老いを生きる覚悟

著者 :
  • 海竜社
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784759315950

作品紹介・あらすじ

死に方は選べないが、老い方は少し選べる。すべての変化は見事な準備であり、前奏曲である。

感想・レビュー・書評

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  • 作者の言う、イエスの苦悩に衝撃と納得感を得ました

    ・私は、カトリックの学校に育ったが、昔のカトリック教育がついぞきちんと教えなかったのは、イエスがユダヤ教徒だったという点である。イエスはユダヤ教を誠実に守り抜く意思を示しているが、同時に、信仰に生きた命を吹き込んだという点で、革命的な思想の持ち主であった。私が深く教えられなかった重大な点が告げるものは、マリアが許嫁のヨセフと生活を共にしないうちに、天使のお告げによって懐胎したことによって起きただろうと思われる苦い現実である。

    ・セム族の社会は、結婚までの女性の処女性を深く重んじたから、マリアがヨセフという未来の夫が決まっていながら、その人の子ではなさそうな子供を身ごもったとしたら、それはスキャンダル以上の危険なことであった。ヨセフが「マリアのことを表ざたにするのを望まず」マリアを「迎い入れ」なかったら、マリアは、重大な社会的制裁をこうむっても、仕方ない事件である。

    ・当時、姦通は、石打ちの刑に処せられるほどの罪であった。だからいくらヨセフが庇っても、イエスはずっと「姦通の子」と疑われたまま成長した可能性は高い。それは、現在の私たちには想像もできない屈辱で、イエスはその出自ゆえに、犬の子、豚の子以下の屈辱を受けて、一生を暮らしたはずである。

    ・日本人の見るクリスマスが、どれほど浮ついたものか。イエスの生涯は、十字架上の苦悩の死だけではなく、いわれのない屈辱を一身に背負って生きることだったのである。

    気になった点は、以下である。

    ・私はこの頃、肉体の死に先立つこの精神の死にも、あまり抗わない方がいいと思うようになった。順序としては、まず感受性が徐々に死んでいき、次に肉体が死ぬのがいいのであろう。
    ・しかし年寄りの中には、二種類の精神的性向がある。遊んでいるのが好きな人と、どんなことでもいいから働いてその生産性によって社会とつながることを望む人とである。
    ・老年には、他人に迷惑をかけない範囲で自由に冒険をして遊び、適当な時に死ぬ義務を果たさなければならない。
    ・人生とは哀しみこそが基本の感情であり、そこから、出発する人には芳香が漂うのを知った。人生には生涯、ついに合わないままに終わる方がいいのだという人間関係があるのだ、と私は思った。人生ですべてのことをやり遂げ、会うべき人にも会って死のうなどというのは、思い上がりもいいところで、人は誰もが多くの思いを残して死んでいいのだ。むしろ、それが普通なのである。

    ・「誠実・謙虚・寛容」この3つは、人に幸福を与える究極の徳である。
    ・愛は、「好きである」という素朴な感情とはほとんど無関係だという厳しさを知ったからである。キリスト教における愛というものは、むしろ自分の感情とは無関係に、人間としてなすべき態度を示すことなのだ、とされている。つまり、その人を好きであろうがなかろうが、その人のためになることを理性ですることなのだ、と私は知ったのである。

    ・私たちは、子供のときから、裏表のある態度を戒められるが、キリスト教はむしろ裏表を厳しく要求しているように見える。心の中は憎しみで煮えくりかえっても、致し方ない。そのときでも、柔和に、しかも相手のためを思う理性を失わないことだ、というのだ。

    ・「好きである」愛を、聖書世界は、「フィリア」というギリシャ語で表している。それと同時に敵を愛し、友のために命を捨てることを自分に命じる「理性を必要とする」愛を、「アガペー」という言葉で区別する。つまりキリスト教では「理性を伴う悲痛な愛」アガペーだけを唯一本物の愛と認識するから、親子、夫婦の間で自洗に起こる感覚的行為や敬意や慕わしさが消えた段階から発生する義務的労わりや優しさや哀しさこと、本当の愛だと評価するのである。

    ・命がけのほんものの誠実は、多分外部には見えない行為なのだ。

    ・人生は、最上(ベスト)と、最悪(ワースト)はほとんど起きない。むしろ人間に要るのは、ベター(よりよい)を選んで、ワース(より悪い)を避ける知恵なのだ。

    ・謝罪は、直接の加害者と被害者の間でしか成立しない。

    ・昔は悪からも学べる強さが大人の証だった。悪から学ばない人は、善からもあまり学ばない。悪の存在意義を認めないと、善の働きも感じられないだろう。

    ・被災者もボランティアも、二週間つき合うと人間的に疲れてくる。一度別々になって静かに休んでから必要な作業を続行するのである。人はまず、自分の生活を成り立たせるのが義務だ。次に家族のことを考え、それで余裕ができた時にボランティアをするべきなのである。

    ・日本が拉致被害者を取り戻せないのも、つまりは北朝鮮が日本は戦力を行使できない国だと見抜いているからだ。武力は持ちながら使わないことしか、有効な原則はない。

    目次は、以下の通りです。

    1 老いを生きる覚悟
    2 さりげない許しと愛
    3 ものごとには裏も表もある
    4 現実に立ち向かう勇気
    5 日本の生き残る道

  • 読めて良かった。
    曽野綾子さんの文章を
    今後も読み続けたいものです。

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著者プロフィール

1931年、東京に生まれる。作家。53年、三浦朱門氏と結婚。54年、聖心女子大学英文科卒。同年に「遠来の客たち」で文壇デビュー。主な著作に『誰のために愛するか』『無名碑』『神の汚れた手』『時の止まった赤ん坊』『砂漠、この神の土地』『夜明けの新聞の匂い』『天上の青』『夢に殉ず』『狂王ヘロデ』『哀歌』など多数。79年、ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章。93年、日本芸術院・恩賜賞受賞。95年12月から2005年6月まで日本財団会長。

「2023年 『新装・改訂 一人暮らし』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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