アカデミック・キャピタリズムを超えて アメリカの大学と科学研究の現在

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  • NTT出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (385ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784757142466

作品紹介・あらすじ

大学はどこへ行くのか?公共性と市場化が両立する"場"は存在するのか。変容する科学研究と企業化する大学の現在を考える。

感想・レビュー・書評

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  • 産学連携に関わる方には必読書

    アメリカで行われた科学技術政策の歴史を中心に
    述べるが、印象的なものは科学技術のリニアモデル、基礎科学にお金を投じればいずれ応用科学も芽が出て社会に還元されるモデルは神話であるという点。そしてアメリカでは神話だがそれがアメリカの歴史に深く根ざしたものであり受け入れられている点。
    実際にそうした考えで生まれたバイドール法などが、多くの生命科学研究の成果、バイオベンチャーの隆盛を生んできた。

    また日本の大学は商業化と従来の象牙の塔の間でゆれているが、解は大学の存在意義を改めて知識の創造機関として位置付けること。多様なパトロン、科学者のインセンティブ設計、オープンネスを強く意識するなどは、アメリカのアプローチに近いが歴史的な背景が異なるアメリカを単に模倣するだけではなく、大学のあるべき姿から逆算するアプローチとして面白い。
    幅広い視点から記載されるのでついていくのはたいへんだが、読み応えのある素晴らしい本。たくさんの参考文献もあり、論文も読みたい。

  • 2010年刊行。知識論・大学論が興味深いが、こちらに理科系大学の実情、理科系の学問としての進め方のイメージが乏しいせいもあり、十分に読み取れていない。再読必要。

  • しばらく積読してた本を読み終えた。
    結果は最高評価。大学関係本で久しぶりに興奮した。
    世界を牽引するアメリカの大学の変容を、「従来とは少し異なる視点」から論じられている。異なる視点とは、「パトロネッジ」、「科学研究の二元論」、「科学研究のインセンティブ」など。
    一番興奮したのは最後の「第10章 大学はどこへ行くのか」。知識を創造する大学の役割を十分強調しながら、外部の様々なパトロネッジと内部インセンティブの自主管理を実践していきたい。

  • 大学における研究の独立性をどのように保って行くのかを大学での研究の歴史を中心としてまとめた本。大昔は、一部の富豪がパトロンとなり大学の研究を支えてきたが、経済的状況の変化から外部資金(寄附)を集めるようになった。さらに、時代によっては軍事目的にも使える研究をすることにもなる。近年では特許により研究成果がクローズドになってしまう問題、ゲノム関係の特許とインフォームドコンセントの問題もある。

  • 2011 6/27パワー・ブラウジング。筑波大学中央図書館から借りた。
     ・知識生産への市場経済の浸透
     ・大学の商業化
     ・大学資源の市場化
    と言ったテーマについて、アメリカの大学の場合を中心に(というかアメリカにおける大学とは他国の大学とは全く異質のものである、という前提のもと)扱った本。
    ただしそれを問題点として指摘する・・・という論調ではなく、むしろ評価している点が大きな特徴。
    アメリカの大学の資金の状況や歴史的背景、大学における研究と特許の関係等を考える上で非常に参考になる本。
    特に第5章、「基礎科学」という考えがバニバー・ブッシュ(原文表記に準拠)たちが作り上げた物語である、と指摘する一連の下りは非常に面白い。

  • 研究の市場化と大学の商業化についての考察。大学改革のあり方に一石を投じる。著者は「研究者は社会にとって意味のある活動をしなければならない」と主張。

  •  アメリカの大学と科学研究の歴史を、アメリカに特有な背景に注目しつつ紐解いて、産学連携のこれからを見据えようとする本。

     米国の産学連携の成功により、新たなビジネスを創出する第一のきっかけとしての役割が大学にますます期待されることになった。80年のバイドール成立により産学連携の流れが決定的になったとも言われる中、バイドール以後において、大学の研究は一体どれほど変わったのだろうか。企業との関わりが増え、産業界からの研究資金が増えていくことで、大学は応用研究ばかりやるようになってしまったのか。あるいは、大学の研究の商業化・産業化を良しとしない反市場主義で捉えられるものなのだろうか。このような問いを、アメリカの事例をもとに読み解いていくことができるだろう。

     日本の産学連携は、交付金を漸減していくというある意味政策的な方法で産学連携を促進しようとしている。大学も変革を求められており、実務者はその渦中に放り込まれている状態である。今もなお、産学連携の実務者は、なぜ大学が特許を取得するのか?という根源的な問題を研究者から投げかけられることがあるだろう。特許を取得してライセンス収入を獲得し、獲得した収入に基づいて新たな研究を行うという、知的創造サイクル的な方法で、果たしてうまく説明できるのだろうか?実はこのような、大学が特許を取得することについての論点は、1920年代にアメリカにおいて既に指摘されていたことに驚かされる。筆者も言うように、この時に挙げられた論点には、現代の我々から見ても興味深いものがある。

     アメリカの大学は、アントレプレナー大学と言われる。敷地内にはショッピングモールが置かれたり、大学の資産の運用を外部の専門家に依頼したりと、企業家的行為を見せており、商業的行為にはもともと寛容である。この点は、儲けることに対する忌避感が今なお根強く残る日本の大学とは異なるかもしれない。これにはアメリカの大学の歴史的な経緯が深く関わっている。アメリカの大学人は、積極的に情報発信をすることが求められ、政治的な発言もたびたび行っている。伝統的なパトロネッジによるものだ。常に妥当な説明を求められることが、どのような研究へと資金を呼び込むかにも影響してきた。時代とともにパトロネッジの主体はどう変化したのか、その結果、大学や産業界にどのような影響があったのか。科学研究を支援する政府の役割は変わったのか。生命科学分野におけるアメリカの大学発ベンチャーの発展の推進役は何だったのか。本書を手にすれば、詳しく読めるだろう。

     筆者は、こう主張する。大学が市場と関わることにより、一時的な混乱は伴うとしても、長期的にはプラスの効果をもたらすと。産業界が大学と関わることは、ともすれば大学の中に埋もれがちな有用な知識を、市場原理というパワーに基づいて見つけ出し、スポットライトを当てることに意味があるのではないか、と。
     アメリカに特有のもの、アメリカ人に埋め込まれた根源的な思考体系を理解することなしに米国の産学連携の成功は理解しづらいし、そのまま日本へ持ち込んでも、うまく成功するとは思えない。本書は、日本の産学連携を成功させる上で、米国との相違点を認識するために有用な指針を与えてくれる。特に日本の産学連携・技術移転の関係者、大学発ベンチャーに関心を寄せる方には、得るものがあると思われる。

  • アメリカの大学をケーススタディとして、大学を基盤としたイノベーションの歴史的変遷と仕組みの詳細をまとめている。基礎研究と応用研究の成り立ちを含めて、日本の産学連携関係者が表面的にしか理解していないことを深い観点から指摘している。

  • ちょっと期待したイメージと違ったので、途中で断念
    MITやコーネル大学が昔は州立大学だったことは初めて知った

  • 書籍前半はアメリカの科学技術史のよう。授業で6回目くらいの分量があるだろう。あのV.ブッシュも中盤登場。
    研究大学院の活動が盛んになる基盤は、
    P.7「シリコンバレーのあるカルフォルニアはアメリカの中でも特殊な位置を占めている。(中略)コミュニティの構造が極めてフラットな特徴を持っている。民主主義の理想が行き着いたような社会通念の形成。人種の坩堝の中で対立を乗り越えたような人種間の感覚的平等性。」
    があるのは間違いなさそうだ。

    表題どおり、大学が「企業」となり、商業・ビジネスの世界で科学技術のプロセスと成果を取引するようになっていく様が、ありありと描かれている。日本にはないある種のハングリー精神があるのか。

    研究統括者(PI:Principal Investigator)は、物になるプロジェクトを立ち上げ、コーディネートする「経営者」の役割がある。日本のそれよりもよりチームワーク・組織マネジメントを要求される。

    大学の多様化の解のひとつとして、以下を挙げている。
    (P.121)国の違いもあるが、歴史の変化とともに、大学のパトロネッジの変化があったからだ。

    古典的な大学で行いに対して、「富の獲得に、より近い道筋を示してくれるような全ての新しい方法、労働を節約することを可能にするようなすべての機会、生産コストを減少させるような全ての器具、喜びを助長しそれらうぃい増加させてくれるような全ての発見、このようなものこそが、アメリカ人にとっては、人類の英知の最大の努力とみなされているのである(P.137)。」とある。60年かけて周到にアメリカナイズされた今の日本でもこのように考える人々の数は決して少なくない。
    個人的には先人たちが育んだ日本古来の文化と、精選されたアメリカの科学技術の拝借のバランスをとりながら、生きていくことが大切と考える。

    モリル土地法で各州にできたフラッグ・ユニバーシティは、
    農学・工学・軍事戦略学の実践的な学問に特化されている。

    P.139
    帝国大前の東大では、フンボルト理念のベルリン大学モデルが移植されたと思われているが、実は、同時期の州立のミシガン大学の教育内容と似ている。官吏養成の法学部と、武器・爆破技術の学科もある工学部があったという。新興国が模索して諸外国のいいところをとったと見える。これは潮木先生のフンボルト理念の終焉からの引用なのだが。

    科学技術政策の最高峰の文献と小林先生がおっしゃった、
    「科学-果てしなきフロンティア」も紹介されている。
    それは軍事科学から基礎科学と応用科学の二元論で実現。
    科学研究は公共財。公共財としての基礎研究はやはり大学が最適という結論は、授業でも聞いた。

    大学は研究により新しい知識を生産
          ↓
    そのアイディアを社会に受容してもらうように
          ↓
    社会とのチャンネルを持ち、パトロジオットを形成
          ↓
    アメリカの大学は組織の開放性が強み
          ↓
    広く拡散している膨大な情報を、「市場化メカニズム」で、
    自由な判断と交換を通じて社会的に発見する

    【学士課程では、重厚な教養教育・人間教育
    →知への渇望・知識生産のコミットメントの意識】
    【修士・博士課程では、新しい知識・技能への希求を吸い上げ、
    新たな知識を作る。

    研究者・関係者のincentiveを精査し、
    大学セルフ・ガバナンス/オートノミーを築く必要がある、
    ということが今後の研究支援に係る研究計画書を書く上で参考になった。

    2012.2.7追記 
    IDE2012.2-3号、69-70頁で小林先生がレビューしている。以下に重要な箇所を引用しておく。

    「今日の大学は、世俗的な利益の源泉となることを期待する経済的、政策的議論と、それに対抗する伝統的大学観や公共性を重視する学問観の間でゆれている。おおげさにいえば、本書はこの対立の止揚を企図したものである。」
    「鍵は、米国大学が歴史的に有する本質的なオープン性、科学研究のパトロネッジの多様性と柔軟な変化にある。」
    「日本の科学コミュニティに浸透した米国的基礎研究神話と欧州的エリート主義の混淆するやっかいな神話に真っ向から挑戦することが、著者の責務だろう。」
    「知識生産の中核ともいうべき論文出版でさえ、国際的学術雑誌のほとんどが商業出版化しているという現実に直面している。」

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