュタインはいっている。他者の言語について意味のある何かをいおうとするなら、その言語が実際に使わているときの活動を研究する必要がある。私たちが他者(動物にせよ人間にせよ)のことを理解し難いと思うなら、その理由は彼らの心や思考に手が届かないからではない。それは、彼らの習慣や礼儀作法、そのほか、ともに暮らしていることに意味を与えるものを、私たちがよく知らないからだ。逆もいえる。人間とほかの動物がともに生きれば、つまり同じ家で同じ習慣を持って暮らせば、理解は深まるということだ。

    p150
    デカルトは、徹底した疑いを通じて確かな知に至ることを目指し、近代的懐疑主義を議題に載せた。彼は考える(思う)ことの基礎の研究により、そもそも知ることは可能なのかどうかを問いただした。デカルトは心と体、知性と情念(感情)をきっちり分かれたものと見なした。考えているときに、私たちは自分たちが存在すると考えることができて、それ以上は、確かなことは何もない。

    p152
    人間以外の動物は、ふつう自分の考えを人間の言葉で表さない。だが、さまざまな形態のコミュニケーション、つまり共有された異種感言語ゲームが存在しており、それで人間と動物は理解し合うことができる。私たちはしばしば、動物のいいたいことがわかるし、逆もそうだ。言語は心の中だけに存在するのではなく、むしろ社会での実使用に具体化され根づいている。

    p156
    メルロー・ポンティは習慣について、おもに体のレベルで起こるものと書いている。習慣は生活を豊かにする。生活に新たな習慣が加わると、私たちの実存の層が一つ増えるのだ。

    p157
    動物とのコミュニケーションについては、研究の中でも研究以外でも長いあいだ動物は物体と見なされて調べられていた。これが言語ゲームの主流だったので、動物について考えるほかの方法がありうることが長いこと見えなくなっていた。それらから導き出されたのは、動物の物体としてのイメージを裏づけることばかりだったのでなおさらだ。

    p161
    タコの脳はとても小さい。ほとんどの神経細胞は腕(食腕)の中にあり、それが味覚と触覚を感じて、脳とは無関係に動き回る。タコは腕で考えるといえる。彼らの腕は「自己」とそれの周囲との結びつきが人間のそれよりも強い、ということもできるだろう。

    p163
    構造主義とは、ソシュールの考えの上に築かれた社会科学におけるムーブメントだ。構造主義においては、人間が社会の基本構造に影響を与えるのではなく、社会の基本構造がさまざまた方法で人間に影響を与えるとされる。一九六〇〜七〇年代に、構造主義は言語学や文化人類学、心理学、歴史学など、さまざまな研究分野で人気になった。そこで注目されたテーマは、人間の行動の研究から、人間の行動を形作る固定的な基本構造へと変化した。

    p165
    スロボドチコフが描き出した言語の概念には問題がある-言語はたんなる生まれながらのシステムにはとどまらないので、実証的な研究のみでは、人間でもほかの動物でも意味の一定の側面を見逃してしまう。実証研究からは、人間以外の動物の言語の複雑さについて非常に多くのことがわかるが、それを解釈しようとするなら、文法と言語とは何かを再考する必要がある。これもまた哲学的な疑問だ。

    p165
    鳥類の発音器官は鳴管といい、器官の末端(肺側)に位置し、声帯なしで音を出せる。筋肉が、軟骨とのあいだの薄い膜を振動させると音が発生する。

    p174
    ザトウクジラは短い文章や長い文章を組み合わせてメロディを作り、それがさまざまなキー(調性)でリピートされる。歌は長いものも短いものもあり、含まれる要素がわずか六つのときもあれば、四〇〇にのぼることもある。オスのザトウクジラは一年のうちの六か月間は歌っている。一つの群れは各シーズンで新しい歌を歌うが、みんなが同じ歌を歌うにもかかわらず、メロディはシーズンが進むにつれ着実に複雑になっていい、最終的にまったく違う歌になる。グループそれぞれで独自の歌を歌い、それはまるてま文化的なことのように見えるが、人気のある歌に別のグループが気づいて取り入れて、それがヒット曲になることもある。こうしたクジラの歌は韻も踏んでいて、エンディングが同じ音になることも多い。

    p177
    ガ(蛾)やバッタなど一部の昆虫はマウスのように、人間には高くて聞こえない音を使ってコミュニケーションをとっている。ガやバッタは腹腔に膜のようなものがあり、それを使って音を感知する。コオロギは前肢で音をキャッチするし、カ(蚊)は、触覚の付け根に振動を感知する器官があり、それを使って物音を聞く。昆虫にはおもに触覚で聞くものがいる。音がものを動かすので、その振動を体内で感じとることができる。サメは、体の動きで水を振動させて、それをほかのサメが感じて情報を読み取る。サメは音やにおい、電気シグナルも利用する。水の振動と電気的コミュニケーションは、どちらも人間にとって感知したり調査したりすることが非常に難しい。

    p201
    動物は別の動物の行動を見るとき、自分がその行動をしているときと同じように、ミラーニューロンが活性化する。このニューロンは、他者の行動を理解し解釈することに関与し、他者が考えていることについての手がかりを与え、おそらく言語と感情の洞察力を磨くにあたって重要なものと考えられる。ミラーニューロンは、人間やほかの霊長類、鳥類の脳で見つかっている。スピンドルニューロンは紡いだ糸のろうに長い形をしていて、これのおかげで愛情を感じたり感情的に傷ついたりすると考えられている。長いあいだこれらのニューロンは、人間とそのほかの大型類人猿だけに存在して、ほかの哺乳類とは違う私たちの優位性を示すものと考えられてきたが、今ではクジラやゾウにも見つかっている。そして同様に、共感や社会組織、言語、他者の感情についての直感において一翼を担っている。

  • 人間と動物の違いは言葉を使うこと、特に文法を用いて複雑な意味を伝えられること、というような本を読んだことがあったが、もう過去の考え方だとわかった。
    人間以外の動物もそれぞれの言語で複雑なコミュニケーションをして、豊かな感情をもって、しっかりと社会をやっている。
    犬は抽象的な概念を解さないから指差しの指示を理解できないというのもよく言われているが、この本にもある通り、かつ自分の実感からしても抽象的な指示や表現を理解していると考えるが正しいんだろうと思う。
    ゴリラが手話で自分の記憶の話をする、柵から落ちた子供を助ける、と言った話は驚きだったし、見返りを求めず協力的な行動を取ったり仲間の死を悼んだりする動物も沢山いるという。

    人間のテクノロジーがもっと進めば、さまざまな動物の言語を理解しコミュニケーションがとれるようになるかもしれない。そのとき、人間と動物の関係も変わっているだろうと思う。

    少なくともいまは、人間だけが言葉を扱えると考えてきた固定概念を外して柔軟な視点を得ることが重要だと思う。

  • 思った通りの内容。
    動物たちそれぞれに文化や言語があるとずっとおもっていた。他の生物は意思疎通ができていて、人類だけが話しの通じないわからんやつに違いないのだろう。弱肉強食の中でもそれなりのルールやマナーがあるだろうし、どこでも増えて侵略していく、人間が地球のがん細胞。この星にそぐわないのが人類。まだ進化が足りなくてこりゃ、バルカン人はまだまだ接触してこないなーと。
    昨今の乱暴な戦争やテロなどを思っても、こりない人類なのだと思って、悲しい。

  • 言語ゲーム/哲学者・ウィトゲンシュタイン
    身振りやフェロモンなどでのコミュニケーションを含む、
    広い意味での「言語」

    動物は本能で行動していて、
    何も考えていないのかもしれない
    でも、動物が苦痛を感じているかどうかは関係ない
    嫌がり苦しむ行動をとることが苦痛という概念

    人間は本能で笑う表情を作るし、
    意識的にコントロールもできる
    本能と知性はグラデーションであって境はない
    動物が鳴くのは、本能と知性の両方による

    警戒声の種類が多いのは必要だからであって、
    同じ声を使えないからではない
    プレーリードッグの鳴き声には文法があるので、
    一つの声に複数の意味を付けられる
    しかし、敵毎に違う声を当てている
    どんな敵がどこから来ているか一単語で簡潔に伝達し、
    逃げるため
    人間で言うと「作戦A」
    「上見ろ!」「逃げろ!」では情報が足りず、
    「上から鷹が来て危ない!」という文では長すぎる

    犬に物を取ってくる芸を教えると、
    言われた物とは違うものを取ってきたり、
    物を飼い主以外の人に渡したりした
    共通言語を学び、ジョークの行動をする創造性を得た

    ランダムな方向に敵から逃げるのも創造性
    ランダム性は創造性

    犬が人間を家畜化した?
    犬の祖先が、人間の排泄物を求めて自ら人間に近付き、
    自然選択によって人間に懐く犬が生き残った説がある

    家畜化後は野生よりネオテニー(幼形成熟)
    狼に対する犬、猪に対する豚
    好奇心旺盛、目が大きくかわいい顔つき

    動物のことが理解できずにいるのは、
    言葉ではなく文化の違いのせい
    外国人の言葉を直訳しても理解できない、
    まだ相手の文化に歩み寄れていないだけ

    動物から分かる政治哲学
    動物を傷つけないだけでなく、住む場所を保障すべき
    モスクワでは、野良犬が行儀良く地下鉄に乗り、
    餌を貰いに行く
    その行動と協力する人間によって、
    地下鉄に乗る権利を得た
    奴隷や女性が近代になってから選挙権を得たように、
    これからは動物が、住処の開発について発言権を得て、
    政治を変えるかもしれない

  • ふむ

  • 動物への敬意と愛を持って書かれているので読みたく
    なった。

  • 【所蔵館】
    りんくう図書室

    大阪府立大学図書館OPACへ↓
    https://opac.osakafu-u.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2000940756

  • タイトルにある通りコミュニケーションをとるのは人の特権ではなく動物も同じだといった内容です。
    犬猫を飼っているとなんとなく解ることですが本書ではそれを多くの実験、体験を基に詳しく説明してくれています。
    純粋に様々な動物の生態を知る本としても見れますし、動物の社会的ポジションの歴史を読み取ることもできます。
    本書を読めば動物をより好きになれると思います!

    欠点があるとすれば、動物の行動(ボディランゲージ)についてよくかかれているため、どうしても文字だけでは伝えきれないところもあるのでYouTubeを片手にしてしまう点と、動物を飼いたくなってしまう点でしょうか。

  • 言語(=コミュニケーション)は人間の占有物ではない。野生動物や家畜、ペット(本書では伴侶動物)も使いこなしているのだ。しかも我々の想像以上に複雑な方法と多彩な手段で……。この事実をさまざまな事例で示しながら、人間と動物たちとのコミュニケーションの可能性にも踏み込んだ意欲作。その着眼点には大いに興味をそそられたし、共感する点も多かった。しかし、たびたび登場する「ウィトゲンシュタインの論考」と唐突に抽象度の高い文章が、快調に読み進めることを阻んでいるようで残念だった。

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