- Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784757422360
感想・レビュー・書評
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これ家のどこかにあるはずでずっと探してるのに見つからない 中学生のときに読んで面白かった記憶 見つけたら読みます
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ことば
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凄い!
日本人よりも日本人!(?)
なめる原爆 クシャミする核。
Atomic FIre Ball という肉桂味の飴玉が、あるのなんて、、、やはり駄菓子屋さんで販売しているのか?
這っても黒豆という言葉も初めて聞いた言葉!
本当に、現実を見ないで、間違いも改めずに無理やり都合の良いやり方で、処理して行っている風潮の時代であるにも関わらず、使用されているのを見たことが無かった。
ら抜き蒟蒻の乱れ?など、、、今の現代人に間違いもわからない人がおおいのでは、、と、思う。
第2章の誤訳の海に漕ぎ出す――
本当に面白い、カタカナセカイのミルクサンド ゴーフレットの英語、フランス語、ドイツ語 なんでもござれ!というぐらい、和製で、作られているのには、、この説明を読んで笑ってしまった。
英訳の「焼かれた魚」を男性名詞、女性名詞にするのを悩むのに、外人も大変だ。と思ってしまった。
メリーキャッシュマス!も本当に面白い。
日本人で、クリスマスの意味なんか考えたことのある人も少ないであろうし、ハローウィンのあのゾンビ姿には、辟易してしまう私である。
さてさて、何でもあれの日本人「母の日」にカーネーションの季節になるが、外人から見て、これは普通の言なのだろうか?
この人の日本通は、凄い!
どうやって、このように精通できるのか?と、、、、
大学でも英語を専攻したのに、一つも英語が、出来ない私にとっては、この本を読んで、勉強不足だったとひしひしと感じてしまった。 -
思ってたのとちょっと違ってた。
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アメリカで育ち日本語も自在に操るアーサーさんにかかると、聞き慣れた言葉に違う意味が浮かび上がるようだ。
各エッセイに付けられたタイトル。
「なめる原爆、クシャミする核」「這っても黒豆」「ルビとごみと」等さすがだなぁと思う。
言葉の意味をとことん考える。
それは、社会を考えることなのかなと思う。 -
貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784757422360 -
タイトルから、日本語と英語にまつわるあれこれを語るエッセイなのかと思ったら、(一章は特に)政治的な話が多くて、期待外れとまではいかないけど、読みたい内容とは違うな、という感じ。それ自体悪くはないんだけど。二章は言葉についての話がほとんどだから、こっちを一章に持ってくれば違和感なかったかも。
日本人の変な英語について書いている外国人は多いけど、この人は冷笑的にならないから救われる。
著者のように日本語がよくわかっている人でも、日本人とは読みとり方が違うのが面白い。
「髪芝居」って美容院は、多分日本中にあると思うし、日本語ネイティブなら「ああ、紙芝居のダジャレね」とすぐにわかり「髪芝生」なんて絶対に読み間違えないのだが。
日本人の英語はあくまで中学高校の知識だけでできているので、英語ネイティブの人にとっておかしくてもわからないのよね。
これからの日本の教育でそこらあたりが改善されるとも思われない。ニュアンスの違いは英語圏で暮らしてみないとね…。
日本人の英語のレベルはそんなに上がらない気がするよ。 -
偶然ラジオに出演していて
彼のことを知りました。
大変、流暢な日本語を喋る
アメリカ出身の詩人であり
エッセイストです。
始終、ユーモアとウィットに
溢れた言葉の駆け引きが
面白く、どちらかというと
言葉や文化に於ける
カルチャーショックを
翻訳や通訳を通しグローバル
感覚で操ってなんの脈絡も
ないところでエッ?という
最後の落ちがあるところが
日本人よりも日本的な
文章になってます。
作品を読破してみたい作家
の一人です。
ただ英語が苦手な方は楽しめ
ないかも知れません。 -
日本人よりよっぽど日本人で日本に対する愛を感じる。
ちょっと日本が好きになる。
と同時に、この人ならではの視点にたくさんの気づきをもらって楽しいひとときでした -
ビナード氏は、アメリカ生まれで、日本語で詩・韻文を綴る完璧なバイリンガル詩人で、彼の日本語の知識や感覚は我等下手な日本人をはるかに凌駕し、そのうえ、社会時評・翻訳・歴史等々に対して、幅広い洞察力と併せて、根底には人間の優しさも併せ持つ。
日本という豊かな言の葉を持つ国の奥深さを、よりによって年下の外人から教えてもらうとは、恥ずかしい限りだ。
旅行遠出等をした時はもちろん、日常の中に彼の様な眼を少しでも持ち続けられたらと改めて思わされた。