憲法で読むアメリカ現代史

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  • NTT出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (426ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757143517

作品紹介・あらすじ

1980年代のレーガン政権以降、社会を揺るがした数々の判決事例を鍵に、大統領・最高裁・議会の三権分立の物語を通して読み解く「アメリカ現代史」。最高裁判決の礎となる米国憲法は、1776年の建国以来、自由と民主主義の精神を掲げ、アメリカの政治や社会のあり方を決定づけてきた。ロイヤーにして憲法政治学の第一人者である著者が膨大な資料を精緻に読み込み、立憲民主主義と超大国アメリカの真の姿に迫る意欲作。『憲法で読むアメリカ史』(読売・吉野作造賞)の続編、待望の完結!

感想・レビュー・書評

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  • 前著『憲法で読むアメリカ史』以降、具体的にはレーガン大統領以降のアメリカ史をトランプ大統領まで綴ったもの。本書の特徴は大統領による連邦最高裁判官指名の政治性を軸にアメリカ憲法史を通覧しているところ。大統領は1期4年の任期で最大2期8年まで。指名される連邦最高裁裁判官の方は終身。指名する大統領によって裁判官にも一定の政治的傾向が生まれるわけだが、連邦議会上院による承認も必要であるために、思うようにいかないこともあり。妊娠中絶を容認したロー判決を覆すことが共和党の悲願。本書ではまだ実現していない。後に実現。

  • 1973年の「ロー対ウェード判決」が覆された背景を知りたいと思い阿川尚之著『憲法で読むアメリカ史』(ちくま学芸文庫)を読んだ。同書の続編である本書を読まないという選択肢はなかった。

    最高裁の判事構成、すなわち(憲法分野の)保守主義と進歩主義の構成がすべてを決めてきたわけではない、と筆者は言う。確かに、中絶にかかる重要な事案である「ケーシー事件」判決では、保守派判事が多いにもかかわらず、「ロー対ウェード事件」判決の根幹部分は守られた。そうは言っても、①レンクイスト首席判事(保守派)による審理延期という政治的な動きがあったことや②判決はスーター判事の政治家的行動が大きな鍵を握っていたこと、を踏まえると非常に『政治的な』判断であったと、私には見える。

    憲法分野の保守主義と進歩主義には、筆者が言うように司法の役割と憲法判断の正当性について『根本的な』違いがある(注)。従って、基本的には判事構成によって判決は左右されると考えて良い。但し、ゴリゴリの保守ばかりを任命できるわけではない※し、保守派でありながら政治的な思惑から日和る判事(スーター判事)もいたので、「ケーシー事件判決」では「ロー対ウェード判決」は覆らなかった、というのが私の理解。
    (注)保守派=憲法の条文の意味、特に憲法制定時に理解されていた条文の意味を忠実に解釈して、憲法判断を行うのが仕事である。
    進歩派=200年以上前に制定された憲法の条文が現代の問題にそのまま適用できるとは限らない。憲法は生きていて徐々に変化していくものであり、判事はあくまでも現在の視点で憲法の条文を無理のない範囲で拡大解釈し、現在の価値観に合わせるべきだと考える。
    ※ ボーク判事(ゴリゴリ保守派)任命否決の経緯には驚かされた。

    人種、民族、宗教の異なる多様性を抱えたアメリカで、価値観が人によりグループにより大きく異なり、対立が生じるのは不思議なことではない。妊娠中絶についての賛否はすぐれて『神学論争』であると私には思え、これに最高裁が決着を付けることが正しいのか甚だ疑問に思う。これまで、最高裁が連邦議会が制定した法律や大統領の行政行為、州の法律・行政行為、裁判所判決の合憲性を審査することにより、政府部門間の均衡に寄与してきたことは事実であり、妊娠中絶に関してもその役割が求められていたということであろうが、その役割が果たせたとは到底思えない(「ロー対ウェード事件」判決後に『分断』は激化した)。分極化が進むアメリカの統一を維持する役割を最高裁が今後も果たしていくだろう、というのが阿川氏の見立であるが、私には希望的観測にしか思えない。事実、国の『分断』を深めた「ロー対ウェード事件」判決は覆り(「ドブス対ジャクソン女性健康機構事件」判決)、『分断』はますます深まると見られている。

    アメリカの司法制度について、阿川尚之氏の2冊を読んだだけであれこれ言うのはいかがかとは思うが、「ロー対ウェード判決」(全国一律中絶可→『神学論争』に決着をつけた)が事態を拗らせたのであって、中絶の規制をそれぞれの州の政治過程に委ねておけば現在のような『分断』は生まれなかったように思える。

    いずれにしても、アメリカの司法制度を理解する上で必読の書だと思う。

  • 同じ筆者の『憲法で読むアメリカ史』の続編に当たる作品で、1981年のレーガン政権誕生から2017年のトランプ政権誕生までの40年弱を、憲法解釈が問われたさまざまな連邦最高裁判例を振り返りながら辿っている。

    この期間の連邦最高裁は、バーガー・コートに始まり、レンクイスト・コートを経てロバーツ・コートまでの3名の主席判事の在任期間に該当する。

    『憲法で読むアメリカ史』で描かれた約200年間は、連邦政府と州政府の関係、政府の権限と自由のバランス、様々な種類の人権や平等など、アメリカ合衆国という国のあり方を特徴づける価値が、憲法や判例を通じて形作られた期間であった。

    それに対して、本書で描かれた20世紀末から21世紀初頭にかけての時代は、そのようにして形作られ、超大国となったアメリカ合衆国が、国内における価値の多様化やグローバル化する世界との関係性の中で、その次にあるべき姿を模索し続けた時代であったように感じた。

    この時代に社会的に大きな注目を集めた裁判は、妊娠中絶、銃規制、同性婚、政教分離など、社会を支える倫理や価値観に関する政府や法規制の線引きを問うもの、湾岸戦争やイラク戦争、そしてテロとの戦いにおける大統領の意思決定の是非を問うものであり、それぞれ、価値観の多様化やグローバル化に直面したこの時代のアメリカ社会を映し出している。

    最高裁判所自体は、非常に進歩的な判決を多く残したバーガー・コートから、保守的な主席判事の下でありつつも保守派4名、進歩派4名、中道派1名というバランスとなったレンクイスト・コート、そして保守的な判事の数が過半数を占めたロバーツ・コートへと、徐々に保守化をしていったと言われている。

    しかし、本書を読んで、連邦裁判所が保守的であるか進歩的であるかというのは、そのような判事の色分けで決まるものではないということが分かった。最高裁判事はそれぞれに個性を持っており、またそのキャリアを通じて深い司法観、憲法観を形作っている。

    そのため、保守派と言われる判事が必ずしも新しい権利に対して抑制的な判決を下すものではなく、個々の事案により、合衆国憲法は何を定めており、アメリカ合衆国を統治する三権はどこまで関与すべきなのかといった観点から、判決の方向性を決めていく。

    筆者も冒頭に述べているように、司法、特に憲法の分野の保守主義と進歩主義は、政治的なスタンスを表す保守主義、進歩主義とはその意味合いを異にする。司法における保守主義とは、「条文主義(textualism)」や「原意主義(originalism)」に代表される考え方であり、進歩主義とは「生きた憲法(living constitution)」や「進化する憲法(evolving constitution)」に代表される考え方である。

    保守的な判事が、条文主義に基づいて(政治的な意味で)進歩的な権利に対する規制を違憲とする判決を下すこともある。

    そして、この本で描かれた時代の連邦最高裁判事は、自らを任命した大統領や社会が色分けした保守/進歩の枠に必ずしも捉われずに、社会から問いかけられる様々な問い(事件)に対して、答えを出していったということが分かった。

    この時代、議会や大統領の政策は年を追うごとに党派色がどんどん強まり、分断の度合いを強めていったのと比べると、連邦最高裁の判決は安定性と過去からの継続性を保っており、左右に大きく振れながら徐々に変化していく社会の中で、比較的ブレることのない軸を提示し続けていたのではないかと感じた。

    1970年代から大きな論争の的になり続けてきた妊娠中絶の権利を巡る問題では、ロー対ウェード事件判決において一度確立された妊娠中絶の権利は、1990年代のケーシー事件判決においても、2000年代のスタンバーグ対カーハート事件判決においても、論点のいくつかについて異議が出されたものの、権利自体については取り消されることなく残った。

    また、湾岸戦争における大統領の戦争権限が問われたデラムス対ブッシュ事件では、この事件自体の原告の訴えは訴訟提起の機が熟していないものとして退けられたものの、大統領が議会の宣戦布告や同意なしに、議会の反対を押し切って戦争を開始したときには、裁判所が大統領の武力行使を差し止める判断をする可能性があるということを示し、行政の長に対する牽制役としての裁判所の役割を改めて思い起こさせた。

    とはいえ、社会の分断と政治の二極化は、連邦最高裁にも確実に影響を及ぼしていることも、本書を読んで強く感じた。

    『憲法で読むアメリカ史』と本書の内容で大きく比重が異なるのが、新たな最高裁判事の任命を巡る政治的な駆け引きに関する記述である。各大統領は、任期中に自らの政治的立場に近い最高裁判事を任命することで、大統領としての自らの任期を超える長い期間、その信じる政治的立場がアメリカ社会に定着していくことを目指した。

    そして判事の任命は連邦議会上下院の同意が必要となるため、議会与党と大統領の政党が異なることから数度にわたり判事の指名が否決されたり、後任判事が長期間決まらなかったりすることもあった。判事候補の政治的立場や憲法観は、選考における非常に重要な論点となり、指名をする大統領も審議をする議会も、判事の法律家としての能力よりもこの点に重点を置くようになる(そもそも法律家としての能力は各候補者ともに備えていることが前提であるからでもあるが)。

    この傾向は、本書で描かれた期間以降、現在に至るまで続いていると感じる。一方で、各判事候補は議会公聴会での証言において自らの政治的立場や司法観、ロー対ウェード事件判決など主要な過去の判例に対する意見を明確には答えないことで、就任後の判断が縛られないように巧みに対応もしている。

    アメリカの社会において、連邦最高裁に代表される司法は、法律、中でも憲法の解釈という論理的な知の実践を通じて、その時々の社会の動向や個別の事件が抱える特殊性を超えた、より射程の長い社会の軸を提示する役割を担っていると感じる。

    日本においては、裁判官は法律と自らの良心のみに従って判断を下すことが求められている。アメリカ合衆国においても、党派対立や社会の分断の影響を受けながらも、個々の事件における判事の判断ではそのような判事のスタンスがまだぎりぎりのところで保たれているように思う。

    アメリカ合衆国の現代史を憲法を通じて読むことによって、混迷の度を深めているように感じられるアメリカ社会の中にも、憲法と司法による安定装置が存在し、非常に重要な役割を担っているのだということを認識することができた。

  • 東2法経図・開架 323.53A/A19k//K

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著者プロフィール

2021年5月現在
慶應義塾大学名誉教授,同志社大学法学部前特別客員教授

「2021年 『どのアメリカ? 矛盾と均衡の大国』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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