あい: 永遠に在り (ハルキ文庫 た 19-13 時代小説文庫)

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  • 角川春樹事務所
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  • Amazon.co.jp ・本 (429ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784758438735

作品紹介・あらすじ

上総の貧しい農村に生まれたあいは、糸紡ぎの上手な愛らしい少女だった。十八歳になったあいは、運命の糸に導かれるようにして、ひとりの男と結ばれる。男の名は、関寛斎。苦労の末に医師となった寛斎は、戊辰戦争で多くの命を救い、栄達を約束される。しかし、彼は立身出世には目もくれず、患者の為に医療の堤となって生きたいと願う。あいはそんな夫を誰よりもよく理解し、寄り添い、支え抜く。やがて二人は一大決心のもと北海道開拓の道へと踏み出すが…。幕末から明治へと激動の時代を生きた夫婦の生涯を通じて、愛すること、生きることの意味を問う感動の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 幕末から明治期にかけての医師として実在した関寛斎とその妻・あい。
    医師としての生涯を貫いた夫に寄り添い、支え尽くした妻・あいを主人公に
    苦楽を共にした夫婦の生涯を描きながら、家族を愛することや、人として
    生きていくことの意味を問うたこの物語。その道のゆく先々には苦労も波乱も
    待ち構えていて、悲しみの涙だってあったのに、なぜかしらずっと穏やかな
    気持ちでいながら最後まで安心して読むことができたのは、"あい"の明るく
    前向きな人柄が人生の暗い部分をかき消してくれていたのか、それとも
    高田郁さんの安定した筆致に始終穏やかさが保たれていたからなのか....
    多分きっとその両方の波長がうまくかみ合っていたからなのだろうと思います。

    "あいの取柄は苦労が骨の髄まで浸みていないことだね。
    闇の中に居てもそれと気付かない。
    いつも明るい面だけを見ているのは、時折羨ましくなる。
    ふた親から充分に情を受けて育った強みだよ"

    物語の随所で語られる義母であり伯母でもある"年子"の言葉が身に沁みます。
    "あい"は両親ばかりでなく義理の母にも恵まれていました。
    今の時代、言葉としてはあまり聞かなくなってしまっている(....と思うのは
    私だけかもしれませんが...笑)「内助の功」という、夫を陰で支える
    清らかな愛の深さが感じられました。明るい方だけを見て前へ前へ。

  • 題名に拘る私は、「あい-永遠に在り」は素敵な題名だと感じる。なぜひらがななのだろう。目次を見たら理由がわかる。そして最後に・・・。

    時は幕末から明治にかけて見事なストーリーが紡がれている。丁寧な情景描写も目に浮かんでくるほどに心に沁みる。しかしそれは背景に過ぎない。
    叔父の関俊輔、その妻年子との事実上の出会いから物語は始まる。
    人は人を助け、決して私利私欲に没頭する事が心を温めてくれる。

    学問は「頭」と「心」に宝を築いてくれると年子の言葉、それを自らの手で成し遂げるのが読書だと思うのである。
    「銭というのは厄介だ。なまじ味を覚えると、もっと欲しくなる。それが叶わないと性根がさもしくなる。」という表現は私自身にも省みが必要だった。金と政治の問題に嫌悪を抱くのはさもしさが見て取れるからだろう。海外で慎ましやかな生活をしている子どもたちを見ても、明るく元気で楽しそうに過ごしている。日本にはもうこんな情景は見られないのだろうか?一度原点に帰ってみるべきだと感じた。

    「人たる者の本分は、眼前にあらずして、永遠に在り」と梧陵、この言葉は、最後まで一貫して貫かれる。私の頭からつま先までも貫かれる。
    心温まる一方で悲しみ、慈しみ、哀しみを纏っている。頬を濡らしながら、何度も読み返した。

  • 幕末から明治にかけての激動の時代を医師として活躍し、晩年は北海道に渡り、現在の足寄郡陸別町を開拓した関寛斎の生き様を通して描かれた妻あいの物語である

    「人たる者の本分は眼前にあらずして、永遠に在り」
    関寛斎の最大の支援者であった濱口梧陵が言った通り、自分にしかできないことを見極め、それを遣り通す。医療を立身出世の道具にする者の下では働かない。あとを任せられる人物がいれば
    後進にさっと道を譲り、常に新たな道を追い続けた関寛斎

    彼のそばには、常に妻あいの存在があった
    「内助の功」「糟糠之妻」「三歩下がって・・」等、妻を形容した言葉はいくつもある
    確かに、あいは夫の前にしゃしゃり出るような女ではないが、自分の意思は持たず、黙って夫に従うだけの女ではなかった

    「せっかくのご縁を思い込みだけで捨ててしまうのはあまりに勿体無いように思います」
    と濱口梧陵に会うことを勧め、夫と梧陵は生涯の友となり理解者となった

    また、家族を残し他人の支援で長崎へ留学することを躊躇している寛斎に対して
    「私を離縁してくださいませ。子供達を連れて、このまま家を出ます。」
    「銚子に居て、翻訳された医学書に頼るだけで充分とお考えなのですか?助かる命をどんなことをしてでも助けたいと仰る方がそのようなことで満足できるのですか?」
    と夫の背中を押す

    妻でありながら、時に母となり姉となって夫を支えたあい
    いつまでもくよくよ悔やまず、暗闇を照らすカンテラのように家族の心に灯をともし続けたあい

    関寛斎をして 「婆はわしより偉かった」と言わしめている

    金婚式の祝いを終え、北海道の開拓の志を抱いて、夫婦で北海道に渡ったのが、寛斎73才、あい68歳

    あいは、病に倒れ、開拓なった陸別の土地を見ることはなかったが、その病床の淵で、夫に託した遺言には目頭が熱くなった

    主人公の名前 「あい 」に寄せてか、
    第一章 逢 / 第二章 藍 / 第三章 哀 / 第四章 愛
    となっているのも、洒落ている

    『澪つくし料理帖』の澪もそうだが、高田郁さんの描くしっかり自分の意思を持って生きている女性は、同性の私から見ても本当に魅力的だ
    しかも、あいはフイクションの人物ではなく、実在の人物だったというところがまたすごい

    この本によって、関寛斎が、徳富蘆花や司馬遼太郎らによって題材にされた実在の人物であり、医学的にも北海道にとっても偉大な功績を残した人物であったことを知ることができた
    陸別町には、関寛斎資料館や関寛斎診療所があるらしい



  • 「評伝 関寛斎」を読み、関寛斎という偉人が、余りにも清貧潔癖で、裕福な暮らしや立身出世を憎む意固地な人だったことを知った。このような強烈な個性は、生活を共にした親族の目線で描いてこそ、その実像に迫れるのではないか、そこには数々のドラマもありそうだし。ということで本書を手に取った。

    濱口梧陵の留学資金の申し出を頑なに断る寛斎のことを著者はあいに、「何の躊躇いもなく、他人の厚意に寄りかかり甘えられる人ならば、夫の人生はもっと違ったものになるだろう」と語らせている。よき理解者としてのあいの語る寛斎像にはしっくりくるものがあった。

    あいは妻として達観していたようだが、このような身内がいたら、さぞかし大変だろうなあ。

  • あいさんがあんなに身体を壊したんだから、想像した何倍も過酷な移住だったんだなぁ。辛い冬より開拓者の精神を選んだ。辛い選択だけど、カッパの寒稽古みたいなものだったのだろうか。でも痛ましいってあいさんが。なんとかならんかった関先生、生き方がそうさせたけど、充分受けた恩は返したし、子供達が居る場所が全てではありませんか。北海道に渡って名を残したけど、最後の北海道は読んでいて辛すぎる。里さんだって別れること無かった、後ろ向きで終わったことだけど、やっぱり辛い。山桃になるけど、悲しくてやるせない

  • 素晴らしい一生で涙が出る思い。しゃんと生きるとはこういうことかと思った。

  • 大好きな髙田郁さんの本。
    医師である関寛斎は73歳にして北海道開拓を志す。
    その妻、あいは夫である寛斎を支え続ける。
    実在の人物をモデルにしたこの小説。
    髙田郁はやっぱりすごい人だと思う。
    でも、夫に尽くして尽くして尽くすあいに比べ、寛斎はなんて自分勝手な人なのか…と思ってしまう私。
    ひねくれている…(汗)


  • 貧しい農村に生まれたあいは、糸紡ぎの上手な娘にそだつ。十八歳で親の決めた男、関寛斎と結婚。
    激貧の村から必死の思いで医師となった寛斎は、出世に目がくらむことも無く、患者の為に医療の堤となって生きたいと願う。
    あいは、結婚後も夫を先生と呼び、信頼と尊敬で日々を過ごす…
    富めるときも貧しかったことを忘れず、貧しいものには進んで手を貸し、財を成したあとも、それを北海道の開拓に使うために全て売り払う。
    それに反対もせず、寄り添う姿は、素晴らしい。
    関寛斎とは実際の人物だそう。
    彼の資料館があるのが、ふるさと銀河線の陸別駅にあるとの事、それであの作品があるのか、と納得。

    高田都作品は、このようなよくできた(今はいないと思う)妻が出てくる。このような結び付きのある夫婦になってみたいと、読んでいると思うが、きっと私にはできない。

    P218
    他人を貶めることでしか己を保てないものはいる

    今の私には、とても響く。

    P419
    お前は1人の男を愛し抜いた。
    その男を支え、寄り添い、ともに夢を抱いて、生き抜いた。
    それ以上に尊いことはない。

    あいの最期を迎えるあたりは、涙がとまらず、泣けて泣けて…

    ともに寄り添う、書くのは難しくない。
    けどここまでのことをできる夫婦は、まずいないと思った。
    子を12人も産み、半分を喪い、それでも夫と生きていく。
    心の底から、最初から最後まで、夫を尊敬する人生。今の時代にこれをするのは難しい、でもできる人は、本当に素晴らしい。
    素晴らしい、としか表現出来ない自分の語彙力のなさが恨めしいが、よい作家に出会え幸せです。

    これからも読み続けたい1人です。

  • 夫である関寛斎もすごいが、八男四女を生み続けたあいがすごい。しかも最後の出産は47歳。そのうちの何人をも亡くしている。
    それだけでも壮絶なのに、百姓として、医者の妻として、嫁として、母として、開拓者として、なによりもその時代の女としての生きざまがすごすぎる。

    当時の移動についても読んでいるだけで疲れがにじむ。
    銚子から徳島へ、徳島から北海道へもひと仕事だが、日々の畑仕事のため片道三時間半の道のりを歩いて行き来するなんて、想像もできない。

    たかだか百数十年前の話なのにね~。
    とりあえず現代に生を受けられた自分に、ホッと胸をなでおろしてしまう。

  • 経営学や進化の本が続いたので軽めの本をと思い、楽しみにしていた高田郁の本。予想以上に1ページ目からどんどん引き込まれる、なんという素晴らしい小説。今年最高の1冊。幕末から明治に実在した医師である関寛斎とその妻あいの物語。素朴、正直、思いやり、夫婦や親子の愛情、生きる意味、報恩など、心底読んでよかったと思えるし、ぜひ子供にも読ませたい。絶対読んだ方が良い。高田郁の作品は「銀二貫」もとてもよかったので、まとめ買いする。

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著者プロフィール

作家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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