「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本

著者 :
  • 柏書房
3.68
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感想 : 47
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  • Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784760150076

感想・レビュー・書評

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  • 明治期に人気を博した娯楽物語の魅力をこれでもかと語る。
    私たちが学校で学ぶ近代文学とは違い、文学史上一顧だにされなかった物語たちだ。
    現代から見れば粗雑なストーリーだし、荒唐無稽そのもの。
    それでもエンタメ性を追求した内容と、それを支持したひとたちがいたということは、読んでいて痛快なほどだ。

    著者は、心情的には純文学作品を応援したかったという。
    ところがどう考えてみても明治期の娯楽物語が面白すぎる。
    それでいて、普通に生活していると眼にすることがほとんどない。批評や評論もない。
    それではと紹介したのが本書だ。
    長いタイトルの元になる小説は本当に存在する。

    明治期の娯楽物語は大きく分けて3つのジャンル。
    ①最初期娯楽小説 ②犯罪実録 ③講談速記本
    このうちの③が最も大衆受けが良く、文字通り講談を速記した書物。
    同時代の純文学を圧倒する面白さだったらしく、何編かあらすじで紹介されている。
    読んでみると確かにおかしな筋書きだが、要所要所の面白さが大事で話の構成は二の次だったのだろう。一流の書き手によってどんどんストーリーも向上していったというから、見るべき点はある。
    おまけにたかだか20年、30年の間で庶民の知的水準や興味関心の変動に応じて作品も変質していったというから、江戸時代から培われた読書力が底力になっていたのかもしれない。

    明治のひとたちはこれで満足していたのかなどと思わない方が良い。
    今私たちが有難がって読んでいるものでも、100年先はどうだか分かりはしないのだ。
    90年代の話でも、昔に感じてしまうほど時の流れが早い。
    文化の価値もかなりのスピードで変化していく。
    となると、今も残り続けている文学作品、特に芥川や漱石などがどれほど素晴らしいか、あらためて知ることにもなった。

    ところでタイトルになっているのは「蛮カラ奇旅行(明治41年)」という小説。
    現代人にはとても思いつかない、なんじゃこりゃの設定だ。
    屈強なバンカラ男・島村隼人が、持ち前の筋力や財力を思うままに利用しつつ、ハイカラ(西洋風の生活をする気取った人間)とその元凶である西洋人に鉄拳制裁しながら世界中を旅するというストーリーで最終的に30人くらい殺害する。

    「舞姫」の主人公である豊太郎のあまりのクズぶりに腹を立てたからというのが主な動機。
    島村は豊太郎と酷似した男をぶん殴っていく。武器は持たずあくまでも素手で。
    この島村に協力するのがアフリカ人のアルゴという人物。
    ハイカラ撲滅主義を掲げる無敵超人だ。
    今だったらどれほど叩かれたか分からない話だが、ちょっと読んでみたい。
    「舞姫」の結末に納得がいかないひとはこの頃からいたということ。それ、分かるなぁ。
    山の手で文学が好まれ下町で大衆娯楽作品が好まれたということと無関係ではないかも。

    パワーあふれるカオスな物語を楽しく紹介してくれる本書。
    文学好きな方もそうでない方もぜひどうぞ。ここでしか読めない話が盛りだくさんだ。

    • nejidonさん
      夜型さ~ん!
      接ぎ木、水やりも心弾む作業ですね。いつでも大歓迎です(*'▽')
      水をやり過ぎると根腐れすると言われますが、私の場合しっか...
      夜型さ~ん!
      接ぎ木、水やりも心弾む作業ですね。いつでも大歓迎です(*'▽')
      水をやり過ぎると根腐れすると言われますが、私の場合しっかり地植えしましたしレビューをあげることで光合成を果たしていますので、OKでしょう。
      わたしの100冊、いいでしょ?
      本棚も少しだけ整理してみました。
      2020/09/24
    • 夜型さん
      はやくもリストの残り一冊。なんでしょう。
      リライトもしていっぱい詰め込んだはずでしたが…ほんとうに早かったですね。笑。

      ”七福本”に...
      はやくもリストの残り一冊。なんでしょう。
      リライトもしていっぱい詰め込んだはずでしたが…ほんとうに早かったですね。笑。

      ”七福本”に、”わたしの100冊”。思い入れが湧きますよね。
      あのときに僕が提案したことを踏まえてのことでしょうか。コメント欄にセレクトした本を紹介してくださりましたが。

      「本にまつわる本」のレビューコメントして接ぎ木した本も読まれたらぜひ感想読ませて下さいね。面白くなると思いますよ!
      2020/09/24
    • nejidonさん
      夜型さん(^^♪
      言われるほど早くもないのですよ。
      自分では思ったよりも時間がかかったなという感想です。
      合間に見つけた本もまだ手元に...
      夜型さん(^^♪
      言われるほど早くもないのですよ。
      自分では思ったよりも時間がかかったなという感想です。
      合間に見つけた本もまだ手元にありますから、そちらも読んでいきます。
      もう出揃った感はありますが、読みたいと思ってくださる方もおられるかもしれませんし。
      「100冊」の件は、ふふふ、夜型さんの提案が基になっておりまする。
      だって、楽しいじゃないですか!!自分のためだけの本棚ですよ。
      まとまったらまた書き込みに参りますね♪
      実は「200冊まではちょっと頑張ろう」と当初は思いました。
      でも今はこっそりゴールポストを動かしてやろうと画策しています・笑

      2020/09/24
  • 『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』 これまでに読んだ中で、間違いなくいちばん長いタイトルを持った本は、明治時代の娯楽小説を徹底的に紹介する痛快な一冊。いやいや、これは楽しい。底抜けに楽しい。
    このタイトル通り、森鴎外「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする小説が本当に存在したほか、鞍馬天狗が登場した大正13年の10年以上前に現れた覆面ヒーローの名が悪人退治之助(あくにんたいじのすけ)だったり、無敵のヒーローが死後仙人として登場したり、身長と肩幅の寸法が同じで馬鹿力を持ったヒーローが躍動したり、破茶滅茶度合いが半端ない。こんな小説を支持した明治人のセンスに敬意を表したい。
    と言いつつも、本書の筆致は至極冷静で、相当な調査のうえ書かれたことがよく分かる。明治の庶民文化を伝える歴史書としても秀逸な出来になっているのがすごい。
    この著者の名前は覚えておいた方がよさそうだ。

  • ・・・とりあえずタイトルが長いw
    なんじゃそりゃ?とキツネにつままれた思いで読み始めると、内容になんじゃそりゃ??と何匹ものキツネに取り囲まれてつままれまくるような本である。

    タイトル通りといえばタイトル通りなのだが、明治の時代、なんだかとんでもない娯楽物語の世界があったのである。
    江戸が終わり、維新の頃。日本純文学の黎明期でもあるわけだが、世の中インテリばかりではない。多くの庶民は「文学とはなんたるか」をまじめに考えたりはしない。要は、読み物はおもしろければよいわけで、江戸の娯楽の影響を残しつつも、荒唐無稽で珍奇なものがもてはやされる。書き手の方も文学に身を捧げる高尚な目的を持つ者ばかりではもちろんなく、売らんかな主義の者だって多い。そういうと聞こえは悪いけれども、ニーズにこたえて読者を楽しませて何が悪いと言われれば、ご説ごもっともでもある。
    純文学の流れとは別に、そうした娯楽物語の潮流は連綿と続いていたのである。
    著者はデジタルアーカイブを通じて、こうした作品群と巡り合う。
    実は正統派純文学などよりよほど多く庶民に読まれていた物語。これらを通じて、明治の人々が何に心を躍らせてきたのか、そしてこうした作品が意外に現代の作品にもその面影を残しているのではないか、というのが、読んでいるうちにうっすらと見えてくる仕掛けである。

    西洋文化がどっと入り込み、言文一致のうねりもあり、社会に大きな混沌と異様な活気があった時代。
    貸本屋で扱われる読み物は、ある種、粗製乱造で荒っぽい。洗練され、練り上げられたものではないが、異様な迫力がある。時代の流行を摘み取って、いち早く物語の形に仕立て上げる、「ライブ」感を身上としていたのだろう。
    紹介される物語には、今読むと面白いとは言えなそうなもの、というか、そもそも出版が無理なのではと思われるものも多い。
    タイトルになっている物語は、星塔小史(せいとうしょうし)という経歴不明の作家による『蛮カラ奇旅行』(明治41年)である。バンカラ男がハイカラを目の敵にして、世界旅行をしながら出会ったハイカラ西洋人を殴り倒す、さらには悪いやつは殺してしまうという乱暴な筋である。こいつが旅行中に西洋人の狂女に殺されそうになる。何者かといえば、日本人の留学生に捨てられて狂ってしまい、彼に似た日本人を見ると殺そうとするのだという。まるっきり森鴎外の『舞姫』を思わせるような話である。憤慨したバンカラ男は、日本に帰ったらぜひともこの留学生を探してボコボコにぶんなぐってやる、と心に決める。その途上で、アフリカ人を連れ帰るのだが、この理由も、<蛮カラの本家本元なる>ものだから、という、現代ならいろいろと問題になりそうなところ。で、日本に戻って、件の留学生(=“太田豊太郎”)と偶然出会い、すっかりハイカラ紳士となっていた彼を殴って廃人にしてしまい、それをみた狂女は気が済んで病気が治る、さぁ読者の皆も、万歳三唱だ!というオチ。
    ・・・ここまで読んだ皆さんも今頃、キツネにつままれていることだろう。
    しかしまぁ『舞姫』の豊太郎にムカついた読者は当時であっても結構いたのだろうし、そう思うと、時流をとらえた小史はそれなりに目端の利く人物だったのかもしれない。

    本書中では実にさまざまな娯楽物語が紹介される。
    現代の感覚でわっはっはと笑えるとか心の底から楽しめるかというと、ちょっと違うかなとは思うのだが、へぇ、こういうのが流行っていたのか、こんな無茶苦茶な話ありなの、とかいろいろ突っ込みつつ、正史に残らぬ庶民史に思いを馳せてみるのも一興である。
    いや、実際、こういう自由度の高いところから、尖がった意外におもしろいものが生まれるものなのかもしれない。

  • タイトルに本の全てが詰まってる。いわば出オチ。

    現代のエンタメ小説、子供向け読み物、漫画、サブカルetcの原点・源流が明治時代にあった。「明治娯楽物語」と本作で総称される作品群。確かに現代の物語に通ずるものがあるように思える。
    惜しくも現在では忘れ去られてしまったけど、当時は人口に膾炙していたエンタメ小説の無名の原石たち。黎明期。礎。萌芽。
    100年ほど前の日本で、漱石や鴎外の影で庶民に愛されていた物語たち。こんなカルチャーがあったなんて知らなかった。面白かったし勉強になった。

    ただこの本、文章はそこまで上手くなかったように感じた。あと持っているのは第二版だけど誤植が結構ちらほら…。改訂に期待したい。

  • 以前、Web上で読んで爆笑した「舞姫の主人公をボコボコにする最高の小説が明治41年に書かれていたので1万文字くらいかけて紹介する」が書籍化されて20万字くらいになったもの。
    研究に値しないと歴史から忘れ去られた明治娯楽物語の数々をツッコミと共に紹介しながら、実はこれらB級C級の小説未満の物語たちが、現代のエンタメの礎を築いていたんですよっていう、内容的には結構真面目な考察本なのですが、やじきたが宇宙旅行してたり、舞姫の豊太郎むかつくからボコボコにしようぜ!だったり、こまけぇことはいいんだよ!という勢いのみの感じが最高でとにかく面白い。
    豊太郎をぼこぼこにする最高の「蛮カラ奇旅行」も国立国会図書館のウェブサイトで無料で読めるけど、本をスキャンしたような画像で読みづらいから書籍として全編読みたい。
    1000年後とかに素人の書いた同人誌なんかもこういう風に研究されたりするのかな。

  • たまたま図書館の新着本で見つけて、タイトルに惹かれてしまい、つい。どんな本か、まったくわからずページ開いたのですが、すごい本でした。先ず、取り上げているテーマが新鮮。文学の歴史からすっかり零れ落ちている〈明治娯楽物語〉に光を当てています。それは、2019年の我々がテレビを見て、映画を見て、小説を読み、ゲームをして、最近では動画にハマっているように、明治の人々が「お楽しみ」として消費してきたコンテンツのこと。まだ坪内逍遥の小説神髄とか二葉亭四迷の言文一致とか知的活動としての文学以前、圧倒的に庶民の時間塞ぎとしてのエンタメの再発見です。それを現在、出版最大手の講談社の社名の由来のように、語り芸としての講談を速記する「講談速記本」、今でも続く、例えば週刊新潮の黒い事件簿の先祖みたいな「犯罪実録」、そしてヒーローものの原点のような「最初期娯楽小説」、この三つの方向から論考しています。音から文字へのシフトとか、新聞記者の小遣い稼ぎとか、初期映画からの影響とか、めちゃめちゃ多彩な視点から、エンタメの夜明けを解説しています。ものすごくクセのつよい文章ですが、それもクセになっていきます。〈明治娯楽小説〉が生んだ「子供豪傑」が日本のアニメヒーローに繋がり、アベンジャーズなのど舶来ヒーローとの違いになっている!とひとり合点したりして、楽しみました。そういえば、仮面ライダーのスタッフって東映映画の時代劇のスタッフだったとか。「光あるところに影がある。まこと栄光の影に数知れぬ忍者の存在があった。」これはアニメのサスケのナレーションですが、現在のエンタメの源流としての数知れぬ〈明治娯楽小説〉の存在を明らかにした本です。

  • ぶっ飛んだタイトルに惹かれて手にとってみたけど、内容は堅苦しくなくむしりラノベみたいな感じで軽く読める(だが量が多い)。学術系というよりは、こんなぶっ飛んだ物語が売れた時代があったと紹介する本に近い。
    今でもなろう系だったりと言った小説投稿サイトがあるのだから、明治から大正においても、有名じゃないけど一時すごい流行った物語があってもおかしくはない。もしかしたら文学系で研究をされてる本職の方もいらっしゃるのかも……?有名な人物が何度も登場したり、時の有名人が主役になったりっていうのは、現代でも小説に限らず漫画やゲームで多くみられる(FGOだったり……)。歴史は繰り返されるんだなーとか考えてしまう。

    ぶっ飛んだ物語に驚き、笑いあり単純に楽しむことも出来る。とにかくぶっ飛んだ物語が多いので、深く考えない方が良い(
    ぶっ飛んだタイトルにもなっている舞姫の主人公をボコボコにする話も、なんていうかすごいなって思ったし、妙に納得してしまった。

  • 近代的な物語の作法ができあがる前の「明治娯楽物語」がどのようなものだったのかを、実際の作品と共に紹介する。横田順彌「日本SF古典こてん」にテイストは近い。横田のは「SF」だけど、こちらは娯楽小説全般と広範にわたっている。

    中に登場するお話の荒唐無稽さもおもしろいのだが、それを紹介する著者の視点がよい。単に「ツッコミ」視点で面白がるのではなく、当時の世相や文学史的な観点を説明し、なぜこの作品が受けたのかをしっかり分析してくれるのだ。

    ここで登場する「明治娯楽物語」は、いわゆる「大衆小説」と呼ばれるようなジャンルが発展するにともない、消えていくのだが、個人的には戦後の梶原一騎作品や貸本マンガにエッセンスが受け継がれているのではないかと思った。ある意味では、オタク的感性の源流な気がする。そういうことを考えさせてくれる良作です。

  • 本のジャケ買いという稀有な例。明治期に存在した講談速記本というジャンル、実験的であり稚拙でありミュータントであり純文学の陰に隠れ全く見向きもされない文学があったということ自体が面白い。

  • 文学、というか、物語が湧き上がっていた時代の熱意を、下手な小説らから感じ取れる。言ってみれば、膨大な駄作の果てに、坊ちゃんやら吾輩は猫であるやら、純文学でない小説の傑作が生き残る訳で、今の時代ならネット小説、ネット漫画も同じように感じる。
    この一節に表れてると思う「ジャンルの最初期は、レベルの高い作品より、凡作や出来の悪い作品の方が愛されることがままある」

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