Bowie's Books——デヴィッド・ボウイの人生を変えた100冊

  • 亜紀書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784750517162

作品紹介・あらすじ

デヴィッド・ジョーンズは、金ずくの音楽業界、薬物中毒による脱線の危機、最大のスターになるという壮大で冷酷ですらある野望のなかで、いかにしてこのような人になったのか?
その答えは、いまあなたの手のなかにあるかもしれない。――「はじめに」より


兄の影響を受けて、ビートやモッズにはじまり当時のカルチャーの洗礼を受けた少年は、生涯かけて数えきれない数の本を読んできた。
文学、音楽、アート、ファッションなど膨大な知識は、ありとあらゆるものに解体され、歌詞、曲、ヴィジュアルなど、もう一度ボウイの創造物として作り直されている。


〈本はボウイの音楽と人生の羅針盤だった〉――ボウイ自身が選んだ100冊を語り尽くすファン垂涎の一冊。

感想・レビュー・書評

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  • デヴィッド・ボウイ推薦図書100冊 #001-033 - DAVID BOWIE - デヴィッド・ボウイ考察サイト
    https://www.sharebridefailingstar.com/booklist100-1/

    亜紀書房 - Bowie's Books デヴィッド・ボウイの人生を変えた100冊
    https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1036

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/volume/1300137

  • 2013年3月ヴィクトリア&アルバート博物館の企画展『デヴィッド・ボウイ・イズ』がロンドン開催から始まり、世界各地を巡回、5年後に閉じられる。
    ロンドンの次の開催地、オンタリオでの開催に先立ち発表されたリストが、本書の元ネタになる。
    ボウイ自身が生涯読んできた本の中から、重要で影響の大きいと考えた100冊の本のリストである。
    1冊ごとに、その本を読んだボウイや当時のミュージシャンががどんな影響を受けたか?という解説があり、この1冊を読むならボウイのこの曲と共に聴いてほしいと曲紹介と、その1冊に興味を引かれたらこちらの本もいかが?との関連書籍紹介も付してある。ボウイが選んだ100冊の本と、ボウイの100曲と、関連書籍100冊を紹介している本となっている。中には翻訳されていない書籍も含まれている。熱狂的なファンであってもなくても、100冊程度なら読み切ることも可能だ。そして、きっと実践したらユニークな体験になりそうだ。
    デヴィッド・ボウイさんは、かっこいいミュージシャンとの認識はあるが、あまり楽曲を聴いたことがない。むしろ、俳優としてのボウイさんの方がよく知っている。
    『地球に落ちてきた男』『ツインピークス』『ハンガー』などの映画を何度も見ている。映画の撮影の合間にも本を読んでいたそうだ。
    ここにある書籍の1冊を読んだ後、本書の紹介ページを読み、紹介されているボウイの曲を視聴するという楽しみ方もあるし、ボウイの曲から聴いてみて、本を読むという順番でも良いだろう。
    立体的に芸術を楽しむ方法は無限大だ。

  • ここに載っている本全部は読めないだろうが、ボウイを司ってきたもののほんの一部が垣間見れたような気がするも、さらに「?」が増し、考えさせられるような感じにもなり、何度も読みこまなければならないだろうと思って途方に暮れつつ、楽しみが増えたような喜びも感じた不思議な本だった。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50265436

  • 《エリオットの手法は、芸術的窃盗の新たなしきたりを定めた。現代の詩人は先人たちを絶えず対話しているが、そのような先人たちは、くすんだ過去ではなく、時を超越したある種の同時性のなかに存在し、お互いの関係を絶えず改めながら新参者を受け入れている。そして新参者は、過去の詩人の作品を自由に再設計できる。実際、それをうまくやることこそが彼らのいちばんの野望だろう。「未熟な詩人は真似をし、成熟した詩人は盗む。よくない詩人は取ってきたものを傷つけ、よい詩人はそれをより優れたものに、あるいは少なくとも違ったものに変える」とエリオットは書いている。(ボウイは、自分がほかのアーティストたちからどれほどのものを取ってきているかについて、しばしば率直に語っていた。LCDサウンドシステムのジェームズ・マーフィーがボウイの曲から盗んだと告白したときは、「泥棒から盗むことはできない」と言って安心させた。》(p.85 T・S・エリオット『荒地』)

    《この葛藤——確認と創造のあいだの、そして大勢のオーディエンスを必要とすることとそれを軽蔑することのあいだの葛藤——は、ボウイを生涯にわたって駆り立てた。最も難解かつ非商業的なアルバム「★(ブラックスター)」でキャリア最大級の成功を収めた、最後の最後まで。》(p.94-95 グリール・マーカス『ミステリー・トレイン』)

    《ボウイのコミックやグラフィックノベルへの生涯にわたる愛は The Beano からはじまった。それゆえ、彼が亡くなった日に、この雑誌がアラジン・セインのメイクを模したデニスの絵をツイートして彼を称えたことは、もっともであるし、どこか美しかった。》(p.96 『The Beano』)

    《そのショーに圧倒されたボウイは、楽屋に行ってルー・リードを称え、彼の曲をどれほど素晴らしいと思ったか伝えた。二人はしばらくおしゃべりに興じた。後になってボウイはルー・リードが前年の夏にバンドを辞めていたこと、その激賞を受けた相手はベーシストから急遽昇格したダグ・ユールだったことを知った。
     このロックセレブリティのいい加減さから教えられるのは、かつてレボウィッツが行ったように、「あなたの評価はいちばん最近のヘアカットで決まる」ということだ。》(p.99 フラン・レボウィッツ『嫌いなものは嫌い』)

    《悲しみと堕落に覆われた人生を、判断を加えることなく受け入れるミラーから、オーウェルが得たもの、そして私たちに得てほしいと思っているものは、中流階級出身で大学出のルー・リードがヒューバート・セルビー・ジュニアを読んで得たもの、そしてボウイがセルビーの影響かに書かれたリードの「僕は待ち人」などの曲を聴いて得たものだ。ミラーは人に不快感を与えることもあったかもしれないが、結局のところ(オーウェルの言い得て妙な表現を借りれば)人が現に感じていることは、感じるべきことと同じくらい重要なのである。》(p.164 ジョージ・オーウェル『鯨の腹のなかで」)

    《ボウイは、愛するソウルアーティストたちと自分を比較したとき、いつも自分には足りないところがあると感じていた。1970年代半ばにつくりはじめ、その後も折に触れて立ち返った、自分のファンキーなR&B風の音楽は、低俗で本物ではないと悩んでいた。1976年の『プレイボーイ』誌のインタビューでは、『ヤング・アメリカンズ』は「完全なプラスティック・ソウルのレコード」だと言った。「ミューザクの時代を生き延びる民族音楽の残りかすで、白人のイギリス野郎が書いて歌ってるんだ」。これは少し辛辣だ——ボウイはさまざまなことを成し遂げながらも、最高の高みはいつまでも手の届かないところにあると感じていたようだ。》(p.248 ジェリー・ハーシー『Nowhere to Run』)

    《セルビーの音楽版と言えるリードの「僕は待ち人」は、ボウイを驚愕させた。彼がそれを初めて聴いたのは1966年12月で、マネージャーのケネス・ピットが『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』の発売前のアセテート盤をニューヨークから持ち帰ってきたのだった。ボウイはすぐに当時のバンド(ザ・バズ)にこれを覚えるように言い、1週間たらずのうちにステージで演奏するようになった。「愉快なことに、僕はヴェルヴェッツの曲を世界中の誰よりも早くカバーしただけじゃない」と、ボウイは2003年に『ヴァニティ・フェア』誌に語っている。「アルバムが出る前にやったんだ。それはモッズの真髄だね」。》(p.260 ヒューバート・セルビー・ジュニア『ブルックリン最終出口』)

    《『ヤング・アメリカンズ』はボウイを米国でスターにした。当時のインタヴューで彼はこのアルバムについて複雑な感情を示していて、「プラスティック・ソウル」だと自己嫌悪的に言う一方で、過去の作品にはなかった正直な感情があるとも言っている。『メロディー・メイカー』誌に語っているところによれば、『ヤング・アメリカンズ』以前は「サイエンスフィクションの様式」を用いていた。「概念や観念、理論を示そうとしていたから」だ。しかし『ヤング・アメリカンズ』は違う——「感情的な衝動だけ」なのだ。》(p.293 ピーター・グラルニック『スウィート・ソウル・ミュージック』)

    《1920年代のベルリンは絶えず変動する街だった。一連の政治的および経済的危機、特にハイパーインフレーション——1923年11月にはパン一個の値段が2000億マルクにまで上がった——が、犯罪、売春、反ユダヤ主義を煽った。一方、これらの危機は濃密な文化的、学問的活動の時代を導くことにもなった。その糧は多様な性的狂乱だったようで、ベルリンのバーやキャバレーは悪名をとどろかせていた。
     『洪水の前』は、ジョセフ・フォン・スタンバーグの映画、ベルトルト・ブレヒトの戯曲、アルノルト・シェーンベルクの無調音楽、ジョージ・クロスの猥褻な風刺画についての、快楽主義者向け短期集中講座である。のちにブレヒトの1918年の戯曲『バール」に出演することになるボウイは、この本を通じて、ブレヒトにとってのベルリンの重要性を知るとともに、劇場監督エルヴィン・ピスカトールとバウハウスの創立者ヴァルター・グロピウスによる「全体演劇」——回転式の舞台と座席、映画のスクリーン、コーラス隊が観客を囲むように登場するための地下通路などを用いた360度の体験——のアイデアと、自らが催したかったロックスペクタルのテント店を結びつけたのだろう。
     両大戦間のベルリンには、ジークムント・フロイトやアルベルト・アインシュタインが住んでいた。また、ウラジーミル・ナボコフも暮らしていて、シーリンという筆名で、『カメラ・オブスクーラ』、『絶望』、『賜物』などの「ベルリン小説」を発表していた。フリードリクは『賜物』を引用しており、ひょっとするとボウイはそれを読んだときに、グルーネヴァルトの浜辺で太陽に舐められるナボコフのイメージを焼きつけられ、後年の「アイド・ラザー・ビー・ハイ」で使ったのかもしれない。その小説の主人公のフョードルは、ベルリンの外れにあるその湖畔の景勝地で日光浴をする人々のあいだを歩き、横になっている老人たちの腫れた脚を見る。そして自らも横になり、肌を舐める太陽のありがたみを感じる。ボウイの曲では、もちろん、ナボコフはモントルーのホテルに引きこもる老人ではなく、人生の盛りにある。光り輝き、裸で、褐色に焼けた彼は、才能を育てるベルリンの力を称えている。》(p.306 オットー・フリードリク『洪水の前』)

    《ボウイはこの音楽の力を直に体験している。1987年6月6日、彼は西ベルリンでコンサートを行なったが、これはその2年後のベルリンの壁の崩壊に向けて道を開いたとも言われている。その公演は、何かと嘲笑されることの多いグラス・スパイダー・ツアーの一環だった。ステージは壁に隣接していて、東ベルリンの側で大勢の人が音楽を聴きに集まった。何が起きているかに気づいたボウイは、その「非公式」の観客に向けて語りかけてから「ヒーローズ」を歌い始めた。暴動が起こり、人々は「壁を壊せ」「ゴルビー」〔ソ連のゴルバチョフ書記長のこと〕ここから出せ」と繰り返した。結果的に、200人以上が逮捕された。
     「僕のなかで最もエモーショナルなパフォーマンスのひとつだった」と、ボウイは2003年に『ローリング・ストーン』誌で振り返っている。「涙が出た。何千人もの人が、向こう側で壁のそばに来ていた。だから、壁が仕切りになった二重のコンサートのようだった。僕たちには、向こう側からの歓声や歌声が聞こえていたんだ。ああ、いまでも胸がいっぱいになる。感情を揺さぶられる経験で、それまであんな経験はしたことがなかったし、これからもないと思う。とにかくジーンときた」。》(p.345-346 トム・ストッパード『コースト・オブ・ユートピア』)

  • とても面白くて、さくさくと読めた。一冊につき3ページかそこらを割いているので、そんなに時間もかからず、ボウイのエピソードや寸評、そして本のあらすじや性格、ボウイとの関係性などを書いていてとても楽しい。
    とこかでこの本の著者自体が書いていたと思うのだが、毒にも薬にもならない。ブックリストだから読み手を傷つけるようなものでもないし、魅惑しすぎることもない。
    それでいてちょっとボウイと観客の横に寄り添っていて、軽く橋渡しをしてくれる、暇つぶしにとても良いブックリストだ。読みたい本が色々と増えてしまった。
    Spotifyでおススメ曲のリストが出ているので、また聴きながら読み返したい。

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著者プロフィール

1972年生まれ。音楽ジャーナリスト。『タイム・アウト』のシニア・エディター、『ザ・フェイス』の音楽コラムニストをつとめたのち、現在はフリーランスとなり、主に『タイムズ』と『ガーディアン』に寄稿している。2002年に実際にボウイにインタヴューを行った。ロンドン在住。

「2021年 『Bowie's Books』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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